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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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夢のはじまり

 緩やかに森の木々を鳴らす風のざわめきのあいまから辺りを探して歩くモイティベートたちの声が遠くから届いていた。


 歩きづらい森の中を急いで進んでいたヴィオラは後ろへ振り返っておおよその距離感を確かめながら背中にいるカスミを背負い直した。


 エラストラは瞬発力があるが人間ほど持久力はない。カスミを背負って歩き続けているうちに少しずつ汗が滲み足場の悪さで体力を消耗してしまっていた。


「ヴィオラ、やっぱり、村へ戻らない……?」


 肩で呼吸を繰り返すヴィオラを見かねて自力でしがみつくこともできずに支えられていたカスミが小さな声で言った。傍らで不安げにその様子を見守っていたアンゼリカが前に回りこみながら必死で訴えかける。


「なに言ってるの、いま戻ったら連れてかれちゃうのよ? お姉ちゃんの病気にかかった人は閉じこめられて外にも出してもらえないんでしょ、そんなのだめよ」


「でも……きっと、ヴィオラの、仲間の方も、心配してる。アンゼリカも、マートルに、なにも言わずに、来たんでしょう……?」


「書き置きは残してきてる。それに……お姉ちゃんを守らなくちゃならないもん」


 アンゼリカの提案で村を逃げだしたのはいいものの、置いてきたユーリたちに対して後ろめたさがないわけではなかった。


 呆れさせてしまっただろう。勝手なことをして怒らせていると思う。いまのカスミを連れだすことがどれほど深刻なことか充分に理解していた。


 けれど、それ以上に彼女のことが心配で放っておけなかった。友人としてカスミのささやかな願いを叶えてあげたかった。


「……大丈夫だよ、ほんの少しのあいだみんなのもとを離れるだけさ。里に帰ったらフェアリクス病を治す方法を見つけよう。もしかしたらわたしたちの薬が効くかもしれない」


「ヴィオラ……」


「だから、心配するな。だいたいお前が魔物になったからって人間たちの敵になったりしないんだから、癒す必要もないかもしれないだろう?」


「うん……」


 安心させるように笑いかけるとヴィオラは前へ向き直って歩きはじめた。先導するアンゼリカが周辺を警戒しており、帽子を取った頭に生えていた猫の耳が音を聞き逃さないようにしきりに動いていた。


「ヴィオラお姉ちゃん、エラストラの里はどこにあるの?」


「何日か歩くことになるがそう遠い場所じゃない。水の精霊と親交のある里で行ったことはないが、事情を話せばわたしたちを受け入れてくれるはずだ」


「うん」


 フェアリクス病は体内でフェアリーが結晶化することで発症する病だ。ならば結晶を取り除くことができればカスミの病気も治癒させられるかもしれない。


 ただ、おそらく単純な外科手術では難しいのだろう。それができれば人間たちはフェアリクス病をここまで恐れない。フェアリーが結晶化するのは心臓の周辺だと前にユーリが話していた。施設も不充分な環境下で取り除こうとしてもカスミの身体を傷つけてしまうだけだ。


 けれど、歌を使えばあるいは。


 エルフの歌は呼びかける言葉によって精霊の力をあらゆる姿で借りることができる。浄化の力を持つ光の精霊ならうまくフェアリー結晶だけを取り除く言葉を歌にできるかもしれなかった。


 あくまでも可能性の話にしか過ぎない。とてもとても細くすぐにでも途切れてしまいそうな頼りない可能性の糸。それでもカスミを軍に引き渡すよりは希望があるようにヴィオラには思えた。思いこもうとしていただけなのかもしれない。不安で落ち着かない。


「なんだか、まるではじめて、ヴィオラと出会ったとき、みたい」


 歩調に合わせて揺れるカスミの身体を落としてしまわないように急ぎながらも慎重に歩いていると不意に彼女がささやいた。ほんの少し振り向けた横顔へ笑い声と共に微かな吐息がかかる。


