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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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決意の理由

 三人が出かけるとユーリたちはさっそく窓辺のテーブルで顔を突きあわせて新たな魔導術の習得に取りかかっていた。


「で、なにを覚えたらいいわけ」


「……その前に、もう少しやる気出してくれない?」


 魔導書をぺらぺらと捲りながら呆れ気味にユーリが言うと気だるげに頬杖を突いていたアイリスは面倒くさそうに金色の髪を指へくるくると巻きつけながらため息をついた。


「やる気なかったらここに座ってなくなーい」


「説得力」


「しょうがないでしょ、嫌々やってるんだから。それから、先に言っておくけど覚えられなくてもがっかりしないでよ。あたしそれ覚えるの苦手なんだから」


 既にいろんなところでがっかりしてはいるもののとりあえず取り組む姿勢だけは残してあるようなので余計なことは言わず進めることにして、目的の紋章陣を見つけたユーリは魔導書を反対に向けてアイリスへ差し向けた。


「これがアイリスに覚えてほしい紋章陣だ」


「アリューズさんも使ってたやつ? アークスフィアだっけ」


「これはフィルメアーっていうもっと低位の魔導術だな」


「全方位っていうからてっきりあれだと思ってた」


「アークスフィアはけっこう難しい魔導術だからまだ無理だよ。これならアイリスでも覚えられると思う」


「ふーん……魔導術って同じようなのがいくつもあるんだね」


「厳密に言えばフィルメアーは防御魔導じゃないけどな」


 そこで思いついたユーリは一度部屋を見回すと浅く呼吸をして脳裏に紋章陣を描きながら魔力を放出してフェアリーを励起させた。そうして可能な限り薄くした魔力を使いフィルメアーを解放させる。


「え、ちょっとユーリくんっ……!」


 アイリスが慌てて立ち上がるのと同時に二人の周囲へ風が吹いた。だが強風とも呼べない緩やかさで魔導書が数ページ捲れ、水差しは微動だにせず、アイリスがドレスの下に着ていた白のワンピースの裾がはたはたと揺れた。


 想像していたものよりもたいしたことのないそよ風にアイリスは一瞬きょとんとして固まっていたものの、続けざまにスカートの裾をぐいっと引っ張りながら咎めるようにこちらを睨みつけた。


「なにしてんのよっ」


「スカート捲ろうとしたわけじゃねえよ」


「違うわよなに魔力使ってるのばか!」


「え、あ、そっち?」


「あんた病気抱えてるのわかってんの!? どうせやるなら杖使ってよなにかあったらどうするの!」


 そんなに怒られるとは思わず呆気に取られながら相手を見返しているとアイリスは頭痛がするように頭に手をやりながらため息をついて席に座り直した。


「……ただでさえ普段から痛い痛い言ってるんだからもう少し気をつけて」


「大丈夫だって、めちゃくちゃ弱く撃ったから。それに普段から痛いとは言ってないだろ」


「使うたびに顔しかめてるじゃん。前から言おうと思ってたけどナーガちゃんにあの杖もらいなよ。どうせ使ってないんだしさ」


「いまさら杖に戻るのか……」


 そう言ってみるとアイリスが無言のままテーブルをどんと強く叩いたのでユーリは少しだけ考えてみることにした。


 たしかに症状がひどくなって魔導術を控えようとは思っていたが状況に流される形で素手のまま使い続けていた。すっかりそれに慣れてしまって杖に戻るのは気が引けるがそろそろ言い訳をするわけにもいかないのかもしれない。


「で、いまの風がフィルメアーなの」


「あんな感じで風を周囲に吹かせて毒ガスなんかを出す魔物とかから身を守るのが本来の使い方だ。けどアイリスの能力があればフィルメアーを疑似的に防御魔導として使うことができると思う」


