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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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森とそよ風と

 これからどうすればいいのかまったく見当がつかなかった。いままで力にものを言わせてきたけど、それをなくしてどうやってこの世界を歩いていけばいいっていうんだ。


 いや……。


 ユーリは小さくため息をついて気持ちを奮い立たせた。なんとかなるはずだ。十年前だっていまと変わらなかったじゃないか。無力な子どもだったあの頃だってなんとか生きぬいてこれたんだから。


「魔王様」


「なんだ」


「これからどうされるつもりですか」


「そうだな……」


 俺の力を奪っていった奴。できることならそいつを見つけだして魔力を取り戻したい。けれどそれは絶望的なほど難しい話だった。いまの俺はたった一匹の魔物にさえ遅れを取れる。ここにいるのもかなり危険だった。


「とりあえず一番近くの町まで行ってみる」


「わかりました。ではさっそく行きましょう」


 そう言ってナーガは立ち上がるとぺしぺしと埃を払い落とした。


「ついてくるつもりなのか?」


「いけませんか」


「わざわざ従う理由がないだろ。もう俺は魔王でもなんでもないんだから」


「ふっふっふ、このナーガを見くびってもらっては困りますよ。一度誓った忠誠を途中で捨てたりはしません」


 顔色一つ変えずに寝起きのようなテンションの低い声で続ける。


「それに魔王様のお力はかけがえのないものなのです。ぜひ狼藉を働いた不届き者を打ち倒しましょう。ナーガもお手伝いします」


 ぐっと拳をつくって力強く言いきる。


 こっちはまったくそのつもりはないんだけど……。


「……そうだな。じゃあついてこい」


「はい」


 しばらくはその気にさせておいた方がよさそうだった。まずは町までたどり着かなくちゃ話にならない。この辺りは魔物がわんさか生息する一帯だ。注意していれば遭遇は避けられるだろうが万が一に備えておくに越したことはない。こいつがどれほど頼りになるのかは定かじゃないけど、少なくともいまの俺よりずっと強いことはたしかだ。


 町に着いたらまずは仕事を探すところからはじめよう。そのあと適当なところでこいつとはおさらばだ。


 そうして二人は城の跡地を抜けて歩きだした。視界に広がる荒野はどこを見回しても山ばかりで、いったい町までどれくらいかかるんだろう。たしか方角はあっちの方だったはずだが。


 森の中に足を踏み入れ、黙々と歩きながら空を見上げる。あんなに曇っていたのにいつの間にか雲は消え、木々の合間から見える空はすっかり快晴模様だった。


 先を行くナーガは辺りをきょろきょろと眺めており、散歩でもしているつもりなのか小さくハミングをしていた。のんきな奴だな。けれど音程は平板でまるっきりメロディーになっていない。


「おい」


「なんですか」


「その耳障りな鼻歌はやめろ」


「すみません。気分がよくてつい」


 この数時間のうちに急転直下でどん底に落とされたってのになんで上機嫌なんだよこいつは。


 振り返った先には崩れ落ちた城の跡地がもの悲しく佇んでいた。愛着はそれほどなかったけど、一年ちょっとくらい過ごした家があんなふうに壊れてしまうと残念な気持ちだ。これからのことを思うと途方に暮れるしかやることがないのでもうできるだけ考えないことにした。


 改めて前に向き直る。痛みのせいで歩くのが遅くなり、気がつけばナーガはけっこう先の方まで行ってしまっていた。そよ風に揺れる枝葉の音に混じって彼方から時折なにかが吠える声が響いていた。あまり強力な魔物がいませんように。


 祈っているうちにナーガがこっちへ振り返り、ユーリが遅れていることに気がつくとすぐに戻ってきた。


「魔王様、もう少し急がないと町まで着きませんよ」


「なんで首吊られてたお前の方が元気なんだよ……」


「疲れましたか」


「疲れた。どっかで水汲んできてくれ」


「わかりました。このナーガにお任せください」


 寝ぼけた顔のままぽんと胸を叩く。まるで渡された台本をそのまま口にしたような棒読みだった。そうしてユーリがそばにあった大樹の根元に腰を下ろすとナーガはたたたっとどこかへと走っていった。


