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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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天使の福音

 そのまましばらくのあいだ少女は泣き続け、ユーリはなにも言わずに星を眺めていた。


「ぶひ……」


 すると暗がりから不意に声がして振り返ると毛布を手にしたアフェットが心配そうにこちらを見ていた。


「アフェット……」


「……ぶひぶひん? ぶひぶひ(……寒いでしょ? これ使いなさい)」


 そう言って毛布を二枚こっちへ差しだしてくる。どんな顔をすればいいのかわからなかった。少女も顔を上げて涙を拭いながら怪訝そうにアフェットに目を向ける。


「ぶひ……ぶひひぶひ──(アフェット……さっきのこと──)」


「……ぶひひぶひん、ぶひーぶひん(……わかっているわ、だからなにも言わないで)」


 アフェットはにっこりと微笑を浮かべながら毛布をユーリの肩へかけた。


「……ぶひ(……ごめん)」


「ぶひっひん。ぶひぶひ、ぶひひひん(気にしないの。あんなのよくあることじゃない、親子のあいだではね)」


「ぶひひっひ(別に親子じゃないだろ)」


「ぶひっひーん? ぶっひひぶひーん(似たようなものでしょう? 人間にはよくわからないかしら)」


 そうかもしれない。どちらでもいいと思った。アフェットを傷つけてしまったんじゃないかと心配していたけど、そう言ってもらえていくらか心が軽くなった。


「ぶひぶひっひ?(でもどうしてここが?)」


「ぶひぶひん。ぶひ、ぶひひぶひぶひん(村長さんに訊いたの。それで、ユーリたちをうちに泊められないかって)」


「ぶひ?(いいのか?)」


「ぶひーん。ぶひ、ぶひぶひぶひ。ぶひひっひん……(当たり前じゃない。というか、もうナーガはうちで寝てるわ。とっても重かったけど……)」


 最初からそのつもりだったらしくアフェットは得意げに胸を張ってから少し言いづらそうに苦笑いをした。あの金属の塊みたいなナーガを運べるなんてさすがはオークといったところだろうか。せっかくそう言ってもらえるのならユーリとしても断る理由はなかった。


「ぶひぶひ。ぶひひぶひっぶひ(ありがとう。じゃあお言葉に甘えて泊まらせてもらうよ)」


「ぶひひん。ぶひぶひーぶひぶひっひぶひひん(そうしなさい。お話の途中だったかしらね、待ってるから遅くならないうちに帰ってくるのよ)」


 アフェットは少女の方へちらりと目を向けるとそう言い残して家の方へ歩いていった。


「うちに泊まっていけってさ。寒いだろうからって持ってきてくれたんだ」


 端的に話の内容を伝えて毛布を差し向ける。少女は浮かない顔でそれを受け取りながら、やがて弱々しく笑った。


「変なの……なに言ってるのか全然わかんなかった」


「俺もどうしてこれで会話できてるのかよくわかってないよ」


 ひとしきり気持ちを吐きだして少しは落ち着いたのか目を赤く腫らしながらも少女は泣き止んでいた。けれど元気になったというわけではなく、毛布を肩にかけてうつむいた表情には不安ばかりが漂っていた。


「あたし……これからどうしたらいいの……?」


「……時間をかけてこの世界に慣れていくのがいいだろうな。天使に言われたことなんて重く受け止めなくていいし魔王を倒さなくちゃいけないって使命に燃える必要もない」


「いいことをしなくちゃいけないんでしょ……?」


「別にいますぐやらなくちゃいけないわけじゃないよ。誰もお前を急がせたりしてないからゆっくりやっていけばいいんだ」


「ユーリくんは……」


「なんだ?」


「ユーリくんは……その、魔王だったんだよね……?」


 転生者なのにどうして。少女の問いかけの先にはそんな言葉があった。


「……つまらない話だよ。たいした理由でもない」


「そう、なんだ……」


 あまり話すつもりはなかった。それを察したのか少女もそれ以上の追及をしなかった。


「天使から聞いたのか? やけに魔王討伐にこだわってるけど」


「天使って?」


「目が覚めたときにそばに誰か立ってただろ。すぐ消えてった奴」


「あ、うん……善行ってどういうことしたらいいのか訊いたら魔王を倒して平和にすればいいって……」


「やっぱりそうだったか……」


 もちろんユーリも少女と同じような質問をしたが、あの女は意味深に微笑んでなにも答えずに消えていっただけだった。てっきり転生者はすべて同じことしか言われないのかと思っていたけど、ロボットじゃないだろうし違うときもあるのかもしれない。


