2 たくさん隠せば隠すほど
2 たくさん隠せば隠すほど
「やっぱすげえや!金持ちばっかじゃん」
「こら…聞こえたら失礼…」
この二人はなんだかいつも通り。わたしより小さいのにすごいな…。
「わたしちゃんと綺麗かな」
「もちろん…姫様が一番…」
ベリュちゃんがこっち向いて笑ってくれた。
「それもそうよね」
とりあえず言い聞かせてみる。広間へ続く階段を降りていくと、よその国からやってきた人たちはこっちに気づいてくれた。波紋が広がるみたいにこっちへ振り返る。
「こっち見てるぞ。大声出すか?」
「絶対だめだよ…」
緊張する、とか、どうやって階段をおりてるのか、とかもうなにもわからない。結婚相手を探すわけでもないし、気楽に遊ぼう。そう思えば思う程、肩に力が入っちゃう。
階段を降り切って気づいたけれど、金色に輝くピアノの旋律が奏でられていた。音色のするほうを見てみると、演奏者はヴェイロだった。ヴェイロは、オリーブ色の燕尾服、オリーブ色の革靴、オリーブ色の蝶ネクタイを身にまとっていて、オリーブ色のグランドピアノに指を跳ねさせていた。彼の後ろには、小さくな粒が集まったような大規模の音楽団が見える。
「ご機嫌麗しゅう。私はタウロ。アルデバ国の王子でございます」
わ!びっくりしたっ!なに急に!パウロ?カルデラ?ちょっと聞こえなかったよ!
「すみません。少し驚かせてしまいました」
「ベ、別にだい…えと、かまいませんわ。私はルコロ王国のアクロで…とも、申します。あ…あなたのような方に会…出会えて、あの、光栄です」
タウロは目を丸くしてたけれど、すぐに微笑み返してくれた。ずいぶんと彼の背が高いから見上げなくちゃいけない。覆いかぶさられそうで怖かった。
「ダンスの相手をお願いできますか」
彼の後ろのシャンデリアが明るくて顔がよく見えない。きっときれいな顔をしているんだろう。そうだといいけど。
そっと彼の手が差し伸べられる。この手を取ればいいのね。この手を取る…?
「ダ…ダンス!?」
「ええ、もしお相手が決まっていらっしゃらなかったら」
まって!ダンスとか踊れないよ!この前は、1年前だけれど、ダンスっていうよりは母上の背中に立ってただけだし、そのもっと前も母上の後ろに隠れてただけだし。どうして今日は母上は一緒にいてくれないの!
わたしにだって自分が王女であることの自覚くらいあるし、踊れないなんて恥ずかしいこと言えないのもわかってる。
考えている間に声が出てた。
「ごめんなさい、ちょっとお化粧が。また後で声をかけるわね」
咄嗟にいってみたけれど、わたしってば天才かも。これなら自然に立ち去ることができそう。
「え。ですがたった今来られたばかりでは」
…そうだった。えーどうしよう。勝手に混乱してきて頭がぼーっとする。そんな風に弱っていると、また別の男の人が話しかけてきた。
「私はスコル国王子、タレスです!」
大きな声の人。パウロだかなんだかが、スコルだかなんだかを睨みつけている。俺が先に見つけたんだ、みたいな感じがあってこれも怖い。逃げるなら火花が散っている今がチャンスかな。そう思って後ろを振り返ったんだけど、
「おれは、レオニ国からきてやった!名前はレグだ!踊るか?」
勢いのある男の人に逃げ道をふさがれた。猫みたいにとがった歯が見える。視線もぎらついていることがわかるともっと怖くなった。それに私たちは大広間の真ん中にいる。
ヴェイロの演奏は灼けつくような熱さを帯びた。なんだか息苦しいな。あとからあとからいろんな国のいろんな王子が群がってきた。見回しても大きな靴しか目に入らなくなるまで、あっという間だった。
母上はいったいどこで何をしているんだろう。最初の男三人が静かに威嚇しあっている。こんなことならこなきゃよかった。お化粧もしなきゃよかった。
「あらら姫様、お化粧が。すみません王子様方。私のメイクがこんな。いけませんこと」
聞き覚えのある優しい声がしたと思うと、人だかりに隙間ができた。気が付けばなぜかクレブがわたしの隣にいた。
「さあ戻りましょう、姫様」
言い終わるかどうかくらいにわたしの腕を引っ張って、広間の端のほうへ連れて行ってくれた。
「急いできてよかったです。姫様、もう少し落ち着いてください」
「緊張しちゃだめっていうの?」
「もちろんです」
クレブが言ってることって無茶苦茶。わたしだって普段通りにしていたいけど、身体が言うことを聞かないんだもの。まだ肩がぷるぷる震えているのが自分でもわかる。むっとふくれているとクレブは声を低くしてゆっくり尋ねた。
「ここへ来る前には何をされてましたか」
ここへ来る前?クレブはキオクソウシツにでもなったのかな。少し前のことがわからなくなって、その人にとってはなかったことになる、ってベリュが教えてくれたことがある。昨日だっけ。そのまえだっけ。あれ、わたしもキオクソウシツ?
