なにもかもだめにしてしまう気がして
「え、ちょっとユーリくんどこ行くの!?」
突然の出来事に困惑してアイリスが叫び、けれどユーリは振り返らず平原の向こうへ馬を走らせていく。困惑していたのは士官たちも同様で咄嗟にどう対応すればいいのかわからず部隊長へ指示を求めていた。
一人だけでもあの転生者を追いかけるつもりだ。
「あのばかっ……追うぞアイリス!」
「あ、うん……!」
駆けだしたヴィオラを慌てて追いかけ、二人は兵士たちのもとへ向かった。
「わたしたちも連れていってくれ!」
「あの少年はどこへ行ったんだ!?」
「逃げた敵を追いかけに行ったんだ! 早くしてくれ!」
「落ち着くんだ! 敵が逃げた場所はわかるのか!? ともかく我々が対応するからきみたちはここで待っているんだ!」
応援で駆けつけてくれた者たちは詳しい状況をまだ飲みこめておらずこうなるのも仕方のない反応だった。
魔力を奪う力を持つ相手に魔導士を向かわせることはできず追いかけようとしていた数人の魔導士が将校の制止を受けていた。それに加え相手には魔王も混じっており迂闊に部隊を割くこともできない。判断に窮した将校はひとまず追撃をあきらめ、兵士の二人へとユーリを連れ戻すよう指示を出していた。
まるで聞く耳を持たない兵士とこれ以上話をしている場合ではないと判断したのかヴィオラはアイリスの手を掴んでアンスリムへ引き返した。
「どうするのヴィオラ!?」
「アイリスは馬に乗れないのか?」
「え、あ、ごめんわかんない……!」
「ならさっきの将校に当たってみよう。彼なら口添えしてくれるはずだ」
だがアンスリムまで戻ってみても救助活動をしている入口周辺に将校の姿はなかった。そこにいたのは魔導士以外の士官たちばかりで彼女らは町に残っている魔物の掃討と火事を起こした民家の消化に向かったのだと兵士の一人が説明をした。
彼らもルシファーが空間転移術を使用して逃げた姿は目撃しており、将校は追撃部隊の編制や他の町に対して注意を促し警戒に当たるよう連絡するために屋敷へ戻っているという。
そうして二人は急いで屋敷に足を向けた。もう既にユーリはずいぶん先まで行ってしまっている。これから話をつけて追いかけたところで引き止めるには遅すぎた。けれどまだ間にあわないわけじゃない。たった一人で、しかもあんなぼろぼろの状態で戦おうとしているユーリの手助けならば。
身体の内側、その奥深くから疼くような気配を感じたのはそのときだった。
「っ……?」
思わず立ち止まったアイリスへ振り返ったヴィオラが怪訝そうに声をかけた。
「どうした?」
「……待って」
アイリスは意識を集中させながら顔を伏せ目を閉じた。
町の中。それもあまり遠くない場所からなにかの気配がする。
それに気がついた途端にはっとしてアイリスは顔を上げた。首を傾げるヴィオラへ言いかけて咄嗟に口をつぐむ。
「っ……ごめん、ヴィオラ……先に行ってて!」
「どうしたんだいったい……?」
「お願い! あのっ……トイレ、お腹痛くなって……! すぐ戻るから行ってて! 終わったら門前広場に行くから!」
「待てアイリス! トイレだったら屋敷にも──」
ヴィオラの声を振り切ってアイリスは駆けだした。
疑問が頭の中でいくつも彷徨っていた。そのかけらはずっと前から片隅に落ちていて、気のせいだと思っていたものが少しずつ確信に変わっていく中で次第に口に出せなくなっていた。
それを言葉にしてしまえばなにもかもだめにしてしまうような気がして。だからずっと心の内に秘めたまま誰にも言えずにいた。
けれどその不安がいま形になろうとしていた。予感が胸の奥で氷のように冷たく痛みを発した。
どうして。誰にともなくそんな疑問を胸中で空に投げかけた。
とても怖かった。それでも確かめなくちゃならない。その答えはこの先にある。