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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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紡いだ日々に光の祝福を

 アイリスは彼女を斬ったわけではない。斬撃の瞬間に咄嗟に手首を捻って聖剣の腹で殴りつけただけだった。


「あいつ、まだ……」


 それでも通常ならば致命傷になり得る一撃であり、カスミが立ち上がってこれるのも彼女がフェアリーに浸食されているからだ。


「だめ、違うっ……考えてない、なにもっ……こんなこと考えてないっ……!」


 必死で言い聞かせるように呟きながらカスミは背後の大木へ拳を叩きつけた。枝葉が揺れて幹がめりこみ、苦しそうに声を挙げながら再び握りしめた拳を打ちつける。


「ううぅぅっ……!!」


 振り上げた手に血が滲んでもなお彼女は衝動を抑えつけるように拳を叩きつけた。骨が軋んだような音を立ててもやめる気配を見せず殴られた衝撃で傾いた大木の根が地面を持ち上げる。


「カスミ、やめろ……!」


 破れた皮膚から血が飛び散り、それまで手を出すこともできず不安げに一部始終を見つめていたヴィオラが叫んだ。その声に激昂したようにカスミが彼女を睨みつける。


「わたしを惑わすなぁっ!!」


 カスミの身体から放たれた魔力が膨れ上がり、宙へ浮いた粒子が急激に変色し崩壊を起こして火花のように弾けながらも次々に励起された。


「カスミ……!?」


 浮かび上がった紋章陣が輝き、駆け抜けたライトニングが反射的にかわそうとしたヴィオラの左腕を捉えまとわりつくように全身に電撃が走った。


「うぁっ……!」


 苦痛に表情を歪めたヴィオラへとカスミは躊躇う様子も見せずに再び魔力を放出させていく。


「ヴィオラティアさん下がって!」


 フェアリーを励起させながらアリューズが叫んだ。その気配に気づいたカスミが彼女へ手を向け、アリューズもぎりぎりのところで防御魔導を解放させる。


 展開した障壁が鋭く伸びた炎を受け止めたものの威力を殺しきることができずに破られてしまい、アリューズは激痛に小さくうめき声を漏らしながらも身体強化を使ってその場を退き炎をかわした。


「ユーリさん、カスミさんを止めて……!」


 頭を押さえて目を伏せながら振り絞るような声でアリューズが言い、続けざまに感じたフェアリーの揺らぎにユーリは振り返った。


「くそっ……!」


 もう息の根を止めるしかなかった。


 躊躇いを振り払いながら魔力を放出させようとしたが、その途端に激痛が走り瞬間的に描いていた紋章陣が途絶えてしまう。魔力を使おうとしただけで強烈な目眩と共に意識が薄れかけ、ユーリは膝を突きながら必死で紋章陣を描き直した。


 だがその遅れでカスミの解放を止めることができず、はっきりと向けられた敵意に言葉を失ったまま動揺するヴィオラへ紋章陣が浮かび上がった。


「あんたがいるから、わたしはっ……!」


 フェアリーの粒子が舞う中で忌々しげに呟いたカスミの瞳に涙が光る。


「やめてぇ!」


 唐突にフェアリーが鳴らす歌声を裂くように声が響いた。カスミの目の前へ飛びだしたアンゼリカが紋章陣の輝きに照らされながらヴィオラを庇うように両手を広げて叫んだ。


「お姉ちゃんやめて! この人を傷つけちゃだめっ!!」


「アン、ゼリカ……」


 カスミが動揺したように目を見開き、微かに動きを止める。その一瞬のすきを突いて必死で意識を繋ぎ止めながらユーリが魔力を放出させた。


「シルフィウム、グロウ……!」


 紋章陣が輝きを放つのと同時にカスミの足元から大地を突き破り幾重にも絡まりあった植物が伸びた。カスミはすぐにその場を飛びのいて逃れようとしたが、そうさせる間もなく絡みついた植物が手足を捉え動きを封じていく。


