第23話:飢餓の波音――大陸中から届く悲鳴と、帝国の静寂
重厚な扉が開かれた瞬間、私の鼻を突いたのは、贅を尽くした香水の匂いでも、高価な料理の香りでもありませんでした。
それは、隠しきれない『飢え』の臭い。
大陸中から集まった王族や外交官たちの肌から漂う、魂が枯渇し、内側から腐り始めた者特有の、どろりとした澱んだ気配。
「……醜いな。これが世界を導く者たちの成れの果てか」
私の腰を力強く抱き寄せ、ゼフィロス様が冷酷に言い放ちました。
中立都市の聖議事堂。ここは全大陸の命運を決める場所ですが、今やそこは、目に見えない飢餓の嵐に晒された「難民キャンプ」の縮図と化していました。
並べられた晩餐の卓には、宝石のように美しい料理が並んでいます。けれど、それらを口にする王たちの表情は、まるでおぞましい毒を無理やり飲まされているかのように青白く、絶望に沈んでいました。
「陛下……。どの方も、お顔が土色ですわ。……せっかくの最高級の鴨肉が、ただの泥の塊に見えているようですわね」
私が扇の影で小さく囁くと、ゼフィロス様は満足げに目を細めました。
私たちは今、帝国の豊穣を象徴する、黄金の刺繍を施した漆黒の礼装を纏っています。
陛下の手――包帯を捨て、私の祝福によって美しい肌を取り戻したその右手は、今は堂々と私の腰を抱き、周囲の視線を「私のものだ」と威圧するように焼き尽くしていました。
「ゼフィロス陛下! そして、エリアナ嬢……っ!」
一人の小国の王が、椅子を蹴り飛ばすようにして立ち上がりました。
その頬はこけ、瞳は異様な光を宿しています。
「よくも、よくも平然と現れたものだ! 我が国では、今朝ついに騎士団の半分が味覚を失い、発狂した! 小麦は芽吹かず、水はドブの臭いがする! それなのに、貴公ら帝国だけが、なぜそれほど血色が良く、なぜそれほど……香ばしい匂いをさせているのだ!」
彼の叫びに呼応するように、広間中の王族たちが一斉に立ち上がりました。
彼らの視線は、もはや外交的な礼儀などかなぐり捨てた、飢えた獣のそれでした。
「エリアナ嬢をこちらへ渡せ! 彼女は世界の公共財だと言ったはずだ!」
「帝国による『加護の独占』は、全大陸への宣戦布告と見なすぞ!」
罵声。怒号。そして、理性を失った者の泣き声。
けれど、私はただ優雅に微笑み、一歩前に踏み出しました。
私が歩くたびに、ドレスの裾から『祝福』の光が零れ落ち、澱んでいた空気の中に、焼きたてのパンと初夏の草原のような清涼な香りが広がっていきます。
「おーっほっほっほ! 皆様、随分と威勢が良いですわね。……そんなにお声を出して、喉が渇きませんか? お口の中、砂が混ざっているような不快感でいっぱいではありませんの?」
私の凛とした声に、広間がしんと静まり返りました。
私はセリーナさんに目配せをし、懐から昨日見つかった『黒い種』を一つ、テーブルの上に転がしました。
「皆様の国で起きている悲劇。……それは単なる凶作ではありませんわ。……これをごらんなさい。王国のジュリアン様が、世界中に撒き散らした『呪いの種』ですわ」
種がテーブルに触れた瞬間、周囲の料理がみるみるうちに黒ずみ、腐敗した異臭を放ち始めました。王たちが悲鳴を上げて後ずさります。
「王国は、私を奪い返せないと悟るや、自分たちが食べられないなら世界を泥に変えようと決めましたの。……貴方たちが『エリアナを渡せ』と帝国を封鎖している間にも、彼らは貴方たちの足元に、この絶望を植えていたのですよ」
「な……っ、……王国が……ジュリアンがやったというのか!?」
「ええ。……そして、この呪いを浄化できるのは、世界でただ一人。……私の木ベラだけ。……さあ、皆様。まだ私を『公共財』として、力で奪おうと仰いますの?」
私は木ベラを抜き放ち、テーブルの上の黒い種を軽く叩きました。
パァン! という清らかな音と共に、種は黄金の粉となって消え、腐っていた料理が、魔法のように作りたての輝きを取り戻しました。
立ち上る、極上の香り。
王たちの瞳に、今度は「崇拝」という名の狂気が宿りました。
「……ああ……。エリアナ様……。どうか、我が国に……」
「救ってください! 何でも差し上げます! 領土も、黄金も、すべてを!」
つい先ほどまで「渡せ」と吠えていた男たちが、今は床に膝を突き、私のドレスの裾に触れようと手を伸ばします。
けれど、その手が届く前に、ゼフィロス様の冷徹な魔力が広間を凍りつかせました。
「寄るな。……この女に触れていいのは、私だけだ」
ゼフィロス様が私を抱き寄せ、全大陸の王を前にして、不敵に言い放ちました。
「お前たちが生き残る道はただ一つ。……帝国の属国となり、エリアナの『おこぼれ』を乞うことだ。……断るならば、その泥水を啜りながら、王国と共に滅びるがいい」
圧倒的な力による支配。
王たちが絶望と希望の間で震える中、広間の隅で、一人の若い男が静かに立ち上がりました。
彼は白銀の鎧を脱ぎ捨て、高貴な正装を纏った……あの『光の聖騎士』アルフレッド。
「……エリアナ様。……私は、帝国に跪くつもりはありません。……ですが、貴女を私のものにするためなら、私は神への信仰すら捨てる覚悟です」
アルフレッドの瞳には、以前のような「正義」ではなく、ゼフィロス様と同じ、暗く燃えるような「独占欲」が宿っていました。
「ゼフィロス陛下。……今日から私は、貴方のライバルとしてここに残ります。……エリアナ様の心に、どちらの味が深く刻まれるか、試してみようではありませんか」
陛下の右手が、ミシリ、と音を立てて激しく拍動しました。
王国の滅亡を前に、世界を舞台にした「究極の料理番」の強奪戦が、今、最も華やかに開幕したのでした。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございますわ!
大陸会議の晩餐会……。
他国の王たちが「泥のような料理」を前に絶望している中、
エリアナ様が現れただけで空気が変わるシーン、わたくしも書いていて鼻が高かったですわ!
「おーっほっほっほ!」と、跪く王たちを見下ろす彼女は、もう立派な帝国の女帝候補ですわね。
でも、アルフレッド様。
信仰を捨ててまでエリアナ様を奪いに来るなんて……。
「味」で陛下と勝負しようだなんて、身の程知らずですけれど、
イケメンの執着が増えるのは、物語のスパイスとしては最高ですわね!
次回、第24話。
「『彼女を渡せ』……隣国の英雄、不遜なる求愛」。
アルフレッドが仕掛ける、まさかの「料理対決(?)」あるいは「強引なデート」!?
陛下が嫉妬で帝国を凍らせてしまわないか、わたくし心配ですわ!
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