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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
201/228

たとえこの心が染まっても

 唐突にアイリスが魔物の気配を感じ取ったのはアリューズたちを追いかけている最中だった。ここはあまり人の手が入っていない魔物の巣窟でもあるためいつ遭遇しようと不思議な話ではないが、アイリスが感じ取った気配はオークの村で出会った村長と同じくらいの魔物だという。


 そうして森の中を急いでいると前方にいくつもの松明の火が見えてモイティベートたちを引き連れたアリューズがいるのを見つけた。


「アリューズ!」


「ユーリさん、どうしましたそんなに慌てて」


「魔物の気配がしたんです! ヴィオラたちは!?」


「ここまで足跡をたどって追いかけていたんですが、この辺りでそれがなくなってしまったんです」


 モイティベートたちが照らしている地面へ目を向けると彼女の言う通り踏み倒されている草は途中で止まっていた。辺りを見回してみてもそれらしき足跡が見つからず、ユーリは小さく舌打ちをしながらアイリスへ振り向いた。


「さっきの気配は?」


「わかんない……どこかに行ってたような感じがするんだけど、なくなっちゃって……ねえ、どうして足跡がなくなってるの……?」


「俺たちを振りきるためだよ。もしかしたらこの方角にはいないのかもしれない」


 おそらくは頭上の木々に飛び移って足跡を消したのだろう。唯一の痕跡を見失ってしまえばこんなに広い森の中から彼女たちを見つけだすのは不可能に近かった。


「この辺りには強力な魔物が出るんですか?」


 アリューズがそばにいたモイティベートへ訊ねた。


「この森の中央辺りまで行けばとても大きくすばしっこい奴が縄張りをつくってる」


「ではみなさんは村へ引き返してください。これ以上の捜索は危険です」


「この辺りへ来ることはないよ。カスミが退治して奴らもここが我々の縄張りだと知っているからな」


「それはカスミさんの体調がよかった頃の話でしょう。万が一の事態に備え村に残ってる方々へ知らせ、避難しておいてください」


「避難だと……?」


「お願いします。あとはわたしたちが対応しますので」


「……わかった」


 なにかを察したように神妙な面持ちでうなずくと彼らはにゃあにゃあとなにかを話しあって村の方へ駆けだしていった。辺りを照らしていた明かりが薄くなり、杖を手にしたアリューズが真剣な表情でこちらへ向き直る。


「まずいことになりましたね。急がないと大変なことになります」


「でもどこに行ったのかわからないんじゃ追いかけようがないですよ……」


 本気で逃げきるつもりならむしろこちらへ来たと思わせて正反対の街道側へ逃げたという可能性もあった。あそこなら馬車も停まっている。ただ、ヴィオラがユーリたちの移動手段を奪ってまで逃げるというのは考えづらかった。


 いくらヴィオラがエルフの身体能力を持っているとは言ってもずっと木々を伝って移動できるわけじゃないだろう。探せば近くに途切れた足跡の続きがあるのだろうが闇雲に歩き回ってそれが見つけられるとは思えなかった。


 おまけにいまは強力な魔物が辺りをうろついている。固まって行動しないと危険だった。


「アイリス、魔物の気配はどこへ移動してたんだ?」


「あそこからあっちの方へ行ってたような気がするけど……」


 自信のない指先がついっと宙を撫で右から左へゆっくりと横断していく。


「でも、感じたのほんの一瞬で他のいろんな気配もぼんやりしてるから絶対とは──」


 突然森の向こうから魔物の咆哮が轟きアイリスがびくっと肩を震わせた。空気の振動が空の向こうまで響き渡っていき、途端に不安げな怯えた表情を浮かべたアイリスが振り返る。


「ねえ、いまの……」


「ヴィオラたちだ、行くぞ!」


「う、うん……!」


 四人は声のした方に向かって一斉に駆けだした。


 いまのは間違いなく魔物が相手を威嚇するときの声だ。そこにいるのがヴィオラたちだという絶対的な確信があった。その魔物はカスミの身体で結晶化したフェアリーにおびき寄せられているからだ。