 その背後からフェアリーを励起させていたアリューズが杖を向けていた。


「すみませんユーリさん、嫌なことを手伝わせてしまって」


 紋章陣の輝きと共に放たれたブラストがカスミの腹部を貫いていった。それと同時にユーリの描いた紋章陣も途切れてしまい、拘束から解かれたカスミが地面へ膝を突く。


「やだっ……お姉ちゃん……お姉ちゃんっ……!!」


「来ない、でっ……」


 思わず駆け寄ろうとしたアンゼリカが絞りだすような鋭い声に驚いて肩を震わせながら足を止めた。傷口を押さえ、地面に手を突いて顔を伏せたままカスミが震える声で言った。


「近寄ら、ないでっ……もう、わたしに触れては、だめよ……」


「なに、言ってるの……なに言ってるのよばか……!」


 叫び返したアンゼリカがつらそうに背後の大木へ背を預けて座りこんだカスミのそばで膝を突いた。


「血を止めなくちゃ……誰か、ねえ、お姉ちゃんを助けて……!」


 焦燥感に満ちた表情を向けたアンゼリカが懇願するようにヴィオラを見上げ、そしてユーリたちへ振り向いた。


 誰かがなにかを口にするよりも先に、そこに救いがないことを直感したアンゼリカは青ざめた表情でカスミへ向き直りうわ言のように繰り返す。


「誰か、助けてっ……早く、しないと……お姉ちゃんが……お姉ちゃんがっ……!」


 カスミの手の上から両手を重ねて傷口を押さえようとしたが、彼女の腰の下から伝い流れた血が広がりはじめていくのを目にした途端に怯えた声で悲鳴を漏らす。


「アンゼリカ……離れ、なさい……じゃないと、わたし、は……」


「だからなによっ! お姉ちゃんはお姉ちゃんでしょう!?」


「わかって、ないのね……」


 苦しげに途切れそうな呼吸を繰り返していたカスミがアンゼリカをじっと見下ろしていた。やがて導かれるように彼女の細い首へと手を伸ばしていく。


 戸惑った表情を浮かべてアンゼリカが顔を上げた。カスミの手は優しく包みこむようにアンゼリカの頬に触れていた。


「怪我は、ない……?」


 その問いかけにアンゼリカはゆるゆると首を振った。目を伏せたカスミの口元へそっと笑みが浮かぶ。


「よかった……まだ、わたしにも……」


「お姉ちゃん……?」


 アンゼリカの呼びかけになにも答えないまま首を振り、カスミは顔を上げた。再びフェアリーが揺らいでいく。真紅の光が現れていく中でヴィオラを見つめた。


「ヴィオラ……わたしを、殺して……」


「カスミ……」


 呆然と見つめ返していたヴィオラがいまにも泣きだしそうに表情を歪めて首を振った。


「そんなこと……できるわけ、ないだろうがっ……」


「わたしは……もう、人間では、なくなってしまった、のよ……」


 震えた言葉と共にフェアリーが弾けていく。致命傷を受けてもなお衝動が抗いきれない本能となってカスミを殺戮へ駆り立て続けていた。カスミの手に何度も紋章陣が浮かび上がっては解放不全を起こして消えていった。


「一生の、お願いって……やつよ……」


 堪えるようにぎゅっと傷口を押さえた。


「だから、殺して……まだわたしに、人の心が……残っているうちに……」


 ヴィオラはなにかを言いかけたまま言葉を探しだすことができずにカスミを見つめていた。溢れだしそうな涙を瞳にためながらアンゼリカが首を振った。


「やだっ……なんでそんなこと、言うのっ……さっきのこと、謝るからっ……わたしまだお姉ちゃんと一緒にいたいよ……! 一緒じゃないとだめなの……! お姉ちゃんがいてくれないと、わたしっ……」


 堪えきれず目を伏せたアンゼリカをじっと見つめていたカスミが子どもをあやすように頭を撫で、そのまま胸に抱き寄せた。不安げなアンゼリカを優しく撫で続け、愛おしそうに頬を寄せながら呟く。


「助かっては、いけないの……見たでしょう……? わたしは……誰かを、殺したくて、どうしようもない、身体になってしまったの……」


「知らないっ……それでもお姉ちゃんがいてくれなくちゃやだっ……」


「何事も……永遠では、ないのよ。この先の時間で、いつか訪れる別れの日が、少しだけ……ほんのちょっとだけ、早くなった、だけじゃない」


 そうしてアンゼリカの顔を持ち上げ、指先で涙を拭いながら口元に笑みを浮かべた。


「アンゼリカなら、わたしがいなくても、大丈夫……」


「大丈夫じゃ、ないよっ……」


「塞ぎこんでいちゃ、だめ……怖がらずに、前へ進むの……だって、この世界には……嬉しいことや、楽しいこと……わくわくすることが、たーっくさん、あるんだから……アンゼリカが、モイティベートの姿をしていないのは、孤独になるため、じゃない……アンゼリカが人の姿をしている、のは……幸せを……見つけてくるためでしょう……? わたしが、集めきれなかった、分も……全部……」


