私とフィクションの許容範囲
初めにお断りしておく事があります。
私は些か言葉足らずな事が多く、他人へ考えを話すとよく誤解を生むので、最初に言っておかなければこのしょうもなさ極まる随筆によってご不快な気持ちにさせてしまうやもしれないからです。
私がこれから書く物は剣と魔法の世界や、中世ヨーロッパ的世界観を決して貶しているものではありません。
ただ私個人がどーしても、それらに馴染めないのです。 という事以外の意味はありません。
そういうのも先日、友人と映画を観ようというお話になった際に、友人は「300(スリーハンドレット)」というタイトルの映画を持ってきました。
友人曰く、一世を風靡した映像美がウリの大人気映画であったそうですが、どうも私はこの映画にのめりこめず、「このシーン、変じゃない?」「これ、何?」と横でつい茶々を入れてしまい、「お前とはもう観ねえ!」と激怒させてしまった事が記憶に新しいからなのです。
この300という映画は、かの古代ギリシャ時代の都市国家の内の一つ、スパルタ帝国の王 レオニダスが悪のペルシャに降伏を勧告され、それを払いのけ抵抗するというコミックを映画化したものです。
そんなわけで、悪のペルシャ人はこの映画中では何故かオークのような化け物にされてたり、ボスはなんかすごいピアスしてるストリートファイターのダルシムのような風貌でして、この時点でん?と私はつまづいてしまい、この映画を鑑賞する気が12%くらいまで落ち込んでしまった訳ですが、その後もダラダラとした止め絵の連続と、レオニダス王子の筋肉で特に理由もなく蹴散らされるペルシャ軍を見ていると、なんだか途轍もなく虚しい気持ちになり、もはやもう、この映画を見ていたくないという気持ちにまで開始30分ほどで落ち込んでしまった私には、如何しても楽しめない作品でした。
極め付けは、途中で生まれつき腰が悪く、差別も受けたが、それでもスパルタ帝国のために闘うと決意した兵士が出てきて、レオニダス王子に前線へ入れてくれと直談判するシーンがあるのですが、レオニダス王子はコレを「腰が悪いお前では前線は張れん 盾の動きができないからだ」と能力で選別し蹴ってしまうのです。 そんな何故か見た目もペルシャ軍の様に醜くわざと描かれた哀れな兵士は、後に裏切り者として登場し、映画では悪役と描かれる訳ですが、一方レオニダス王子は最後まで「闘う勇気こそが全て」という姿勢を貫き、映画内で褒め称えられる訳です。 これが私はどーーーーーしても、納得がいかず…… つい、ああ、この映画の正義は道徳ではなく、レオニダス王子なのだな。 と冷めてしまい、人形劇以外に見えなくなってしまったのです。 闘う勇気があったのは、裏切った兵士も同じであったはずですから。
大人気映画作品である300が、私の目には途方もなく寂しい、レオニダス王子というフィギュアが暴れるだけの映画に写ってしまった事は、私の感受性に問題がある事は間違いありません。
何故、こうなってしまったのかと振り返るとやはり、私にはあまりにも中世ヨーロッパ世界とファンタジーへの許容適性が低すぎる事が原因なのでしょう。
青春時代、私はゲーム、アニメ、漫画、小説。 兎に角娯楽という娯楽を貪り続けましたが、自然とファンタジーというジャンルを避けていたんですよね。
ゲームで言えば、RPGなんかはドラゴンクエストもファイナルファンタジーも一切手を付けず、友人にFF10を貸し出された事があったのですが、ザナルカンドが水没した時点で飽きてしまったぐらいのもので。
兎も角適性がこれっぽっちもないと言った状態なのです。 ジャンルに触れなかった為に、慣れる事が出来なく、最早アレルギーの様になってしまった。 というのも一因である事は間違いが無いでしょう。
そこから更に具体的に何処が受け入れられないのか?と考えると、魔法というものが何時しか、悪魔との契約によって使われるものでは無く、単なる便利なパワーとして使われている事が多い事。 即ち魔法がこの世の摂理では無く、人間の便利なツールとして描かれていることが私は不満であるのだと思います。
私は呪術は大好きなのです。 何故かというと、呪術は使用者にも、相手にも害があるという場合が多く、大方使用者は何かを代償に呪術の効果を使うという形式が多く、これは即ち人間のツールには非ず、世の摂理と感じられるからです。
世の中の万物には、光と影があります。 しかし、ツールには使う人間に光と影があるとしても、ツール自体には光も影もなく、大方魔法というものはツールの事が多いんですよね。 そこがなんだか残念というか、ただの便利ツールとしての魔法にはときめきがないと感じてしまうのです。
そういう訳でまぁ、ここまで読んでくださった方は大方「めんどくせえなお前 そんなんきにせず純粋に作品を楽しめやハゲ」と思う事でしょう。 わかります。 私も自分でそう思っていますから……
しかし如何しても、生まれてきて培ってきたこのフィクションの許容範囲と言うものを広げようと思って広げる事は2日や3日で事足りる事では無く、根気が必要なのです。 要はまあ、食わず嫌いしてると食べられるものが私の様に少なくなっちゃうから、皆さんは食わず嫌いせずなんでも食べましょうと、こういうお話です。 このエッセイにしては無駄に長くなってしまいました。
もし、300を愛している方がこのエッセイを目にし「その解釈はちげーぞ! こう捉えるのが正解だ!」と思ったのであれば、気軽に感想欄に文句をお書きください。 真摯に受け止めたいと思っております。