婚約破棄されて処刑された聖女ですが、二度目の人生では鐘を鳴らしません〜夢の中でだけ鳴る鐘が、私に真実を教えてくれました〜【短編・完結】
「聖女セラフィナ。貴様の祈りは民を救わぬ偽物だ。婚約を破棄し、異端として処刑する」
断頭台の上で、私は空を見上げていた。
ああ、いい天気。処刑日和ですこと。
王太子ヴァルデマールの声が、広場に朗々と響く。集まった民衆は、私を罵る者と、無関心に見物する者に分かれていた。誰も助けてはくれない。当然だ。私は『見栄えのしない聖女』だったのだから。
(三年です。私が帳簿を睨み、魔物の氾濫を予測し、備蓄を差配して、この国を裏で支えてきたのは。それを――偽物、ですか)
王太子の隣で、金髪の少女が可憐に涙を拭っている。ミレーユ・ヴァンドール。派手な光魔法で民衆を沸かせる『真の聖女』。
「わたくし、みなさまのために祈りますわ♪ どうか、この哀れな偽物にも慈悲を……」
二人きりのとき、彼女がどんな顔をするか、私は知っている。
(地味な記録係ふぜいが。身の程を知りなさいな)
あの冷笑を。
証拠なら、あと一歩で揃うところだった。魔物召喚の触媒購入記録。偽装献金の流れ。帳簿の改ざん痕。すべてを繋げれば、この女の詐術も、その裏で糸を引く誰かの影も、白日の下に晒せたはずだった。
――一歩、間に合わなかった。
「刃を上げよ。異端者に、神の裁きを」
刃が上げられる。ぎち、と滑車が鳴る。
(社畜として過労で死んで、転生した先でまた理不尽に殺される。二度目の人生、これで終わりですか。……冗談じゃない)
そのとき、聞こえた。
どこか遠くで、荘厳な鐘が鳴った。
ゴォン、と。
聞いたこともない音。なのに、なぜか懐かしい。魂の奥を震わせる、深い響き。
刃が、落ちる。
視界が真っ赤に――そして、真っ暗になった。
(ああ、あの鐘……いったい、なんだったのかしら)
それが、私の一度目の人生の、最後の思考だった。
◇◆◇
目を覚ますと、私は生きていた。
首も繋がっている。試しに触ってみる。うん、ちゃんとある。
「……ここは」
見覚えのある部屋。聖女に与えられた質素な私室。窓の外の景色――王都の街並みが、記憶より三年、若い。
枕元の日めくり。日付を確認して、私は静かに息を吐いた。
(処刑の、三年前。死に戻り……一周目の記憶を抱えたまま、巻き戻された?)
だが、おかしい。
記憶が、完全ではない。
断頭台の刃も、ミレーユの冷笑も、覚えている。けれど、証拠の詳細――どの帳簿の何ページに改ざん痕があったか、触媒がいつ購入されたか――そういう肝心な部分が、霧がかかったように思い出せない。
(危機管理コンサルとして、記録は命でした。それが思い出せないなんて……とりあえず、寝ますか)
その夜、私は眠った。
そして、夢を見た。
夢の中で、私は一周目の光景を追体験していた。ミレーユが密かに商人と会う場面。取引される黒い触媒。交わされる契約書の日付。
真実に近づいた、その瞬間――
ゴォン。
夢の中で、鐘が鳴った。
あの鐘だ。断頭台で聞いた、あの音。
鐘が鳴った場面だけが、覚醒後も強烈に焼きついて残る。触媒取引の日時。取引相手の顔。数字。すべてが、灼けるように鮮明に。
目を覚まし、私はしばらく天井を見つめた。
(なるほど。これが私のギフト【鑑定・記録】が、魂に刻んだ引き継ぎ資料というわけですか)
枕元の帳簿を引き寄せ、ペンを取る。夢で得た情報を、忘れないうちに書き留めていく。
(夢日記なんて、前世でつけたことなかったのに。まさか転生特典が“悪夢の議事録”とはね……ブラック企業もびっくりの引き継ぎ資料)
ペンを走らせながら、私の口角が、皮肉に歪む。
いいでしょう。手札は揃いつつある。
毎夜、鐘は真実を教えてくれる。覚醒後、鑑定ギフトでそれを物的証拠として裏付ければいい。
私は帳簿を閉じ、静かに宣言した。
「もう祈らない。もう耐えない。今度は――鐘が鳴る前に、全部潰す」
一度目は間に合わなかった。
二度目は、違う。
◇◆◇
冒険者ギルドの喧騒の中、私は帳簿にペンを走らせていた。
聖女セラフィナとしてではない。ただの平民の鑑定士『セラ』として。
「セラさん! この鉱石、なんか変な色してるんだけど、これって……?」
そばかすの少女――リタが、興奮気味に石を差し出してくる。ギルドの受付兼、鑑定見習い。私を慕ってくれる、最初の理解者だ。
私は石を一瞥し、鑑定ギフトを走らせた。
「魔鉱の亜種ですね。表層が酸化しているだけで、内側は上質。市場価格の三倍で売れます。ただし、王都南の工房でないと精錬できません。売り先を間違えると二束三文ですよ」
「え……ええっ!? 三倍!?」
