王位を巡る
その翌日、約束していた時間より十五分ほど早く城へ行ってみると既にモーヴは城門で待っておりユーリたちはすぐに城内へと案内された。
午前中に式典の打ち合わせを終えて国王はユーリたちの到着を待っているらしく、これから本物の王に会うということでアイリスはすっかり緊張した様子だった。
極秘の依頼ということだがモーヴに続いて堂々と城内を歩いていくユーリたちを通りすがりのメイドや兵士たちは道を空けながらも不思議そうな顔で見送っていた。
「ねえユーリくん……」
すると、後ろからアイリスがこそこそと声を潜めながら服の袖を引きユーリが振り返ると彼女は内緒話をするように口の横に手を添えながら言った。
「どうしよう、あたしこういうときの作法とかよくわかんないんだけど……」
「なんでいまになって言うんだよ」
「いま思いついたからじゃない。敬礼とかなんかそういうのやんなくちゃいけないのかな」
「しなくていいよ。なんかそれっぽいことしたときだけ俺の真似をすればいいから」
「うん……」
もちろんここへ来るまでに余計なことは喋るなと念入りに釘は刺している。おそらくはユーリだけが話をすることになるので最低限失礼のないように振る舞ってくれれば問題はなかった。
そうして二階へ上がって廊下を歩いていくと見覚えのある部屋が見えてきた。大きな扉のそばにはしっかりと装備を固めた兵士が立っており、こちらへ振り返ったモーヴが手のひらを差し向けながら言う。
「あちらが陛下のいらっしゃる謁見の間です」
「ごくり……」
「そう緊張なさらないでください。陛下はとても大らかな方ですので」
こくこくとうなずくアイリスへにこりと笑みを返し、一礼をして扉を開けた兵士たちに手を向けて部屋の中へ入っていったモーヴにユーリたちも続いた。
「失礼致します」
謁見の間は教会を思わせる荘厳な内装になっていて天井近くに取りつけられた窓から差しこんだ光が入口からまっすぐに敷かれた赤の絨毯に落ちていた。奥の壁にはこの国の紋章が象られた彫刻が施されており、その下にある檀上で玉座に座り侍女と思われる若い女と話していた初老の男が顔を向ける。
「陛下、ユーリ・ホワイトガーデン様ご一行をお連れ致しました」
その場で膝を突きながらモーヴが言うと男は隣へ手で合図をした。女が一礼して脇へ下がると肘置きへ頬杖を突きながら脚を組んで男が低い声で言い放った。
「……よく来たな」
アドニス・フルール。彼がこの国の王を務める男だった。
「アッシュ団長、きみは下がっていてくれたまえ」
「はっ」
頭を下げたモーヴが立ち上がって部屋をあとにしていく。侍女の他に警護の兵などは見当たらなかった。
「久しぶりだな、ユーリ」
白髪が増えたな、とユーリは思った。あの頃はまだ若々しいオーラに溢れ老いを感じさせることはなかったが、たった三年離れているあいだに彼はずいぶんと老けこんだように刻まれたしわが目立つようになっていた。まだ六十にもなっていないはずだが、見る者によってはそれ以上の年齢だと思うかもしれない。
「あれから、もう三年か……お前には言いたいことが山ほどあるが、まずは再びわたしの前へ現れたことを褒めてやろう」
アドニスは肘置きへ手を突いて立ち上がると、気まずさを感じながらも目は逸らさずに相手を見返していたユーリのもとへゆっくりとやってきた。
「相応の理由はあるのだろうな?」
目の前に立ったアドニスが冷たい表情でユーリを見下ろした。その強い非難の口調にアイリスたちは息を飲んだまま、ユーリは相手を見上げながら答えた。
「母のいる実家に戻っていました」
「ほう?」
「病に伏したという知らせが来たもので居ても立ってもいられず。なにも言わずいなくなったことは申し訳なく思っておりましたが……当時はいろいろなことに考えを巡らせる余裕がありませんでした」
「……自分がなにをしたのかわかっているのか?」
そう言いながらアドニスが肩に手を乗せた。かつては王で一人の戦士として剣を振るっていた面影を感じさせる屈強な重み。咄嗟にナーガが止めようと足を踏みだしたときだった。
慈悲のかけらすら持ちあわせていないかのような冷酷な表情を浮かべていたアドニスが不意ににんまりと口角を持ち上げた。
「うっそだよーん!」
「……は?」
拍子抜けしたようにアイリスが声を漏らした。彼女はすぐに慌ててごまかしながら口を塞ぎ、がははと大口を開けて笑うアドニスをぽかんとした表情で見つめていた。
