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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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人の形をした魚

 咄嗟にその視線を追って海上へ目を向けてみたものの、船の後ろはもとより周りを見回してもなんの船影も見当たらない。怪訝に思いながらナーガに顔を振り向け、そこでユーリはようやくその言葉の意味を理解した。


 ナーガが見ていたのは海の上ではなく、その下に広がる水中だった。


「っ……!?」


 唐突に群青の奥から黒い大きな物体の影が浮かび上がってきた。客室にいたときに船体を揺らしたものの正体。途端に鼓動が強く胸を叩く。ユーリはすぐに見張り台に立っていた船員へと声を荒げた。


「魔物が来てるぞ!」


 船の前方を監視していた船員はその声にきょとんとしながら振り返る。


「すぐに魔導士を呼んでくれ!」


「どっちの方角から──」


 船員が慌てて辺りをきょろきょろと見回しはじめた瞬間、黒い影が後方の海中から急激に浮上をしてきた。わずかに海面が持ち上がり突如として巨大な魚が姿を現す。水飛沫を上げながら飛びだした巨体が船尾に体当たりを仕掛け、重い衝撃が船体に走った。


「うわっ……!」


 足元がぐらりと揺れ甲板に叩きつけられたユーリの手をナーガが掴む。危うく海へ転落するところだった。見張り台に立っていた船員はバランスを崩して落下しそうになっていたが咄嗟にロープを掴んでしがみついていた。


「悪いっ……」


「いえ……」


 ユーリはすぐに手すりを掴んで立ち上がると魚の行方を追った。一旦海中へ潜っていったようで今度は左舷から大きな飛沫が上がる。


「なにかに掴まってろ!」


「っ……はい……」


 いまにも吐きそうなナーガを置いて左舷まで回りこむとその巨大な魚は身体の半分を海上にさらけ出して船と並走をはじめていた。蒸気船の半分以上もある全長のとてつもなく大きな魔物だった。


「あいつは……」


 その姿を目にした途端に背筋へ悪寒が走った。ナマズのように平べったい口からは上下に鋭い牙が無数に入り乱れて飛びだしており、全身を岩盤のようにでこぼことした鱗が覆っていた。鱗はなにかに反応でもしているのか黒から赤茶色、薄い黄色へとまるでそこに別の生物でも飼っているかのように次々と部分的な変色を続けていた。それはまだいいとしても身体の両脇から伸びたやけに生々しい人間のような腕が強烈に嫌悪感を催した。


 その腕は水の抵抗をなくすためにぴったりと身体に添えられており、魔物の両目はわずかに焦点が合っていないながらもはっきりとこっちに向けられていた。モーティペルン。魔導士官学校にいたときに書物の中でその名を目にしたことがあった。けれどあの魔物が生息しているのはもっと深度のある海域だったはずだ。こんな大陸に近い浅瀬で出会うはずもない相手なのに。


 カンカンカン、とどこかから警鐘が打ち鳴らされる。船内からは乗客たちの悲鳴や困惑した声が挙がりはじめていた。続けざまに扉を乱暴に開けて杖を持った二人の若い魔導士が飛びだしてくる。


「こっちだ!」


「ありがとう、危ないからきみは下がってて!」


 黒い髪の魔導士がユーリの手を引いて避難させた。モーティペルンは一度船と反対の方向へ身体を揺らすとその反動を利用して再度船へ体当たりを仕掛けてきていた。もう一人の細身の魔導士が船べりに立ち杖を構えると即座に魔力を解放させていく。その瞬間、硬い金属同士をぶつけたような甲高い音が短く鳴り響いた。励起されたフェアリーが魔力と反応を起こして彼女の周囲から淡く緑に輝く光の粒子がふわりと宙に現れる。


「ライトニングっ!!」


 彼女がその名を唱えると杖の先から複雑な模様の描かれた光の紋章陣が現れ、いままさに船へ衝突しようとしていたモーティペルンに向かって不規則な軌道で絡まりあった雷が放たれていった。


 しかしそれが相手に有効なダメージを与えることはなかった。直撃の寸前に魔物が両目を閉じたかと思うと背中を覆った鱗が急激な変色を繰り返していき電撃を弾き返していた。ライトニングはフェアリーの残光となって消え去り辺りに四散していった。


「効いてないっ……」


 細身の魔導士が動揺した声を漏らす。次の瞬間にはモーティペルンが船の真横から体当たりを食らわせていた。


「掴まって!」


 黒髪の魔導士が叫び、足元に重たい衝撃が走り船体が大きく右に傾いた。ユーリたちはそれぞれそばにあったものに掴まって転倒を避け、船体が平行に戻っていく不安定な足場の中でナーガに目を向けると彼女もなんとかしがみついて持ちこたえていた。


