口下手と猫
道中では取り立ててなんらアクシデントが起こることなくひたすらに進み続け、一晩野宿したその翌日の午後に馬車は深い森を貫く街道に入っていた。
この先に続く町との連絡通路としてとても広大な森ながら木々を伐採して馬車が行き交いできるほど広い道路が通されており、比較的のんびりとした足取りで進んでいく馬車の中から魔物との不意の遭遇を警戒して窓の外へ注意を向けていたヴィオラが不意に口を開いた。
「ユーリはモイティベートに出会ったことはあるか?」
彼女と同じように反対側の森へ気を配っていたユーリは目を離さずに答えた。
「ないよ。数自体も少ないし、基本的に外敵を見つけたらこそこそ逃げるような魔物だから」
「猫の魔物なんだよね。可愛いのかなぁ」
「なにを乙女みたいなことを言っているのですか」
「乙女じゃん」
「……はは」
鼻で笑い飛ばすナーガにむっとした表情を向けながらもアイリスは言葉を飲みこんでヴィオラと一緒になって窓の外を眺めた。
「猫じゃらしとか生えてないかな」
「いまの時期は見つからないだろうな。アイリスは猫が好きなのか?」
「うん、大好き。でもあたし猫にあんまり懐かれないんだよね」
「猫の魔物だけど、猫じゃないからあんまり期待するなよ?」
「でも怖い見た目じゃないんでしょ?」
「らしいとは本に書いてあったな」
「でも怖がりなのにどうして転生者の人がそこに住んでるんだろ」
怪訝そうな面持ちを浮かべたアイリスの呟きを聞きながらおもむろに考えていたユーリはそのとき森の奥でなにかが動く気配を感じた。すぐにそちらへ目を凝らしたが姿を見つけることはできず扉を開けながら声を挙げる。
「アリューズ、馬車を停めろ」
「え、あ、はい」
すると間の抜けた返事が来てすぐに馬車が停止し、外に出たユーリは周囲を警戒しながら気配のあった方へ視線を投げかけた。遅れて下りてきた三人は呆気に取られた様子でユーリの見つめていた先を追いかけていく。
「どうしたの、魔物……?」
「わからないけどなにかがいた気がする。アリューズ、気づかなかったか?」
馬車の先頭から下りてきたアリューズへ訊ねると彼女は真剣な表情で森の奥を見つめ、そうしてこちらへ振り向きながら首を振った。
「すみません、寝てました」
「……寝てんじゃねえよ、仕事中だろ」
「返す言葉もありませんがわたしも会話に混ざれず退屈だったんです」
混ざりたかったんだ、と声にならない呟きがどこからともなく聞こえたような気がしたがともかく彼女は飄々とした態度で少しも悪びれた様子もなく座席の方から一枚の紙を取りだしてくるとそれを広げて周りを見回した。
「どうやら集落はこの辺りのようです。ユーリさんが見たのは彼らかもしれませんね」
そう言われアリューズの手元を覗いた途端にユーリが微かに眉を寄せる。
紙にはまるで子どもがおつかいへ行くために描いたようなお粗末な地図が描かれており、グレナディアにセントポーリアと書かれた丸とおそらくはこの森を示しているであろうぐちゃぐちゃとした埃の塊のような絵とがふらふらとした線で三角形に結ばれていた。
一応森の中央部分辺りから矢印で『このへん』と注釈が入っていたが、役に立つ立たない以前にこいつ字めっちゃ下手くそだな。
「なにか」
微妙な気分になりながら瞳を向けたユーリへアリューズは素知らぬ顔で首を傾げてみせる。あからさまにふざけている気がするが彼女がそんなタイプの人物であると思っていなかったので言及した方がいいのか迷った。
こんなしょうもないことで反感を買うのもばからしい。
「……なんでもいいや、集落があるんなら。行くぞみんな、準備しろ」
そう呼びかけると三人はうろんげにうなずいて馬車の中から荷物を引っ張りだしてきた。アイリスとヴィオラはそれぞれ自分たちの剣を腰に差し、ナーガは鞄と一緒に折りたたんだローブと杖を手にしていた。