「風で魔導術を防ぐの?」


「魔力は互いに干渉しあうからできないわけじゃない。まあ騙されたと思ってやってみろ」


 アイリスは曖昧に納得したような声を漏らすとひとまず魔導書を手に取ってじっくりと紋章陣を見つめはじめた。必要なフェアリーや解放できる魔力の幅など文字が読めないアイリスへ教えることはいくつかあるがそれは紋章陣を覚えたあとの話だ。


 そんなわけでユーリの方はやることがなくなってしまい、けれど他のことでひまを潰していると彼女のやる気に関わりそうだったので仕方なくテーブルに着いたまま窓の外に目を向けて見守ることにした。


 簡単とは言ってもあと数日で魔導術を覚えるのは楽なことではなかった。ただ覚えるだけでは意味がない。必要に迫られたタイミングで瞬時に的確に紋章陣を思い描けられるようにならなくてはいけないからだ。


 しかも今回の場合はフィリーの命を守るという重大な役目を担っているので普段よりもプレッシャーがかかる。アイリスを可能な限り万全の状態まで仕上げるのはもとより、そもそも敵に魔導術を使わせない徹底した警戒を敷いておく必要があった。


「そういえばさ」


 紋章陣を見つめては少しのあいだ目を閉じてという暗記作業をしばらく続け、待っているあいだに飲み物でも淹れようとユーリが備えつけのティーセットを用意しているとアイリスがおもむろに口を開いた。


「ん?」


「ユーリくんって、あの人とはどれくらい仲がよかったの?」


「シオンか? 別に……普通だったんじゃないかな」


「普通ってことないんじゃない。すっごく喜んでたし」


「ずっと連絡もしないままだったんだからそりゃびっくりはするだろ」


 いつもの魔物たちよりは遥かに強力な魔王種の討伐に向かうということで彼女はいつにも増して心配しており、けれど同じようにすぐに帰ってくるからと見送りに来たシオンと別れたのが最後の記憶だった。


「ユーリくんは、誰かを好きになったこととかあるの?」


「……唐突だな」


「そういうの訊いたことないなって思って。ほら、一応あたしたちそういうの興味ある年頃だし」


 魔導書から目を離して小さく口元に笑みを浮かべながらアイリスが言う。ユーリは紅茶の缶を開けて茶葉をポットの中へ入れた。


「いままでに好きな人いなかったの?」


「お前」


「へー嬉しい両想いだね。さっさと告ればよかった」


「アイリスはあるのかよ。こっちはともかく、生きてた頃とかさ」


「あるわけないでしょ。ずっと煙たがられてたし」


 うっかりアイリスの痛い過去をつついてしまい咄嗟にユーリは返す言葉に困ってしまったが、彼女は気にした様子もなく両手に頬を乗せるとなにげない表情で正面の壁に目を向けながら言った。


「シオンさん、きれいな人だったでしょ。他に友達もいなかったみたいだしどう思ってたのかなって」


「どう思ってた、か……」


 ユーリは閉じた缶をもとの場所へ戻すと少しずつ湯気の立ちはじめたやかんを見下ろしてぼんやりと当時の記憶を掘り起こした。


 気になる相手ではあったような気がする。周りと馴染めなかったユーリにとって彼女はこの町で数少ない話し相手であり、気兼ねなくつきあえるはじめての友人だった。


 母親の愛情をほとんど知ることのできなかったユーリは面倒見がよく世話焼きなシオンにどこかそういった面影を重ねていた部分もあったのかもしれない。時には悩みを打ち明け、相談に乗ってもらい、彼女の存在は幼かったユーリにとって精神的な支えになっていた。