「取りつかれるぞ!」


 いち早く体勢を立て直したユーリが大声を挙げる。まぶたを開いたモーティペルンがこちらを見上げ、大きく開いた手のひらを船べりに向かって伸ばしてきていた。咄嗟にユーリのそばにいた魔導士が立ち上がりながら杖をその手に向け、魔力を解放してフェアリーを励起させた。


「っ……ブラスト!!」


 紋章陣が輝きを放ち突風が巻き起こり一点に収束した不可視の槍が放たれた。だがモーティペルンは反射的に手のひらを握りしめており、撃ち貫くまでには至らず表面を抉っただけで押し返せたもののあまり効いた様子はなかった。そこから鮮血が上がり驚いたようにその手を引っこめるとモーティペルンは大きな水飛沫を上げながら水中へと姿を消していった。白い泡に混じって浮かんできた血が海面を赤く染めていく。


 船室から止まないざわめきが鳴り響く中、船を取り囲む海は一転して静寂に包まれていた。ユーリたちは身構えたまま周囲の海へ注意深く意識を向けていた。気配は消え、完全に見失ってしまった。


「いまのうちにきみたちは安全なところに隠れてて。あとはわたしたちがなんとかするから」


 ユーリの手を離した黒髪の魔導士が小さく吐息して促してくる。この船のどこに安全な場所があるっていうんだ。一旦は退かせられたものの、おそらくこれだけで終わりというわけじゃないだろう。あいつを倒さない限りこの船はアンスリムにたどり着くことなく沈没する。


「おかしいわ、この海域にあんな魔物がいるなんて……」


「もう一度ライトニングを放つしかないよ……わたしが杖を使わないで撃ってみるから、ユアリィは効かなかったときのフォローをお願い」


 たぶん、あまり意味はない。ユーリはそう思った。


 ライトニングは決して非力な魔導術ではなかった。魔導士なら誰もが扱える汎用魔導の中では最も強力な部類の一つであり、本来こういった水生生物に対しては一撃で仕留められるほどの威力を持っている。だが奴は電気さえも弾く鱗を持っているようだ。あれを突破できなければ致命傷を与えるのは不可能だろう。


 モーティペルンに関して決定的な対処法は未だ確立されていなかった。主な生息地とされる海域が人の住む地域から遠く離れた場所だというのもあって発見例が極端に少ない魔物だからだ。あるいは、これまで海で奴と遭遇した者のほとんどがやられてしまったか。過去にはその生態を探るための調査団が組まれモーティペルンの討伐に向かったという話を聞いたことがあるが、魔導騎士が同行していたにも関わらず撃退するのがやっとだったらしい。


 一部始終を見ていたユーリは小さく舌打ちをした。いくらなんでも強力すぎる。攻撃に対する反応速度が異常だ。にわかには信じられないがおそらく励起されたフェアリーから魔導術の性質が察知されている。


 冗談じゃない。かなり崖っぷちだ。このまま有効な手立てが見つからなければ本気で死ぬ。アンスリムまではあとちょっとだというのに。いても立ってもいられず、ユーリは手短な作戦会議を立てる彼女たちのもとへ向かった。


「どちらか爆発系の魔導術は使えないのか?」


「……まだこんなとこにいたのっ? なにしてるの、早く船の中に戻って!」


 ユアリィと呼ばれていた魔導士が切迫した表情を浮かべて咎めるように言ったが、ユーリは動じた様子もなく相手を見返した。


「このままじゃ全滅するぞ。ライトニングが効いてないのはもうわかったはずだ。シェノンバーストぐらいの魔導術を使わないとあの鱗は吹き飛ばせない」


「あなた、魔導士なの……? ずいぶん若いみたいだけど……」


「……いや、俺は魔導士じゃない。それより、二人の専攻していた魔導術は?」


「……炎の魔導術なの、わたしたち二人とも」


 重い口調で黒髪の魔導士が答え、申し訳なさそうな顔で目を伏せる。


 なんてこった……よりによって一番相性の悪い炎の魔導術使いしかいないだなんて。


 かなり絶望的な状況に頭を抱えたくなったが、だからといってそれを責めることはできなかった。ある意味では仕方のないことなのだ。彼女たちが派遣されていた地域で大型の魔物を想定した爆発魔導は必要とされていない。こんな場所でモーティペルンと遭遇するなんて誰にも予想できない事態だし、見たところ魔導士官学校を卒業してそれほど年月の経っていない彼女たちに多くを求めるのは酷な話だった。


 こんな海の上で火を放ったところでほとんど役に立たない。このまま魔物の攻撃を凌ぎ続けられればいいが、あの巨体で何度も体当たりをされれば船の方が持たないだろう。スクリューがやられればあとはゆっくりあの魔物に食べられるのを待つしかなくなってしまう。

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