第16話:隣国の王子は、パン一切れのために国宝を差し出す
「――陛下。此度は我がソル国に伝わる至宝を携え、親善の意を伝えに参りました」
帝国の謁見の間。
黄金の装飾が施された高い天井の下で、一人の男が不敵な笑みを浮かべて立っていました。
隣国のソル国。太陽に愛された大地と謳われる強国からやってきた、第一王子レオン様。
彼はその燃えるような金髪をなびかせ、傍らに立つ私を、まるで値踏みするような無遠慮な視線で眺めています。
「……そいつが、王国から逃げ出し、陛下の毒見役に収まったという例の『祝福の令嬢』ですか。ふむ、確かに美しくはありますが……」
レオン様は一歩踏み出し、私の顎を指先で持ち上げようとしました。
その瞬間、謁見の間の温度が、劇的に、殺意を孕んで氷点下へと叩き落とされました。
パキパキ、と床が凍りつく音。
私の隣に座るゼフィロス様が、音もなく立ち上がりました。
「……その指を落とされたいか。王国の不届き者め」
地獄の底から響くような、重厚な声。
ゼフィロス様の右手。包帯の隙間から漏れ出す青白い魔力が、レオン様の喉元を狙う刃のように鋭く研ぎ澄まされています。
「おっと……これは失礼。噂以上の独占欲だ。……だが陛下、帝国の食卓だけが『本物』であることに、大陸中の国々が不満を抱いておりますぞ」
レオン様は平然と手を引きましたが、その瞳には焦燥の色が滲んでいました。
私は、彼の全身から漂う「不快な臭い」に気づいていました。
それは、第1話でジュリアン様たちが纏っていたものと同じ――魂の飢餓がもたらす、腐った魔力の臭い。
(この方も……もう、限界なのですわね。世界の理が壊れ、味が消えていく恐怖に)
「レオン様。……親善の儀は結構ですが、貴方、ひどくお疲れのようですわ」
私が静かに告げると、レオン様の眉がピクリと動きました。
「……何だと?」
「お顔色がすぐれませんわ。……今朝、何をお召し上がりになりました? 干からびた肉、それとも、砂を噛むようなパンかしら?」
「貴様……っ!」
レオン様が逆上して声を荒らげようとした、その時。
私はセリーナさんに合図をし、用意させていた「一皿」を運ばせました。
銀の皿の上に乗っているのは、なんの飾り気もない、一切れの黒パン。
けれど、そのパンからは――目に見えるほどの黄金の『祝福』の光が、ゆらゆらとオーロラのように立ち上っていました。
「お近づきの印に、どうぞ。……私の『祝福』を込めた、ただのパンですわ。お口に合うかは分かりませんけれど」
「ふん……。我が国にも一流のパン職人はいる。このような無骨な――」
レオン様は鼻で笑いながら、パンを千切り、口に運びました。
――次の瞬間。
レオン様の手が、ガタガタと震え始めました。
彼の瞳から、大粒の涙が溢れ出しました。
「…………ぁ、……ああああ……っ!!」
彼はパンを口に含んだまま、その場に崩れ落ちました。
美味しいから。……いいえ、それだけでは足りません。
数ヶ月間、何を口にしても砂の味しかしなかった彼の絶望の底に、エリアナの『命の輝き』が直接流し込まれたのです。
「味が……する! 麦の、香ばしさが……大地の、力強い息吹が! ああ……、私は……私は今まで、死んだ世界にいたのか……っ!!」
レオン様は、床に落ちたパンの欠片すらも貪るように拾い上げ、恥も外聞もなく泣き叫びました。
かつての傲慢な第一王子の姿は、そこにはありません。
ただ、たった一口の「真実の味」に救われた、哀れな迷い子がいるだけです。
「レオン様。……私のパンは、帝国に忠誠を誓う者にしか、その輝きを保ちませんの。……次は、何を差し出してくださるかしら?」
私は扇を広げ、跪く王子を見下ろして微笑みました。
レオン様は、震える手で自らの腰に差していた、ソル国の象徴である『太陽の聖剣』を抜き放ちました。
それはかつて、帝国ですら手に入れることができなかった、大陸に数本しかない神代の遺物。
「……これだ。これを、我が国の魂であるこの剣を捧げる……! だから、頼む! エリアナ様……。もう一度……、もう一度だけ、あのパンを……私に、我が民に与えてくれ!!」
謁見の間が、帝国の貴族たちのどよめきに包まれました。
パン一切れで、一国の宝が差し出された。
エリアナの価値が、今、武力や権力を超え、世界の『生存権』を握るものへと変貌した瞬間でした。
「……フン。国宝一本で、私のエリアナのパンを求めるとは。……安く見積もられたものだな」
ゼフィロス様が冷酷に言い放ちながら、私の腰を抱き寄せました。
彼の瞳には、屈服した王子への嘲笑と、そして「誰にも渡さない」という、さらに苛烈になった独占欲が渦巻いています。
「おーっほっほっほ! 陛下、そんなに意地悪を仰らないで。……レオン様、その聖剣。……我が帝国の厨房で、お肉を切るための『ナイフ』として使わせていただきますわね?」
「……っ、ああ……ありがたき、幸せ……っ!」
国宝を肉切り包丁代わりにされるという最大の侮辱。
けれどレオン様は、ただ至福に満ちた顔で、私の靴の先に額を擦り付けるのでした。
その頃、没落の途にある王国では。
この「奇跡」の報せを聞いたジュリアン様が、自分の喉を掻きむしりながら、絶叫していました。
「パンだと……!? 私の、私のエリアナが……他国の王子に、パンを与えたというのか!? 許さん……許さんぞ!! 奪い返せ! 何をしてでも、あの女を鎖で繋いで連れ戻せ!!」
狂気に駆られた王国の、最後の悪あがき。
けれど、エリアナのパン一切れの価値に気づいた列強諸国が、今、帝国を囲むように集結し始めていたのでした。
最後まで読んでくださって、ありがとうございますわ!
第2章、開幕早々「パン一切れで国宝ゲット」!
おーっほっほっほ! これぞわたくしたちが待ち望んだ、圧倒的な価値の逆転劇ですわ!
レオン王子、不遜な態度だったのに、一口食べた瞬間に「靴にキス」なんて……。
エリアナの祝福は、もはやお腹を満たすだけでなく、人の誇りまで書き換えてしまうようですわね。
でも、陛下。聖剣を「肉切り包丁」にさせるなんて、相変わらず過保護で素敵ですわ。
さて、次回は「帝国だけが潤うのは不公平だ」と、さらに多くの国々が押し寄せてまいります。
エリアナの木ベラが、今度はどんな奇跡を(そしてどんな絶望を)振り撒くのか。
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あなたの星が、彼女の焼くパンにさらなる輝きを宿すのですから!




