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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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魔導士になりたくて

 ひとしきり紅茶とクッキーを楽しんで旅の疲れに一区切りをつけるとアイリスたちは意気揚々と町へ遊びに行ってしまった。住み慣れた町ということもありそれほど気分が乗らなかったユーリは自分の部屋に戻ってベッドに寝転がりながら備えつけの新聞を読んでいた。


 三社分の新聞が三日前のものまで常備されており、一通り記事に目を通してみると各社は連日戴冠式に関するニュースを報じていた。だがブラシュが懸念しているような類の話は出ておらず、またそれ以外でも特に目を引くような大事件が起きている様子はなかった。


 五年ほど前からこの町で暮らすようになってからは各地で強力な魔物が現れるとよく城へ呼びだされていたものだが、その頃にも取り立てて変わった様子は見受けられなかったように感じる。


 もちろん当時のユーリはまだ幼かったので小難しい話を控えていただろうし、また城の内情にも精通しているわけではなかったので気がつかなかっただけなのかもしれない。


 けれど、最近になって勢力を伸ばしてきた魔王が現れたわけでもないのにブラシュはいったいなにを心配しているのだろう。


 読み終えた新聞をぱさりと置いて広々としたベッドの上で大の字になりながら天井を見上げているときだった。


 不意にノブが回る音がしたかと思うと前触れもなく扉が開かれ、ぶすっとした表情を浮かべてアンゼリカが入ってきた。


「ノックくらいしろ」


「見られて困るようなことでもしてたの」


「そういう問題じゃ……まあいいか、遊びに行かなかったのか?」


 身体を起こしたユーリが小さくため息をついて訊ねてみると、すたすたと部屋を横断していきながらアンゼリカが帽子の下でじろりとこちらを一瞥した。


「お留守番してることにしたの。疲れてるし人もたくさんいるから」


 そう言って窓際に置いてあった小さな二人掛けのテーブルに着き、脇に抱えていた分厚い本をどんとテーブルに乗せて読みはじめる。


「……なにしてるんだ?」


「読書以外になにかしてるように見えるの」


「自分の部屋で読めばいいだろ」


「日が沈んで陰になってるんだもん」


 器用にしっぽでつんと指した窓の外へ目を向けるとこのホテルよりも背の高い時計塔が太陽を遮っていた。たしかに位置的にはちょうどヴィオラたちの部屋へ影が差している。


「にしても読めないわけじゃないしここもあと少ししたら同じだろ。暗いなら妖精灯の使い方教えてやろうか?」


「うるっさいわねぇ、集中できないじゃない。あの結晶の光は好きじゃないの、ちゃんと明るいところで読まないと目が悪くなるでしょうが。文句あるの?」


 ぴしぴし。しっぽがデザインのいい椅子の脚を叩く。


 ユーリはもう一度小さくため息をつくと首を振ってベッドを出ると新聞をもとの場所へ片づけ、それから適当な雑誌でも読んで過ごすことにした。最近出版されたばかりらしい小説を手に振り返ったユーリは両腕をテーブルに乗せて食い入るように本を見つめていたアンゼリカへ振り返った。


「なに読んでるんだ?」


「アイリスに借りた魔導書」


「……ああ、あれか」


 面白くもないだろうに。そう言うとまた睨まれそうだったのでユーリはソファーへ寝転がると天井を見上げながら小説を読みはじめた。


 それからしばらくのあいだお互いに黙ったまま時間だけが過ぎていった。窓の下では大勢の観光客たちが賑やかに歩き回っているだろうがそのざわめきも意識の表層を滑っていく程度のささやかさで、小説ではとある魔導士が数々の危機を乗り越えお姫様が捕えられた魔王城へ救出に向かうという冒険譚が綴られていた。


 主人公は幾多の窮地に陥りながらも土壇場で新たな紋章陣を編みだし立ちはだかる魔物をばったばったとなぎ倒し、けれどリアリティはなく魔導士的にはツッコミどころが満載な展開を読んでいるうちに次第にまぶたが重くなりはじめた。


 長旅の疲れもあってこのまま読んでいるとうたた寝してしまいそうだった。四分の一ほど読み終えたユーリが本をテーブルに置いて身体を起こすとアンゼリカは本を抱えたまま黙々と読書を続けていた。


 そろそろ日も暮れはじめようとする頃で窓辺のテーブルにはすっかり影が差していたが彼女は気にした様子もなく、けれどさっぱりページが進んでいないようで少しだけ困った顔をしながら魔導書と睨めっこをしている。


