第3話 はじめまして
人間に助けられたあの日から、人に紛れて生きていこうと決めた。名前以外の記憶がないということにしていたし、当然両親もいないため、最初は施設というところに預けられた。
そして養父母になることを願い出てくれた柳田家に引き取られ、柳田薫として生きていくことになる。
そんな一連の流れに、自分は全てを委ねた。
死ぬ寸前まで追い詰められたのだ。体にしばらくの休息を与えたかったし、無理に元の体に戻ろうとして負担をかけたくなかった。
『人』として、人と同じように、自然に成長するに任せようと判断したのはそのためだった。
そんな自分も、今年から『高校生』というものになる。
特に感慨などはなかった。柳田夫妻には少なくとも高校には行っておいた方がいいと言われていたし、彼らに世話になっている以上、できるだけ普通の人間と同じく振る舞うべきだと考えた結果だった。
彼らもいろいろ大変だろうし、周りと違うことをする変わり者よりは、素直に言うことを聞く者の方が好ましいと思うはずだ。
それに『高校生』を三年間やり通したら……そろそろ頃合いかもしれない。
体はある程度成長しているし、十分に休息も取れた。これなら『人』から元の生活に戻れるだろう。
だから、あと三年だけ。
彼らに、自分を頼もうと思っていた。
「ねぇ、柳田薫君、だよね?」
入学初日。
入学式を終え、HRで授業や生活態度についての説明、クラス全員の簡単な自己紹介を終えると、今日は解散という流れになった。
さっさと席を立ち、帰ろうとしていたところを、後ろから聞こえてきた声に引き留められる。
振り向くと女生徒が一人、自分を見上げていた。
「……ああ」
「よかった! 私は京池飛鳥。よろしくね」
「自己紹介ならさっき聞いた」
「でも私の名前、覚えてなかったでしょう?」
確かにその通りだったので、何も言えない。これまでもそうだったが、誰かと進んで仲良くなるつもりはなかった。だから自己紹介など自分には関係ないことと聞き流していたのだが、彼女はそれに気付いていたらしい。
無言を肯定と捉えたのか、彼女は『やっぱりー』と言って笑う。
「でも今覚えてくれたよね。だからよろしくー」
「……」
「でさ、これから帰るんでしょう? 一緒に帰ろうよ」
「他を当たれ。俺といてもつまらない」
「私は薫君と帰りたいって言ってるんだけどな?」
「他に仲良くなれそうな奴ならいくらでもいるだろ」
その言葉を最後に、飛鳥を置いて教室を出る。
妙な女だと思った。なぜわざわざ自分に声をかけたのだろう。
見た目は普通の人間と変わりないはずだ。ただ種族の特性として、人間から見ればいわゆる『整った顔立ち』をしている。
そのためか、話したこともないような女達から何回か告白まがいのものを受けたことはあるが、飛鳥からそんな感じは一切見受けられなかった。
まぁ、たまたま目についただけなのかもしれない。それにあんな言い方をされれば、もう自分に絡んでくることはないだろう。
「かーおーるーくーん」
……と、思っていたのだが、いささか甘かったようだ。
聞き覚えがある、というよりはさっき聞いたばかりの声に、思わずぴたりと立ち止まる。
ややあってから、いや止まる必要はない、と判断して再び歩き出そうとしたのだが、その前に腕を掴まれた。
「へへ。つっかまーえた」
「……」
多分、自分は今眉間に皺を寄せまくった凶相をしている。その自信がある。
だというのに、そんな顔を向けても飛鳥は動じる気配すら見せない。
「いいでしょー、減るもんじゃないし。帰ろ帰ろ」
「……」
そんなにも自分を無言で睨み付ける男と一緒に帰りたいのか。
絶対に楽しくはないだろうに。
なんなんだ、コレ。
「……勝手にしろ」
それだけ言って腕を振り払い、再び歩き出した。
飛鳥も笑いながら横に並び、返事が返ってこないのもお構い無しに喋りかけてくる。
内容はやれ入学式は退屈だったの、やれ新しい友達ができればいいなーだの、こっちにしてみればどうでもいいことばかりだった。
「ねぇ、新しい友達! できればいいなって!」
「……どうして俺に対してそれを強調する」
いい加減無視し続けるのも億劫になり、それだけを返して飛鳥を見た。
彼女は自分を覗き込むように見上げながら、口を開く。
「んー。遠回しなお誘いなんだけど」
「……は?」
「だからどう? 私と友達になってみません? っていうお誘い」
なんなんだ、コレ。
さっきも思ったな、コレ。
どうやら、自分は今未知なる珍生物と対峙しているらしい。どうしたらこの流れで友達の申し込みが来るのだろうか。
「俺には、そういうのは必要ない」
「あらら、ファーストコンタクトは失敗かぁ。次は期待してるからね」
「……」
諦めないつもりなのか。それはもうお誘いというより強要なんじゃないのか。
次があるのかと思うと、思わず溜め息が漏れる。
「どうして……」
「あ、薫君」
どうして俺なんだ。そう聞こうとして遮られた。
「薫君は、どっち?」
目の前の交差点を指差して、飛鳥が聞いてきた。
自分から吹っ掛けておいて話の腰を折るのかと呆れたが、別に隠すことでもないので素直に右の道を指差す。
「……こっちだ」
「そっか。私はあっちだからここまでだね、残念」
飛鳥はそう言って左側に一歩踏み出し、改めてこちらに向き直った。
「今日はお疲れ。またね」
最後にもう一度にっこりと笑って、踵を返し歩いていく。
「……なんなんだ、本当に」
気付けばそう呟いていた。
自分としては何事もなくさっさと『高校生』を終えたいと思っていたのだが、初日にしてそれができなくなってしまった気がしてならなかった。