リタが目を丸くする。数日後。
「セラさんの言った通り、南の工房で三倍で売れたって! 依頼主のおじさん、泣いて喜んでたよ! なんでそんなに分かるの!?」
(前世で不良在庫の目利きなら、嫌というほどやりましたので)
口には出さず、私は淡々と答える。
「見れば、分かります」
それから数週間。私はギルドで着実に実績を積み上げていった。
希少素材の目利き。的中率、ほぼ十割。
そして――魔物氾濫の、事前予測。
「三日後、東の森で小規模な氾濫が起きます。オーク種が中心。装備を整えて臨めば、討伐報酬で潤いますよ」
最初は誰も信じなかった。だが、三日後。
予測は、寸分違わず的中した。
(夢で見た一周目の氾濫スケジュール。ミレーユの自作自演の“予定表”です。当たって当然)
「ま、また当たった……! 三日後、寸分違わず……セラさん、ほんとに何者なの?」
ギルドマスターが、私を奥へ呼んだ。
「セラ。お前、何者だ。その予測精度は、人間の域じゃねえ」
「ただの、記録好きな鑑定士です」
私は微笑む。派手さはゼロ。だが、実績と信用と資金は、確実に積み上がっていく。
リタが、いつのまにか小さな帳簿を持ち歩き始めていた。私の真似をして。
「あたしも、セラさんみたいになりたくて! ほら、帳簿、真似して持ち歩いてるの!」
その素直さに、少しだけ、心が緩む。
(一度目の人生では、誰も私を見なかった。でも――今度は、違うのね)……いい心がけです。
盤面は、着々と整いつつあった。
◇◆◇
「将軍がまた倒れた――! 誰か、誰か来て!」
慌ただしい声に、私は顔を上げた。
ギルドに隣接する辺境軍の駐屯所。開いた扉の向こう、執務室の隅で、一人の男が書類を抱えたまま崩れ落ちていた。
黒髪。長身。縦に裂けた瞳孔の、琥珀の瞳――竜人族。
アルヴィス・ドラクフェン将軍。戦場で『氷の処刑人』と恐れられる、辺境の若き将。
近づいて見れば、目の下に濃い隈。呼吸は浅く、明らかに衰弱している。
「何日、眠っていないのです?」
部下の兵士が、青ざめて答えた。
「三週間、ほとんど……将軍は極度の不眠症で。もう何年も、まともに眠れていないんです」
三週間。
(それはもはや、危機管理案件ですね)失礼します。少し、静かに。
私はしゃがみ込み、彼の額に手を当てた。ギフト【鑑定・記録】。その副産物――穏やかな夢を共有する『安眠の結界』を、そっと展開する。
すると。
こわばっていた将軍の表情が、ふ、と緩んだ。
荒れていた呼吸が、静かに、深くなる。
こてん、と。
まるで子犬のように、彼は私の傍らで――安らかに眠り込んだ。
兵士たちが、絶句している。
「しょ、将軍が……眠って……あんな穏やかな顔、初めて見た……こてん、って……子犬みたい……」
(氷の処刑人が、この寝顔。ギャップが渋滞していますが)
数時間後。目を覚ました将軍は、しばらく呆然としていた。
そして、ぽつりと。
「……眠れる。お前の傍だと」
短く、硬質な声。感情は、読めない。
「久しく、こんなに眠ったのは初めてだ。……礼をする。望みを言え」
私は少し考え、答えた。
「では、契約と参りましょう。私はあなたに安眠を提供する。あなたは――私に、竜騎士団の力を貸す。いずれ、必要になります」
将軍の瞳が、わずかに細まる。
「……何を企んでいる」
「国を、救おうと」
私は淡々と告げた。彼は長い沈黙の後、うなずいた。
「……いいだろう。この身と、竜の翼を貸す」
その夜、私はまた夢を見た。
夢の中で、鐘が鳴る――そのとき、私はふと気づいた。
遠くで、もう一つ。
誰かが、同じ鐘の音を聞いている気配がする。
(……気のせい、かしら)
私はまだ、知らなかった。
その『誰か』が、隣で眠る竜人の将軍だということを。
◇◆◇
煌びやかな夜会の片隅で、ミレーユ・ヴァンドールは扇の陰でくすりと笑った。
「うふふ。今夜も、みなさまわたくしの光魔法にうっとりですわ♪」
人前では清楚可憐な『真の聖女』。だが、控えの間に下がった途端、その口角は醜く吊り上がる。
「ちょろいものね。魔物をけしかけて、鎮圧してみせるだけ。それだけで、この国の民はわたくしを崇める」
彼女の手元には、黒い触媒の入った小箱。魔物召喚の道具。マッチポンプの元手だ。
そこへ、温厚そうな中年貴族が近づいてくる。オズワルド・ケイン伯爵。柔和な微笑の奥に、冷たい計算を隠した男。
「順調なようだね、ミレーユ嬢」
「ええ、伯爵さまのおかげで。触媒の調達も、献金の偽装も、すべて滞りなく」
伯爵は微笑みながら、影の中で手袋の手を組んだ。
(この娘も、所詮は駒よ。承認欲求の塊。使い潰すには、ちょうどいい)氾濫の“次の予定”は?
