涙で許しを乞えるなら
もう会うことはないと思っていたのになんか最近こんなんばっかりだな。
「あ、あのぅ……魔王様……」
呆れてため息をついているとナーガが様子を窺うように恐る恐る声をかけてくる。
「よかったなナーガ。俺の魔力がなくて」
「あったらどうするおつもりだったのですか……」
「殺してたかもな」
「あはははは……ご冗談を……」
「お前のもあんまり笑えない冗談だったな」
「っ……」
ものすごく青ざめていた。こいつ起きたときからこのこと気づいてやがったな。
「今回だけだからな」
「ごめんなさい……」
珍しくしゅんとしたナーガを連れて檻の方まで歩いていく。そのそばで丸太椅子に座って貧乏揺すりをしていたオークがこちらに仏頂面を向けてちょいっと頭を下げた。少女は二人に気がつくと立ち上がって格子にしがみついてきた。
「ゆ、ユーリくんっ……助けてっ……!」
「なんでまた檻にぶちこまれてるんだよ」
「わかんないよぅっ! 町に帰ってたらこの人がーっ!」
「ぶひぶひぶりりゅっ!(騒ぐなくそガキっ!)」
「ひぇっ!」
ひどく苛立った様子でオークが檻に拳を打ちつけた。その衝撃で少女は転んでしまい中央でうずくまってがたがたと震えはじめてしまう。
「ぶひぶひーぶひ?(今度はなにをやらかしたんだ?)」
「……ぶひっふほん(……泉に入ろうとしやがった)」
オークはそう言って不機嫌そうに鼻を鳴らした。
あぁ、泉の水か……。
なだめる言葉すら思いつかず少女に憐憫の眼差しを送ってみるとその傍らには昨日あげた水筒が転がっていた。オークが言っているのは彼らが聖域として死者の魂を祀っている泉のことだろう。というかそれ以外に考えられない。
なんでこいつ踏める地雷は全部踏んでいってるんだろう。ほんとはオークの生態を熟知しているんじゃないのか。そんな邪推が村の外まで走りぬけていった。
「ね、ねえ……その人、ほんとはまだ許してくれてないの……?」
「いや、お前が改めてこいつらの機嫌を損ねただけ。泉があっただろ」
「う、うん……昨日なくしちゃった水筒見つけたから汲んでいこうと思って……もしかしてそれがいけなかったの……?」
「いけなかった」
「なんでっ……?」
「……俺たちの話に例えると墓掘り返して骨持ってこうとした感じかな。こいつらの村の近くにある泉には近寄っちゃだめなんだ」
「近寄っちゃだめって……なんでよぅっ! そんな大事なとこなら誰か立ってればいいでしょっ!? 絶対他の動物だって水飲んでるし、後出しでそんなこと言われたって……あたしこの世界のこと知らなくて、なんでっ……! なんっ……うえぇえぇぇぇぇぇぇんっ……」
さすがに納得がいかなかったようで少女はぺたりと座りこんだまま子どもみたいに大声で泣きだしてしまった。気持ちはわかるぜ。でもこれがオークの生き方なんだ。
「泣くなよ……」
「だ、だってぇ……! あたっ、あたしはただっ、途中でお水飲みたいなって……おもっ、ひっく……っ……おもった、だけでぇっ……」
「……待ってろ、なんとかできないか訊いてみるから」
ちゃんと教えるべきだった。これくらいは充分に予想がついた事態であり申し訳なく思いながらオークに顔を向ける。
「ぶひぶひぶひ(出してやってもらえないか)」
「……ぶひぶひぶひぶひ。ぶひーぶひっひひふ。ぶひひぶひんぶひっひひ(……越えてはならない一線というものはある。踏み入れてはならない領域というものがあるんだよ。そこへ立ち入ったのならば相応の報いは受けてもらわなければならない)」
「ぶひひぶひぶひ(どうするつもりなんだ)」
「ぶひぶひー(身ぐるみ剥がして売り飛ばす)」
