少しだけの願い
さすがはこの森に住むモイティベートの一族というべきか、アンゼリカに追いつくことはできず村へ戻ってくると大勢のモイティベートたちが彼女を取り囲んでいた。
やってきたユーリたちに気がつくとアンゼリカは杖を構えて対峙しながら鋭く叫んだ。
「出ていって! いますぐ出ていかないと撃つわよ!」
「……魔導士か、お前」
「子どもだからってばかにしないで! あんたたちを殺すことくらいできるんだから!」
周りにいたモイティベートたちは困惑した様子を浮かべていたがあまりにも敵対的なアンゼリカからただならぬ雰囲気を感じ取ったのか何匹かが武器を手にしてやってくる。
「魔王様、お下がりください。どうやら本気のようです」
「アイリス、盾になって」
「はあ!? 本気で言ってんのあんたがなりなさいよ!」
「魔導術相手なら無敵の防御力だろ」
「無敵じゃないわよ痛いんだってば! だいたいそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
そう言うとアイリスは前に出てなだめるように両手を向けながらアンゼリカへ訴えかけた。
「聞いてアンゼリカちゃん! あたしたちカスミさんをさらおうとしてるわけじゃないの! 病気を治すために助けようとしてるだけなの!」
「うそよそんなの! わたし知ってるんだから、あの病気になったら軍の兵士に連れていかれてずっと檻の中に閉じこめられるんでしょ! お姉ちゃんをそんなとこに連れていかせないから!」
一触即発の空気で村中に緊迫した雰囲気が漂う中、奥にあった小屋から騒ぎを聞きつけて族長とヴィオラが驚いた様子で出てきた。
「これこれアンゼリカ、にゃにをしておる!」
「族長、あいつらを追い払わなくちゃ! カスミお姉ちゃんがさらわれちゃうの!」
「ユーリ、なにがあったんだ……!?」
事態が飲みこめず唖然とするヴィオラを尻目に族長はアンゼリカのもとまで杖を突きながら歩いていった。
「みんなも少しは落ち着かんか。この方々は我々に不吉をもたらしに来たわけではない。わしがきちんと話をつけるからアンゼリカはマートルの家に行ってなさい」
「だって……!」
「ここで争ってもカスミを悲しませるだけじゃ。それに彼らはカスミと同じ転生者様だぞ。怒りに身を任せてはいかん」
「っ……」
族長から優しい声で諭されるとアンゼリカは喉元まで出かかった言葉を飲みこみ、やってきた黒い毛をしたモイティベートに促されるとこちらをきっと睨みつけてから去っていった。動揺していたモイティベートたちが周りから集まって族長から話を聞こうとしていたが、その中の何匹からはこちらへ不審げな眼差しを送ってくる者もいた。
「あー……みんな、騒がんでよろしい。前々から言っておった通り、いよいよカスミの容態が悪化してきているようにゃんじゃ。カスミの希望によっていままで先延ばしにしてきたが、軍の方々に任せなくてはにゃらんときが来たんじゃよ」
「村はどうするんですか」
「村のことは我々だけでも守りきれる。だがカスミはもう我々の力ではどうにもできんところまできておるのじゃ」
その話を聞きながら、こちらへとやってきたヴィオラが怪訝そうに眉を寄せながら訊ねてくる。
「カスミの病気がなんなのか知っているのか……?」
「……フェアリクス病だ。このまま放っておくとあいつは魔王種になる」
「なにを言ってるんだ……?」
「人だってあいつらと同じようにフェアリーを集めれば魔物化するんだよ。だから、早く病院へ連れてかなくちゃならないんだ」
「ちょっと待ってくれ……それは、本当なのか……?」
「ああ」
「そんな……カスミが、魔王種に……?」
動揺したヴィオラが深刻な表情を浮かべて目を伏せた。アイリスは気遣わしげに彼女を見つめ、そうしてユーリに振り向いた。
「ユーリくんも魔王種になっちゃうの……?」
「……このまま魔導術を使い続けていればな。けど、カスミに比べれば俺の症状なんて全然軽い方だ」
「……なんでいままで隠してたの、そんな大事なこと」
「アイリス」
咎めるようにナーガが短く呼びかける。アイリスは首を振るともどかしげにため息をついた。
「なんなの、魔導術って……! その力がなくちゃ魔王を倒せないのに、そのせいでまた魔王種が生まれるんじゃ意味ないじゃない……!」
「……まだ魔物化するって決まったわけじゃない。とにかく一度カスミのところへ行こう」
思い詰めた表情で地面を見下ろしていたヴィオラは呼びかけに弱々しく顔を上げると呆然としたままあとをついてきた。
小屋に戻り寝室へ入るとカスミは高くした枕に背中を乗せて考えごとをするように物憂げな表情で窓辺を眺めていた。慌ただしくやってきたユーリたちに気づくと彼女は観念したようにゆっくりとこちらへ目を向けた。
「聞いて、いたわ。外の騒ぎ、わたしの、ことでしょう……?」
「カスミ、お前は……自分がフェアリクス病だと知っていたのか……?」
単刀直入に訊いたヴィオラを少しのあいだ見返していたカスミは、やがてゆっくりとうなずくと手元を見下ろした。