 小さくお腹が鳴る。空腹だった。どこかに食べられそうな果物がないか探してみたものの、それらしい果実の生った樹は見つけられなかった。


 早めになんとかしないと町に着いたところで餓死してしまうなこれは。


 昨日までだいたい思ったことはなんだってできる男だったのに、ほんとどうしてこんな惨めな展開になっているんだろ。


 そうして十分ほど待っているとどこかから足早に向かってくる足音が聞こえた。


「魔王様、ただいま戻りました」


「あったか?」


「はい、水たまりがあったので汲んできました」


「水たまりか……まあいい、よくやった。なかなか使える奴だなお前」


「お褒めに預かり光栄です」


「水は?」


「ここです」


 ナーガが目の前にぺそっと膝を突く。普通に手ですくってきていた。


「これだけかよっ!」


「指のすきまから零れてしまいました。すくったときはもう少しあったんですが」


「たいして変わらねえよ、なんでダイレクトに持ってくるんだよ!」


「ナーガは手ぶらだったので」


「そこら中に生えてる葉を使うって発想はなかったのはお前は……」


「なるほど、それを受け皿にするわけですね。さすが魔王様」


 関心したようにぽんと手のひらを叩く。ぴしゃん。


「あ」


 と、間抜けな顔でうっかりしているうちにわずかばかりの水は大地に深く深く飲みこまれていった。そうして地中を巡り、いつかやがて大河へとたどり着いていくのだろうか。だめだ、こいつたぶん頭悪いわ。


 ユーリはげんなりしながらため息をついた。


「すみません、もう一回行ってきます」


「もういい。日が暮れる」


「水はどうしますか。まだ手のひらに湿り気は残ってますが」


「そんなもん飲んだうちに入るかよ。それより先を急ぐぞ。俺は夜行性の魔物が大嫌いなんだ」


 休んでいる間に疲れはだいぶ和らいでいた。ずっと隠居生活をしていたせいで体力自体が衰えていたらしい。身体の痛みもそのうち慣れてくるだろう。歩けないほどではない。


「お日様が昇ってるときに出てくる魔物の方が凶暴ですよ」


 今度は一人で先へ行かずユーリに歩調を合わせてゆっくり歩きながらナーガが念を押すように言った。


「強さの話じゃない。見た目が嫌いって意味だよ」


「見た目……」


「見たことくらいあるだろ。気色悪い魔物ばかりじゃん」


 そもそも魔物が全般的に嫌いだった。ほとんどの種の見た目が凶悪なのだ。おそらくその意見に賛成する者は大勢いるだろうが、とにかく魔物というのは非常に嫌悪感を抱く容姿をしているものが多い。とりわけ植物種の魔物に対しては強烈なトラウマがあった。思いだしただけでも鳥肌が立ちそうなので考えないようにした。


「魔王様は、好きな魔物っていますか」


「なんだその修学旅行の夜みたいな質問」


「……修学旅行とはなんでしょうか」


「俺が生きてたときにあった文化みたいなものだよ。学校の生徒みんなで旅行に行くんだ」


 修学旅行どころか俺は小学校上がってすぐに死んだわけだけど。


 生前の話は思いだせないことの方が圧倒的に多かった。どんな国にいたのか、両親がどんな人物だったのか。断片的にどうでもよさそうな記憶はわりかし覚えているものの、自分の出生に関する話などは大半が消し飛んでいた。転生者は往々にしてそのような事例ばかりだ。


「人の姿に近い魔物なら平気だけど、取り立てて好きな魔物なんていねえよ。だいたい全部見るだけで吐き気すら覚える奴らばかりだから」


「……そうですか」


 期待していた返事ではなかったのかナーガは少し残念そうに、けれど顔色だけはそのままうつむいた。そうして口を閉ざし、二人は歩き続けた。


 道中で魔物と遭遇することなく、文化圏から遠く離れた辺境だというのに驚くほど周りは穏やかだった。時折見上げる空は徐々にその色を赤く染めていき、次第に囲まれた木々が薄く闇をつくりはじめていく。もうしばらくしたら完全に日が暮れてしまうだろう。期待はしてなかったが結局森を抜けることさえできなかった。


「魔王様」


「なんだよ」


「お腹が空きませんか」


「んなこと訊かなくてもわかるだろ。食べものが欲しけりゃそれっぽい動物を探せ」


「実は先ほどから気配を探っているのですがこの辺りにはなにもいないようです」


「あの騒動で逃げだしたのかもしれないな……」


 食料が手に入らないのは痛いが、いつ魔物に襲われるかわからない状況にいることを考えればまだましか。


 久しぶりに何時間も歩いたせいでへとへとになっていた。暗くなってきたし、今日はこの辺りで休んだ方がいいかもしれない。明日、また明るくなってから川でも探して水分くらいは補給しないと本気で死んでしまう。