「三ヶ月後、王都近郊で大規模に。被害を演出して、わたくしが華々しく救う。そうすれば、聖女の地位は盤石ですわ」
二人は、暗い笑みを交わす。
だが――彼らは知らない。
その『次の予定』が、すでに一言一句、とある鑑定士の帳簿に記録されていることを。
夢の中の鐘が、その日時を、彼女に告げていたことを。
伯爵が、ふと思い出したように呟いた。
「そういえば……あの地味な聖女、セラフィナ。処刑する予定だったが、最近姿を見ないな」
ミレーユが鼻で笑う。
「記録係ふぜい、どうせどこかで野垂れ死んでいますわ。あんな地味な女、覚えている者もおりませんもの」
「ふむ。まあ、いい。記録などという地味な趣味に、何の価値がある――なあ?」
二人は、笑う。
愚かにも、笑っている。
自分たちの首に、静かに縄がかけられていることも知らずに。
◇◆◇
「おや、これは平民の鑑定士殿。このような貴族の集まりに、何のご用かな?」
王都の商業評議会。居並ぶ貴族たちの中で、一人の男が私を嘲笑した。ケイン伯爵の息のかかった、御用商人だ。
私は平民『セラ』として、この場に招かれていた。ギルドでの実績が、いつのまにか商業界にまで知れ渡っていたのだ。
「地味な記録係が、身の程知らずにも我らの取引に口を挟むとは。分をわきまえてはいかが?」
(この台詞、既視感がありますね。誰かさんの口癖にそっくり)
私は表情一つ変えず、帳簿を開いた。
「口を挟むのではありません。事実を、申し上げるだけです」
そして、淡々と告げる。
「貴殿が先月、南方から仕入れたと申告した香料。あれは正規の交易路を通っていません。密輸です。しかも――」
ペンで、帳簿の一点を指す。
「その代金の一部が、とある触媒の購入資金に流用されている。魔物召喚の、触媒に」
場が、凍りついた。
御用商人の顔から、血の気が引いていく。
「な……なぜ、それを……」
「記録です。数字は嘘をつきません。仕入れ日、金額、経由地、支払い先。すべて照合すれば、辻褄の合わない流れが浮かび上がる。それだけのことです」
私は帳簿を閉じた。
「感情で怒鳴る必要はありません。証拠が、私の代わりに語ってくれますので」
居並ぶ貴族たちが、ざわめく。今の話が事実なら、御用商人――ひいてはその後ろ盾は、破滅する。
商人は、がたがたと震えていた。
(一度目の人生では、この証拠を掴む寸前で処刑されました。でも今度は違う。夢が教えてくれた道筋を、一つずつ裏付けるだけ。さあ、次の案件です)
私は静かに一礼し、評議会を後にした。
背後で、伯爵派閥の綻びが、また一つ広がる音がした。
積み上げた証拠の連鎖は、着実に――黒幕の影へと、伸びていく。
◇◆◇
運命の夜が来た。
一度目の人生で、私が処刑されるはずだった、その夜。
王都近郊で、ミレーユの計画通り、大規模な魔物の氾濫が始まろうとしていた。
――だが、今夜の舞台に立つのは、彼女ではない。
教会評議会と社交界の面々が集う大広間。ミレーユが華々しく『救世の聖女』を演じるはずだった、その壇上に、私は立っていた。
聖女セラフィナとして。
「な……セラフィナ!? 貴様、生きて……!」
王太子ヴァルデマールが、椅子から立ち上がる。ミレーユの顔から、血の気が失せていく。
私は、静かに帳簿を掲げた。
「皆さま。今宵、王都近郊で魔物の氾濫が起こります。日時、規模、召喚地点――すべて、こちらに記録済みです」
ざわめきが走る。
「なぜ、そのようなことが分かるのか、と? 簡単です。これは天災ではなく、人災――いえ、自作自演だからです」
私は一枚ずつ、証拠を突きつけていく。
「魔物召喚の触媒購入記録。偽装献金の流れ。帳簿の改ざん痕。すべて、ミレーユ・ヴァンドール男爵令嬢と――ケイン伯爵に、繋がります」
