ヴィオラの裏切り
突然がさがさとなにかが草花をかき分ける足音が静寂を破った。咄嗟に振り返ったナーガが立ち上がりユーリも音のした方角へ目を凝らす。魔物が現れたのかと警戒していたが、けれどナーガは暗闇を見つめると拍子抜けしたように小さくため息をついて肩の力を抜いた。
「ユーリくーんっ……ナーガちゃーんっ……どこー……!?」
すると森の向こうから小さくささやくように呼びかけてくるアイリスの声がして少しずつ足音がこちらへ近づいてきた。魔物を呼び寄せてしまわないよう気を遣っているようだったが、それにしては切迫したような気配が声色に滲んでおりユーリは杖を拾い上げると頭上に掲げた。
「アイリス、こっちだ」
「ユーリくんっ……!」
やがて暗がりからアイリスが現れ金色の髪が月明かりに照らされた。たった一人で真夜中の森を歩くのが危険なことはアイリスも知っており彼女は嫌そうに腕をいっぱいに伸ばして聖剣を抜いていた。
なにかが起きたとユーリたちが察するには充分な理由だった。
「なにしてるのこんなとこでっ……!」
「どうしたんだ?」
ナーガの気配を探りながら急いでここまで来たらしく、息切れしていたアイリスは聖剣を鞘に戻すとこちらへ走り寄ってきた。
「大変なの、早く村に戻らなくちゃ! ヴィオラたちがいなくなったの!」
「なに……?」
「族長さんが気づいたときにはもう家からいなくなってたみたいで、みんなが探しはじめてるんだけど村の周りにはもういないみたいでっ……それに、アンゼリカちゃんも一緒に行ったみたいなの!」
「あいつが……」
カスミの身を案じるアンゼリカならやりかねない話だと思ったが、ヴィオラまでなにも言わずに姿を消すだなんて想像すらしていなかった。
けれど、あんなやり取りをしたあとでなら。
「どうしようユーリくんっ……ヴィオラ、あたしたちに愛想尽かしちゃったの……?」
「それはあいつを見つけてから訊け」
「もし見つけられなかったらとてもまずいことになるのでは」
どこかへ消え去ったヴィオラの足音を探すように周りを見回していたナーガが振り返る。
フェアリクス病患者と知りながらそれを匿うのはたしかに処罰の対象だ。アリューズが緊急事態として応援を要請している時点でカスミは魔物化する可能性が極めて高いという疑いがかかっている。
「……ひとまず村に戻ってアリューズと合流しよう。焦って探し回っても空振りするだけだ」
落ち着いていられる状況ではなかったがいまは冷静にならなければならなかった。ユーリたちは泉を離れ村への道を引き返した。
遠くからでも焚き火の明かりが森の暗闇に浮かんでいるのが見え、村の方からモイティベートたちが騒いでいる声が聞こえてきた。
茨のカーテンを抜けて村に入ると松明を手にしたモイティベートたちが防具を着こんで族長の周りに集まっており、彼は戻ってきたユーリたちに気がつくとなんらかの指示を出して村民たちを解散させるとこちらへやってきた。
「もうこの辺りにはおらんようじゃ。すまんのぅ、わしが目を離したばっかりに……」
「いついなくなったことに気づいたんだ?」
「三十分ほど前じゃ。アンゼリカが様子を見にきて、部屋で話しこんでおると思っていたんじゃが……」
「そうか……悪いな、仲間が迷惑かけて」
「謝らなければにゃらないのはこちらの方ですじゃ。あの子は……アンゼリカがやけに思い詰めていた様子だったのに、わしはきちんと話を聞いてやれなかった」
「手がかりはないのか?」
「あっちに新しく草を踏み倒した跡があったようで、村の者たちと一緒にアリューズさんも向かっております」
そう言って族長は街道とは反対側の森の奥へ手を向けた。
「じゃあすぐに追いかけなくちゃ! あたし松明借りてくるから!」
真っ先にうなずいたアイリスが返事も待たずに大きな焚き火をつくっていたモイティベートたちのもとへ駆けだしていく。
族長は目の前までやってくると小さな手を伸ばしてユーリの手を握った。
「どうか、アンゼリカを責めんでやってください。あの子はカスミのことが心配だっただけなんです。悪いようにはせんでやってほしいんじゃ」
「……わかってる」
カスミを追いかけて、それからどうすればいいのだろう。カスミを連れ去る選択に変わりはない。だからこそヴィオラたちも彼女を連れだした。
ヴィオラはともかくアンゼリカの方は大人しくこちらの言うことに従うとは思えない。おまけにこんな暗い森の中で逃げられれば見つけること自体が困難で、思い悩んでいたユーリのもとへ両手に一本ずつ松明を持って戻ってきたアイリスが片方をこちらへ突きつけた。
「なにぼーっとしてんの! あっちに行ったんでしょ!?」
「……ああ、追いかけよう」
ユーリたちは互いにうなずきあうと向かい側で開放されていたカーテンの出口へ向かった。