「たき火するから燃やせるものかき集めてこい」


「ここで野宿するんですか」


「ああ。その辺の大木まるごとでもいいから燃やしてくれ」


 こんなところ誰も来ないし、一晩中大火を上げていれば魔物も寄ってこないだろう。たとえ焼け野原になったところで文句を言う奴はいないし材木に困ることはなかった。


 けれどナーガはなんとも言えない顔でこちらを見返していた。


「……どうした」


「魔王様、ナーガにはできません」


「なんでだよ、フェアリーは足りてるはずだぞ」


 フェアリーとは魔導術を呼びだすときに魔力とは別に必要になる粒子だ。炎の魔導術を使うのなら火を構成するフェアリーが辺りにいなくてはならないというように。


 実際の反応原理はもう少し複雑になるものの、ざっくり説明すると目的の魔導術を起こせるフェアリーに魔力を与えて姿を変えてもらうというイメージが近かった。だいたいの大人はそんなふうに子どもからの疑問に答えているらしい。


 当然それを行うことでフェアリーは消えてしまうものの、便宜的にそう呼んでいるだけで生物ではない。魔導術に変わったフェアリーは殻となり放っておけばそのうち湧いてくる。


 昼間降っていた雨のせいでほんの少し対応するフェアリーが減っているのは感じ取れるもののたき火を起こせないほどではないはずだった。


「いえ、ナーガは魔導術が使えないのです」


「はあ? 魔導士じゃないのかお前」


「ナーガは身体強化専門の魔導士なので」


「なんだそりゃ……」


 なんなんだよこいつほんとに使いものにならねえな……。


 身体強化なんて魔導術の中じゃおまけみたいなものだぞ。ぶっちゃけ魔導士たちの中じゃ紋章陣を介さないせいで魔導術としての扱いに否定的な者がいるくらいだ。


 さっき一億倍がどうとか言っていたが、実際のところ身体強化で引き上げられる筋肉量なんてせいぜい二、三倍程度が関の山だった。重いものなんかを運ぶときにあったら便利だねってくらいで、わざわざ身体強化を使うくらいなら他に簡単で強力な魔導術は腐るほどある。


 剣士でもなければ使える奴を見つけるのも難しいほどで魔導士にとっての学問としても不必要とされているカテゴリーだった。


 呆れ果てながらため息をつく。どこかでねじを巻くような濁った鳥の声が響いていた。


「魔王様、怒ってますか」


「んな気力すら残ってねえよ……」


 ため息混じりにがっくりと肩を落とす。このまま森の中で暗闇に飲まれるのはかなり危険だ。大型の魔物はいないだろうが、昆虫種の魔物がいる可能性は残っている。


 手ぶらで真夜中の森に入るなというのはこの世界の常識だ。明かりがあればさして脅威じゃないがそれもない状態で襲われれば奴らは皮膚を食い破って身体の中から内臓を……いや、やめよう。思わず身震いした。


「とにかく森を抜けるぞ。外まで出れば月明かりがある」


「わかりました」


 疲弊した身体に鞭を打って歩きだしたものの、ほんの数十メートル歩いたところでユーリは立ち止まってしまった。


「っ……」


「魔王様」


「……なんでもない」


 痛みが強くなっていた。一歩踏みだす度にずきずきと神経をつねられるような痛みが走る。


「お怪我をされているのですか」


「……足を捻ってるみたいだな」


「そうですか……」


 まいったな。でも泣き言を言っている場合じゃない。それほど緊迫感はないが実際はかなり命に危機に瀕していた。樹木を支えにして立ち上がりながら額に浮かんだ汗を拭う。


「魔王様、ナーガがおんぶしましょうか」


 すると、見かねたナーガが思いついたようにそう提案してきた。


「はあ? なにふざけたこと言ってんだ。この俺がそんな醜態晒すわけないだろうが」


「ですがもうすぐ夜が来てしまいますよ」


「……」


「ご安心ください。ナーガは誰にも言いませんので」


「……仕方ないか」


 やれやれとため息をついてあきらめる。


「じゃあ、頼んだぞ」


「大船に乗ったつもりでお任せください。ナーガはこのときのために身体強化の術を身に着けておいたのですよ、ふっふっふ」


「早くしゃがめ」


「すみません」


 素直にうなずいて背中を向ける。ほとんど同い年の少女だから当然だが改めて見るとかなり小柄だった。肩に手をかけてその背中に乗っかると想像よりもずっと力強くナーガは立ち上がった。


