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水平線上のアルマティア  作者: 深波恭介
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潮風に流れて

 出港してから何時間かが経ちユーリは眠りから目を覚ました。広い客室には二人掛けの座席が向かい合わせで左右二十列ほど並べられており、乗客たちはそれぞれ窓の外の景色を眺めたり会話をしたり静かに過ごしていた。一番安い客室なので快適性に文句を出すつもりはないが、座席は固く背もたれが急すぎて寝ているうちにすっかり腰が痛くなってしまった。それもあってかここの席を取っている客はそう多くはいなかった。


 ナーガはずっと甲板に出ているらしい。たまに気分転換に出るならわかるけど変わり映えしない景色ばかり眺めてなにが楽しいんだか。ユーリは頬杖を突いて窓から見える海に目を向けると荷物の中からサンドイッチを取りだして食べはじめた。


 アンスリムに行ったら。あいつにできる仕事はなにがあるだろう。


 あまり頭を使う仕事は向いてそうにないし魔導士として旅の護衛を請け負うというのも厳しいかもしれない。そもそも、いままでずっと人里離れて暮らしていたあいつが普通の生活に馴染めるのだろうか。


 魔物退治の仕事をするという手もあるにはあった。どの町にもたいていはそういった依頼の集まる集会所があり腕に覚えのある者は日々魔物を討伐し生計を立てている。けれどそこでも主に活躍しているのは魔導士であり、魔導術を扱うことのできない者は安い依頼しかこなせず貧乏な暮らしを余儀なくされていた。


 ユーリが生前に読んだことのあるファンタジー小説だと昼間っから酒を飲んで気楽に過ごしているような日常が描かれていたような気がするが、実際にはろくな定職にも就けない者たちが最後に行き着く最下層に位置する職業というのがこの世界における彼らに対しての認識だった。


 自分の将来でさえ危ういのにこれからのことを考えると気が重くなるばかりだった。そうして小さくため息をついていると不意に船体がぐらりと揺らめいた。その拍子に窓辺に置いていたサンドイッチの袋が床に落ちる。


 他の客たちも微かにざわついた声を挙げながら窓の外に目をやっていた。大きめの波でも乗り上げたのかもしれない。中身は少し潰れて形が崩れていた。


 なにしてんだろう、あいつ。


 昼も過ぎてずいぶんと時間が経っているのに戻ってこないというのが少し気になった。まさかとは思うけど余計なこと口走って面倒なことになってるんじゃないかという心配が頭を掠めた。人前で気軽に魔王様だなんて呼びかけられるくらいだし、ちょっとした世間話の合間ですら人によっては怪しまれる単語を出してしまう危うさはあった。


 ただ単に甲板で寝ていたりしてくれているといいんだけど。


 ここにいるのにも少し飽きてきたところではあったので、ユーリは外の空気を浴びるついでに様子を見に行くことにした。


 扉を開けて甲板に出ると強い風が頬を撫でた。蒸気機関と波を切る音が船の後方に向かって流れていく。船の右手には遠くの方に大陸が見えており、船はその輪郭に沿うような航路でゆっくりと航行を続けていた。ちょうどリーンとアンスリムの中間辺りまで来ていると思うが湿気のせいか視界は鮮明ではなく町を見つけることはできなかった。それはともかくとして、甲板を見渡してみてもナーガの姿は見当たらなかった。


 あれ、まじでどこ行ったんだあいつ。


「う、うぅ……」


 怪訝に思いながら甲板を歩いて探していると、不意に風音のすきまからうめき声のようなものが聞こえてきた。まるで井戸の底から響くような暗い声に目を向けると、隅っこに置いてあったベンチの陰で背中を向けてうずくまるブルーグレーの髪があった。