「いまも魔王っているの……? ユーリくんが魔王だったってことは倒したってことだよね……?」


「倒したって言っても殺したわけじゃないんだ。手下にしてたんだけど……そいつらにも逃げられた。だからそのうち出てくるかもしれないな」


「あたしにできるかな……」


「大丈夫だよ。転生者にはそれができるだけの力が与えられてるから。その剣も最初から持ってたやつだろ?」


「聖剣だって言ってた。エーデルワイスって名前らしいけど……」


「誰が」


「あの人が」


「……あいつが?」


「知りあいなの?」


「そういうわけじゃないけど……他にはなんて?」


「魔物を遠ざける力があるから上手に使いなさいって……あ、あとこれも鎧の代わりになるって言ってたんだけど……ほんとにこれで守れるの……?」


 そう言って半信半疑な顔でドレスの裾を持ち上げる。あまり見たことのない素材でできてると思っていたがそれも天使からの貰いものだったか。


「天使がそう言ってたんなら間違ってはないんじゃないか? 俺もそういうのは目にしたことがないから細かいことはなんとも言えないけど……」


 ここへ来るまでに一度も魔物と遭遇しなかったのもこいつのせいかとユーリは納得した。


 それより俺のときと違ってやけに親切だな。しかもなんだ聖剣って。そんなの渡された転生者なんてはじめて聞いたぞ。いったいどれほどの力を秘めているのかはわからないが、いかにもファンタジーめいた効果を持った武器なんていままで出会った転生者は誰も持ってなかった。なんでこんなに優遇されているんだろう。時代か?


「よかったな、最強装備じゃん」


「チートってやつ?」


「なんだそれ」


「あたしもあんまりよく知らないけど、ゲームとかでキャラをすごく強くできる裏技……っていうの? それ」


「……ああ、そんな感じかもな」


 懐かしいな。生前はゲームとかよくやってたっけ。そもそも転生者自体がこの世界では反則めいた存在だけど、これでこいつに常人以上の魔力が備わっているなら転生者たちも反則だと言いたくなる贅沢ぶりだった。


「まあ、それだけ甘やかされてるんならそのうち魔王も倒せるようになるんじゃねえの。だいたいなんとかなるから」


「そう……」


 それを聞いて少女は少しだけ安心したように見えた。


「なんにせよ、本気で魔王を倒すつもりがあるなら一度町へ行って駐屯してる軍の人間に話してみろよ。転生者だって言えば力になってくれるから」


「そうなの?」


「そりゃ向こうも転生者みたいな逸材は欲しがってるからな。聖剣があれば信じてもらえるだろ」


 国にとって転生者を抱えることは一種のステータスでもあった。もともとの世界に比べて少ないとはいえ人間同士の争いもゼロではない。外交をする上でも優位に立てるし圧倒的な力を持った転生者はいつの時代も丁重にもてなされていた。


 一時はユーリもそういった場所に身を預けていたこともあったがある出来事をきっかけに表舞台から姿を消していくことになる。そうでなくても年端も行かないユーリにとっては救世主として崇められる彼らの期待や羨望は窮屈だった。人は非凡を求めながらもそこに幸せを見いだすことはできない。


 いまのところ魔王はいないが軍に関わっていればいずれそんな話も出てくるだろう。未だ可能性にしか過ぎないが世界は確実に不穏な未来へと進みはじめている。


 けれど少女は浮かない顔でなにかを考えるように目を落としていた。


「一緒にいちゃ、だめ……?」


「俺たちといてもしょうがないだろ」


「だって、一人じゃ心細くて……それにどうやって戦えばいいのか全然わかんないし……」


「一緒にいない方がお前のためだと思うよ」


「魔王だったから……?」


「そうじゃない。さっき話したけど俺はもう魔力がないんだ。転生者としての力をなくしたんだよ。俺たちの方がお前の邪魔になる。転生者とはいえもとは民間人だって知ってるから事情を話せば向こうも助けてくれるよ」


「……」


「悪かったな、力になれなくて」


「ううん……こっちこそ急に無理言ってごめんね。でも、ユーリくんはこれからどうするの……?」


「一応はなくなった力を取り戻せないか探してみるつもりだけど……はっきりしたことはなにも決まってないよ。どうしようもなくなったらどこかの町で暮らすことになるかもな」


「そっか……」


「大変だろうけど元気出せよ。軍にいればそのうち他の転生者にも会う機会が来ると思うから」


「……ありがとう。そう言われたら大丈夫かもって思えてきたかもしれない。ちょっと不安だけど……あたし、行ってみる」


 魔王を倒したからといって空から光が降り注いで報われるというわけではない。その辺りについて少女がどう捉えているのかはさておき、そういったことも含めて軍に行けばこの世界の成り立ちや歩き方なんかもわかってくるだろう。


「……助けてくれてありがとう、ほんとに感謝してる。ユーリくんに会えてよかった」


「頑張れよ」


「……うん」


 うなずきながら少女はなにかを言いたげに目を落とす。見知らぬ世界で出会った同じ境遇を分かちあう仲間。そういう名残を惜しんでいるのだろうと察することは難しくなかった。


 けれど、もう交わることはない。


「またね、ユーリくん」


 それを悟ったように少女は目尻に涙を滲ませながらそっと微笑むのだった。

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