「で、でたらめですわ! わたくしは真の聖女! 光魔法で民を――」
そのとき。
大広間の扉が開き、兵士が駆け込んできた。
「報告。王都近郊にて、魔物召喚の現行犯を確保。竜騎士団が、触媒を扱う者を押さえた」
先頭に立つのは――アルヴィス。
「……氾濫は、起きない。芽のうちに、摘んだ」
「そ、そんな……わたくしの、予定が……!」
ミレーユが、へなへなと崩れ落ちる。
伯爵の柔和な仮面が、初めて剥がれた。
「小娘一人が……ここまで嗅ぎつけるとはな……」
「祈りで国は救えません」
私は、静かに言い放った。
「救うのは――記録と、証拠です」
王太子が、震える声で呟く。
「まさか……あれを全て支えていたのは、お前だったのか……」
「今頃、お気づきに?」
私は、皮肉に口角を上げた。
「三年前も、そう申し上げたはずです。もっとも、あなたには“見栄えのしない真実”は見えなかったようですが」
「違う……私は、私はただ……ミレーユが、真の聖女だと……」
真の聖女を詐術師として失い、無能な自分だけが残る。その現実に、王太子は膝をつく。
伯爵は縄をかけられ、ミレーユは泣き崩れ、すべての称賛が、反転していく。
因果は、応報した。
(一度目、鐘は私の死を告げました。今度は――鐘が鳴る前に、全部潰した)
静かな夜だった。
私が、ようやく報われた夜だった。
◇◆◇
すべてが、終わった。
伯爵は失脚し、ミレーユの詐術は白日の下に晒され、王太子は廃嫡された。国は、静かに、正しく回り始めた。
私は聖女の任を退き、辺境で暮らすことを選んだ。
「セラさん、辺境で暮らすって本当? だったら、あたしも辺境で修業する!」
「相変わらず、賑やかですね。……嫌いではありませんが」
派手さのない、記録と鑑定の日々。リタがついてきて、相変わらず騒がしいけれど。
そして――アルヴィスも、傍にいた。
「……眠れる。お前の傍だと」
(相変わらず、それしか言わない。でも、その無表情の奥の不器用な想いに、最近の私は、少しずつ気づき始めている)
その夜。
私は、久しぶりに夢を見た。
身構えた。また、あの鐘が鳴るのかと。恐怖の記憶を告げる、あの荘厳な音が。
――だが。
鐘は、鳴らなかった。
夢の中は、ただ静かで、穏やかで。
聞こえてくるのは、隣で眠る誰かの、安らかな寝息だけ。
目を覚ますと、アルヴィスが私のすぐ傍で、子犬のように熟睡していた。
(そう。もう、鳴らないのね)
真実を告げる鐘は、役目を終えた。恐怖も、後悔も、理不尽も、すべて過去になった。
「あら。今夜は静かな夢ね」
私は、そっと微笑む。
そのとき――ふと、胸の奥がざわめいた。
アルヴィスの寝顔を見つめていると、ひどく懐かしい何かが、記憶の底で疼く。
(そういえば……この人も、夢の中で同じ鐘を聞いていたと、言っていたわね。二人の魂が、どこかで一度、交差したような……)
断頭台の刃が落ちる、あの瞬間。遠くで鳴った、あの鐘。
あれは、もしかして――
(……いいえ)
まだ、思い出せない。霧の向こうに、確かに何かがある。けれど、今はまだ、届かない。
でも、それでいい。
急ぐ必要は、もうないのだから。
アルヴィスが、寝返りを打ち、無意識に私の手を握った。
「……セラフィナ」
寝言のように、私の名を呼ぶ。
私は、握り返した。
(前世で一度だけ交差した、あなたと私の記憶。それを思い出す頃には――きっと、新しい物語が始まっているのでしょうね)
静かな夜。
鐘の鳴らない、穏やかな夢の中で。
私たちの二度目の人生は、ようやく、本当の始まりを迎えていた。
(さて。明日は、どんな記録をつけましょうか)
窓の外、辺境の空に、静かな月が昇っていた。




