握りしめた勇気
「カスミ……!」
「下がれヴィオラ!」
思わず駆けだそうとしたヴィオラの手を掴んで引き止めながらユーリは紋章陣を描いてフェアリーを励起させた。甲高く音色を鳴らしながらユーリの周囲へ光る粒子が舞い上がり、それと同時に魔力を放出して紋章陣が輝いていく。
「ユーリっ……!」
「動きを止めるだけだ!」
解放された魔導術が辺りの植物を急成長させカスミの身体へと伸びた。両手足を縛りつけながら細いツタが彼女の首へと巻きついていく。
意識を奪いさえすれば倒せなくても……!
脳裏に痛みが走り、ユーリはそれを押し返すようにさらに魔力を放出した。巻きついたツタがカスミの首を絞めつけ彼女はわずかに声を漏らしたが、こちらを睨みつけると両手を力づくで引き寄せ巻きついたツタを引き千切った。
「躊躇いなんてっ……!」
エーデルワイスの力をものともせずカスミは悲痛な声で叫びながら手のひらをこちらに向けた。その瞬間に紋章陣が浮かび上がり、ユーリは筋力を引き上げながらヴィオラに体当たりをする勢いで抱きついて射線上から飛びのいた。
吹き荒れた風が収束した槍となって放たれ回避したユーリたちのそばを駆け抜けていく。森の木々をまっすぐに貫いていき地面を転がったユーリたちの背後で撃ち抜かれた木々たちがばきばきと音を立てながら倒れていった。
「だめっ……お願い、早くっ……」
再びフェアリーを励起させようとしたカスミが不意に動きを止めた。肩を強張らせて頭を抱えながら苦痛の声を漏らす。
「く、うぅ……あぁああぁあああああああっ……!!」
痛みにうめくように叫び声を挙げたカスミの身体から圧縮された魔力の塊が空間を歪ませるほどの波動となって噴きだした。水が蒸発するような音を立てながら周囲のフェアリーを急激に励起させ赤黒く変色させながら留まることなく溢れだしていく。
「カスミさん……!」
聖剣を構えていたアイリスが叫びながらカスミを抑えつけようとさらに魔力を放出していく。だがまるで効いておらずカスミは涙を浮かべた瞳でアイリスを鋭く睨みつけると手のひらを向けた。
「くそっ……! アリューズ、フェアリーを……!」
「はい……!」
防御が間にあわないと悟ったユーリは脳裏へ二つの紋章陣を描きながらリフレクトエアを使い空中を高速で駆け抜けた。合図に応えたアリューズが解放に充分なフェアリーを励起させており、ユーリはアイリスたちの前へ割りこむと眼前に手のひらをかざして魔力を放出した。
「トリテ……レイアっ……!」
カスミの紋章陣から放たれた巨大な光の矢を現出した花びらが受け止めた。
「ぐぅっ……!」
突き刺すような激痛に襲われる中で描いた紋章陣が途切れてしまわないよう意識を集中させながら、けれど魔力濃度の差から完全に受け止めきれず崩壊するように花びらが青白い光を揺らしていく。
「っ……アークスフィア!」
咄嗟にアリューズが防御魔導を展開させトリテレイアと入れ替わるように発生した障壁が減衰したカスミの魔導術を防いだが、杖のない状態で魔力の逆流を受けてしまい脳裏へ走った未知の激痛に小さくうめき声を挙げて膝を折ってしまう。
なんとか持ちこたえることはできたがそれだけだ。いまので魔力の大半が消えてしまった。アスフォデルスを使う体力なんて残っていない。
けれど、まだやられたわけじゃない。
「ユーリくん……」
強烈な目眩に襲われ意識が朦朧とする中でそれでも意志だけは捨てずに立ち向かおうとするユーリを前にしてアイリスが呆然としたように呟く。
続けざまにカスミがさらなる一撃を加えようとフェアリーを励起させた。
アイリスの防御魔導で守ることはできてもカスミを止められるわけじゃない。一か八か、カスミが攻撃する瞬間にフェアリーを奪い解放不全に陥らせて突破口をつくるしかなかった。
高濃度の魔力を受けてフェアリーたちが禍々しい色を見せながら舞い上がっていく。
魔導術を選ぶ余裕すらなく解放可能な中で最もフェアリーを消費する紋章陣を描こうとしたときだった。