「こんなとこにいたのか。どうしたナーガ、そんなゾンビみたいな声出して」


「ああ……魔王様……大変です、どうやらナーガは病に侵されてしまいました……」


「はあ?」


 こちらに振り返ったナーガが青ざめた顔で見上げてくる。胸に手を当てて壁を支えにしながら立ち上がろうとしたがすぐにしゃがんで悲痛な声を漏らしていた。


「とても気分が悪いです……ご無礼を承知でお願いしたいのですが、どうかお医者さんを……このままでは、うぅ……ナーガは死んでしまいます……」


「船酔いか」


「船酔いとはどんな病気なのですか……」


「病気じゃないよ。船の揺れで気分悪くなってるだけだ」


 さすがにいつもの寝ぼけた顔をしている余裕がないのか眉を寄せて気持ち悪そうに座りこんでいた。乗り物酔いはした経験がないのでこういうときになにをしてやればいいのかさっぱりわからない。


「大丈夫か? 遠くの景色見たらちょっと楽になるって聞いたことあるし、そっち見てろよ」


「は、はい……」


 頭に水の入ったグラスでも乗せているような慎重な動作で振り返ると切羽詰まった顔で遠くの大陸を見つめた。堪えるように口を開けて呼吸をしており、これじゃサンドイッチは食べることはできないだろう。


「横になるか?」


 背中をさすりながら声をかけるとナーガは無言で首をふりふりと横に振った。そのままうつむいてしまうと口元へ手をやった。


「魔王様……なにか出そうです……」


「吐きそうなのか」


「胸の奥がつっかえるような感じがします……」


 着々と昇ってきているようだった。


「吐けば少し楽になると思うから船の後ろに行こう。ほら、立てるか?」


 そうして手を差しだすと涙目になりながら握りしめてくる。よっぽど気持ち悪いらしい。よろよろと立ち上がったナーガを連れて船尾の方へ歩いていく。船べりに手を突いたナーガはうなだれるように下を向いて声を漏らしていた。


「出ないです……」


「喉に指を突っこめ」


「そんなことをしたらぐえってなってしまいますが……」


「吐こうとしてんだから願ったり叶ったりだろ」


「うぅ……」


 やがて意を決したように喉に手を突っこんでいく。けれど苦しそうな声を漏らすだけでさっぱり吐きだす気配はなかった。


「た、助けてください、魔王様……」


 懇願するように小さく呟く。ユーリは小さくため息をついた。


「……ほら、口開けろ」


「こういった経験ははじめてなので、優しくしてください……」


「余計なことは言わなくていいから」


 下を向いたナーガの隣から手を伸ばして口の中に指を入れた。そのまま突っこもうとしたところで指先にぺろぺろと生暖かいものが触れた。目を瞑ったまま必死な顔をしているのでたぶんわざとではないのだろう。ユーリも無言でナーガの頭をばしっと叩くと無理やり手を突っこんだ。


「ふぐぇっ……」


 微かに絞りだすような声が指先に響いた。びちゃびちゃびちゃ。咄嗟に目を背けた眼下の海へナーガの吐きだしたものが落ちていった。


「……大丈夫か」


「は、はい……多少楽になったような気がします……」


「水飲めよ。ついでにうがいもして」


「ありがとうございます……」


 手渡した水筒を傾けて中身を口に含みうがいをしてからぺっと吐きだす。それからもう一度水を一口飲みこむとようやく落ち着いたらしくナーガはそっと一息ついた。


「恐ろしい乗り物ですね、船というのは……」


「人によってはすげー酔うみたいだしな。もうちょっとだから我慢できるか?」


「はい……」


 実際はまだまだかかるが、そんなふうに励まして背中をさするとナーガはげんなりした様子でうつむいていた。これからは当分船に乗りたいとは言わなくなるだろう。大きい船だからほとんど揺れないはずなのにこんなに弱いとは思わなかった。客室に戻るわけにもいかずこのまま到着まで付き添っていることにした。


「ナーガ、下じゃなくて大陸の方を見ろ。動く景色見てたら余計に具合悪くなるぞ」


「……」


「……ナーガ?」


 ナーガは船尾から上がる飛沫をじっと見つめていた。返事をする余裕もないのかと心配になっていると、ナーガは気分の悪そうな表情を浮かべながら微かに緊迫感の漂う口調で呟いた。


「……魔王様、なにかが近づいてきてます」

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