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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
222/228

その言葉だけで

 シオンは昔から面倒見がよくお節介を焼く性格だったがそうした他人の懐へ不用意に踏みこんでくる気安さは裏を返せば遠慮がないということで、場所はどこでもいいと言ってしまえば彼女は言葉通りに受け取って自分の好きなところへ行ってしまうタイプだった。


 ……というようなことを思いだしたのは彼女に連れられていかにもなムードの漂うバーへ入ったときだった。


「二人の再会を祝して乾杯」


 チーン、とグラスが小気味よい音を響かせる。


 裏通りに面した地下につくられたバーには深夜というには早い時間だからか客は二組しかおらず、質の悪い妖精灯が照らす狭い店内はぼんやりとした明かりでほの暗くそれぞれの話し声がまばらに静寂を揺らめかせていた。


 もちろんユーリはこういった店に来たことはなく、注文を任せて運ばれてきた薄い青色の飲み物が入ったグラスを眺めながらなんとも居心地の悪さを感じていた。


 お酒なんて飲んだことがない。食べ物はピーナッツやサラミといったつまみばかりだった。おまけに他の二組は若い男女たちで彼らは手を取りあって甘い言葉らしきものを囁き、あるいは一方へもたれかかりながら見つめあいというふうにそれぞれの世界へ入り浸っている。


「飲まないの?」


 まずは一杯とでも言うようにグラスを一息に飲み干したシオンがきょとんとしたように渋い顔をしていたユーリへ目を向ける。それから気がついたように口へ手を当てると顔を赤くさせた。


「二人の再会を祝してってさすがに臭かったかしら」


「ああ、うん……まあ、ありきたりだなとは思ったよ……」


「じゃあおかえりユーリ」


 チーン、と空のグラスをぶつけられさっきよりも軽やかな音を響かせる。カウンターで小ぎれいなスーツベストを着ていた初老のマスターは手早く酒をつくると足音を立てずにおかわりを置いて戻っていった。その佇まいには二人の時間を淀ませるつもりはないという彼の配慮が感じられ、やや陰気な店内も周りを気にせずゆったりと過ごせる空間をつくろうとしている思惑に気づく。


「飲まないの?」


 早くも二口目に口をつけたシオンはくぴっと中身を飲むと不思議そうな顔をした。


「まだ未成年だよ」


「なにつまんないこと言ってるの。わたしが十六のときはもう飲んでたわよ?」


「ここへはよく来るのか?」


「うん、まあ……週末はよく来るかな。静かで落ち着けるお店ってあまりないの」


「静かで落ち着ける、ね……」


 手を取りあっていた男女は互いの頬をつついて笑いあっていた。身を寄せあっていた二人に関しては抱きあいながら小声でひそひそと会話を続けている。


 マスターはすっかり慣れてしまっている様子で彼らには干渉せず皿を洗っていた。


「あまり一人で来るような場所じゃなさそうだけど」


「一人で来るような場所じゃないでしょうね」


 サラミをつまんでくいっとカクテルで流しこみながらシオンが答える。


「けどここって一人で来てもそれほど困らないの」


「……え?」


 さりげなく店内の様子を窺っていたユーリはその言葉に純粋に驚いて相手を見返した。


 たとえ一人で来てもナンパされるからとか、そんな理由なのだろうか。たしかにシオンくらい整った顔立ちをしていれば声をかけてくる男なんて捨てるほどいるだろう。彼女はそんな誘いに乗るようなタイプではないと思っていたが、冷静に考えるとそんな一面をあの頃の自分に見せるわけもなかった。


