第1幕 出会いと郷愁と
階層都市ゴリアテ。デモニアス帝国南部に位置するその都市は、帝国の数ある主要都市の中でも異彩を放つものの一つである。
いくつもの階層に分かれた構造は一つの巨大な建築物の様であり、遠くからはさながら墓石にも映ることから『墓標都市』などとも揶揄される。
しかし見た目とは裏腹に交易が盛んであり、良くも悪くも人の出入りが激しい。そしてそれは人々の生活格差を生む要因の一つにもなっている。
そんな帝国の混沌を象徴する都市・ゴリアテの下層に位置するバー『キス・オン・ベイビー』。落ち着いた雰囲気の店内で、グラスを傾ける一人の男がいた。
茶色の髪をオールバックにしたその男は、目の前のグラスをまじまじと見つめる。
「……濁った酒だな…」
「当店のオリジナルカクテルでございます」
「……まるでオレの心のようだぜ」
ふっと笑ってそれを飲み干す男。しかしそれをクスリと笑う声が店内に響く。
「―――それって詩人のつもりかなんか? ちょいイタだな~w」
そう言って男の横に座るのはまだ十代半ばほどの少女。人もまばらな店内だが、場違いな彼女の姿に視線を送る者が大多数。
「マスター。彼と同じものを」
「……少しお強いですが?」
「いいのいいの。大丈夫♪」
ショートテイルのよく似合う、魅力的な笑顔の少女だ。周りを探してもそうはいない容姿をしているが、本人はそれを自覚している感じはしない。だがそれが彼女の魅力を一層引き立たせているようにも思える。
男は馬鹿にされたにもかかわらず、一瞬だけ彼女の自然な笑顔に見惚れてしまった。故に言い返すこともできず、
「……オレも、もう一杯」
としか言えなかった。そしてどちらかともなくグラスを打ち付け合う。
「……何の乾杯だ?」
「今日出会えたことに…で、どう?」
そりゃいい、と笑う男。しかし一方で思う。こいつは一体、
「―――こいつは何者だって思った?」
「―――っ」
「大丈夫。怪しい者じゃないよ、セージ・アニアン君」
自分の名前が呼ばれ、驚く半面納得もする。そうか。こいつはそういうつもりで声をかけてきたのか。
目の前の男――セージの動揺を感じつつ、少女はにっこりと笑う。
「―――アタシはマリエーナ・テンガ。アタシと契約して特騎隊員になってよ♪」
その数日前。大地の上を一つの巨大な建造物が走っていた。
それは艦。陸上輸送艦に区別される巨大な翼にも似たそれは、銘をルナトークと呼ばれている。
陸上を微かに浮遊し、滑らかに走るその上では、いくつかの影が交差していた。
「でやあああああああっ!!」
「―――破っ!」
棍を持った少女と片刃の剣を振るう青年が、一人の素手の青年を追い回す。
見方によってはイジメか私刑にも見える光景だが、実際は全く別物だった。
「………っ」
同時に打ち出された棍と剣を流れるように受け、それらの勢いを利用してそれぞれを絡ませる。武器を持った二人は逆に体勢を崩す結果となった。
圧倒しているのは素手の青年の方だったのだ。その証拠に武器を持った二人はすでに息を荒らげているのにも関わらず、彼は全く息を乱していない。武器持ち二人に漂う焦り。
「―――えやああああああ!!」
苦し紛れに突っ込む少女。そして天高く跳びあがると、素手の青年めがけて棍を渾身の力で振り下ろす。
しかしそこで不思議なことが起きた。素手の青年が瞬時に剣を持った青年に入れ替わったのだ。
何のことはない。素手の青年が棍の軌道を予め読んで、その上に剣の青年を誘導したに過ぎない。そして棍が来た瞬間に避ける。するとどうなるか。
「ごあ―――っ!!」
少女がやべ、と思う暇もない。剣の青年が棍をまともに受けて吹き飛んだ。
そして硬直する少女の顎に突き出される掌底。しかしそれは寸前のところで止められた。
「……ここまで」
「―――ぶはあーーーーっ!!」
大きな息を吐き出しながらその場にへたり込む少女。そして目の前の青年に称賛の拍手を送る。
「やっぱりリオンには敵わないな~」
「……ああ。かもな」
