竜の国06
「他にきさんの世界の哲学はあるか?」
「ふむ……」
僕は顎に手を添える。
いくつか候補を並べ立て、それから一つを選ぶ。
「では……」
と前置きをして、
「胡蝶の夢などどうでしょう?」
そう提案する。
レイフェルは首を傾げた。
「胡蝶の夢?」
あ。
やっぱり知らないのか。
性善説や性悪説はあるのにねぇ。
どうもこちらの世界とあちらの世界はリンクと云うか……情報を共有していたり隔絶したりされている。
ともあれ、問われたのならば答えなければならない。
「昔者荘周夢に胡蝶と為る。栩栩然として胡蝶なり。自ら喩しみて志に適えるかな。周たるを知らざるなり。 俄然として覚むれば、則ち蘧々然として周なり。知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化と謂う」
僕はそらんじてみせた。
「面白い考えだな」
納得いったとレイフェル。
「自身が胡蝶の夢を見ているのか胡蝶が自身という夢を見ているのか……か」
「ま、一種の現実に対する懐疑論ですけどね」
僕は肩をすくめる。
「いやしかし……ふぅむ……」
レイフェルは胡蝶の夢という与えられた命題に悩みだす。
「僕としてはこの世界が夢じゃないかとも思いますけどね」
「この世界というと我のいるこの世界か?」
「はい」
「この世界が胡蝶の夢だと?」
「まぁ胡蝶というか……僕の夢なんじゃないかと……。眠っている僕の見ている夢なのかなぁ……なんて」
「何ゆえそう思う?」
「この世界は出来過ぎています」
僕は断じる。
「どういう風に?」
「僕のいた世界と共有する情報があり、そして御伽噺が現実化している。正直なところ人間原理というかマサムネ原理というか……そんな風に思ってしまうんですよ」
「要領を得ん」
「例えばエルフ。例えばドラゴン。例えば魔術」
「それらがどうした」
「あっちの世界ではこれらは伝説に語られる存在です。決して実在するモノではない」
「しかしそれは異世界なのだからしょうがないだろう?」
それはそうなんですけどね。
「なのに言葉は通じる。猿は人に進化している。文明を持って繁栄している。まるでそうするのが僕に対して都合が良いように。何より別世界なのに言葉が通じるのが最もそれを顕著に表していると思えますね」
「ふむ……」
レイフェルは悩むように赤い瞳を揺らした。
「魔術における七属性もそうです。木火土金水光闇……。木火土金水はあっちの世界での五行思想がそのまま反映されています。光と闇が時間と空間を属性としているというのも……ある意味では大雑把と言わざるをえません」
「仮にだ」
仮に……。
「我々の住むこの世界がマサムネの夢だというのならば何ゆえこのような夢を望む?」
「まぁ現実からの乖離でしょうね」
僕は即座に断じる。
「現実が嫌だからこんな夢を見ていると?」
「まぁ夢じゃなくてもいいんです。夢にこだわらなくても……例えこちらの世界が現実だとしても……僕の意識が反映された世界なんじゃないかと思うことはありますね」
「マサムネ原理とか言ったか」
「人間原理をもじった僕の造語ですが」
肩をすくめる。
ちなみに湯に浸かりっぱなしだ。
そろそろのぼせてきている。
「人間原理とは?」
「この世界は人間が認識した都合の良いように構築されている。人間有って初めて世界は世界足りえる……とまぁそういう主旨の仮説ですね」
「そんな馬鹿な話があるものか」
「ところがあっちの世界の科学者の内の何割かは真面目にこの人間原理を思考しているんですよ」
「人間が観測して初めて世界がそのように構築されるだと?」
「然り」
「それを信じろと」
「そうは言ってません。そういう思考もあるんですよ……という程度の言葉です」
僕は肩をすくめる。
「そしてこの世界はあちらの世界の御伽噺に沿った世界足りえている。まるで人類の夢の結晶のような世界です。たとえ夢じゃなくても夢のような世界と言えるでしょう」
「じゃあ何か? マサムネにとっての世界に準拠する世界だとでも言うのか?」
「ああ、良い表現ですね」
僕は素直に感心した。
「そうですね。これから僕の元いた世界を基準世界と……そしてこっちの世界を準拠世界と呼ぶことにしましょうか」
「我々の住んでいるこの世界が準拠世界と」
「何しろビックリ箱みたいな世界ですから」
クスリと笑う。
「準拠世界……ね」
「まぁ異世界へと召喚されて清々してますけどね」
「そう言えばマサムネは向こうの世界に未練がなさそうだな」
「色々と嫌な世界でしたしね」
真面目にいい加減のぼせてきた。
僕はザバリと浸かっている湯から立ち上がる。
「それではこれで。楽しい議論でした」
そう言って僕はレイフェルに一礼して浴場を出ていった。