いつまでも丸腰では不便だからとなにか欲しい武器がないか訪ねてみれば彼女が希望したのがそれだった。屋敷で余っていた予備の杖とローブを用意してもらえたので元手はかかっていないが、それにしても彼女にはまったく意味のない道具だった。
それなりに慣れた手つきで聖剣の固定具合を確かめていたアイリスがナーガへため息混じりに言う。
「ハンマーとかあのトゲトゲがついたやつみたいなのにすればよかったのに。えーと、僧侶が持ってるのってなんていうんだっけヴィオラ」
「メイスだろう? ちなみにアイリスが言っているトゲトゲがついたやつはモーニングスターと呼ぶ。ただ、実際の僧侶はメイスなんか担いで戦場へは行かないぞ」
「だってさ」
藍色のローブを身につけ謎の力で杖を背中に背負い、着心地を確かめるように身体を捻って全身を眺めていたナーガはそれを聞いて鼻を鳴らした。
「そんな野蛮なもの、この知的でダークな策士系ヒロインのナーガには向きませんね。できれば闇の意思に染まりし混沌の魔杖などを求めていたんですが、まあ馴染みのスタイルということで我慢しましょう」
「……ほう、力が欲しいか?」
「すべてを飲みこむ力を我に」
「いつまでばかやってんだ、準備できたなら行くぞ」
アイリスの言うようにナーガにはせっかくの怪力を活かせる武器が合っていると思ったが、とはいえ斬撃用の武器以外はそれほど市場に出回っていないのでひとまずはこのままにしておくことにした。
扱いに慣れているとは思えないしなんだかんだ殴らせた方が強い。
そうしてアリューズが馬を適当な大木へ縛りつけ荷物を詰めこんだリュックを背負って戻ってくるとユーリたちは彼女の案内で森の中へと足を踏み入れていった。
特に動物の鳴き声などはしておらず時折吹き抜ける風が草木を揺らすだけで森の中はのどかな静けさに包まれていた。地図を両手に先頭を歩くアリューズに続いていきながら先ほどの足音の正体を探してみたものの気配はどこにも見当たらず、完全にこの辺りからはいなくなってしまったようだった。
「ところで、転生者の人に会ってどうするんですか?」
動向を確かめるという曖昧な依頼内容しか聞いていなかったアイリスは当然の疑問を口にした。地図を見ていたアリューズは現在位置を確かめるように一度周りを眺め、それから端的に答えた。
「どのような暮らしをしているのか調べるだけです」
「え、それだけですか?」
「はい」
要領を得ない答えにアイリスはこちらに顔を向けたが、ユーリも具体的にそれを知ってどうするかまでは伝えられていなかった。なぜその転生者はモイティベートの集落に身を寄せているのか、そして何度も軍がそれを調査しようとしていた理由。
考えられるとすれば未だどこにも属していない転生者の確保が挙げられるが、そこまでして手に入れたいほど強力な力を持った転生者なのだろうか。
それからアリューズは淀みなく足を進めユーリたちは黙々とそのあとを追いかけていった。
臆病な魔物なので人間が通る街道沿いからは離れた場所に住処をつくっているだろうとは思っていたが、森に入って一時間ほど歩き続けたところで一向に見えてこない集落に痺れを切らしたように疲れたため息を漏らしながらアイリスが言った。
「あの、あとどれくらいで着きそうですか……?」
「地図によればもう十五分ほど歩けば着くのではないかと」
「けっこう遠いですね……」
「休憩になさいますか?」
「あ、いえ……大丈夫です……あ、やっぱりちょっとだけ休んでいいですか……?」
「構いませんよ。急いでいるわけではありませんのでご遠慮なく」
そう言われアイリスは大きくため息をつくと辺りを見回してそばにあった大樹に背を預けてぺたんと座りこんだ。それからゆるゆるとナーガへ顔を振り向け、彼女もすぐに意図を察して仕方なくといった様子で取りだした水筒を手渡す。
