消えない雨音
雨が降っていた。夢の終わりでぼんやりとしたままゆっくりと身体を起こし、肌寒さにため息をつきながらゆるやかにカーテンを引くような雨音に少しのあいだ耳を傾ける。隣のベッドは昨日部屋に荷物を置いたときと同じままだった。こんなに寒い朝なのにナーガはまたユーリの足元で身を丸くして眠っていた。昨日買った服ではなくちゃんといままで着ていたものをパジャマ代わりにしている。
こいつと一緒にいるのも今日で終わりだ。たった数日だけだったがこんなふうに別れが訪れると多少は寂しいと思う気持ちもないわけではなかった。そんな情が湧かないように接していたつもりだったのにな。
「ナーガ」
手を伸ばしてその肩を揺する。少しのあいだじっとしていたが、もう一度名前を呼ぶとそっと目を開いて身体を起こし元気のない表情でユーリを見上げた。
「……おはようございます」
「おはようナーガ。今日はちゃんと起きれたな」
「……もう朝なんですか」
「ああ」
「……まだしばらく眠っていたかったです」
ぼんやりと床とベッドのあいだのすきまを見つめながら呟く。なるべく気にしないようにしてベッドを出た。
「起きろ。今日はお前だってやることがいろいろあるだろ」
「なにをするんですか」
「仕事を探すんだ」
「ナーガにできる仕事があるんでしょうか……」
「考えてあるよ。あとで案内してやるから準備しろ」
「……わかりました」
短い支度を済ませると宿を出て傘を二本購入した。昨日の空模様だとてっきり今日も晴れだと思っていたが、見上げた空に浮かぶ雲は分厚くどんよりとした薄暗さを町に落としていた。そのせいか後ろを歩くナーガも憂鬱そうな足取りで水を跳ねるつま先を眺めていた。傾けて傘を持っていたせいで袖が濡れていたが、気にも留めてないみたいだった。
「魔王様が出発するのはいつですか」
「今日にでも行くつもりだ。首都の方面に向かうのは出てるだろうからとりあえずそれに乗る」
「ではお見送り──」
「しなくていい。仕事先まで連れてってやるからそのまま雇ってもらえ。そこでお別れだ」
「……」
ほとんど人も歩いておらず雨音と二人分の足音だけが響くアンスリムの通りを歩いていく。ナーガの働き口に最適な場所は昨日寝る前に既に見つけており、十五分ほど歩いていった先にそれはあった。
「ナーガ、あそこだ」
通りの突き当たりを指さしながら振り返る。そこにあったのは工務店の看板がかかった店だった。事務所と寮が併設されているため周りにある建物よりもいくらか大きく、一階にある事務所で従業員が仕事前の談笑をしているのが窓ガラス越しに窺えた。
「大工ですか」
「お前にぴったりだろ。あそこなら住む場所も確保できるし、とりあえずはあそこで働いてゆっくりここの生活に馴染んでいけよ。別の仕事がしたくなったら改めて探せばいいから」
「雇ってもらえるでしょうか……」
「それは行ってみなくちゃわからないな。でもお前の怪力があれば普通の男よりも活躍できるだろ。ちゃんと身体強化が使えるって言うんだぞ?」
「……はい」
傘の下で小さくうなずきながら返事をする。そうしてユーリは持っていたお金をナーガに手渡した。眠たげな目でうろんげにこちらを見上げてくる。
「やるよ。ちょっとだけもらったけど、残りは好きに使ってくれ」
「いりません」
「必要になる。いいから持ってろ」
「……わかりました」
そうして素直に受け取ると服を入れていた袋にしまって大事そうにぎゅっと抱えた。他になにか言うべき言葉があるような気がしたが、結局はなにも思いつかないままユーリは踵を返した。
「じゃあな」
「……あの、魔王様」
「そのうち手紙くらいは出すよ。元気でな」
そのまま歩きだす。ほんの少しだけ追いかけてくる足音が聞こえたが、無視して歩いていくとそのうち聞こえなくなっていく。ユーリも振り返らなかった。