共鳴する痛み
斬り裂かれたアークエンジェルの身体から、その手に握られた剣から光が吹きだし周囲に溢れていく。悲鳴が大気を裂いて平原に響き渡り小さな粒子となって散らばっていった。
「アークエンジェルをやったのか……」
光の先で佇んでいたルシファーが呆然としたように呟いた。ユーリは痛む頭を押さえ目を伏せたまま、立っていられずに地面に膝を突いた。
呼吸が苦しい。身体が重い。痛みが消えない。
「っ……」
握りしめた杖に力をこめて支えにしながら必死で立ち上がる。
この痛みを手放してはだめだ。そうすればきっと、もうなにも思いだせなくなる。
「……きみの勝ちだよ、ユーリ。アークエンジェルは僕の切り札だった。こいつがやられてしまったならもう……僕に戦う力は残っていない」
「あきらめがいいんだな……」
「きみの力を見くびっていた。いや……もしかしたら最初からこうなる運命だったのかもしれない。残念だけどね」
小さくため息をついて首を振りながら、けれどルシファーは口元に小さな笑みを浮かべたままだった。やがて微かに押し殺した笑い声を漏らしそれは次第に大きくなっていった。
「ぐふ……な、なあユーリっ……いまほっとしているか……? ふふふ、くく……ようやく終わったって安心してるよな……?」
ユーリはなにも答えずに相手を見返した。
「ぷっ……ふふふふふ……あはははっ……! アークエンジェルが僕の切り札というのは本当だよ……!?」
水の底へ沈められてしまったようにルシファーの声が遠い。
「もっとも、倒せていたならの話だけどなぁ!!」
ルシファーが叫んだ途端に散らばり漂っていた粒子が一つに集まったかと思うと再び歌声が響き渡り、消滅したかに見えたアークエンジェルが光を纏って現れていた。その光景を目の当たりにしながらも、ユーリは『あぁ、またか』とどこかぼんやりとした現実感のない感情しか抱けなかった。
「驚いたか!? アークエンジェルがあの程度の攻撃でやられるわけないだろうがっ! はははっ、残念だったなユーリ! もう僕の勝ちは揺るがないんだよ!!」
残りわずかな魔力に気を遣って消費の激しい魔導術を控えていたのに異常な減り方をしていた。
ルシファーによって魔力を奪われている。アークエンジェルと戦っていたときからその喪失は感じていた。そして、もうユーリの魔力は完全に尽きてしまっていた。
「ごめんなユーリ……本当ならきみと僕はわかりあえるはずだったんだ」
同情とも憐みともいえない悲痛な表情を浮かべながらルシファーが目を伏せる。そのとき、意識の届かない深淵に落ちた記憶の残骸が小さく音を立てた。微かな痛みが胸に刺さっていく。
「そう思える気持ちがあるのになんでこんなふうにしかならないんだよ……」
もう一度ユーリを見たときその瞳には深い憎悪しか残っていなかった。
「悪いのはお前だ。むかつくんだよ、僕と同じ立場のくせに何食わぬ顔で注目されているのがさ……!」
「救世主になるんじゃなかったのか……?」
「なってやるさ、お前を殺したあとでいくらでも!」
アークエンジェルが手のひらをユーリに向けた。そこから巨大な弓が現れ、つがえた光が輝く矢となって伸びていく。
頭の中が濁ってなにも考えられなかった。
疲れた。眠ってしまいたい。なにもかも忘れたまま。ただ休んでいたかった。
ナーガ。
記憶の波間へ不意に眠たげな顔が浮かび上がり、ユーリは微かに笑みを零した。
あの小汚いぼろ雑巾のような服。いつだったかちゃんとしたパジャマでも買ってやろうと言ったことがあるような気がする。
まだ覚えている。繋ぎ止めた意識は陽炎のように霞んでいたが、たしかにここにあった。
「これでおしまいだ! 殺せアークエンジェル!!」
紋章陣を脳裏に描いていく。途切れてしまわないよう一つひとつ丁寧に手繰り寄せながら、ユーリは相手に手のひらをかざした。
アークエンジェルの弓から撃ち放たれた光の矢が周囲のフェアリーを励起しながら風を切って飛来する。
巨大な爆発が周囲を埋めつくし、視界が光の渦に飲みこまれていった。