「いまは別になんとも」


「いまは?」


「多少憧れてたことはあったかもしれないけど……好きというよりただ懐いてただけだよ。子どもの頃ってそういうもんだろ?」


「ほんっとに懐いてただけ? 向こうから迫られてもなびかない?」


「なんでそんなに念を押すんだよ」


「だってここで急に気持ちが爆発して俺この町で暮らすわとか言いだされたら困るじゃん」


「言わない言わない」


「わかんないでしょそんなの。お互い成長してあの頃気づかなかった感情にって物語の定番じゃない」


「あのな……こっちはただでさえ面倒ごとに巻きこまれやすい立場なんだしいまだって生活が安定してるわけでもないのに誰かとどうこうなんて無理に決まってるだろ。それにシオンはまあまあいいとこのお嬢様だから俺なんか相手にもされないって」


「オートンシアの英雄なのに?」


「尻尾巻いて逃げだした、がなければな」


「逃げたわけじゃないでしょ」


「転生者としての役目を放棄したことに変わりはないよ」


「ふーん……」


 そんなふうに相槌を打ちながらアイリスは再び魔導書に目を落とした。けれどあまり集中してなさそうにぼんやりとそこに描かれた紋章陣を眺めながらうろんげに続けた。


「ユーリくんは、どうして急にオートンシアからいなくなっちゃったの?」


「どうしてって……」


 返事をするための言葉はすぐに出てこなかった。こぽこぽ、と音を立てながらポットにお湯が注がれていく。ユーリは二人分のカップとポットを持ってテーブルへ戻った。


「その当時は魔王がたくさんいて、誰かが倒さなくちゃならなかったからだよ」


「それは知ってるよ。でも最初からそうしようって決めてたわけじゃないんでしょ?」


「……まあ」


 これまでに何人もの魔王種を相手にしてきたが、どれもはじめから勝てる自信があったわけではなかった。オートンシアへ行くことが決まったときだって内心では恐怖を抱え、断る理由を見つけられないまま出発の日を迎えてしまった。


「そのときに亡くした知りあいの人が関係してるの?」


「……母さんから聞いたのか?」


「あ、うん……ちょっとだけ」


「……そうか」


 驚いたわけではなかったが意外に思いながら返事をすると、少しだけ思い悩むような表情を見せたアイリスは魔導書をぱたりと閉じながら顔色を窺うようにユーリを見つめた。


「どんな人だったの? その……言いたくなかったら、聞かないけど」


「……転生者の女の子だよ。俺がこの世界ではじめて出会った転生者で、一緒にシティスの魔王と戦った相手だ」


 困っている人がいたら助けてあげてほしい。


 あの雨の日に交わした言葉はいまもここにある。パズルのピースのように少しずつ欠けていく記憶の中で、唯一あの日の出来事だけはなに一つ失うことなくユーリの中で生き続けていた。


 なのに、もうずいぶんと昔のことのように遠く微かな思い出に感じてしまう。


「俺が魔王を倒すって決めたのもその子と約束をしたからだよ」


「その人とはそこで……?」


「……ああ」


「そうだったんだ……」


 アイリスはどこか申し訳なさそうに少し目を伏せると琥珀色の紅茶を口にした。


 思い返してみればなにも黙って行く必要はなかったが、あの頃はまだ感情をうまくコントロールする術を持っていなかった。


 ユーリはカップへ息を吹きかけながら、なんとなく気まずげに紅茶を飲むアイリスへ呆れ混じりに笑みを向けた。


「なんでお前が暗い顔になるんだよ」


「だって、そんな理由だったって思わなかったし嫌なこと思いださせちゃったかなって」


「アイリスが気に病むことじゃないよ。三年も前の話だし」


「……ユーリくんがずっと一人で頑張ってたのはその人との約束を守るためだったんだね」


 これまでにユーリが過ごした三年間を思い描くようにどこか遠い声でアイリスが呟いた。


「……大切な人、だったの?」


 テーブルに置いたカップがことん、と小さく音を立てた。手元を見下ろしていたアイリスがそっとこちらを見つめる。紅茶を口にしたユーリは小さく笑みを浮かべたまま彼女から目を離した。


「どんなふうに想っていたとしても、もう死んでるんだ」


 淹れ慣れない紅茶は少し味気なく、あまりおいしいとは思えなかった。

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