リオンと呼ばれた青年は頷いてへたり込んだ少女――マリエーナへ手を差し出す。皆にエーナと呼ばれ愛される少女は、笑ってその手を握り返した。
「……大丈夫か?」
「うん。平気平気♪」
そう言って元気に跳ねるエーナを余所に、ヨロヨロと立ち上がる剣を持った青年――ジン・マゴロク。
「ジン君はだらしないなあ。リオンを見なよ。汗もかいてないよ」
「………思いっきり誤爆した者の言うことでは、ないでござろう……」
一見すると女子にも見える顔立ちだが、体つきなどは立派に男である。そして普通の人なら数日は悶絶するエーナの棍を受けて、即座に立ち上がれるのは相当鍛えているとみて間違いない。
なのにも関わらず、このジンという男は努力している様子を他人には決して見せないのだ。いつも飄々としていて実態の掴めない奴。それがエーナから見たジンの印象であった。
「ジン兄様。手拭いをお持ちしました」
「うむ……すまん…」
いかにも顔色が悪そうな彼に甲斐甲斐しく寄り添うのは、彼と同郷で妹分の少女であるヒビキ・ユズハ。
彼の脂汗を拭いつつ、エーナを親の仇のように睨むヒビキ。しかしエーナは明後日の方を向いて口笛を吹くばかり。
「……エーナ。心配くらいはしてやれ」
「えー。でも誤射は戦場の華だってセラーネちゃんが……」
「……エーナ」
無言で見つめるリオンの視線に耐えきれず、すごすごとジンの元に歩いていくエーナ。
「……ゴメン、ジン君。今度からはなるべく痛くないようにするよ」
「うむ、気に―――」
「そういう問題じゃないでしょう!!!!」
代わりに噴火したのはヒビキの怒り山。彼女は端正な顔を尖らせエーナを睨む。
「そもそも見方を間違って攻撃するなんて言語道断! 騎士の風上にも置けない行為ですわ!」
それを聞いて今度はエーナの何かがぷちっと切れる。
「あんだってぇっ!! あんたなんかこないだ寝ぼけて着ける重装殻間違ってたじゃないさっ!!」
「そ、それとこれとは話が違うでしょうっ!?」
グヌヌヌとにらみ合う両者。そして始まる罵倒の嵐。
目の前で繰り広げられるいつもの光景に呆れつつ、さささーっとその場から離れるジン。そしてリオンの横まで非難すると、彼の腹にある傷跡を見ながら言った。
「……傷は癒えたようだな」
「……師匠の治療のおかげだ」
「あれか? 修行と称して一方的にボコボコにされることがか?」
頷くリオン。どうにも自分のような一般人には理解に苦しむ師弟関係だ。
―――ただまあ、普通でなければ特騎隊最強は出来上がらないか。
特騎隊とはヴィクトリア特別重装騎士大隊の略称である。重装殻運用を根本においたトラブル解決を主に行っている、要は重装殻専門の私設傭兵団体である。
重装殻の操縦は肉体を酷使する作業。そして装着者の戦闘能力は装着した重装殻の戦闘力と比例する。
故に常日頃からの訓練は、彼らにとって欠かすことができない業務の一つと言える(まあエーナはよくサボるのだが)。
そしてジンの隣に立つ、この白黒髪の青年――リオン・テンガ。
『モザイク』などと揶揄する者もいるが、野戦能力・重装殻運用において彼を上回る者は特騎隊に一人もいない。
故に最強。しかし、だからこそ。
(こいつに傷をつける奴がいるとはな……)
彼の身体中の傷の多くは、彼の師がつけたものだ。それ以外の者から受けた傷はほとんどない、と彼は言う。幼い頃に亡くした左腕を除いては。
そんな彼に深手を負わせたのだ。相当の手練れなのは間違いないだろう。
「………」
どんな奴なのか。それを思い、ジンの中の何かがざわめく。しかし、
「コラーーーーーーーっ!!」
それは突然の叫びに遮断された。声の方を振り向くと、そこには二つの人影があった。
「まぁた喧嘩してる! 私闘は厳禁って決まりでしょ!」
そう言って歩いてくるのは20代前半の女性。彼女は眼鏡をクイクイと上げながら眉を逆ハの字に上げる。
しかし、その頭に付いているのは。
「……ルイちゃん。今日はネコミミなんだね」
その指摘にゔ、と呻くルイと呼ばれた女性。そんな彼女を見てヒビキも思わず口を覆う。
「……流石にあざとすぎだと思いますわ」
