最初の一歩
ユーリに言われた通り式当日のパレードで王子が通る道中周辺の道路を調べてみると人目を避けて魔導術を撃てそうな箇所はいくつも見つかった。タウン情報誌の地図へつけたしるしは無数に連なり、それらは少数では対処しきれないほど広範囲に渡っていた。
アンゼリカにも意見を求めその上で逃走経路に選択肢のある場所を絞ってはみたものの、そこを守るとなるとヴィオラたちは単独で魔導士を相手にしなければならなかった。
軍の魔導士も警備に就くので一人で敵の魔導士と戦う事態が来ないことを祈りたいが、まだ式まで数日もあるというのに既に大勢の旅行客が見物にやってきていることを考えると当日は混雑で手が回らないかもしれない。
そもそも、これだけ広い町ならどこから魔導術が飛んできても不思議ではない。
「うまいか、アンゼリカ」
そんなわけでひとまず今日のところは一通り地図に沿って食べ歩きをしながら水路周辺の地形を覚えることにしたヴィオラは、道中で見つけた屋台で購入したワッフルを頬張っていたアンゼリカへ訊ねた。
「なんか変な味」
目をぱちくりとさせながら味をたしかめるようにもう一口はむっと頬張る。
「そういう甘い食べものははじめてだろう」
「うん」
「おいしいか?」
「よくわかんないけど、嫌いじゃないよ」
「そうか」
最初はまったく気が乗らない様子で仕方なく食べていたのに意外と気に入ったようでもぐもぐと口を動かす仕草に自然と頬が緩んでしまう。
「ヴィオラ」
ああ可愛い。一生甘やかしたい。口元の食べかすを取ってぱくりと行ってしまいたい。
「ヴィオラ、聞いていますか」
「あ、ああ……なんだ?」
呼びかけられていたことに気がついて振り返るとナーガは眠たげな顔でぼんやりこちらを見上げながら口の端をついっと両手の人差し指で吊り下げた。
「いまナーガたちはとても注目を集めているのでそんな顔をしていてはいけません」
「え?」
そう言われて周りを見てみるとたしかにちらちらと通行人たちからの視線を感じた。それは決してヴィオラが危ない顔をしていたからというわけではなく、彼らが不思議そうに眺めているのはいかにも魔女と呼ぶべき格好をしたアンゼリカに対してだった。
当の本人もそれに気がついているらしく目深にかぶった帽子で表情は窺えないが、身体をすっぽりと覆ったローブの下では寄り添わせているのかしっぽの膨らみがなくなっている。
アンゼリカからどこか緊張しているような居心地の悪さを感じている気配を察したヴィオラは彼女の手を取って人混みから離れていった。
「少し静かな場所へ行こうか」
「道を覚えなくていいの?」
「地図はちゃんと頭に入っているから大丈夫さ」
そのまま人通りを外れて閑散とした通りへ足を踏み入れてみると町のどこかで鳴らされていた楽器の音色と活気に満ちたざわめきは少しずつ遠ざかっていった。
商店などとは違いこじんまりとした民家が立ち並ぶ石畳の道に大きな影が横切っており、見上げてみると町を囲う外壁から城まで続く空中回廊が地上からとても高い場所に支えられていた。
広大なセントポーリアの外周を行き来しやすくするために設けられた中央に向かう六本の橋は展望台としての役割を担っており、頭上からあたたかな日差しと共に降りてくる観光客たちの賑やかな声はどこかのどかな響きを伴っている。
緩やかな階段状の道を下層に向かって進みながら隣を見下ろしてみると、食べ終えたワッフルの包み紙をぐしゃりと丸めてポケットへ押しこんでいたアンゼリカはようやく緊張がほどけたらしくローブの下でしっぽがゆっくりと揺れ動いていた。
「人に見られるのが嫌か?」
唐突に訊ねてみるとアンゼリカはきょとんとしたようにヴィオラを見上げ、すぐにその意図に気づいた様子でほとんど顔色を変えないまま前に向き直った。
「村に来た軍の人たちはみんな、わたしを見て驚いた顔をするの。どうして耳やしっぽが生えているのか説明を聞いたら今度は曖昧な顔。わたしが人と同じなのか、それとも別のなにかなのか探るような目があんまり好きじゃないんだ」
「……まあ、そんなふうに見てしまうのも仕方ないかもしれないな」
「隠してちゃ、だめなのかな」
ほんの少し顔を伏せ足元を見つめたままアンゼリカが迷うような声で言った。
「嫌なものを無理に見せる必要はないとわたしは思うよ」
「でも……ユーリは堂々としてろって」
「そう言ったのは、それが後ろめたさを感じることではないからじゃないかな」