「何日も、飲まず食わずで、どうしてこんな場所に、いるのかもわからないまま、死んじゃうのかなって、思ってた」


「……懐かしいな。里の近くで倒れていたお前を見つけたときのことはよく覚えているよ。とても衰弱していただろうに、わたしを見上げるなり耳に触れたんだったな」


 近くの清流まで水を汲みに行く途中だった。


『エルフ、だ……』


『え……?』


『ここ、どこかのイベント会場、なんですか……?』


 そのときは人間たちにまるで関心を持っておらず、まさかこうして彼らと共に歩む道を進むことになるだなんて思ってもみなかった。


「コスプレだと、思ったのよ。でも、つくりものじゃなくて、驚いて、目眩がしたの」


 そうして彼女は『異世界だ』と呟いて気を失ってしまい里へ連れ帰って手当てをすることにした。


 年端もいかない少女が見ず知らずの大地で死ぬ。それがあまりにも不憫だったから少しのあいだだけ面倒を見ようと思っただけだ。里の仲間たちも強くは拒絶しなかった。


 突然の状況に事態が飲みこめずカスミは混乱したまま塞ぎこんでいたが、ヴィオラはエラストラの暮らしの中で日々のなにげない出来事やこの世界について語り聞かせ時間をかけて心が落ち着きを取り戻すのを待ち続けた。


 それからしばらく里で過ごすうちにカスミはようやく現状を理解し受け止められるようになり、その頃から少しずつ絵を描きはじめるようになっていった。来る日も来る日も夢中になって、まるでそうすることで前世の記憶を取り戻そうとするように。


 彼女の描く絵はなんらかの構造物であったり人物であったり取り留めのないものだったが、そんなふうに月日を重ねているうちにいつしか構造物は風景へと変わり人物には生命が宿り物語として動きだすようになっていた。


『ねえ、カスミはこの子が嫌いなの? せっかくアイドルになれたのに半年しか生きれないなんてあんまりよ』


『わかってないわねぇヴィオラは。大きな壁を苦労して頑張って乗り越えていくから感動が生まれるんじゃない。平坦な道を歩くことほど退屈なものはないの』


『でも美羽ちゃんの病気は治らないって医者が言ってる』


『あらほんとね。どうしましょう』


『どうなるの、助かるの? 続きはもう考えてるの?』


『ふふん、それは読んでからのお楽しみ』


『ああもう、じゃあ早く描いてよ』


 人の社会は争いばかりで、エラストラは歌のために頼りにされ、けれど称賛はされず笑い者にされる。異種族がわかりあうことなどできはしないのだとあきらめ、閉鎖された里の中で平坦でも穏やかに過ごしていくものだとばかり思っていた。


『わたしもカスミのいた世界に生まれてたら歌や踊りでみんなに元気をあげられたのかな』


『ぷっ、ヴィオラがアイドル? エルフのアイドルって斬新ね』


『エラストラ』


『どっちでもいいじゃない、エルフの歌は言葉でなく想いに力が宿るんでしょ?』


『そうだけど……』


『別にこの世界でも歌って踊ることはできるんじゃないの。人のいる町はあるんだし、うまくいけばこの世界で最初のアイドルよ』


『エラストラは人間の世界では生きていけないって長老が言ってた』


『じゃあ生きていける世の中に変えていけばいいのよ。歌って踊って、美羽もそうやって周りを変えてきたでしょ? ここに留まれば傷つかずに済むけど、なにも変わらないわ』


 この世界にはつらいことや悲しいことで満ちている。けれどそれ以上に嬉しいことや楽しいこと、世界にはこんなにわくわくするものが溢れているのだと教えてくれたのはカスミだ。


 まっさらな紙の上にたくさんの感情を描きだすカスミを純粋に尊敬していたし、そんなふうに無からいろいろなものを創造する人間を素晴らしい種族なのだと考えを改めさせられた。


『あのねぇヴィオラ、漫画で描いてるのはあくまで想像なの。聞きかじった知識をそれっぽく繋げてるだけなの。だからアイドルになる方法なんて知らないの。事務所入るんでしょたぶん』


『じゃあ事務所をつくるところからはじめなくちゃならないのかな……』


『……そういう文化がないんだし、つくっても意味なさそう』


『それじゃアイドルになれないじゃない』


『なら、いろんな町で歌や踊りを披露するっていうのは? それで人気者になって噂が広まればなにかの行事で歌ってくれってお願いされるかもよ。あれ、けっこういいんじゃないこのアイディア』