「……知っていたわ。この村へ来たときには、もうフェアリクス病を、発症していたから」
「そんなときから……」
「もう、ずっと前から、この病気になって、いたの……魔物に、困ってる人たちの、ために、戦い続けてた……」
エルフの里を出てから、彼女はずっとそんなふうに自らに与えられた転生者の力で他人を救っていたのだろう。カスミの身体を侵すフェアリクス病の重さを見れば、どれだけの苦労を重ねてきたのかは訊くまでもない話だった。
「だけどね……? そうしている、うちに……少しずつ、身体が動かなくなるときが、あって……それで、なにもできなくなる、その前に、せめて……好きな漫画を描いて、余生を過ごそうって、思ったの」
カスミは穏やかな表情でたどたどしく言葉を区切りながら壁に飾られていたイラストたちへ目を向けた。この村の周り、ここに住むモイティベートたちの暮らしを切り取った絵が何枚も描かれている。それらはすべて幸せな時間の中にあった。
「セントポーリアなら、漫画を新しい文化として、広めてくれるかもしれないって、思って……そこへ行く途中で、この村に来て、そのまま暮らすことに、なったの」
「アンゼリカちゃんのこと、ですか……?」
「……あの子には、内緒よ?」
問いかけたアイリスへ小さくうなずきながらカスミが言った。どこか寂しげな表情を浮かべて。
「アンゼリカが大きくなって、自立できる、までは、わたしが面倒を見なくちゃ、いけないから。モイティベートとして、人間として、どちらにしても、あの子がちゃんと生きて、いけるように。まだまだ、教えなくちゃ、ならないことが、たくさん、あるから」
カスミはそう話しながらヴィオラを見上げた。微かな救いを求めるように。すがるようにかつての友人へ不自由な手を伸ばそうとした。
「もう少し、だけ……あと少しだけ、あの子のそばにいさせて、ほしいの……このままじゃ、あの子はどこにも行けずに、一人ぼっちに、なっちゃう……」
「カスミ……」
歩み寄ったヴィオラが力なく伸ばされた手をそっと掴み、安心させるように優しく抱き寄せた。そうしてこちらへ振り返りながら懇願するようにユーリを見つめる。
「ユーリ……カスミの頼みを聞いてやってくれないか……? なんとかしてこの村に居続けられるように……お願いだ、助けてやってほしいんだ……」
ユーリはカスミを見下ろしたままなにも答えなかった。
アンゼリカは二つの種族の血が流れる混血種だ。だがモイティベートほどの身体能力もなければ漂う気配に人間ほどの魔力も備わってなかった。いままで村を守り続けていたカスミがいなくなってしまえば彼女は魔物に襲われたときに対処する術がなかった。
「ユーリくん……」
症状は深刻だが、フェアリーを吸収しないように気をつけていればもうしばらくのあいだは魔物化を抑えられるだろう。自らの人生を捨ててまでアンゼリカの幸せを願ったカスミの想いを裏切りたくない。
それでも。
「……だめだ」
ユーリはまっすぐにカスミを見つめたまま答えた。まるで時が凍結したかのように部屋の中から音が消え去りヴィオラが呆然としたように目を見開く。
「ユーリ……?」
「わかるはずだ。情に流されて見過ごすわけにはいかないんだよ。カスミが魔物化してしまえばどれだけの被害を生むか、みんなだってわかるはずだ」
「本気で、言っているのか……?」
「そうだよっ……なにも今日明日でいきなりじゃなくてもいいじゃない……! ねえ、ナーガちゃんからもなんとか言ってよ……!」
「……ナーガに訊かないでください」
気まずげに顔を逸らしながらナーガが言いづらそうに答える。ユーリに引き下がる気はなかった。
「俺だって好きでこんな判断をしてるわけじゃない。だけどカスミは転生者なんだぞ。もしも魔王種になったら誰が止めるんだよ」
「でも……魔王になったからって、カスミさんであることには変わらないでしょ……? 別に人格が変わるわけじゃないんだし、ほら……アンスリムにいたユーリくんの知りあいみたいに穏やかにしててくれるかもしれないじゃん……!」
「あいつらと違ってカスミには魔力があるだろ。魔王種がどれだけ危険な存在かわかってて言ってるのかよ」
「それは……わかんない、けど……」
言葉を詰まらせながらアイリスが目を伏せた。
新たな魔王種の出現は決して許すわけにはいかなかった。それが転生者であるならどれほど強力な魔物になるか想像もつかない。全盛期のユーリであればまだしも、魔力を失ったいまはとても太刀打ちできないだろう。
なによりも、かつての友人へ手をかけさせる選択だけはさせたくなかった。
「……だからその頼みを聞くことはできないんだ」
カスミはなにも言わなかった。ヴィオラの胸の中で身体を預けたまま、ただじっと床を見つめて黙りこんでいた。
「……ユーリならわかってくれるって信じてたのに」
背を向けて部屋を出ようとした背中にヴィオラの悲しそうな声が突き刺さる。ユーリはなにも言わないまま部屋をあとにした。