「それって、どういう……」


「飲んでくれたら教えてあげる」


 そう言ってシオンは首を傾げながら口元に小さく笑みを浮かべた。ユーリもため息混じりに苦笑いを返した。


「いや、たぶん俺すごく弱いから……」


「酔ってくれなくちゃ困るわ。ユーリがふらふらになってたらさすがにわたしが連れて帰らなくちゃってしっかりできるでしょう?」


「俺が送ってってあげるから安心していいよ」


「だめよ。しばらく会わないうちにすっかりわたし好みになっちゃったから」


 そうしてグラスを置くと身を乗りだすようにテーブルへ両腕を乗せた。その拍子にふわりと柔らかな甘い香りがして、もう酔っているのかこちらを見つめる瞳は微かに潤んでとろんとしている。


「ユーリを頼っていいんだって気づいたら、そういう気分になっちゃうでしょう……?」


 聞いたこともないような切なげな声に思わずどきんと胸が跳ねた。近所の優しいお姉さんのように思っていたシオンから感じたことのない色気に戸惑いを覚えてしまう。ごくり。間近で見つめてくる吸いこまれるような瞳に言葉が出なくなってしまう。


 そういう気分って、どういう気分なんだろう。


 ふわりと疑問が脳裏をよぎった途端に頭の中がパニックになった。


「そ……そんな小技も使うようになったんだな……」


 空気を変えようと軽口を叩いてみたもののシオンは笑みを浮かべたまま黙ってこちらを見つめるだけだった。


 気まずい。ただ見つめられているだけでものすごく恥ずかしい。目を逸らせば済むはずなのに魅入られたように視線を外せなかった。


 酔わなかったら、どうなるんだろう。


 不意にそんな好奇心が浮かんだがユーリは目を閉じるとぐっとグラスを傾けた。


 シオンは友達なんだ。流れに乗るのは大事だが流されてはいけない。


 想像していたよりもずっと甘く爽やかでジュースのような軽やかな口当たりに多少の冷静さを取り戻す。


 シオンはそこで満足したように身体を起こすと無邪気な笑顔を浮かべた。


「はい、ユーリの負けー」


「……なんの勝負だよ」


「照れたでしょう」


「照れてねえよ」


「じゃあ触って確かめてもいい?」


「……よくない」


 腰を浮かせていたシオンが「残念ね」と笑いながらすとんと座り直す。からかわれているのがわかって癪に障ったがなんとなくシオンには敵わないような気がして余計なことを言うのはやめた。


「で、結局どうなんだよ」


「どうって?」


「誰かにナンパされたりするのか?」


「気になってるんだ」


「そりゃ、まあ……」


「ユーリはわたしのこと慕ってくれてたものね」


 そう言ってシオンはとても楽しそうにくすくすと鈴を鳴らすような笑い声を漏らすと安心させるように苦笑いをしながら首を振った。


「見ての通りよ。ここ、お客さんはカップルばかりなの。だから一人で来る客なんてわたしくらいだし、絡んでくる男もいないわ。静かで落ち着けるでしょう?」


「そういうことか……」


「安心した?」


「した」


「わたしもよ」


 グラスに口をつけながら言ったシオンの言葉にユーリが首を傾げると彼女は小さく息をついた。


「成長してあの頃とは別人みたいになったけど、それでも根っこの部分はあの頃のユーリのままなんだなって思って」


「どういう意味だよ」


「ちっとも女慣れしてなくてうぶってこと。ユーリのそういうところ、可愛くて好きよ」


「からかうなよ……」


 気恥ずかしさをごまかすようにグラスを傾ける。本当に酒なのか疑わしいくらいだったが、一息に中身を飲み干してみるとほんの少し顔が熱くなった。


「どうして帰ってこなかったの」


 そうしてシオンが唐突にその話題へ触れる。常連だからかマスターは注文を受けずとも勝手に酒をつくってこちらへ持ってくるとなにも言わずにカウンターへ引き下がっていった。