 話しかけると不機嫌にさせてしまいそうでどうしようかと考えているとアンゼリカがちらりとこちらを見た。目が合うなりすぐに本へ視線を戻して一点を見つめていたが、かと思えばアンゼリカは本をテーブルの上に戻すと小さくため息をつきながらユーリへ顔を向けた。


「……ねえ」


「なんだ」


「あんたって、この町の士官学校に通ってたんでしょ」


「ああ」


「じゃあここに書いてることもわかるの。これなんだけど」


「わかるんじゃねえの」


 そう答えるとこちらへ向けて本の一節を指さしていたアンゼリカは不満げに顔をしかめた。


「ちゃんと読んでよ。見てないじゃない」


「なんで教わろうとしてる奴が呼びつけてるんだよ。お前が持ってこい」


 そう言うとアンゼリカは気がついたように少しだけ驚いた顔をすると素直に立ち上がってとことことやってきた。


「ここなんだけど」


 開かれていたのはアークエフの防御効果に関するページだった。かなり序盤ではあるが少し踏みこんだ内容で、どうやらずっと同じところで悩んでいたらしい。


「どうして後出しで解放すればブラストレイを防げるの?」


 アンゼリカはページの一節を指さしながら眉尻を下げた。


 ある状況下におけるアークエフで防げる魔導術の威力とその一例としていくつかの汎用魔導が記されていたが、その中で補足として記載されていたブラストレイというのは風の高位魔導の一つだった。


 アークエフ自体は防御魔導の中でも基本的なものなので防げる魔導術も低位のものばかりだが特定の条件下では性能以上の効力を発揮する場合もある。


「……ああ、これか」


「この本が間違えてるの? アークエフってそんなに強い魔導術じゃないでしょ」


「フェアリーの平衡性だよ。魔導術の解放でエネルギーを取りだされたフェアリーは殻になるっていうのは知ってるか?」


 説明しながらも話を理解できるだろうか、とユーリは思ったがアンゼリカは真剣な顔でふんふんとうなずいていたので先を続けることにした。


「ブラストレイを解放することで緑のフェアリーをはじめとした赤や青のフェアリーなんかが消費されると周辺に漂うフェアリーが術者のもとに引き寄せられて組成を均一化させる働きをするんだ。このとき防御側の周囲にあるフェアリーの組成はアークエフの解放に適した色の割合が多くなってるんだよ。だからブラストレイのあとでアークエフを解放させると本来の性能より威力が高くなるってわけだ。逆に防御側もブラストレイを解放させると効率が落ちる」


「なるほど……」


「ちなみに相手との距離が近ければブラストレイよりも高位の魔導術も条件次第じゃ防げる」


「ふーん……」


 ようやく納得が行ったらしくアンゼリカはぺらぺらとページを捲っていたが、そこで本を閉じるとテーブルに乗せて肩の力を抜くように小さく吐息しながらソファーに腰かけた。


「カスミから魔導術を教わったのか?」


「基本的なことばかりだけどね。魔導術を教えてくれるって言いだした頃にちょうど病気になっちゃって、そのあいだに知識はいろいろと話してくれてたけど……実際の練習は魔力の使い方とか解放のやり方とか、そういうのしか教われなかったんだ」


 そう話すアンゼリカの声は痛みを引きずるようにどこか元気がなかった。そうして思い返すように遠い目をして窓の外に広がりはじめた妖精灯の淡い光を見つめながらそっと呟く。


「……あのさ」


「ん?」


「わたし……お姉ちゃんみたいな魔導士にはなれないのかな」


「どうしてそう思うんだ」


「お姉ちゃんに言われた通りに魔導術の練習してたけど、ちっともうまくならなかったの。半分は魔物だし人間みたいに魔導術が使えないのかなって」


「やり方の問題じゃねえの。教わったって言っても手探りでやってたようなものなんだろ?」


「うん……」


「どちらにせよ結局はお前次第だよ。魔導術の上達に必要なのは精神的な強さだからさ」


「才能じゃなくて?」


 少しずつ外が暗くなりはじめてきたのでそろそろ妖精灯をつけようと立ち上がると、アンゼリカは帽子が落っこちてしまわないように押さえながらうろんげにこちらを見上げた。ごくわずかな魔力を放出して明かりを灯していきながらユーリは答えた。


「魔導術の訓練っていうのは投げだしたくなるくらいつらいものなんだ。それでも弱音を吐かずに練習を積み重ねていれば実力はちゃんとついてきてくれる。もしもそれができるならカスミと肩を並べることだってできるかもな」


