第1話:泥を噛む晩餐会と、消えた「祝福」
「不味い、不味すぎるわ!」……その言葉と共に、私が丹精込めて作ったスープが床にぶちまけられました。
これが、私の人生が『泥』に変わった瞬間の音。でも、ご安心なさい。
その泥の中から、世界で最も贅沢な食卓を作り上げて差し上げますわ!
その夜、王宮のスープは、氷のように冷え切っていた。
厨房の不手際ではない。私の心が、そしてこの国の「温度」が、たった今死に絶えたからだ。
「エリアナ・フォン・ヴェスタ。貴様との婚約を破棄し、この国から追放する!」
シャンデリアが輝く大舞踏会。その中心で、私の婚約者――王太子ジュリアン様が、毒林檎のような鮮やかな笑みを浮かべて宣言した。
彼の隣には、私の異母妹であるフィオナが、怯えた小動物のようなフリをしてしがみついている。
「お、お姉様……ごめんなさい。でも、殿下は『愛のない料理を作るお姉様より、私の聖なる加護が欲しい』仰ってくださったの……っ」
フィオナの瞳から、真珠のような涙がこぼれ落ちる。
それを見た周囲の貴族たちは、一斉に私へ蔑みの視線を向けた。
「全く、ヴェスタ家の面汚しめ」
「加護の料理番などと言いながら、ただ鍋をかき回していただけだろう?」
「無能な女だ。フィオナ様の『真の聖女の加護』があれば、この国はもっと豊かになるというのに」
……無能。
その言葉が、胸に冷たく突き刺さる。
私は、この国のために、民の笑顔のために、毎日夜明け前から厨房に立ち続けてきた。
私の作る料理には、食べた者の魔力を活性化させ、大地を潤す「祝福」が宿る。……はずだった。
「殿下、お聞きください。私の料理は、この国の結界を――」
「黙れ! 貴様の薄汚い料理など、もう二度と口にしたくない。見ろ、フィオナが用意してくれたこの黄金のスープを!」
ジュリアン様が、テーブルに並んだ豪華なスープをスプーンで掬う。それはフィオナが「聖女の力」で作ったとされる、光り輝く一品だった。
彼はそれを、これ見よがしに口に運び――。
「……っ!?」
その瞬間、ジュリアン様の顔が劇的に引き攣った。
美味しいからではない。彼は口を押さえ、今にも吐き出しそうな形相で震えている。
「あ、味がない……? いや、これは、砂か……? 泥を噛んでいるような……」
「あら、殿下? 何を仰っていますの。それはフィオナが真心込めて、最高級の食材で作ったものですわよ?」
フィオナが顔を青くして取り繕うが、異変はそれだけではなかった。
会場に飾られた大輪の薔薇が、見る間に黒ずみ、ポロポロと崩れ落ちていく。
暖炉の火は勢いを失い、窓の外では、季節外れの猛吹雪が吹き荒れ始めた。
――ああ。
私は、悟ってしまった。
この国の「温もり」は、王家の血筋でも、フィオナの小細工でもなかった。
私が、誰にも知られず、ただ「美味しくなれ」と願いながらスープを混ぜる時に込めていた、あのささやかな祈りこそが、この国の心臓だったのだ。
「エリアナ……! 何をした! 貴様、何か呪いをかけたな!?」
「いいえ、殿下。私はただ、これ以上この場所に『祝福』を置く理由を失っただけですわ」
私は静かに一礼した。
手元に残ったのは、実家のキッチンで母から譲り受けた、煤けた古い木ベラ一本だけ。
ドレスは引き裂かれ、名誉は泥に塗れたけれど、不思議と心は凪いでいた。
「さようなら、殿下。……どうか、その『砂の味』を、末永くお楽しみくださいませ」
私は背を向け、吹き荒れる雪の中へと踏み出した。
背後でジュリアン様の怒声と、フィオナの悲鳴が聞こえる。
けれど、もう私の耳には届かない。
極寒の夜。
体温が奪われ、指先の感覚が消えていく。
あんなに必死に守ってきた世界に、たった一人で捨てられた。
「……お腹、空いちゃったな」
思わず零れた本音に、自嘲気味な笑みが漏れる。
料理番が、空腹で雪山に行き倒れるなんて、最高の喜劇だわ。
視界が白く染まり、意識が遠のいていく。
けれどその時。
ザッ、ザッ、と雪を踏みしめる重厚な足音が聞こえた。
見上げれば、そこには。
漆黒の毛皮を纏い、銀の髪をなびかせた、この世のものとは思えないほど美しい男が立っていた。
その瞳は、凍てついた湖のように鋭く、けれど深い孤独を湛えている。
「……こんな境界の森で、死に損ないの小鳥が何をしている」
その声を聞いた瞬間、私の手の中の木ベラが、カチリ、と小さな音を立てて熱を帯びた。
「あなた……お腹、空いていらっしゃいませんか?」
極限状態の私が口にしたのは、あまりにも場違いな問いかけだった。
男――隣国の恐るべき「氷の皇帝」ゼフィロスは、眉を不快そうに寄せた。
「黙れ。私は、十年以上まともな食事などしていない。何を食べても、砂の味しかしないのだからな」
砂の味。
私を捨てたあの男と同じ。
けれど、この目の前の「怪物」からは、甘えを許されない切実な「飢え」の香りがした。
「……なら、私のスープを飲んでください。私の料理は……これ以上、誰にも捨てさせたくないのですわ」
私は震える手で、懐に忍ばせていた小さな携帯用の鍋と、雪を掴んだ。
火などない。けれど、私の祈りが、木ベラを通じて雪を黄金の雫へと変えていく。
それが、後に世界を跪かせる「至高の晩餐」の、最初の一杯になるとは。
この時の私は、まだ知る由もなかったのだ。
最後まで読んでくださって、ありがとうございますわ!
「砂の味」しかしないスープを口にした殿下の顔、想像するだけでスカッとしますわね。
でも、本当の「逆転」はここからですわ。
行き倒れ寸前のエリアナが出会った、孤独な皇帝陛下。
彼が初めて「味」を知る時、一体どんな執着を見せるのか……。
次回の更新は、陛下の「重すぎる愛」が本格的に始動いたします。
どうか、この恋と料理の物語を、最後まで見届けてくださいませね。