「ゔゔゔ……。なんであんた達そういう時は息ピッタリなわけニャーーーっ!!」
ムキーッと顔を赤くするルイを見て、彼女よりかなり年下な女子たちは可愛いと顔を綻ばせる。
ルイ・ボーマン。特騎隊結成時に副隊長に抜擢された秀才だが、イマイチ威厳が伴わない残念系女子。最近はキャラの濃い特騎隊の面々を見て、自分のキャラを模索している自分探し系女子でもある。
そしてその後ろからトコトコと歩いてきたのは、最近入隊してきたニューフェイスにして特騎隊最年少の少女。名前はノヴァ・リヒテンダールと言った。
彼女はルイの様子を見て小首を傾げる。
「……ルイ。なんで怒ってるの?」
「いや。なんでと言われれば答えに困るけども……」
返答に困るルイに純粋な視線を向けるノヴァ。
「ルイ、可愛いよ?」
「………ありがとう……」
ある意味とどめを刺され、その場に崩れ落ちるルイ・ボーマン(24)。そんな彼女を横目に見ながら、エーナの元に歩いていく幼女。
「どうしたの、ノヴァちゃん?」
「エーナ。こないだ言ってたの、できたよ」
そう言って彼女が見せたのは重装殻の設計図。そこに描かれていたのは、
「―――おおっ!? もしかしてアタシ専用の重装殻!?」
「そうそう。前から欲しがってたでしょ」
何を隠そうこの幼女。天才的な頭脳と閃きで、日々新しいシステムを開発するちびっこ天才研究者でもあった。
そして最近のマイブームは重装殻の設計。それを知ったエーナは、言葉巧みにノヴァをその気にさせ、自分専用の重装殻を作ってもらおうと画策していたのだった。
―――ま、まさかここまで思い通りに行くとは。グフフ、とこぼれる笑みを隠しきれないエーナ。
しかし現実はそう上手くはいかないもの。
「……ごめんね、エーナ」
「へ? 何が?」
「設計したはいいけど、これを作るには特騎隊の今年度予算をおーーーーーっ幅に超えちゃうんだって」
……それは、つまり。
「―――ペケ」
上げてから落とす。子供故に許される悪魔のような所業を受け、耐えうるすべなく膝から崩れ落ちるエーナ。
……もはやこの世に、神はいない……。
白く燃え尽きたエーナを、しかしルイは涙を流しながら同意する。
「わかるわー、エーナちゃん!! どう考えてもこっちに気のあるような思わせぶりなそぶりを見せていた男子が、実は自分よりあらゆる意味で遥かにランクの高い女の子と付き合っていたのと同じくらいのショックよねーーーっ!!」
「……ルイさん。そんな過去が……」
若干周りを引かせつつも、涙を拭ったルイは、燃え尽きたエーナの頭にポンとファイルを置く。
「……これは…?」
「おめでとう、エーナちゃん。この度重装騎士隊第2班の増員が決定しました!」
ファンファーレと共に宣言するルイ。そしてそれを聞いて戻ってくるエーナの彩り。
第2班。それはエーナが(一人で)所属する班のことで。
「………や」
「や?」
「やったああああああああああっ!!!!」
訝しむヒビキを吹き飛ばす勢いで跳びあがるエーナ。そしてピョンピョンとファイルを頭に乗せたままま踊り始める。
とりあえず周りの皆が最初に思ったのは、器用だなーということだった。
「アタシにもついに部下が! これで報告書とかも全部部下に任せっきりにできる!?」
それを聞いて何故か俯く1班と3班の班長達。だがそれに気づかぬままルイの手を取るエーナ。
「それでそれで? アタシの部下はいつ来るのかな? かな?」
体を傾けても落ちないファイルを不思議に思いつつ、そのファイルを手に取るルイ。そして今度こそエーナの眼前にそれを差し出す。
「―――それは貴方が決めるのよ。マリエーナ・テンガ重装騎士長」
……ということでしたけど、大丈夫でしょうか。
ゴリアテ中層階に位置するアズマ大使館。その中にある茶室で先にあった出来事をふと思い返すヒビキ。
あのエーナに部下。あの天衣無縫を絵に描いたような娘にお守りか。妥当なようなそうでもないような。
確かに専用機などという荒唐無稽な話よりもよほど現実的な話だが、それにしても人選を彼女に一任するとは。
(総隊長は何をお考えなのかしら……?)