「びっくりしたか!? びっくりしただろうなにせ一昨日から徹夜で練習していたんだからな! 見たかマーガレット、迫真の演技だっただろう!」
「ええ、とてもお見事でした。これで練習におつきあいしたわたしの苦労も報われるというものです」
「はっはっは、そう根に持つな。なあユーリ、さすがのお前も今度ばかりは本当じゃないかと内心ひやひやしていただろう」
ヴィオラたちはどう反応すればいいのかわからない様子でとりあえず驚きを露わにしていたが、彼女らを尻目にユーリは小さくため息をつくとアドニスを見返した。
「……相変わらずお元気なようで安心しました」
「元気元気、人並みに老いを感じる歳にはなってきたが体調はすこぶる良好だ。いやぁよく帰ってきたなユーリ、しばらく会わんうちにすっかり大人びていい顔つきになっておる。こんな麗しいお嬢さん方に囲まれて羨ましいわいわっはっは!」
先ほどまでの雰囲気との変貌ぶりに後ろにいた三人は呆気に取られていた。アドニスは毅然な王であり国を守るためならば危険を顧みず戦場に立ち最前線で軍を指揮する勇猛果敢な猛将としても知られているがその本質は冗談好きな茶目っ気のある人物としての側面もあった。
「あ、あのぅ……ユーリくんのことでおこ、お怒りになっていないんです、か……?」
アイリスが恐る恐るといった様子で訊ねるとユーリの背中をばんばんと叩いて茶化していたアドニスが首を振った。
「怒ったりするものか。むしろずっとユーリの身を案じていた。なにせあの頃はまだ十三の子どもで、たった一人でどこかへと消えたというのだからな。なにがあったのか気がかりだったが……そうか、母上のもとへ帰っていたんだな。たしか、一人で暮らしていると」
「母は去年の冬に亡くなりました。それから故郷を離れ魔物討伐で生計を立てているうちに彼女たちと行動を共にするようになりまして」
「そうか……それは悪いことを訊いたな」
「いえ、いいんです」
育ての親がいる、という話は以前にしていたらしく今後のことも考えればいまのうちに死んだという話にしておいた方がよさそうだった。アドニスは手を離すと気遣わしげにユーリの肩を叩いた。
「ともかく、あのときのことは気にするな。思い返せばわたしもユーリには無理をさせすぎた。なによりオートンシアを、ひいてはこの国をも救った英雄に浴びせる咎めの言葉などありはしない」
「お心遣い感謝致します」
「積もる話はあるが……まずはこの一大行事を控えたときによく来てくれた。きみたちにも厚く礼を述べたい」
それを受けて三人がそれぞれに頭を下げ、アドニスは部屋の片隅に立っていたマーガレットと呼んでいた侍女へ振り返った。
「フィリーは?」
「まだご支度の途中のようです。もう間もなく戻られると思いますが」
「まったくあいつは……すまんが呼んできてくれないか。ユーリたちに挨拶をさせておきたい」
「ですがそうなりますと……」
「構わん。彼らは信頼できる」
「かしこまりました」
そう言って頭を下げるとマーガレットはユーリたちにもとても上品かつ優雅な仕草で一礼した。そうして部屋をあとにする背中を見送っていたユーリは彼女が左脚を微かに引きずるようにして歩いていたことに気がついた。
「さて、冗談はこの辺にして話に入る前に名乗らせていただこう。わたしはこの国の王を務めるアドニス・フルールだ」
玉座に戻り腰を下ろしたアドニスが気軽な笑みを浮かべて言った。三人はそれぞれにブラシュへしたような挨拶をしていった。
「話は聞いているよ。なかなか変わった境遇のお嬢さん方のようだが、なにはともあれユーリが仲間と認めた者たちだ。頼りにしている」
「陛下、さっそくなんですが──」
「陛下などと堅苦しい肩書きで呼ぶな。あの頃と同じようにアディでよい」
「そのようにお呼びした覚えはありませんね」
「ったく相変わらず生真面目な奴だな……で、なんだ?」
前からすぐに話を茶化す人だったが輪をかけてひどくなったようにユーリは思った。それでも面と向かってふざけるなとは口が裂けても言えないので気を取り直して本題を切りだした。
「僕たちへの依頼が極秘であるという理由についてです」
「うむ……まあ、そう来るだろうと思っていたよ」