 ユーリはグラスの中で浮かび上がっていく小さな気泡を見つめながら話した。


「……オートンシアにいた頃にちょうど母さんが倒れたって連絡が入ったんだ」


「お母さまが?」


「セントポーリアへ来る前に俺を育ててくれてた人のこと、話してなかったっけ。それで実家に戻って去年の冬までずっと看病してたんだ」


「そうだったの……」


「……なにも言わないまま心配かけていままでごめん」


 後ろめたさを感じながらも謝罪の気持ちは本物だった。シオンはなにも言わずに酒を飲んでいた。テーブルに置いたグラスがことんと軽い音を立てる。


「うそね」


「え?」


 思わず顔を上げるとシオンはこちらを見透かすようにじっと目を細めていた。じっとりと睨みつけていると表現するのも合っているような気がする。


「実家に戻ってただなんてうそよ。どうしてわたしにまで隠す必要があるの」


「いや、別にうそじゃ……」


「白百合の魔導士」


 いつぞや聞いた名前に無意識に鼓動が胸を叩く。疑うような顔つきをしてはいるがシオンの瞳には強い確信が満ちていた。


「ブーケ地方の各地で目撃情報が相次いでいたとある謎の魔導士の通称よ。ここ数年のあいだに魔王種が急激に姿を消していったのはそのほとんどが白百合の魔導士の活躍によるものだとされているの。その目撃情報が現れはじめたのってユーリがいなくなったあとのことなんだけど、なにか言いたいことあるかしら」


「そいつと俺は無関係」


「なわけないでしょ。ここにいた頃にあんたがあの魔導術をつくってるのをわたしこの目で見てたのよ?」


「……他にもそう考えてる奴っているのかな」


「どうかしらねぇ。白百合と聞いてわたしはすぐにピンと来たけど、ユーリが失踪したのを知ってる人ならもしかしてって思うんじゃない? 魔王種を倒すってだけで誰にでもできることじゃないし」


 シオンが言っているのはアスフォデルスのことだ。あの魔導術が幻想の花園をつくりだす理由はユーリにもわからなかったが、当時はまだ未完成ながらその現象を引き起こしていた様子を見ていたシオンならば結びつけるのは難しいことではなさそうだった。


「白百合の魔導士ってユーリのことなんでしょう?」


「……そんな通り名がついていることを知ったのは最近のことだけどな」


 そこまでの確信を得ているのならユーリも無理に隠し通すつもりはなかった。シオンにならば話しても大丈夫だという信頼もあった。


「シオンの言う通り、オートンシアの戦いが終わってからは各地の魔王を倒して回ってた。けどそのことは誰にも言わないでおいてくれないか?」


 あきらめて正直に白状するとシオンはピーナッツを口に放りこみながら怪訝そうに眉をひそめた。


「いいけど、どうして? メディアはユーリのことを英雄だと報じているけど軍の中にはあんたのことを非難する声も多いのよ。気まぐれで無責任な転生者だってね。オートンシアの戦いだって途中で投げだしたわけじゃないのに好き勝手に言われてわたしだって腹を立てているんだから。あんただって悔しいでしょ」


「別にいいんだ、周りから持ち上げられるのは好きじゃないから。無責任だって非難されてもそれほど間違ってるとは思わないよ」


「謙虚ねぇ……人知れずそんな苦労までしたのに」


「……シオンが知っていてくれるならそれで充分だよ」


 ユーリがそう言うと彼女は仕方なさそうにため息をついた。


「そういう理由なら怒りたくても怒れなくなっちゃったわね」


「……なにも言わないままだったのは本当に悪いと思ってるんだ。いままでごめん、心配かけて」


「いいのよ、怖い思いだってたくさんしたでしょう? みんなに頼られて仕方なく引き受けていただけで争いごとは苦手な子だったものね」


「子ども扱いするなよ……」


「わたしはユーリのつらさをよく知っているから。転生者だけど、でもただそれだけの理由で大勢のために戦ったユーリを友人として誇りに思うわ」


 あの頃のように優しい眼差しで小さく囁くように。誰にも告げることなくたった一人で駆け抜けた三年間が一瞬のうちに通り過ぎていく。


「……よく頑張ったわね、ユーリ」


 そんな言葉だけでユーリの中で微かではあったもののなにかが報われたような、そんな気がした。

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