「あたしが、やらなくちゃ……」
傍らにいたアイリスがぎゅっと目を瞑って小さく呟きながらユーリたちの前へ出た。
「アイリス……!?」
押し寄せる恐怖を払いのけるように聖剣の腹へ手を添えてカスミへとかざした。互いがほとんど同時に魔導術を解放させ、アイリスが展開したアークエフの障壁が襲いかかった光の奔流を受け止めていく。
「く、うぅっ……!」
弾かれた光の波が景色を揺らしながら虚空へと消えていき、防ぎきりながらもあまりの威力にアイリスはほんの一瞬怯んだように表情を歪めたが屈した様子も見せずにカスミへと鋭い瞳を向ける。
「これ以上、みんなを傷つけないで……!」
その瞬間、聖剣を力強く握りしめたアイリスの叫びへ呼応するように彼女の身体から金色の光が溢れだした。
まるでオーラのように淡く揺れる光の中で微かな音色を立てながら小さな粒子が解き放たれていく。励起されたフェアリーの気配。アイリスの全身を薄く覆った光は彼女自身の魔力だった。
「アイリス、さんっ……?」
その違和感に気づいたアリューズが苦痛に表情を歪めながらも顔を上げて呆然と声を漏らす。
普通の魔力じゃない。彼女が放つ金色の魔力はカスミやユーリたちとはまったく異質の気配を持っている。
ただ、アイリスが普段見せるものとは比べものにならないほど強力な魔力であることだけは捉えた感覚が伝えていた。
「あなたは、またわたしに不気味な気を放つっ……」
アイリスの身になにが起きているのかわからずユーリは言葉を失ったまま目を奪われていたが、カスミは動揺した様子を見せながらも膨れ上がる激情に振り回されるようにフェアリーを励起させた。
「まやかすなぁあぁああああ!!」
「っ……!」
カスミがこちらへ手を向けるのと同時にアイリスが駆けだした。光と粒子とを纏ったまま一直線に走りながら剣を振り上げていく。防御魔導を解放させる素振りがなかった。
「アイリス!」
カスミの手のひらへ紋章陣が浮かび上がっていく。
間にあわない。
だが、解放される寸前で強く地面を蹴ったアイリスの身体がまるで弾かれたように急激な加速をした。
「くっ……!」
姿を見失うほどの素早さで一瞬のうちに間合いを詰められ、カスミが意表を突かれて目を見開き反射的に魔力の放出を止めて後ろへ飛びのいた。
振り下ろされた刃が周囲のフェアリーを吹き飛ばし、地面を捲れ上がらせるほどの衝撃で打ち砕く。距離を取られながらも再び聖剣を振り上げてすかさず追撃を仕掛けていく。
カスミは彼女の変貌ぶりに戸惑いを隠しきれない様子ながらも繰りだされる斬撃をかわし、距離を取って手をかざした。
けれど間隙を突くひますら与えないアイリスの猛攻に強力な紋章陣を使う余裕がなく、瞬間的にフェアリーを励起させフォトンレイルを放つ。
構わず突進したアイリスを一筋の光が撃ち抜こうとしていたが真紅のドレスがそれを防ぎ、魔導術の直撃を浴びながらもカスミへ聖剣を薙ぎ払っていく。
「っ……」
微かにその表情が揺らぐ。避けきれずに斬撃を受けたカスミが吹き飛ばされた。背後にあった大木へ木の葉を落とすほどの衝撃で叩きつけられる。
不意に動きを止めたアイリスの身体から包みこんでいた光が徐々に薄れていき、彼女は小さく声を漏らして地面へ崩れ落ちるように倒れた。
「アイリス……!」
「っ……いま、あたし……」
慌てて駆け寄って抱え起こしたアイリスが困惑した様子で呟き、痛みを堪えるように肩を震わせた。
教えてもいない身体強化を、それも熟練の騎士たちを凌駕するほどの強度で使いこなしていることにユーリは疑問を抱いたが、それ以上に不可解だったのはアイリスが見せていた聖剣への恐れがまるで見受けられなかったことだ。
けれどいまはそんなことを考えている場合ではない。
「あのまま……斬っていれば、よかったのにっ……」
肩を押さえたカスミが憎悪とも後悔とも取れない声で言いながら立ち上がっていた。