第12話 発見
「薫、おはよー」
「……ああ」
お馴染みの挨拶を終えて教室へ向かう道すがら、これまたいつものように取り留めのない話をする。
しかし、今日はいつもと若干様子が違った。
「……」
「そういえば今日英語小テストだっけ。めんどくさいなー……って……薫?」
「……ん? なんだ」
「どうかした? なんかボーっとしてる」
「……いや、なんでもない」
そうは言うものの、彼の目はどこか遠くを見ている。何か、気になることや考え込むようなことでもあったのだろうか。
だがそれを詮索するほど野暮ではない。彼が何でもないと言うのならそうなんだろうと思うことにする。
誰にだって言いたくないことや聞かれたくないことくらいあるのだから、わざわざ藪をつついて蛇を出すこともない。
「そっか」
それ以降は特に話しかけることはなく、また彼が口を開くこともなかった。
しかし気まずいとは思わない。むしろこの間が心地良くさえ感じられた。
そっと、薫に気づかれないように笑みを浮かべる。もし彼が気づけば「何を笑っている?」なんて、訝しげな表情で質問してくるに違いない。
こうして並んで歩いているだけでも楽しいと言ったら、どんな反応が返ってくるだろう。
訝しげな顔のまま「なんだそれは」と言うだろうか。それとも少し困惑した顔で「どういうことだ?」と質問を重ねてくるだろうか。でも、たまにこちらがびっくりするようなことを口走るから油断ならない。
そんな風に、彼の新しい一面が見れるのが嬉しいと言ったら、彼はどうするのだろう?
ちらりと薫を見上げ……思わず目を見開く。
彼の顔は一見何かを考え込んでいるようだったが、その眉根は厳しく寄せられている。見ようによっては不快な思いをしているようにも、苦痛を堪えているようにも取れる表情だった。
「薫……?」
「……なんだ?」
こちらに目を向ける薫の様子は、いつもと変わりない。
考え過ぎかもしれない。しかしもともと白い方だった彼の顔色は、今日はそれを突き抜けて青白い気がした。
「大丈夫? なんか顔色良くないけど、体調悪いの?」
薫に手を伸ばす。もう少しで彼の額に触れそうになった、その瞬間。
「……!」
「わっ!?」
ピクリと反応した薫が、素早い動きで自分の手首を捕らえ、その眼前に翳した。
自分の手を凝視され、どうしていいのかわからず混乱する。
「えっと、薫?」
「……」
薫は何も答えない。もう一度声をかけようかと口を開く前に、彼の瞳が動いて掌越しにこちらを見た。
目が合って、言葉は引っ込んでしまう。
見たこともない彼のそれは、鋭く何かを探るような光を宿していた。
「薫……」
「……」
名前を呼んでも、彼は答えてくれない。
こんなことは初めてで、どうしていいかわからなかった。
「かお、っ痛い痛い痛い! 痛いって、ちょっと!」
「……あ……?」
もう一度声をかけようとしたところで、薫に捕らわれていた手首に軋むような痛みが走る。
必死に訴えると、彼は我に返ったようにはっとして自分を解放してくれた。
急いで引っ込め、感触を確かめるように擦る。見れば、少し赤くなっていた。
「いったー……いきなり何なのさぁ。折れるかと思ったし!」
少し非難を滲ませた目で睨み上げると、薫はぐっと押し黙る。
それから視線を逸らし、ばつの悪そうな顔で
「悪かった……」
と、謝ってきた。
「……大丈夫か?」
「んー、まぁ普通に動くから大丈夫だけど。薫も大丈夫なの?」
「俺は何ともない」
「そっか……」
先程の様子はどう見ても『何ともない』ようには見えなかったが、あまり押し付けすぎるのも良くないと自重する。
「なら、いいや。そろそろ時間ヤバいし、行こ!」
「……お前は保健室に行かなくていいのか」
「いーのいーの。もう痛くないし」
無表情ながら、その目には心配するような色が見て取れた。もうすっかり、いつもの薫に戻っている。
それが嬉しくて、彼が気にしないようにと意識して少し明るく振る舞った。赤くなっている箇所もシャツの袖で隠せるため、誰の目に留まることも無いだろう。そのまま薫の手を取って、教室まで引っ張り始める。
だから、その後ろで彼が少し暗い目をしていたことには、気付けなかった。
帰りのHRが終わると同時に薫は席を立ち、教室を出ていった。
別にいつも一緒に帰る約束をしているわけではないし、自分も友里絵や真希と帰ったりすることがあるので置いて行かれたとは思わない。
それでも、今朝のことがあるだけに今日は気になってしまう。
まぁいくら気にしたところで薫がどこに向かったのかわからない以上、自分にはどうすることもできないのだが。
「飛鳥、お疲れー」
「あ、お疲れ。真希と友里絵は今日は部活あるんだっけ?」
「あ、うん。今日は先生が来てるから……」
「私もー。大会近いからって、最近遅くまでやるんだよね」
友里絵は茶道部に所属している。外部から講師を呼んで、結構本格的に活動しているらしい。月に一度、部員以外でも体験できるお茶会があるので、誘われて行ってみたことがあった。
対して真希はバレー部だ。彼女は長身だし、性格的にも運動部が合っていると思う。部員からの信頼は厚く、次期部長という話も聞いていた。
「そっか、頑張ってね。私は今日は帰るよ」
「ん、気をつけてね」
「また明日ね」
「うん、じゃあね」
友人と別れて、校舎を出る。そういえば、一人で下校するのはかなり久々だ。
高校に入ってからは、誰かしら側にいてくれた。その中でも一番多かったのは、自分と同じように部活に所属していなくて、いい顔をせずとも結局最後には隣にいることを許してくれた、彼だ。
「……大丈夫かな」
早く調子が戻るといいのだけど。そんなことを思いながらモール街を歩く。徐々にビルが建ち並ぶ通りが見えてきて、駅に着くだろう。
そういえば、あの事件現場はこの辺りの通りから入って少し歩いたところだった。そのせいか、今日はモール街の人通りがいつもよりまばらな気がする。
そうして通りを見回していた目が、一点に集中した。
「え……?」
なぜ、彼がここにいるんだろう。
彼とは、いつもこのモール街に来る前の交差点で別れる。彼の家に向かう道とは正反対で、ここまで一緒に来たことも無い。
なのに、どうして。
「薫……?」
見間違うはずがない。あれは確かに薫だった。
彼はこちらに気づいてはいないようで、モール街の店を見上げながら歩いている。
そしてある店に目を留めると、その店の影になっている横道に視線を移す。
そのまま、すっと横道に入って姿を消してしまった。
「え、あれ……」
店に用事があったわけではなかったようだ。いや、それよりも。
あの横道に入った先には、例の事件現場がある。
「な、んで?」
疑問が唇から零れた。誰も答えを返しようがないとわかっているが、飲み込むことはできない。
どうして、薫があの現場へと向かうのか。
「……」
もし黙ってついて来たことがバレたら、決していい顔はされないだろう。自分が逆の立場だったならそう思う。
それでも、気になってしまった。不安になってしまった。
気づいた時には、自分の足は薫を追って横道を進んでいた。