「私と一緒にお化粧されてましたのでは?」
なんだ覚えてるんだ。ちょっとびっくりした。けれどなんでそんなこと聞くんだろう。
「そんなこと言われなくても覚えてるもん」
「お化粧をしていつもよりきれいになったのはどなたですか」
「わたし、だよ」
「はい。それでは、だれが姫様にお化粧をしましたか?」
「クレブだって。ねぇどうしたの」
「私がして差し上げたお化粧を、私がお選びしたドレスを、いま姫様がお召しになってるのです。それがどういうことかおわかりですか」
ピアノの音色と人々の会話はそんなにきれいに混ざり合ってない。それでも、違和感はなくて、かえって雰囲気があった。そのなかでのクレブの声色と顔色はちょっと変だった。
「どういうこと」
「簡単でございます。もっと自信をお持ちになってください、ということです」
「それができないから困ってるの!」
さっきわたしに群がってきた王子たちは、不思議とわたしたちを見失っていた。
「姫様、それでは私は何色ですか?」
クレブの質問攻めはとまらない。そのとき丁度、ピアノの音色が少し冷たくなった。雪風が吹いたように、きゅっとわたしの肌を引き締めた。ヴェイロにはわたしたちの会話が聞こえているのかな。
「黒」
「姫様よいですか」
クレブはわたしの手をしっかり握って続けた。まっすぐこちらをみつめていた。
「黒はたくさんの色を隠してくれる、大きくて器用な色なんです。たくさんの色をたくさん隠せば隠すほど、濃厚な黒が出来上がります。濃厚な黒は、鮮やかさそのものなんです。私のお化粧は、どんな姫様にもして差し上げることができる『黒』のお化粧なんですよ」
「うん」
いつもの変なしゃべり方のせいで難しかった。
「じゃあわたしは黒くなったの?」
「いいえ。姫様は姫様です。黒は黒、クレブはクレブ、姫様は姫様ですもの」
「わかんない」
黒になったのかと思ったけれど、そうじゃないならなんなんだろ。もちろん、わたしの肌が黒くなったわけじゃないのはさっきからわかってたけれど。クレブは難しい話し方をするけれど、それよりもうんと難しいことを言っていた気がする。
「姫様、こうお考え下さい。黒色の魔法が掛かっている、と」
「クレブの魔法?」
力強くクレブは肯いてくれた。黒い魔法か。黒はいろんな色で、そのいろんな色を隠してくれるんだっけ?なんとか考えてみた。クレブが言おうとしてくれていることはなんだろ。
わたしは「黒みたい」になってるってことなのかな。
「そっか。わかった…かも」
ぴたりと音色が止み、ひと呼吸おいてから力強く突き上げるような旋律が響いた。やっぱりヴェイロには、わたしたちの会話が聞こえているのかな。彼に近づいて尋ねてみようと思ったけれど、ヴェイロは目をそっと瞑ってつくしのようににょきにょきしながらピアノを弾いてた。
「姫様、それではいってらっしゃいませ」
「勝手に行くから」
でも、王子たちの群がりはいなくなっていて、各々とっくに踊り始めていた。あれだけけしかけておきながら、といらだった。
「ここはわたしのお城よ」
みんな自分勝手。わたしと踊りたいのか、だれとでもいいのか。わかったものじゃない。とにかく煌びやかな、わたし用の椅子に腰かける。クレブの話を聞かされるまえだったら、きっと座れなかった。けれど、黒い魔法がかけられた今なら物怖じすることもないもの。そうだよね。
まもなく、情けないシルエットがひとつ近づいてきた。
「姫様、先ほどは大変なご無礼をいたしました。誠に申し訳ございません。どうか許していただけませんでしょうか」
パウロだったけ?なんだっけ。天まで届きそうな背丈の彼がいまじゃ縮こまって見える。わたし、彼にはっきり言ってやろうと思った。あのときは怖かったもの。ほとんど初めての舞踏会。あなたはきっと何度か訪れていて慣れているんでしょうけど。そんな心遣いなんて彼にはなかった。彼だけじゃない。すべての王子にむかって喚いてやろうと思った。そうしたくてたまらなかった。
わたしはひとりで首を小さく振った。目元から優しい光の粉がこぼれた。
「そんな。お気になさらず」
「お見苦しいところをお見せしてしまったものですから!」
「そんなことおっしゃらないで。それは私も同じことですもの」
どこの王子だか覚えてない。でも目を見てはっきりと伝えることができた。わたしは座っていて、彼は立っていたけれど、さっきとは違うの。
「このような私に声をかけてくださったんですもの」
こうも口が回るようになると、機嫌が良くなってきた。思いついて、上目遣いでこう足してあげたわ。
「私と踊りたいのかしら」
(続く)