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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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抜け落ちたもの

 降りていく乗客たちの波に乗ってようやく地面に足をつける。やれやれ、とんだ船旅だった。乗客たちは港まで出迎えに来ていた知人たちと合流するとさっそく先ほどの危機をやや興奮した面持ちで話していた。魔導士に対する信頼感からかどこか他人事のような雰囲気があったが、ともあれ一人減っては二人減ってとあっという間に港から乗客たちの姿は消え、残されたのは船の荷下ろしを待つ商人たちやユーリたちだけになっていく。


「大丈夫か?」


 港の岸のそばで佇んだまま調子を確かめるように胸に手を当てていたナーガが振り返る。


「……はい、なんとか。まだ気持ち悪いですが降りたら少し楽になりました」


 船室に戻ってからまた船酔いがぶり返していたのでそれとなく心配していたが、揺れから解放されてここで休んでいるうちに顔色も段々とよくなってきていた。この世の終わりみたいな弱りっぷりではあったものの、すっかり普段の寝ぼけ顔になってきているのでだいぶ具合はよくなったのだろう。


 予定時刻より大幅に遅れ、船がアンスリムに到着したのはもうそろそろ日が暮れはじめようとする頃だった。海の向こうに見える空では太陽が沈みかけており、海風の吹くアンスリムの街並みに柔らかな茜色の光を落としていた。


 巨大な壁に囲われた町の入り口から港にかけて傾斜のついた街並みに木組みの家がそれぞれに微妙な色合いを持って立ち並んでいるのが窺えた。坂になった大通りを下った先には大きな噴水のある広場があり、どうやら商業施設はその辺りに集中しているようで港まで届くほどの賑わいと妖精灯の明かりが広がっている。


「散々だったな、せっかく楽しみにしてたのにそんなに酔うなんて」


「長旅でなかったのが不幸中の幸いでした。ですが、こんな経験をしてしまえばナーガはたいていの困難は乗り越えていけるでしょうね」


「大げさなんだよな……」


 町に着いたらさっそくこれからのことについての準備をしようと思っていたが、予想外のアクシデントに見舞われたおかげで明日に回すしかなさそうだ。


「とりあえず宿を探しに行くか。それからなにか食べに……」


 行こうと思ったところでナーガに振り返る。あの怪力に任せて絞りまくったせいか着ている服がしわだらけになっていた。もともと使い古された服を着ていたし、はじめから気になってはいたがそこそこ長いくせに髪も伸ばしっぱなしなのでここまで来ると浮浪者にさえ見えてくる。


「……先に服だな。あと髪を留めるものも」


「礼服が必要なお店に行くのですか」


「お前の普段着を買いに行くんだよ。もっとましなの着たいだろ」


「とても着心地がいいので気に入っておりますよ」


 ぼろ布一歩手前だけどいいのか。たぶんそうだろうなと思ってはいたが、やっぱりナーガはそういう普通の少女が当たり前に持ってそうな欲求に対しても無頓着みたいだ。


「周りから浮きまくってるし不潔そうに見えるから悪いけど着替えてくれ。一緒に歩いてると俺の奴隷みたいだぞ、それ」


「奴隷ですか……」


「もしくは召使い」


 不思議そうに両手を広げて自分の身体をしげしげと眺める。そうしてナーガは腕を組むと顎に手を添えて満足げに目を閉じながら口元に笑みを浮かべた。


「悪くないですね、その響き」


「悪いわ。御託並べてるひまがあったらどんな服がいいか考えてろ」


「はあ……」


 ひとまずナーガを連れて港を離れ、ユーリは中央広場の方まで向かった。大勢の人が広場から枝分かれして続く通りを行き交い、中央にある大きな噴水のそばで洒落た服を着た何人もの男女が待ち合わせ相手を待っているのかそれぞれにどこかを眺めたりして時間を潰していた。


 きちんと舗装された石畳の広がる通りには等間隔で街路樹が並んでおり、町の至るところを流れる用水路は景観を損なうことなくざわめきの中に微かなせせらぎを落としていた。


「きれいな町ですね」


「だと思ってここに来るまでなにも買わなかったんだ」


 距離にしたらそれほど離れていないのに、立地的に海を経由しなくちゃならないってだけでリーンの栄えようとはえらい違いだ。徐々に薄暗くなっていく空の下でもアンスリムの町には街灯や家の窓から漏れるぬくもりに満ちた明かりで暗闇を遠ざけている。


「魔王様はこの町にも来たことがあるんですか」


 辺りを見回して服屋を探しながら歩いていると少し後ろを歩いていたナーガがぼんやり顔で訊ねてくる。


「どうだろうな。ルート的には通るはずなんだけどあんまり見覚えがないんだ。服屋の場所もさっぱりわからないし、来てたとしてもすぐに出発したんじゃねえの」


「あの城で生活するようになるまでは各地の魔王を倒すためにいろいろな場所を旅して回ってたんですよね。ぜひお話を聞かせてほしいです」


「って言っても旅行するのが目的じゃなかったからあまり面白い話は持ってないぞ」


 本当に魔王を倒すためだけの旅だ。町へ立ち寄るのもほとんどは食料の調達とかそういった旅に必要なものを買うためだけで、いま思い返せば少しくらい名所にも寄り道すればよかったのにと当時の自分に言いたい。


「魔王様のお話ならナーガはなんでも喜びます」


「そうか……」


 これから伝えるつもりだった話にもナーガは喜んでくれるだろうか。こいつは俺が力を取り戻すことを望んでいて、でも転生者としての力を取り戻すことはもうできないのだろうというあきらめとも違うなにか確信めいた直感があった。手の届かない奥底の方でなにかが決定的に欠けてしまっていた。


「魔王様」


 物思いに耽っているとよく聞いていてもわからないくらい微かに語尾を持ち上げてナーガが呼びかけてくる。


「どうされました」


「服屋の場所思いだしてたんだ。あの通り沿いに女ものの服屋があったような気がする」


「魔王様、ナーガはこの間にもちゃんとどんな服がいいか考えてましたよ」


「なんだ、けっこうイメージ固まってたのか?」


「はい、ナーガはきらびやかなドレスが着てみたいです」


「普段着だっつってんだろうが」


 喜ぶわけがないとユーリは思った。だけどいまの状況で改めて魔王たちを倒しに行くのは絶望的に厳しい道のりだ。そんなことにナーガをつきあわせるわけにはいかない。


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