 急がなければヴィオラたちが危ない。精霊魔法もなしにオーク並の魔物を相手にするのは彼女では不可能だった。そして、カスミも。


 いまさら慌てたところで事態が好転するわけでもない。それはわかっていたのに急き立てられるような焦燥感で心が騒ぎ立てていた。


 セントポーリアでの護衛をやる前のお使いのような依頼だったはずなのに。


 このままではあのときと同じことが起きてしまう。貫かれたように胸の奥が鋭く痛んだ。未だ消えない過去の記憶が痛みとなってユーリの覚悟を躊躇わせる。


 再び魔物の咆哮が挙がった。場所はそう遠くない。きっと間にあう。ヴィオラなら持ちこたえてくれる。いますぐ追いついて魔物を倒しさえすればまだ。


 けれど、ユーリの希望を打ち砕くように揺れ動くフェアリーの気配を感じ取ったのはそのときだった。


「あっ……」


 アイリスがなにかに気がついたように声を漏らす。それと同時に漂ってきた強烈な圧力にユーリも息を飲み、思わず立ち止まった全身に寒気が走った。


「この感じ……ユーリさんっ……」


 深刻な表情を浮かべて微かに気圧された様子でアリューズが顔を向ける。ユーリは呆然としたまま気配の先を見つめた。


 空気が薄くなったのかと錯覚するほどの威圧的な魔力が突如として森の中に広がっていこうとしていた。それに伴って辺りで身を潜めていた魔物や動物たちが遠くへ逃げだそうとする足音を立てはじめ、草木をかき分ける音や息遣いが混ざって一気に異様なざわめきとなって埋めつくしていく。


「ヴィオラ……」


 小さく呟いたユーリが駆けだした。アリューズが呼び止めようとしたが、躊躇いを見せながらも意を決したようにナーガたちを引き連れてあとを追う。


 間にあわなかったのか。


 ふわりと小さな光る粒子が宙を舞う。近づいていくにつれて蛍のように淡い光の粒が数を増やしていった。


 抑圧から解き放たれたカスミの魔力が周辺のフェアリーを励起させ続けていた。


 浸食するような魔力の気配がユーリの脳裏へ警鐘を打ち鳴らす。何度も感じたことのある気配だ。それでも勘違いだと信じたかった。


 やがて木々を抜けていった先に人影が見えた。まるで宇宙に広がる星の海のように辺りに立ちこめた妖精光の中でカスミが掲げるように片手でヴィオラを持ち上げ、首を絞めていた。


「やめろカスミ!」


 声に振り向いたカスミがヴィオラの首を絞めたまま振り向いた。フェアリクス病によって奪われていた身体の麻痺がなくなっているようだった。その瞳にはナーガと同じように真紅の光が宿っており彼女が魔物化してしまったことをユーリは悟った。


「ユー、リっ……」


 遅れて追いついてきたナーガたちがカスミの姿を見て唖然とする。咄嗟にアリューズが杖を構えたがアイリスがその前に立ち塞がりながら訴えかけるようにカスミへ言った。


「カスミさんやめて……! ヴィオラを離して!」


「……追いかけてきてくれてありがとう。わたしのために、迷惑かけてごめんね」


 カスミはそう言いながらヴィオラを乱暴に投げ飛ばした。そばには大型の魔物が倒れており、その戦闘で怪我をしたらしくヴィオラは頭から血を流していた。まともに立ち上がることもできないようで咳きこみながらよろよろと大木を支えにして身体を起こしていく。


「カスミ……力に飲みこまれちゃ、だめだっ……」


「飲みこまれてなんかいないわ」


 カスミは右手を持ち上げようとして、小さく声を漏らしながら堪えるように手首を掴んで胸の前で押さえつけた。


「わたしはわたしのまま、なにかが変わったわけじゃない。昔からずっと、いまも。ヴィオラはわたしの友達で、村のみんなやアンゼリカのことを大切に思ってる。あなたたちを想う気持ちは変わっていない」