「お姉、ちゃんっ……」


「この身体が消えて、魂だけに、なったとしても……わたしは、お星さまになって、アンゼリカのことを、見守っているから……だから……誰よりも、幸せになったところを、わたしに、見せて……ね……?」


「っ……」


 泣きだしそうになりながらも必死で唇を引き結んで小さくうなずく。それからぎゅっと目を閉じて、やがてアンゼリカは涙に濡れた瞳を向けながら笑顔を浮かべてみせた。


「お姉ちゃん……いままで、わたしのことを育ててくれて、ありがとう……わたし、強くなるから……だから安心して。お姉ちゃんのこと、大好き」


「ええ、わたしも……」


 そう言って、そっと微笑み返しながら。


「……愛しているわ、アンゼリカ」


 固い表情を浮かべたヴィオラがアンゼリカの手を取った。アンゼリカはなにも言わずに、けれど目を逸らさないまま手を引かれてカスミのもとから離れていった。目を合わさないままでいたヴィオラへカスミが懐かしむように言った。


「ヴィオラには、面倒をかけて、ばかりね……」


「……まったくだ」


「でも、こんなこと……ヴィオラ以外には、頼めない、から……」


 その言葉に思わずヴィオラが揺らいだ瞳を向ける。溢れだす感情の波を抑えつけようと拳を握りしめ、カスミは穏やかな笑みを浮かべていた。


「また、いつか……どこか、生まれ変わった世界で、くだらない話でも、しましょうね……」


「……ああ」


「じゃあ、一思いに、やって……ちょうだい……」


 ヴィオラは名残を惜しむように少しのあいだカスミを見つめていた。やがて、胸に手を当てるともう片方の手をカスミへ差し向けた。


「……祈りを言葉に、言葉を歌に」


 そこに躊躇いや戸惑いはもう残っていなかった。


「描いた記憶は夢を、奏でる歌声は絆を呼び覚ます」


 最愛の友が抱いた微かな願いを叶えようとしているだけだった。


「喪失の痛みに貫かれようとこの心に思い出を抱き、紡いだ日々の連なりは友愛の想いを解き放つ」


 死は決別の証じゃない。ただ、送りだすだけだ。新たな未来と、その先に続く時間が光に満たされることを祈って。


「光を与えたすべての精霊たちよ。ヴィオラティア・ベル・リュミエルの名の下に、彼方まで響く祝福の音色となって降り注げ」


「……ヴィオラ」


 淀みなく歌い続け最後の一節へ入ろうとしたところで、聴き入るように耳を傾けていたカスミが小さな声で言った。


「ほんとはね、才能がないって……わかってたの……誰も知らない、漫画のないこの場所なら……そう思ってたけど、ここでも漫画家に、なれないって……認めるのが、怖かったの……」


 微かにヴィオラが息を飲んだ。


「下手くそな、漫画でも……面白いって、言ってくれて……感動してくれて、嬉しかった、よ……」


「っ……」


 うつむいたまま静かに首を振る。


 話し足りないことが山ほどある。伝えなくてはならない言葉がまだまだ残っている。二人のあいだに生まれた空白の時間はこの瞬間だけでは到底埋められなかった。


 けれど。


「漫画の続き……死んだ世界で、描いておくから……だからね……? わたしが、描き終えるまで……それまで、ヴィオラも……眩しくて、あたたかくて……優しい場所で、歌い続けてて……」


 決して忘れることのないかけがえのない思い出。言葉よりも確かで大切な想いはここにある。


 顔を上げたヴィオラのサファイアブルーの瞳が揺らめいた。そうして精霊魔法の最後の一節を言葉に変えていく。


「さよならだ、カスミっ……」


「ええ……」


 その瞬間、空から現れた光が音もなく降り注いだ。スポットライトのように照らす光がカスミの身体を優しく包みこんでいく。


「……じゃあね、親友」


 カスミの頬を伝い落ちていく涙が光と混ざりあった。そうして、光は小さく弾けて消えていった。

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