ヒビキから見た総隊長のイメージはただひとつ―――『気紛れ』だ。何をするにも適当に決めているようにしか見えないが、しかしそれが裏目に出たことは一度もない。相当の強運の持ち主か、それとも。
……止めよう。仮にも今の自分は彼女の部下。詮無いことを考えても始まらない。
そう思いながら目の前に出されたお茶を飲むヒビキ。
「……結構なお手前で」
「ヒビキはん。考え事どすか?」
彼女に茶を点てているのはアズマの大使代表であるオツネ。何故彼女がヒビキにお茶を出しているのかというと、
「いいえ。その……助かりました。『ナデシコ』と『カネモト』の予備パーツは帝国ではなかなか手に入りませんから」
『ナデシコ』と『カネモト』とはヒビキとジンの装着する重装殻の銘。彼女はある交換条件でそれらのパーツを無償で譲ってくれるというのだ。
一見胡散臭い条件だったが、ヒビキはオツネの人柄を昔からよく知っていた。故に断る理由もなく。
「それにしても本当に久しぶりどすなあ。前に会ったときよりほんに綺麗になって……」
「よ、よしてください。オツネ様」
頬を赤く染めて顔を背けるヒビキ。血のつながりはないが、自分を幼い頃から知ってる人はどうにもやりにくい。
彼女が出した条件はただ一つ。自分とゆっくりお茶を飲むこと。
ゴリアテは人の出入りが激しい。時間が遅く流れるアズマと比べ、退屈することこそないが、それゆえこういうのんびりとした時間には乏しいという。
激務に翻弄されているとき、たまたま見知った者が顔を見せに来た。とそういうことらしい。
まあたまにはこういうのもいいだろう、と思う。アズマ出身の者は特騎隊にはジンしかいないし、同郷の者とゆるりと語らうのも悪くない。
「キヌハ様はご壮健でらっしゃいます?」
「ええ。多分一族の中で一番元気だと思いますよ。今でも有事になったら自分自らが出るって息巻いてますから」
キヌハ・ユズハ。齢60を数えて未だ執政に大きな影響力を持つ元アズマ代表の一人であり、ヒビキの実祖母でもある。
アズマでは厳格として知られるキヌハであるが、家庭内では孫にだだ甘のお祖母ちゃんであり、ヒビキが家を出る時も物凄い駄々をこねて大変だった。
それにしてもこのオツネ。話があっちこっちに飛ぶものだ。多分久しぶりの客人にテンションが上がっているのだろうが、正直それについていくのも大変だ。
そういえばアズマ出身の人は不思議とマイペースな人が多い気がする。今度そのような統計データがないか総隊長に聞いてみようか。
「―――聞いてはりますか、ヒビキはん」
「あ、いえ…その」
「ごめんなさいねぇ。長々と付き合わせてしもて」
……謝られてしまった。悪いのは自分なのに。
アズマにいた頃を思い出す。物心つく前に将来を約束された自分の地位と、それに媚と同情を抱く大人達。同年代の子と遊んでも、すぐに親が出てきて謝りながら去っていく。
自分を不幸と思ったことはない。しかし幸福とも思わない。
―――ただ、自分にはないものを持つ彼らが羨ましかった。
「……もしかして、またあの事を?」
……付き合いが長いのにも困ったものだ。加えて彼女は勘がいい。自分が今何を思っていたのかわかるのだから。
「何回も言うようですが、あの事はヒビキ様には何の責任も―――」
「分かっています」
はっきりと、言葉を口にする。そこに秘めた決意を形にするように。
「ですが奴は―――あの男だけは、この手で討たねばならぬのです……!」
あの日を憶えている。血まみれで横たわる母親の姿。そしてその傍らに立つ奴の姿を。
「母上の仇は、必ず―――っ!」
その時であった。突然の轟音が鳴り響いたのは。
それは日常を簡単に壊す音。運命を回す歯車が軋む音。それに人は抗うことなく巻き込まれていくだけしかできない。
続く