「カスミ……」


「でもね……?」


 明確な敵意を見せつけるわけでもなく、彼女は肩を強張らせながらユーリたちを見つめた。


 ぎゅっと拳を握りしめながら、つらそうに呼吸を繰り返しながら。血の色に染まった瞳で悲しげに。


「なにかを壊したくて、仕方がないのっ……ねえ、どうしてもっと早く来てくれなかったの……? こんなの、耐えられないっ……お願い、二人を連れてみんなも逃げて……! わたし、このままじゃ……!」


 必死な様子で叫びながらも甲高い音を鳴らしフェアリーが励起された。


「アイリス、防御魔導だ!」


「え、防御まど、待って……!」


 困惑しながらアイリスが聖剣を掴もうとしたが構えているひまがなく、それに気づいて慌てて手のひらを向けようとしたが焦りでパニックになりフェアリーを励起させずに魔力を放出してしまう。


 カスミの手のひらへ紋章陣が浮かび上がり、けれどアイリスの描いた紋章陣は解放不全を起こして砕けてしまった。


 すかさず前へ出たアリューズが杖を構えてフェアリーを励起させながら紋章陣を描く。


「アークスフィア!」


 カスミの紋章陣から風が吹き荒れ辺りの木々を揺さぶりながら強烈な刃となって襲いかかり、ユーリたちを切り裂く寸前で包みこむように半透明の膜が現れた。だがカスミが使ったのは低位の風魔導であるにも関わらず相殺させられアークスフィアが破られてしまう。


「なんて威力なのっ……」


 木々の枝葉や地面の草花が細かく切り刻まれて風に舞い、かろうじて防いだもののアリューズの表情には焦りの色が浮かんでいた。杖の有無も影響してはいたが純粋に魔導士としての練度でカスミに劣っていた。


「もう抵抗しないでっ……抑えられないの、なにもかも手遅れなのよ……!」


「カスミ、堪えろ! 正気に戻ってくれ……!」


「わたしは正気よ!」


 カスミは理性と本能とのあいだで葛藤するように表情を歪めながら再びフェアリーを励起させたが、さっきよりもあきらかに上回る量のフェアリーが音を立てはじめた。


「二人とも下がって……!」


 杖を投げ捨てて応戦しようとしたアリューズの傍らで咄嗟に前へ出たアイリスが解放寸前のカスミへ向かって聖剣の腹に手を添えながら構えた。


 それと同時に金色の光が辺りに広がりいくつもの紋章陣がアイリスの目の前に積み重なっていく。


「アークエフ……!」


 互いの魔導術が同時に解放されカスミの手から周りの空気を灼熱に変えるほどの爆炎の渦が放たれた。だがアイリスの展開させた障壁がその攻撃を完全に防ぎきり、裂けるように背後の森へと放射状に駆け抜けていく。


 それらは射線上の木々のすべてを飲みこんで一瞬のうちに業火に包み、遠い空まで赤く染まるほどの大火災を引き起こしていた。


「なに、これ……これが魔導術なの……?」


 押し寄せてきた異常なほどの熱風に振り返ってその惨状を目にしたアイリスはあまりの威力に愕然としていた。


 これまでに彼女が目にした魔導術はどれも町中で威力が抑えられているものばかりで魔導士の本当の恐ろしさをまだ知らなかった。杖を使わず、転生者の魔導士であるカスミの攻撃ならばこの森全体を一瞬のうちに灰に変えることだって可能だろう。


 アイリス以外にもはやカスミの魔導術を止められる者はこの場に誰一人としていなかった。


「ナーガ、仕掛けるぞ!」


「はいっ」


 やるしかない。


 致命傷を負わせたくないという気持ちもあったがそれ以前に魔導術の撃ちあいをできるほどの魔力がない。手を差しだしたユーリへ瞬時に意図を察したナーガが杖を投げ渡しながら同時に駆けだしていった。


「どうして、みんな……!」


 カスミは躊躇い、思い悩むように苦痛の表情を浮かべながらも手を向けた。その前にアリューズがバーストを放って援護をし、後ろへ下がって爆発を逃れたカスミへナーガが突進していく。ユーリは魔力の循環で身体強化を行ないながら地面を蹴り弾いた。