 こいつのことだから身体強化もおぼつかないかと思ったが、自分で言うだけあってそれなりの強度で扱えているようだった。


 まあ、あの状態で生きてたんなら当然か。


「ああ……魔王様のお身体がナーガの背中にぴとりと密着してます」


「気持ち悪いため息ついてんじゃねえよ」


「すみません、夢にまで見た魔王様の鼓動を肌で感じて感激に浸ってしまいました。こんなひとときをくださった神様に感謝したいです」


 不謹慎極まりないだろ。その代償に城が吹き飛んでるんだから。


「あまり揺らすなよ」


「お任せください。では行きますよ」


 軽い足取りで歩きだす。ナーガの背中の上でユーリは押し寄せる屈辱の波間に揺らめいていた。


 くそったれ、なんで俺がこんな目に遭わなくちゃならないんだよ。


 こんなよく知りもしない下等魔導士見習いにも劣る正体不明な女の世話になりたくないという思いはあったが、魔物たちの餌になるくらいならこの程度の泥水は喜んですすることにした。背に腹は代えられない。どうせならもっと早くこうしてればよかった。


 多少の揺れはあったもののかなり楽だった。それどころか自分で歩くよりもずいぶんと速く移動できそうだ。風になびくナーガの髪が鼻先をくすぐり、けれどいいにおいは特にせずなんだか埃くさい。純粋にくさい。


 身体強化の魔導術など使ったことはないが、ユーリを背負っていてもナーガの歩調に変化はなくあまり重さの体感は変わっていないのかもしれない。心置きなく乗っかっておいた。


「魔王様」


「なんだ」


「先ほどの話の続きですが……」


 と、少し言いづらそうに前置きをしてナーガは続ける。


「魔王様は魔物が嫌いなんですよね。なのにどうして仲間たちを従えていたのですか」


 前を向いたまま訊ねてくる。ユーリは小さく鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


「つまらない質問だな」


「すみません、気になったもので」


「世界征服がしたかったからだよ」


「本当ですか」


「俺の言っていることを疑うつもりか」


「いえ……ですが、魔王様は町を襲わせたりはしていませんでしたので。魔王様の集めていた軍勢なら容易く人間たちを滅ぼせていたはずでは」


 犬や鳥、花や虫といった動植物たちは魔力の恩恵を受けて魔物化していく。そのような魔物たち自体は実のところ人間たちにとってさして脅威というわけではなく、扱いとしては野生の熊や虎といった獰猛な大型肉食獣とあまり大きな違いはない。


 もちろん同列に語るには凶悪な力を持っているがこちらの世界における人間たちにもそれに対抗しうる力を持ちあわせている。この世界での真の脅威となっているのはかつてユーリが住んでいた世界には存在しなかった魔王種と呼ばれる魔物たちだ。


 彼らは人と同等以上の知能に加え通常の魔物が使うことのない魔導術を扱えるほど高い魔力を有しており、大陸の各地で人間たちや他の種族を蹂躙し支配を繰り返していた。この世界における人間の天敵とも呼べる種族であり、おそらく彼らを倒せるのは転生者にしか不可能だろう。


 ユーリが従えていたのもそういった種族の枠から外れた強力な魔物たちであり、その気になれば完全に世界を支配するのも決して難しい話ではなかった。


「なにが言いたいんだよ」


「どうして魔王様が人間と敵対していたのかと疑問に思ったのです。転生者はその種の救世主となるべく生まれてくるものだとナーガは教わりました。いいことをたくさんしないと神様に怒られてしまいます」


「別に救世主にならなくちゃいけないわけじゃない。なんの説明もないままこんな世界に勝手に連れてこられて急に人のためにいいことしろって言われても知った話じゃねえよ」


「魔王様はまた人間に生まれ変わりたいとは思わなかったんですか」


 善行を積まなければ。この世界で与えられた役割に背いた転生者の魂がどのような末路を迎えるのかユーリにはあまり興味がなかった。もともと一度死んだ命だ。改めて人間になれなかったところで、あるいは地獄の淵を永久に彷徨うことになってしまうとしても悔やみの及ばない話でしかない。


「長話が過ぎるようだな。口を動かすひまがあったらさっさと町を目指せよ」


「わかりました」


「方角はわかるな? あの赤い星を目印にしてこのまままっすぐ歩いてりゃいい。俺は寝る」


「ごゆっくりおやすみください」


 ナーガの背中に揺られているうちに徐々に眠気がやってくる。喉の渇きと空腹はあったが、それ以上に精神的な疲労も大きくユーリは目を閉じた。考えるのは全部明日、町に着いてからでいい。そうして少しずつ意識を閉ざしていった。

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