「少し体力をつけた方がいいのでは。そんなことでは転生者としてやっていけませんよ」
「え、別にあたしそんなつもりないんだけど……」
「ナーガの言う通りかもな。ちょっと動いたくらいですぐへばるようじゃ剣士としても魔導士としても戦えないじゃん」
「いや、だからあたし戦うつもりとかないって」
「一緒にランニングでもしてみるか? アイドルたるものそつなく踊れる体力は必要だからな。人目が気になって控えていたが、わたしも町暮らしをするまではよく走りこみをしていたんだ」
「ねえなんでみんなあたしの話聞いてくれないの」
と、そんなふうに話しているとそれまでそっぽを向いて地図を睨んでいたアリューズがちらちらと様子を窺うように視線を向けてきているのにユーリは気がついた。
目が合った途端に彼女はさりげなく目を逸らすが、なんとなくそわそわとしておりもしかしてこれは輪に入りたがっているのだろうか。
「わたしたちはいまのところ魔物討伐を生業にしているんだし、荒事に巻きこまれることだってあるんだからいざというときに動ける体力くらいはないと困るぞ?」
「誰かさんが無鉄砲に首突っこむからでしょ。あたし普通に仕事して暮らしたいだけなのに、なんでいまも森の中なんかにいるの」
「普通の仕事と言ってもアイリスはなにができるんですか。どうせ前世でもろくに働いたことなどなかったのでは」
「ナーガちゃんよりましだから! それに少しずつこっちの暮らしにも慣れてきたしバイトくらいならたぶんできるし!」
「バイトなんて学生か主婦が片手間にやるような仕事じゃないですか。まさかそれで一生暮らせると思っているんですか」
「なんでこんなファンタジー丸出しの世界で現実っぽい説教食らわなきゃいけないの」
アリューズはそのあいだに何度か話しかけようとする素振りを見せたが機を逃したように思い留まって地図に目を落としていた。
この女の性格はさっぱり読めない。
あまり彼女に対していい印象は持っていないが、これでもしばらくは行動を共にする相手なので仕方なく話を振ってみることにした。
「アリューズはどう思う?」
「え、わたしですか? そうですね、わたしが思うに──」
彼女はいかにも意外そうに振り返ったが、それに気づかず三人で話し続けるアイリスたちを見て言葉を詰まらせながら少し困ったような顔をしていた。そのまま話しかけてしまえばいいのにアリューズは折りたたもうとしていた地図を広げ直すとそれに目を落としながら小さく呟いた。
「その……人それぞれですから」
「……なんかごめん」
「どうして謝るんですか」
「いや、別に」
「……あ、ユーリさんは運動好きですか。運動、いいですよ。とても気分がすっきりしますし健康的で、わたしも毎朝グレナディアを一周しているんです。今朝も走りました」
「魔導士って意外と体力必要だもんな。いつからやってるんだ?」
「二年前からです。魔導士になってからはじめました」
ちら。
それとなく彼女は三人に目を向けたが、アイリスたちは特にこちらの会話に興味を示していないようだった。アリューズは頭に叩きこむようにじっくりと地図を見つめながら、やがて思いついたように顔を上げて口を開いた。
「……いい天気ですね」
「え、ああ……そうだな」
「最後に雨が降ったのっていつでしょう。雨は好きじゃないですけど、ずっと降らないといつ降るのかなって思います」
「この時期はいつもこんな感じじゃん」
「水不足ですね」
上手なのは魔導術の扱いだけなんだな、とはさすがに口にできる空気ではなかった。
寡黙で冷たそうな雰囲気がそうさせているのかアイリスたちも進んで話しかけてくることはなく、たしかに無表情のアリューズはなんだか不機嫌そうに映ってしまうのでどこか近寄りづらい気配は漂っていた。