オークは怒り疲れたようなため息をつくと立ち上がってユーリの目の前に来た。
「ぶひふっほん。ぶひひぶひひ。ぶひぶひぶひーぶひぶひー。ぶひぶひふひひ(これでもあんたの顔を立てているんだ。だから命まで取るとは言わない。だがそれ以上は譲れない。とうもろこしでも振る舞えば村のみんなも飲みこんでくれるさ)」
たかが泉の水を持っていこうとしただけ。人間にとってはその程度でも彼らにとっては家族を足蹴にされているのだ。少女は理不尽に思っているだろうがオークが感じている怒りを思えばかなり良心的な提案だったのかもしれない。
異種族との共存が難しいのはこういう差異があるせいだ。どうしたって文化の違いで衝突しかねない場面はある。争いの火種をつくりたくなければそんな理不尽も受け入れるしかなかった。
みんながアフェットのようにおおらかであればきっと世界は平和になるのにな。そんなふうにため息をついてるとすんすんと鼻をすすりながら少女はなんとか涙を拭って泣き止みはじめていた。
「ね、ねぇっ……その人なんて言ってるの……?」
「町に売り飛ばすってさ」
「えぇっ……! 売るって、その、奴隷とかそういうのっ……!?」
「黙ってろよ。話進まないだろ」
「そそそ、そんなこと言われたって……!」
自分の行く末を案じているのかあわあわと忙しなくオークとユーリとを交互に視線を行き来させ慌てふためく少女。
「金持ってるか? それでなんとかなるかもしれない」
「おかねっ、うんっ……ちょっと待っててっ……」
そう言って急いでブーツを脱ぐと少女はそれを逆さまにして上下に振りはじめた。その中からちゃりんちゃりんと小銭が落ち床板の上に散らばり、かき集めたお金をこちらへ差し向けてくる。
どこにしまってんだよ。
「足りるかな……?」
数えるのもばかばかしくなってくるが彼女は三百ディールしか持ってなかった。
「小学生かよ……」
「これ何円くらいするの……?」
「三百円だよ」
「足りない……?」
「当たり前だろっ、さっさとしまえよ汚いから!」
「そ、そんなこと言われたってぇ……! 財布とか持ってないんだもんっ……」
天使は最強の武器とか与える余裕があったらこれから現れる転生者にちょっとでいいから金を渡してやってくれ。たぶん多くの転生者が日の目を浴びることなく餓死してるぞ。
一応数日は生きていたようなのでなにかしらの方法で稼いだのだろう。少女はなけなしの有り金をブーツの中に片づけ泣きついてくる。
「ねえ助けてっ……! お願い、なんでもするからっ……!」
「なんでもしてくれるのか?」
「えぇっ、なな、なんでもって言ってもそういうのはだめだよっ……!? あたしまだキスだってしたことないしっ、そのっ……はじめては、やっぱり好きな人とがいいなって……」
「お前ほんとはまあまあ余裕あるだろ」
いったいなにをされると思ったのか少女は言いづらそうに口をつぐんでいた。
「あ、あのっ……えっと……ナーガ、ちゃんって言うんだよねっ?」
そんなふうにユーリが呆れていると少女は涙目で格子にしがみつきながら今度はナーガへ顔を向ける。
「絶対にお礼するからっ、だからナーガちゃんからも──」
「ふふん、無様ですね転生者。その檻に囚われている姿がとても板についていますよ」
ナーガは無情にも小さく鼻で笑って突き放すだけだった。まさかそんなふうに思われているとは知らなかったのか少女も絶句してしまい、やがてその瞳からぽろっと涙が零れ落ちていくと声を押し殺して泣きだしてしまった。
とりあえずナーガの頭を本気で殴りつけ、けれどちっとも効いた様子はなくきょとんとした顔で見上げてくるだけだった。
なんだこいつ無敵か?
