第8話:嫉妬は最高のスパイス?
「……まあ、なんて醜いのでしょう」
離宮の鏡の前で、セリーナさんが私の髪を整えながら、吐き捨てるように呟きました。
彼女の視線の先にあるのは、届けられたばかりの「王国の親書」の写しです。
私を『国家機密を盗んだ大罪人』と呼び、引き渡しを要求する紙片。その文字からは、かつての婚約者、ジュリアン様の傲慢さが透けて見えるようでした。
「お嬢様、あのような卑劣な者たちの言葉に、心を痛める必要はございません。……むしろ、彼らがどれほど『飢えて』いるかの証明ですわ」
「ええ。わかっていますわ、セリーナさん。……ですが、私を侮るのは勝手ですけれど、この木ベラまで侮られるのは、我慢がなりませんの」
私は鏡の中の自分を見つめました。
帝国の至宝を散りばめた漆黒のドレス。磨き上げられた肌。
王国にいた頃の、煤にまみれた「便利な道具」としての私は、もうどこにもいません。
その時、客室の扉が乱暴に叩かれました。
「失礼する! 陛下が連れてこられたという例の令嬢はここか!」
入ってきたのは、帝国の若手貴族数名と、ハンスさんとは別の厨房を任されている中堅料理人たちでした。
彼らの瞳に宿っているのは、明らかな「嫉妬」と「不信感」。
「聞いたぞ。王国から『泥棒』として訴えられているそうではないか。そのような不名誉な女が、帝国の晩餐会で腕を振るうなど、我が国の品位に関わる!」
「そうだ! 陛下は君にたぶらかされているだけだ。……さあ、その木ベラを置いて、大人しく王国へ帰るがいい」
彼らの言葉に、セリーナさんの瞳が冷たく細まり、腰の隠し武器へ手が伸びかけました。
けれど、私はそれを手で制しました。
「品位、ですか。……皆様、一つお伺いしてもよろしいかしら?」
私は一歩、彼らの方へ歩み寄りました。
ドレスの裾が、夜の帳のように優雅に揺れます。
「皆様は、今朝何を召し上がりましたの? ……おそらく、帝国の最高級の小麦で作ったパンと、熟成されたチーズでしょうね」
「それがどうした!」
「……お可哀想に。皆様、その味が『ボケて』いることに、お気づきではないのですか?」
私の言葉に、彼らが顔を見合わせました。
私は、テーブルの上に置いてあった、彼らが持参したであろう「毒見用」の飲みかけのワインを指差しました。
「そのワイン。本来なら深い葡萄の香りがするはずですが……今、皆様の舌には、鉄錆のような苦味しか残っていないはずですわ。……違いますか?」
「……なっ、なぜそれを……!?」
一人の貴族が、驚愕に目を見開きました。
当然ですわ。王国から私が消えたことで、世界から『祝福(加護)』の循環が止まり始めている。
その影響は、魔力の濃いこの帝国ですら、敏感な者の舌から順に現れ始めているのです。
「私の料理が品位を落とすかどうか……。それは今夜の晩餐会で、皆様の『消えゆく味覚』が教えてくれるはずですわ。……お帰りください。味のわからない方とお話しするほど、私は暇ではありませんの」
「くっ……お、覚えていろよ!」
捨て台詞を残して逃げ出す彼らの背中を、私は冷ややかに見送りました。
嫉妬は最高のスパイス、とは言いますが……あまりに低俗なスパイスは、料理を台無しにするだけですわね。
しかし、本当の「不快感」は、その直後にやってきました。
「――おやおや、随分と威勢がいい。……泥棒猫の分際で」
廊下から響いた、聞き覚えのある、けれど反吐が出るほど嫌悪を感じる声。
セリーナさんが即座に私の前に立ち、鋭い殺気を放ちました。
そこに立っていたのは、王国の使者として派遣された、ジュリアン様の側近――バルト卿でした。
彼は、私が雪山に捨てられた夜、嘲笑いながら馬車の扉を閉めた男。
「バルト卿……。よくもまあ、厚かましく帝都の敷居を跨げましたわね」
「ふん、エリアナ。お前の身勝手な家出のせいで、殿下はひどくお怒りだ。……フィオナ様が、お前の呪いのせいで料理の腕を落とされたと泣いておいでだぞ。さあ、大人しく戻って謝罪しろ。そうすれば、地下牢の隅くらいは用意してやると仰っている」
……呪い。
妹が失敗したのを、私のせいにしているのですか。
私は、こみ上げてくる笑いを堪えることができませんでした。
「おーっほっほっほ! まあ、なんて素晴らしい喜劇かしら!」
私が扇を広げて高らかに笑うと、バルト卿の顔が屈辱で赤黒く染まりました。
「何がおかしい!」
「おかしいのは貴方の頭ですわ。……バルト卿、貴方、最近食欲がないのではなくて? どんな贅沢をしても、喉を通るのが苦痛でたまらない……。それは、貴方の魂が腐り始めている証拠ですわよ」
「貴様……ッ!」
彼が逆上して手を上げようとした瞬間。
パキパキ、と周囲の壁が凍りつく音が響きました。
廊下の奥から、地獄の底から響くような、重厚な足音が近づいてきます。
「――私の客人に、その汚い手を向けようというのか。……王国の犬め」
ゼフィロス様でした。
漆黒の礼装に身を包んだ彼は、現れただけで廊下の空気を支配し、バルト卿をその場に跪かせました。……いいえ、あまりの重圧に、バルト卿が勝手に腰を抜かしたのです。
「陛下……! こ、これは、王国の正当な要求で……」
「黙れ。……エリアナ、準備はいいか?」
ゼフィロス様は、バルト卿など存在しないかのように無視し、私に優しく、けれど独占欲の滲む手を差し出しました。
「ええ、陛下。……最高に『苦い』思い出を、彼らにプレゼントする準備は整っておりますわ」
私は彼の手を取り、微笑みました。
いよいよ、お披露目の晩餐会。
私を捨てた者たちが、二度と手に入らない至高の輝きを前に、どれほど惨めにのたうち回るのか。
その幕が開く音が、私の耳には心地よい音楽のように聞こえていました。
最後まで読んでくださって、ありがとうございますわ!
「泥棒猫」なんて、よくもまあ皇帝陛下の前で言えたものですわね、バルト卿。
でも、エリアナの「おーっほっほっほ!」が炸裂して、わたくし、スカッといたしましたわ!
嫉妬に狂う貴族たちも、味覚が消え始めていることに気づいていないなんて、本当にお可哀想。
さて、次回はいよいよ第1章のクライマックスの一つ、公式晩餐会ですわ!
磨き上げられたエリアナの美貌と、彼女が作る「祝福のスープ」が、王国の使者たちをどう「処刑」するのか……。
ああ、もう、書きたくて扇子が震えますわ!
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