そうしてユーリたちの会話もなんとなく途切れてしまい彼女は手持ち無沙汰になったように地図を眺めはじめ、馴染まない空気にため息でもつこうかと思っていたユーリは不意に周囲から微かに動く物体の気配を捉えた。
「みんな気をつけろ、なにかいるぞ」
即座に警戒を促すと他の三人は一斉に身構えて誰ともなくアイリスを囲うように背中合わせで密集した。すると草花をがさがさとかき分ける音がしてユーリたちの前に大勢の小人が姿を現してくる。
彼らは二本の足で立っていたが胸当てや肩当てをつけたその全身は毛で覆われており、お尻からは長いしっぽに頭からは尖った耳が伸びていた。削った石でつくったと思われるナイフを手にした猫の集団が周囲を取り囲んでいた。
アイリスは不安げな様子で立ち上がったが現れたのがモイティベートだと気づくとぱっと表情を和らげた。
「わ、猫ちゃんだ」
「大人しくしてろ」
無警戒に歩み寄ろうとしたアイリスを腕で押しのけながらユーリが言った。
彼らは猫が甘えるときのようにぐるるると喉を鳴らしていたが、モイティベートの場合は威嚇するときにこの音を出すという。その証拠に毛は逆立っており瞳は獲物へ飛びかかるタイミングを窺うように鋭かった。
「誰なの、あんたたち」
その中から幼さを感じさせる声が聞こえたかと思うと周りの連中とは違い魔導士たちが身に着けている紫色のローブと同色の大きなとんがり帽子を被った人間の少女が一歩前に出てきた。
「ここから先になにか用事なの」
この子が転生者なのか?
そう考えながら敵意を露わにした眼差しを向けてくる少女を見返していたユーリはすぐにその違和感に気がついた。
少女は人間ではなかった。もっと具体的に言えばモイティベートでもない。彼女は人間と同じように真っ白な肌を持っていたが全身を隠すように身に着けたローブの裾からは髪の毛と同じ栗色のしっぽが伸びていた。
アイリスたちもそれに気づいたように小さく声を漏らしていたがその場に漂う不穏な空気で口にすることはなかった。
「あなたたちは何者? この先になんの用事」
「わたしは西にあるグレナディアの軍からやってきたアリューズ・リーフと申します。あなた方の集落にいる転生者様にお会いしたく参りました」
アリューズはその事実を知っていたのか意に介した様子もなく用件を伝え、少女は怪訝そうに眉をひそめた。
「もう来ないでって前に伝えたはずだけど」
「前回の訪問からしばらく経ちましてお加減の方はいかがかと心配していたんです。今回は少人数でお騒がせは致しませんのでお会いさせていただけないでしょうか? ああ、それからこちら、お土産を持参して参りました」
そう言いながら背中に背負っていたリュックの中から丁寧に包装された菓子折りをいくつも取りだして差し向ける。すると少女の周りにいたモイティベートたちがにおいを嗅ぐようにくんくんと鼻を動かして微かに顔色を変えた。
警戒心を見せていた少女も意表を突かれたようにきょとんとした表情を浮かべ、アリューズが差しだした包みを素直に受け取る。
「煮干しとかつお節です。みなさんがお好きだと聞いたので」
「にゃあんうぉん」
するとモイティベートの一匹が少女へなにかを呟き、受け取った包みをしばらく見つめていた少女は渋々といった様子でアリューズへ顔を上げた。
「すぐに帰ってもらうからね」
「長居は致しません」
「じゃあついてきなさい」
そう言うと周りを取り囲んでいたモイティベートたちが石のナイフを革の鞘に納めるとユーリたちへ敵意と好奇心が入り混じった目を向けながらぞろぞろと歩きだしていった。
ひとまず集落へ来ることを許可してもらえたようで、釈然としないままユーリたちは顔を見あわせるとそのあとに続いた。




