第19話:陛下の右手が、初めて私を「愛おしく」抱き締める夜
黄金の果実が放つ柔らかな光が、深夜の庭園を幻想的に縁取っていました。
つい数時間前、死の森を楽園へと塗り替えたあの興奮が、今は甘い香りと共に静かに地表へ降り積もっています。
私は一人、バルコニーの特等席で、温かな『祝福のホットワイン』を二つのグラスに注いでいました。
そこへ、夜風を纏って現れたのは、誰よりも凛々しく、そして誰よりも孤独な私の皇帝陛下。
「……こんな夜更けに、何を企んでいる、エリアナ」
ゼフィロス様が、音もなく私の背後に立ちました。
彼の纏う空気は、昼間の冷徹な支配者のそれではなく、どこかひどく、疲弊した獣のような危うさを秘めていて。
「企みだなんて心外ですわ、陛下。……お疲れの方に、最高の一杯を差し上げようとしているだけですのに」
私が振り返り、グラスを差し出すと、ゼフィロス様は不器用な手つきでそれを受け取りました。
彼の右手。常に黒い包帯で固く閉ざされたその腕が、私の祝福に呼応するように、衣服越しでも分かるほどドクンドクンと不気味に脈動しています。
「……お前の側にいると、この呪いが騒ぎ出す。……焼き尽くそうとする破壊衝動と、すべてを忘れて眠りたくなる誘惑が、私の中でせめぎ合っているのだ」
「なら、眠ってしまえばよろしいのに」
私は一歩、彼に近づきました。
逃げようとする彼の手を取り、無理やり自分の頬に寄せます。
包帯越しでも伝わる、焼けるような熱。
「……見せるなと言ったはずだ。……これは、醜い『神を殺した罪』の証なのだぞ」
「陛下がどれほどの罪を背負おうと、この手が私を救い、この手が私を抱き上げてくださった事実は変わりませんわ。……私に、見せてくださらない?」
私の言葉に、ゼフィロス様の瞳が揺れました。
彼は長い沈黙の後、覚悟を決めたように、震える左手で右手の結び目を解きました。
パラリ、パラリと、黒い布が床に落ちていきます。
露わになったのは、肘から先が漆黒の鱗のような質感に変わり、皮膚の下で赤黒い血管が発光する、異形の腕。
それは確かに、人間のものではない『怪物』の力。
けれど、私は迷わずその手に、自分の唇を寄せました。
「っ……!? エリアナ、貴様……!」
「温かいですわ。……少しだけ、悲しい味がいたしますけれど」
私がその腕を抱きしめるようにして『祝福』を流し込むと、暴発しそうだった呪いの熱が、瞬く間に穏やかな微熱へと変わっていきました。
黒かった肌に、うっすらと本来の白い肌が戻り、彼を苦しめていた激痛が引いていくのが分かります。
「……信じられん。……十年間、毒を飲んでいるようだった私の感覚が……お前が触れるだけで、これほどまでに澄み渡るのか」
ゼフィロス様が、その剥き出しになった右手で、私の腰を引き寄せました。
包帯という『心の壁』を取り払った、初めての接触。
その手は、これまでのどの瞬間よりも強く、そして「壊れ物を扱うように」愛おしく、私を抱き締めました。
「エリアナ……。お前は私の光だ。……だが、光が強ければ強いほど、私はお前を闇に沈めて、私だけのものにしたいと願ってしまう。……この醜い欲望も、お前は笑って受け入れるというのか?」
「ええ、もちろんですわ。……陛下が私を離さないと仰るなら、私は陛下の孤独ごと、すべてを飲み干して差し上げます」
重なり合う鼓動。
月光の下で、私たちは初めて、仮面も包帯も脱ぎ捨てた魂で向き合っていました。
彼が私の唇を奪おうと、顔を近づけたその時――。
ヒュン、という鋭い風切音が、静寂を切り裂きました。
ゼフィロス様が瞬時に私を庇い、剥き出しの右手で空気を薙ぎ払いました。
ガィィン! という火花が散るような音がして、バルコニーの石床に、白銀に輝く一本の短剣が突き刺さりました。
「……誰ですの!?」
庭園の影から、一人の男が姿を現しました。
彼は漆黒の夜の中でも自ら光を放つような、白銀の鎧を纏っています。
燃えるような紅い瞳。そして、その背には、連合国の聖教が認めた唯一の救世主の証――『光の聖剣』。
「……そこまでだ、呪われた皇帝。……その気高き令嬢を、貴様のような魔物に汚させるわけにはいかない」
男の声は、あまりにも真っ直ぐで、正義に満ちていました。
けれど、その『正義』は、今の私にとっては何よりも不快な異物でしかありません。
「隣国の『光の聖騎士』……アルフレッドか。……ハエの次は、聖騎士の回し者か」
ゼフィロス様が、私の腰を抱く手にさらに力を込めました。
彼の右手が、再び赤黒い光を放ち始めます。
「エリアナ嬢。……君は騙されている。……今すぐ私と共に来なさい。君を、真の神の元へとお連れしよう」
平和な楽園の夜は、一瞬にして、世界最強の『光』と『闇』が激突する、新たな戦場へと塗り替えられたのでした。
最後まで読んでくださって、ありがとうございますわ!
陛下……ついに包帯を! おーっほっほっほ!
「私だけのものにしたい」なんて、そんな重すぎる独占欲、エリアナ様は大好物ですわよね!
呪われた右手が彼女を抱きしめるシーン、わたくしも書いていて胸が熱くなりましたわ。
けれど、現れた最悪の「お邪魔虫」。
光の聖騎士アルフレッド……。善意100%で「救いに来た」なんて言うタイプが、一番厄介ですわ。
エリアナ様を「魔物から救う」と言い張る彼に、彼女がどんな『苦い料理』を食らわせるのか!?
次回、第20話。
「黄金のハーブティーと、騎士団長の忠誠」。
聖騎士の『正義』を、エリアナ様がその舌から粉砕いたしますわよ!
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あなたの応援が、エリアナの祝福をさらに強くするのですから!