アンゼリカが顔を上げた拍子にとんがり帽子がずれ栗色の猫耳がひょこりと姿を見せた。彼女は慌てて帽子を掴みぐいっと深く被り直し、戸惑ったような表情を浮かべてこちらを見上げる。
「他の者たちとは違う姿をしていることでこの先アンゼリカは少しだけ苦労するかもしれない。けれど、それは決して恥ずべきことではないんだ。自分自身に誇りを持って胸を張っていればいつか周りの方が変わる。耳やしっぽが生えていることなんて些細な違いでしかないんだよ」
「ほんと……?」
「わたしだってこの耳のことでいままでに何度も白い目を向けられたことがあるんだ。いまはエルフを知る者はほとんどいなくなってしまったから、憐みであったり嘲笑だったりわたしを見てぎょっとする者はたくさんいた。そのことで不利益を被ることもあったから新たな町に着いてはすぐに出発して、といろんな町を転々としていたんだ」
あるいは、その希少性を知る者たちから危険な目に遭わされたこともあった。
「だけどね、ユーリたちと出会いアンスリムで生活するようになってみると意外と受け入れてくれる者たちは多くいたんだ。わたしもはじめはエルフと気づかれないよう振舞っていたがいまではもうへっちゃらさ。子どもたちはわたしの歌を喜んで聴いてくれるし、町を歩けば気軽に挨拶してくれるような人たちも増えた。そんなものなんだよ。なにより、アンゼリカの村に住んでいた仲間たちだって誰もお前をのけ者にはしなかったじゃないか」
それを聞いてアンゼリカは気がついたように目を丸くしながら前へ向き直った。
モイティベートとも違う人間でもない自身の姿を彼女はどこか引け目に感じていたのかもしれない。だが、ヴィオラはそういった部分が欠点になるとは微塵も思わなかった。
「気持ち悪いって、思われないかな……」
「思うわけないさ。むしろ隠す方がもったいない」
「もったいない?」
「せっかく猫耳美少女という強烈な萌え要素があるんだから、気後れせず見せびらかしてやればいいんだよ」
「え、萌え……なに、それ?」
「アンゼリカにはアンゼリカだけの特別な魅力があるってことさ」
「そうかなぁ……」
「そうさ」
アンゼリカは釈然としないようにうなずきながらうろんげに空を見上げた。その表情には相変わらずの戸惑いが居座っていたが、けれどさっきよりは少しだけ晴れやかになっているような気がしてヴィオラはそっと微笑みを浮かべた。
「ではさっそくその小汚い帽子とローブを捨てましょうか」
するとここまでひたすらに沈黙を貫いていたナーガが平板な声で呟き後ろからアンゼリカの帽子をひょいっと持ち上げローブを首元から引っこ抜いた。
「や、なにするの、返してっ……」
「あなたにはもう必要のないものでしょう。ヴィオラの話を聞いてすっかりその気になってしまったのではないのですか」
「っ……帽子はいるの! 返して……!」
仕方ないと言った様子で帽子を返すとアンゼリカは警戒したようにそれをぎゅっと目深に被ってじろりと睨みつけた。ナーガが両手を広げながらやれやれと首を振る。
「注目を集めたくないと言いながらこんなふてぶてしい恰好をしてあなたがなにを考えているのかナーガにはちんぷんかんぷんです」
「……いままではこの恰好をしてるのが当たり前だったんだもん。ナーガだって誰も気にしないからって言われても下着姿で町を歩くなんて嫌でしょ」
「素っ裸になろうと屁でもありませんね。あなたと違ってナーガは人間どもにどう見られようと気になりませんから」
平然としたナーガの態度になにも言い返せなかったのかアンゼリカは恨めしげに睨み返すと落ち着かない様子でそれとなく辺りを見回していた。
「無理しなくていいんだぞ?」
「……カスミお姉ちゃんも言ってたんだ、わたしの姿は恥ずかしがるようなものじゃないって。だから……わたしも平気に思えるようになりたいの」
アンゼリカはそう答えるとうつむきがちに歩きだした。
時折すれ違う通行人は彼女の頭の上で揺れるとんがり帽子を見て不思議そうな顔をし、そうしてお尻から伸びるしっぽを見て怪訝そうに眉をひそめていた。
「ナーガ、財布を出してくれないか?」
「また甘いものを食べるんですか」
「いや、ちょっと思いついたものがあってな」
ぐしゃぐしゃに丸めたローブを鞄の中へ押しこんでいたナーガから財布を受け取るときょとんとした表情でアンゼリカが見上げてくる。
「どこに行くの?」
「勇気を出したアンゼリカにちょっとしたプレゼントだ」
「プレゼント?」
「ああ」
そう言って彼女の手を取るとヴィオラはにこりと笑みを浮かべた。