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コッペリアの手紙  作者: 八千草夏日
マイルズ
7/10

コロンバインは嘘を吐く

マイルズは、娘に好きに過ごすように告げていた。だが、彼女は宝石をねだることも、新しいドレスをねだることもない。普通の女主人のように壁紙やカーテン、家具の配置を気にすることもない。

ただ、待っているようにしか、見えない。そう言ったのは、ラツィアーナにつけている侍女だ。心を移すなと言ったのに、ソフィはラツィアーナに同情的になってしまった。ソフィを侍女から外さねばならないかもしれない。マイルズはそう思っていた。


「マイルズ様、おかえりなさいませ。」

「奥様、」


リンクが制止に入ろうとするがラツィアーナは無垢な子どものように笑った。


「お夜食が出来ていますがいかがなさいますか?それとも湯を?」


今日は、マイルズにとって憧れた人との舞踏会だった。一緒にダンスをし、この人の隣に並び立つことも夢ではないと勇気づけられた。陛下はそんなマイルズに好意的だった。

それなのに、帰ってくるとその夢が紛い物のように感じてしまう。一時的な妻。お飾りの妻だ。なのに、彼女は笑っている。これが、とても幸せなことのように。

やめろ。そう怒鳴りつけたくなってマイルズは唇を引き結んだ。甘い気持ちには冷水を浴びせられ、現実を見せつけられたような気がして、マイルズは嫌になった。


「あなたは、嫌がらせがしたいのか。」


ラツィアーナは息を止めて、歩みを止めた。マイルズは、自分の言葉が盛大に彼女を傷つけたことを悟った。

マイルズ自身、自分がどうしたいのか分からない。彼女を怖がらせたくないと身勝手に思いながら、彼女に知ってほしいとも思った。彼女がどこに向かっているのか理解したら、彼女自身きっと、マイルズを避ける。マイルズを憎んでくれる。

マイルズが、マンソン家を憎んだように。そして、マイルズがラツィアーナをマンソン家の付属品として憎んだように。

リンクがラツィアーナの方に向かっていくのを、マイルズは止めなかった。リンクが心を移しているのは知っている。この屋敷の使用人たちが、みな、ラツィアーナに同情していることも。

釘を刺さねばならない。マイルズは、この屋敷の中では、よっぽど自分の方が悪人のようだと思った。








「今日は、とてもご機嫌ですね。」


釘を刺そうと終ぞ近づかなかったラツィアーナの部屋の前まで来て、マイルズは動きを止めた。ノックをしようと振り上げた手は、そのままの形で止まる。ソフィの声は、親しくなってはいけないと己を諫めてはいたが、それが上手くいっているようには聞こえなかった。

マイルズは昨夜、ラツィアーナをひどく傷つけたはずだ。なのに、彼女はまるでそれを忘れてしまったかのように笑っている。

わずかに開いた扉から、彼女のくすくす笑いが聞こえてきた。


「そう?今が、とても幸せだからかしら?」


ソフィは答えに困ったように、会話を止めた。それに、ラツィアーナは気づいていない。


「実家では、あまり、人とお喋りしなかったの。だから、みんなとお話しできるのは、とても楽しいわ。」

「……そうですか。」


ソフィは、続きを聞きたくなくなったのか、慌てて紅茶の用意をしてきますと言った。いつもは静かに歩くソフィの足音を聞いて、マイルズは彼女の動揺を悟った。

マイルズは静かに扉の脇によけた。勢いよく開かれて、飛び出してきたソフィは、涙を懸命にこらえている顔をしていた。ソフィは、マイルズを一瞥して、そのまま背を向けて歩き去る。

扉は反動に耐えられなかったようで、わずかに空いていた。壁に背を預けたままのマイルズには室内は見えない。だが、きっとラツィアーナは笑っているだろう。

使用人のした不躾な行為の理由も知らずに、ラツィアーナはきっと笑う。マイルズは、それを知りたくなくて、その場を離れようとした。


「でもね、」


だが、マイルズの足の裏は縫い止められたように、一歩を踏み出せなくなった。ラツィアーナの独り言だ。誰にも、聞かせるつもりのない言葉は、マイルズの聞いていいものではない。耳を慌てて塞ぎたくなった。


「みんなが、笑ってくれたら、もっと嬉しいの。」


よそよそしさにラツィアーナは気付いていないわけではなかった。愚鈍なまでに気づかないふりをしていただけで。

もし、無邪気が装ったものだったら。マイルズは心の中の温かい場所が、急速に冷えていくのを感じた。








「リンク、これをまとめておいてくれ。私は支度してくる。」


久しぶりに、朝食を共にした。マイルズは、ラツィアーナを目の前にして、その微笑みを見て、苦しいと思った。そんな苦しみを抱くことさえ、改革への裏切りだ。この娘には、当初の計画通り、処刑台に向かってもらわねばならない。

マイルズは陛下との話し合いの結果を、思い出して唇を引き結んだ。陛下は当初の計画を変えようとはしなかった。ラツィアーナに同情しても、国のために施政者として、マイルズの進言は受け入れられなかった。

だから、ラツィアーナと食卓を囲む羽目になった。この娘には役割を全うしてもらわなければならない。


「今日は何をして過ごす。」


本当は計画では何も聞かないことになっていた。マイルズ自身、こんなことを聞こうとは思っていなかった。だが、彼女の独り言を聞いてしまったマイルズは、尋ねずにはいられなかった。

自分のしていることは、新しい時代のための正しきことだと信じている。でも、彼女がもし悟っていたら。自分のしていることが、途方もなく残酷で罪深いことのように思えた。

思えば、これは、保身だ。自分の身が可愛いがための問いかけだった。


「そうですね。そろそろ実家に手紙を書きます。」


ラツィアーナは少し考えたように首をかしげてからそう言った。正直なところ、マイルズは心底安心した。

ラツィアーナは気付いていないから、実家に手紙を書くのだ。彼女は、マイルズの計画通り歯車の一つとなって、ちゃんと働いている。それは、彼女が気づいていないことの何よりのあかしだ。

彼女は、自分が立っている位置を知らない。歩むべき先を知らない。

それは、マイルズにとって救いだった。家の者に、決して心を移すな、感情を持つな、同情してはいけないと言い続けたマイルズ自身が、ラツィアーナに同情していたのだ。



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