 殴りかかったナーガの拳を掴み、想像を遥かに超えた怪力に意表を突かれながらもカスミはみぞおちへ膝を叩きこんだ。息を詰まらせたナーガの身体が軽々と吹き飛ばされ、大木の枝を蹴って急降下しながら杖を振り下ろしたユーリの攻撃も容易く腕で受け止められてしまう。


「ちぃっ……!」


「来ないでと言っているでしょう……!」


「なんでそんなになるまで魔力を使い続けたんだよお前は……!」


 着地と同時に真横に薙ぎ払った攻撃をかわされ、瞬間的に身体強化の強度を上げながら頭上から振り下ろしていく。カスミは完全に見切ったように杖を掴むとユーリの胸倉を掴んで引き寄せた。


「いまさらそんなことを言ったって遅いのよ! だから逃げてと言っているのにっ……殺されたいの!?」


 ふわりと身体が浮いた。空と大地が入れ替わり背後で燃え盛る炎が見えた。その直後に視界が大きく歪んだ。


「がはっ……!」


 強く地面に叩きつけられた身体が跳ねて二度三度とバウンドしながら転がっていく。誰かがユーリの名前を叫んだ。感覚的に受け身を取って体勢を立て直したが既に目の前に来ていたカスミが殴りかかっていた。


 視界が揺れて目の前が真っ白に染まる。重力がなくなりわけがわからないまま後頭部に強い衝撃を受けて吐き気と目眩がした。頬が熱い。身体強化を使っていたのに全身が砕けてしまったのかと錯覚するほどの痛みがした。


「カスミさんっ!」


 アイリスが叫び意を決したように聖剣を鞘から抜き放ち、不慣れな手つきで構えた刃が炎に照らされた。


「エーデル、ワイスっ……!」


 彼女が放出した魔力へ呼応するように辺りから湧き上がるように現れた金色の粒子が刃へと導かれていく。


「この光はっ……」


 アリューズが驚愕して目を見開きながら呟き、広がっていく光を浴びてよろよろと立ち上がろうとしていたナーガがぞっとしたように青ざめた表情を浮かべながら動きを止めた。


「く、うっ……なんなの、その剣はっ……!」


 縛りつけられたように身体を竦めて肩を強張らせながらカスミがアイリスを睨みつけた。気圧されたように怯えた声を漏らしながらもアイリスはぎゅっと聖剣を握りしめて退くことなく真っ向から対峙した。


「ユーリ……!」


 肩を押さえながらヴィオラが大木に頭を打って倒れていたユーリのもとまでやってくる。揺れる視界の中で、それでもかろうじて気絶から免れていたユーリが首を振って身体を起こすと彼女は張り裂けそうな声で叫んだ。


「カスミ、どうしてわたしたちが戦わなくちゃならないんだ……!?」


「戦わなくて、いいっ……わたしは、ヴィオラたちに逃げてほしいだけ……それだけなのっ……」


「魔物の心に捉われちゃだめなんだよ……! お前が愛した者たちを守ろうとした気持ちは本物だったはずだろうが!」


 たとえその選択がどんな未来を呼ぶことになろうとも。迫りくる衝動に苛まれながらも傷つけたくないという想いはいまもまだカスミの中にあった。


「だったら、ヴィオラがなんとかしてよ……」


 堪えるように両腕を抱きしめて顔を伏せていたカスミが小さくすがるような声で呟いた。


「つらいのよ……? なにもかも壊したくて、大切なみんなを殺したくて、どうしようもないくらいつらいのっ……! ねえ、ヴィオラ……わたし、頑張るから……これから先、もう誰も傷つけないって約束する。だから、いまだけは我慢しなくてもいいでしょ……?」


「カスミ、なにを……」


「お願い、殺させて……大切なヴィオラだから、殺したいのっ……だめだってわかってる、のにっ……我慢できないっ……」


 懇願するような瞳がヴィオラに向けられた。


「こんなの、やだよっ……ヴィオラ、助けてっ……」


 彼女の肌を侵食するフェアリーが徐々に全身を覆い尽くそうとしていた。

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