『まだアイドルにもなってないのに人前で歌うの恥ずかしいな……』


『その前にあれよ、ヴィオラはキャラが立ってないわ。アイドルにはルックスも必要だけど大事なのはお客さんを引きつける魅力よね』


『なにかいい案ある?』


『やっぱ喋り方ね。そんな普通の口調じゃなくもっとこう騎士っぽい喋り方が凛々しいヴィオラには合ってると思うわ』


『騎士っぽい喋り方って?』


『機械人形と時の砂に出てくるティア団長みたいなやつよ。声も低めにね』


 なにもかも、覚えている。平凡で終わると思っていた道の先に見つけた夢のかけら。穏やかで優しくてかけがえのない時間を過ごした日々の記憶たち。


「楽しかった、わね。毎日いろいろな、くだらなくて、思いつきみたいな、アイディアを出しあって……きらきらしてて……本当はね? 本当は……少しだけ、怖かったの」


「なにがだ……?」


「そんなふうに、過ごしていても、わたしが、ヴィオラと同じ時間を、歩けない、こと。アンゼリカも同じ。モイティベートの一生は、短いから……みんな、アンゼリカを置いて、先に行っちゃうの」


 隣で静かに話を聞きながら歩いていたアンゼリカがそれを聞いて憂いげな表情を浮かべてうつむいた。肩へ乗せられていただけの腕へそっと抱き寄せるように力がこもる。


「周りと違う、一人だけというのは、怖くて寂しいわ。でもね、それは決して、不幸なことでは、ないのよ? わたしは、アンゼリカの寂しさを、知ることはできない。けど、共感することはできる。受け止めることだってね。一人でも、一人ぼっちじゃない」


「それは、お姉ちゃんがここにいるからだよ」


「一緒に、いられる時間が、あと少しだって、アンゼリカも、わかっている、でしょう……?」


「あと少しじゃないよ。お姉ちゃんの病気は絶対に治るもの」


「……アンゼリカ」


「嫌だっ……」


 足を止めたアンゼリカが擦りきれそうな声で叫んだ。ヴィオラが振り返るとその背中へ涙をいっぱいにためた瞳を向けながら睨みつける。


「なんでっ……どうしてそんなこと言うの……! うそでも大丈夫だってなんで言ってくれないのっ……!? お姉ちゃんはわたしのことが好きじゃないの!?」


「……アンゼリカ、カスミは──」


「どうして一緒にいちゃだめなの!? わたしが魔物でも人間でもない中途半端な身体をしてるから!? だから魔導術なんか教えて、わたしにだけ人間たちのことを勉強させて、一人で生きていけって追い払おうとしてるの!? だったら助けてくれなくてよかったのに……! わたしのことなんか放っておいて見殺しにしててくれればよかったのに! 最初から生まれてこない方がよかったのよ!!」


 カスミはなにも答えなかった。必死で押し殺そうとする吐息が耳元にかかり、微かに肩を震わせながら拭うこともできずに静かに涙を流していた。


「お姉ちゃんの、ばかっ……」


 同じように小さくしゃくり上げていたアンゼリカが呟き、服の袖で何度も目元を拭いながら身を翻して駆けだした。


「アンゼリ、カっ……」


 微かに腕を持ち上げながらカスミが呼び止める。その声が届く前に森の奥で不意になにかの影が揺れ動いた。咄嗟にヴィオラも駆けだした。鋭い聴覚がそれを捉えたのか驚いたようにアンゼリカも足を止める。ばさばさと草花をかき分ける音がした。


 木々のあいだから巨大な魔物が飛びだしてきたのはそのときだった。


「アンゼリカ……!」


 驚愕で呆然とするアンゼリカを引き寄せようと手を伸ばす。だがそれよりも早く俊敏な動作で近づいてきた魔物が筋肉に覆われた腕を振るっていた。


「お姉ちゃんっ……」


 急に音がなくなったように静寂が訪れたような気がした。聞こえたのはカスミの弱々しい叫び声と、アンゼリカの小さな悲鳴と、大木に叩きつけられた鈍い音だけだった。


 瞬く間に鼓動が速くなり頭の奥が熱くなった。気配に気づかなかった。助けなくちゃならない。


 二メートルを軽々と超える巨体。短い毛に全身を覆われた猿のような見た目をした魔物が不自然に口角の吊り上がった表情でヴィオラたちを見下ろした。


「ヴォアアァアアァアアアアァアアアア!!」


 耳をつんざく咆哮が静寂を破り森の中へ響き渡った。

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