「あんたもそうやって魔導術の練習をしてきたの?」


「一応な」


「そっか……」


 積み重ねた努力をひっくり返すほどの素質を持っているのは転生者くらいだが、だからといって努力なしではやはり実力のある魔導士にはなれない。驚くほどの素質を持つアイリスだって町の魔導士に勝てるかと言われれば無理だろう。


 多くの魔導士はそこが限界だと区切りをつけるが、そこから先に続く苦行を貫き通す精神力があるならば彼女たちを超えることだって不可能ではなかった。


 すると、おもむろに立ち上がったアンゼリカは明かりをつけ終えて紅茶を飲もうかと考えていたユーリの方へやってきた。


「あの、お願いがあるんだけど……」


「魔導術教えてくれってか?」


「あんたもすごい魔導士なんでしょ?」


「あれだけ憎まれ口を叩いてよく言いだせたな」


 紅茶の缶を片手にアンゼリカを見返すと彼女は戸惑ったような顔をした。


「だめなの……?」


「礼儀にうるさく言うつもりはないけど、それなりに頼み方ってものはあるだろ」


「お願い、します……?」


「そういうことじゃない」


 そう言ってユーリが帽子を取るとアンゼリカは慌てたように手を伸ばした。


「あの、返して……」


「部屋の中では帽子を取れ。だいたいなんでそんなに隠したがるんだよ」


「……人の身体してるのに、こんな耳がついてたら変でしょ」


 小さな猫の耳がぴくりと動く。よく見ると栗色の髪に隠れて人間の耳もついているようだが両方で音を聞き取れるのだろうか。


「別に変じゃないよ」


「でも、あの人たちは珍しがってた」


「堂々としてればいいんだよ。飾りだって言い張ってりゃ向こうだって気にしなくなる」


「そうかな……」


「隠すにしてももう少しまともなデザインのにした方がいいな。余計に目を引くから」


 ぶかぶかのローブも相まって外を出歩くアンゼリカは魔女そのものの見た目だ。いくら魔導士でもさすがにそんな恰好をしているものはいない。


「大事なものなのか?」


「……ローブと一緒に拾っただけ。森の街道ってよくごみが落ちてるから」


「よくそんなの身に着けてたな……」


 森での暮らしに慣れている分ユーリたちよりも清潔さには抵抗がないのかもしれない。アンゼリカは頭を気にするようにそわそわとしていたが、ユーリがテーブルに帽子を置いているともどかしげに声をかけてきた。


「ねえ、教えてくれないの……?」


「本気で魔導士になりたいのか?」


「うん……お姉ちゃんみたいな魔導士は無理でも、村のみんなを守れるくらいになりたいの」


 ユーリが言ったことに従ったのか脱いだローブを抱えながら真剣な瞳を向けてくる。アンゼリカはそのまま頭を下げた。


「お願いしますっ……」


「いいよ」


「え、いいのっ……?」


 あっさりと了承したのが意外だったのか驚いた様子で顔を上げると湯を沸かしてポットを手にソファーへ戻ったユーリのあとを追いかけてきて言った。


「教えてくれるのっ?」


「つきっきりは無理だけど時間があるときなら教えてやるよ。ただ、文句を言うようならすぐにやめるからな」


 そう答えるとアンゼリカは目を丸くしてこちらを見ていたが、やがて思いついたようにローブをソファーに放り投げると魔導書を手に取った。


「じゃあ、これ! この魔導術使えるようになりたい!」


「はあ? いまからは無理だよ、もうすぐあいつらも帰ってくるし」


「いつならいいの? ご飯食べたあと?」


「明日にしろ。それにその魔導術はまだお前には無理だ。その本の一番難しいやつじゃねえか」


「明日……」


 途端にしょんぼりとしたように肩を落とし、しっぽもびろんと萎れたように垂れ下がる。


 その熱意がいつまで続くかはわからないがそんなふうに魔導術に対する真摯な態度を見せられるとユーリも快く教えてやろうと前向きな気持ちになっていた。あのずぼらな聖剣士も見習ってくれないだろうか。


「とりあえずみんなが帰ってくるまで魔力放出の練習でもしてみるか?」


「する」


 町中で魔力を使うのはあまりよいことではないが、いまのところは微弱なアンゼリカの魔力ならそう大事にもならないだろう。


 あるいは魔物の血が流れるアンゼリカにはフェアリーを吸収することで生まれる弊害はないのかもしれない。真面目に取り組めば魔導士として充分な実力を手に入れることができるかもしれなかった。

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