魔の国21
日も沈んだ頃。
「ただいま」
そう言って僕はクランゼの研究室のドアを開けた。
中に入る。
「おかえりなさいませマサムネ様、フォトン様」
執務をこなしながらクランゼが迎えの言葉を紡いだ。
「あ……マサムネ……」
この声はリリアだ。
リリアは研究室で紅茶を飲んでいた。
利休鼠色の髪が揺れる。
利休鼠色の瞳が揺れる。
「ん。リリアもちゃんといたね。よかれよかれ」
僕はうんうんと頷く。
「マサムネ様、フォトン様、お茶は如何でしょう?」
これはクランゼの使い魔である水の妖精……ウンディーネのものだ。
「「お願いします」」
と僕とフォトンは提案を受諾する。
「はいな」と声を弾ませてウンディーネは茶の準備にとりかかった。
そして僕とフォトンが接客用のソファに座ると、机にかじりついて執務をこなしながらクランゼが言う。
「ところでマサムネ様……こちらのリリアから事情は聞きましたが、一つ不明な点がございます」
「何さ」
「どうやってリリアだけに空間破却を適応できたのか、です」
「自分が送れるんだから他人だって送れるのは道理でしょ? そもそも本当に自分を転移させねばならないなら転移後は素っ裸になってなきゃおかしいよ。ダークの縮地やクランゼの空間破却は自身と自身に適応されるモノを転移させている。なら応用として自身以外を送る現象は起こせて当然だよ。違う?」
「…………」
この沈黙はクランゼのものだ。
「多少頭を柔らかくすればこれくらい出来ると思うんだけどね……」
クランゼは執務を執り行いながら不満げに顔を歪める。
「お茶でございます」
水で出来た人型……ウンディーネが僕とフォトンに紅茶をふるまってくれた。
それを飲んで、それから僕はクランゼに問う。
「リリアから事情は聞いたって言ったね」
「多少なりとも……ですが」
「じゃあ頼みがあるんだ」
「わたくしに何をしろと?」
「リリアをクランゼの研究室に配属してほしい」
「一応、空間破却のブランドある研究室にはそれ相応の資質を持った生徒しか配属できないのですが……」
「そこを何とか」
切に僕は頼む。
「なにゆえです?」
「リリアはアンバーに狙われている」
「ああ、アイタイラ家のボンボンですね。大層なふるまいだとか」
書類から目を離すことなくクランゼは言葉を紡ぐ。
「それで愛人にリリアを選び、断られて不逞をはたらいたところでマサムネ様とフォトン様にやられたとか」
「無限復元を適応させたけどね」
ピタリと一瞬クランゼのペンの動きが止まる……のも束の間、また執務に戻るクランゼだった。
「だいたいああいう人種はどれだけ躾をしても三日で忘れるものなんだ。僕とフォトンは根無し草だし札付きだしでリリアを保護できない」
「つまるところアイタイラのボンボンからリリアを守るためにわたくしの研究室に配属させろ……と」
「そういうことだね」
頷いてみせる。
「ここは政の空白地帯だ。どんな権力も及ぼしようのない領域だ。ならばこそ貴族が手を出せない空間ということになる。一種の空間魔術だね」
「「「…………」」」
「だから……ここにいてクランゼの後ろ盾があればリリアの安全は保障されたようなものでしょ? 研究室に所属した魔術師見習いはその研究室の財産なんだから」
「それはそうですが……」
ペンを動かしながらしぶしぶとクランゼ。
「無論何か相応の代償を要求するなら応えるよ?」
「いえ、お話はわかりました」
殊勝に頷かれる。
「リリア」
とクランゼはリリアを呼ぶ。
「はひ……何でしょう……?」
ビクッとふるえた後おずおずと疑問を提議するリリア。
「これからあなたはわたくし……クランゼの研究室に配属させます」
「リリアが……クランゼ様の……研究室に……?」
「然りです」
ペンを忙しく動かしながらクランゼは首肯する。
「あなたにはクランゼ研究室の生徒として本格的に魔術を学んでもらいます。代わりにクランゼ研究室があなたの身の安全を保障しましょう」
「ありがとう……ございます……」
そう言ってリリアは紅茶を一口。
クランゼはペンを走らせながらリリアを見つめる。
「何か今使える魔術はありますか?」
「ありません……」
「そうですか」
事実を事実と受け入れるクランゼ。
「では明日から本格的に魔術の習得を課します。覚悟しておいてください」
「はい……」
「それからマサムネ様、フォトン様。今夜はどう過ごすおつもりですか?」
「そう言えば考えてなかったな」
既に日は沈んで時間は夜へと移っている。
「なんならわたくしの宿舎を利用されますか? 風呂も寝床も余ってます故」
「ああ、良いですね。ではよろしくお願いします」
「ちょうどいいですね」
僕とフォトンはクランゼの宿舎で一泊することが決まった。