「お、お願いします……助けてくださいっ……その、ユーリくんがそういうのしたいって言うなら……っ……考えるからっ……」
両手を突いて頭を床板につけながら懇願する。まさかこれが転生者だとはとても思えない惨めな姿になんともいえない気持ちになる。本当にこの少女は世界を平和に導く救世主になれるのだろうか。
「考えなくていいよ、そんなこと頼まないから」
実のところ売り飛ばすと言ってもこの世界に奴隷を売り買いする文化はなく最悪でも素っ裸で放りだされるといった程度で済む話ではあった。そもそも国が厳重に取り締まっているという理由もあったが基本的にこの世界の人間は法に触れるようなこと、人の道に外れるようなことに手を出さない。
その背景にあるのが転生者の存在だ。世界の理から外れた者たちがいるせいでユーリが生前に住んでいた世界よりもずっと根強く神の存在は人々に信じられており、穢れた魂は死後の世界で罰を受けるという揺るぎない信仰が思いやりに満ちた心を溢れさせていた。
もちろん信心深い者ばかりというわけではなくユーリたちを襲った商人たちのような者もいる。けれどあのとき直接二人を殺さず魔物に殺させようとしていたのも根底にはそういった不可避の報いがあることを恐れているからだ。
肌着一枚で少女が泣いていれば助けの手を差し伸べる誰かはきっと現れてくれるだろう。
「……ナーガ、金を出してくれ」
だからといって見過ごすわけにはいかなかった。こいつの装備を世に放ってはならない。わかる奴なら一目で一級品とわかるものばかりで充分にオークたちの腹を満たすとうもろこしは買えるだろうが、どれだけの値がつこうとその本来の価値を見いだせるのはこの少女以外にはいない。世界中のあらゆる金品を集めたって届かないといってもいい。
「買収するのですか」
「他に方法がないんだ。俺の勝手で悪いけど……助けてやってくれ」
「魔王様の決めたことならナーガはなにも文句はありませんよ」
「……ありがとな」
ナーガが鞄の中から取りだしてきた札束を受け取る。小銭を除けばこれがユーリたちの全財産であり大事な旅の資金だ。
悪いのはちゃんと教えなかった俺だ。ユーリは目を閉じてそんなふうに後悔を振り払うと黙って待ってくれていたオークに金を差しだした。
「ぶひぶひ。ぶひぶひんぶひ(これで売ってくれないか。足りない分はかならず払う)」
「……ぶひふほん?(……本気か?)」
「ぶひぶひー、ぶひひ(その子には必要なものなんだ、頼む)」
こんなところで散財している場合じゃないのはわかっている。だがここで止めなければ少女はいきなり詰んでしまいかねなかった。
「ぶひぶひひぶひ。ぶひっひひぶひ?(なぜそこまでできる。困るのはあんただろう?)」
腑に落ちない様子でオークが怪訝な顔をした。どうしてだろうな。人のことを心配してる場合じゃないのに。
「……ぶひっひ。ぶひひひ(……なんとなくだよ。悪い夢は見たくないもんな)」
「ぶひぶひ……ぶひぶひぶひーぶひぶひ(やれやれ……なぜあんたがエデルシーラじゃないんだろうな)」
オークはそう言うと小さくため息をついて金を受け取った。
「ぶひひ。ぶひぶひひっひひぶひぶひ(出してやるよ。足りない分はあんたの誇り高さで払ってもらったさ)」
「ぶひ(ありがとう)」
致命的な出費だった。だが服はともかく剣の方は純粋に武器としていくらの値がつくかわかったものではない。天使が聖剣と銘打つほどのものならこの世界のあらゆる剣を遥かに凌駕する性能を持っていると見るべきだろう。それを思えば破格の値段だ。もともと降って湧いたような金を惜しんでも仕方ない。
そうしてオークは檻の留め金を外すと扉を開けた。顔を上げた少女が不安げにオークを見てからこちらへ窺うような視線を向ける。
「出ていいってさ」
「あ、ありがとうっ……」
少女は涙目で檻の中から出てくると気まずげにユーリたちのもとへやってきた。
「あの……ごめんなさい……あたしのせいで、お金……いつになるかはわからないけど、絶対返すから……」
「いいよ、別に」
「でもっ……」
「もう寄り道しないでさっさと町に帰れよ」
「っ……」
「ぶひぶひ、ぶひっひぶひー(そうそう、あんたに言うことがあるんだった)」
ようやく面倒ごとが片づきうんざりした様子で荷車を運ぼうとしていたオークが思いだしたように振り返る。
「ぶひぶひぶひ。ぶひーぶひひぶひぶひ(村長から伝言を預かっているんだ。力になるから困ったことがあったらいつでも頼りにしてくれってさ)」
「ぶひひぶひ?(いないのか?)」
「ぶひっひー。ぶひぶひひぶひ。ぶひぶひ(朝早くに出かけちまったよ。ともかくそういうわけだから。あんたも達者でな)」
そう言い残すとオークはふごふごと鼻を鳴らしながら荷車を引いていってしまった。
なんだ、挨拶しようと思ってたのにもういないのか。
「……じゃあ俺たちも行くか」
オーグリオもひまなわけではないのだろう。世話になった礼も言えずに行くのは心残りだったが仕方なく出発することにした。