けれどその質問へ答えるまでには少しの時間を要した。アドニスは微かに顔を伏せると考えこむように目を閉じ、そうして言葉を選ぶような間を挟んでからその重たい口を開いた。
「その話をする前に……きみたちに護衛を依頼したフィリーにはフィリアという双子の妹がいたことを知っているか?」
「ここへ来る道中に同行していた魔導士から聞きました。フィリア王女は王妃殿下と共に事故で亡くなられたと」
「ああ、ユーリがここにいたときは後学のためにヘリオスへ留学していたんだ。カメリアとフィリアが命を落としたのは留学を終えヘリオスから帰ってくる途中だった」
心に負った傷は未だ癒えていないだろう。けれどアドニスはそんな感情は表に出さないまま先を続けた。
「事故が起きたのはヘリオスからスケトシアに架かるリエー山道を移動中でのことだった。そして……フィリーたちの乗っていた馬車は他の護衛たちの馬車と共に土砂崩れに巻きこまれ崖下へ転落した」
リエー山道がどういった場所なのかユーリにはわからなかったが、ヘリオスは近代文明の発達した都市でありその周辺はフェアリーが枯れているせいで大地は荒れ果てている。そこから繋がる街道ともなれば土砂崩れのような自然災害も起きやすかったのだろう。
「だが……公には事故の詳細をそのような形で発表したが、その後の調査であれが人為的に引き起こされた事故であることがわかったんだよ」
「どういうことです」
「当時あの付近では連日の大雨が上がったばかりでたしかに地盤が緩んでいたのは事実だ。だがその後、事後処理のために現地へ訪れた際に土砂崩れが起きた崖跡から不自然に抉れた痕跡が見つかったんだ」
それがどういう意味を指しているのかわからずに首を傾げているとヴィオラがおもむろに口を開いた。
「土砂崩れというのは大雨などで緩んだ地盤がその重さを支えられずに滑り落ちる現象なんだ。だから崩落した断面は滑らかなものになるんだよ」
「では爆発魔導かなにかを使ったということですか」
「少量の焼け焦げた土が見つかったことから間違いはない。あの辺りにはフェアリーもあり魔導術は充分に解放可能な地域だ。ただ……何者かがフィリーたちの命を狙ったものであることはたしかだが、事故から調査までの数日のうちに現場から被害にあった魔導士たちの杖などが持ち去られていた」
もしもそれらの魔力に反応する物証が残っていれば多少ではあるが事件を追う手がかりになり得た。杖に取りつけられたフェアリー結晶の内部組成を調べればある程度は魔力の性質を絞ることができる。もちろんそれで犯人を断定することまではできないが一応の道しるべにはなっていただろう。
犯行現場を留守にしたのはあきらかにこちら側の落ち度ではあったが逆にそこから見えてくる不可解な点があった。
「同行していた護衛は誰も魔導術の気配に気づかなかったんですか?」
「一命を取り留めた二人の魔導士はなにも感じなかったと話している。他に同行していた魔導騎士二名と魔導士四名は助からなかったんだ」
「そうですか……」
土砂災害を発生させるだけの爆発を起こすのならばそれなりに強力な魔導術を使う必要があるが、魔導騎士がついていながらそれを防ぐことができなかったことから生き残った魔導士と同様にその気配を捉えられていなかったと思われる。
ユーリがアリューズへ不意討ちを仕掛けたように極めて繊細な魔力のコントロールができれば気取られることなく解放させることも決して不可能な話ではなかったが、不可解なのはそれだけの技量がありながらわざわざ事故に見せかけた点だった。
手がかりとなる杖を持ち去ったことからもそれが事故で片づけられる話だとは考えてなかったはずだ。
「ヘリオスへ留学中からも娘のフィリアはしばしば不審な視線を感じると話していたそうだ。そんなことがあって城へ戻ってからは警護を強化し、いまのところフィリーに目立った危険は及んでいないが……きみたちに依頼した護衛を内密にしたいのにはそういった背景がある」
ブラシュがきな臭いと言っていたのはそういう意味だったのかとユーリは納得した。
「この国の誰か……というより、王位争いに近い者がフィリー王子の命を狙っているということですね」
「うむ……そして、ブラシュの調べでおおよその目星はついているんだ」
「誰です?」
「フィリーがいなくなれば王位は議会によって選ばれることになる。それによって最も票を集めることになるであろうウィエ公爵家だ」