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世界のはしっこ、灯りの宿  作者: あめとおと


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第4話 魔女は帰る場所を知らない




 昼過ぎだった。


 森の光がやわらかく傾き始めた頃、扉が鳴った。


 ――コン。


 小さく、ためらう音。


 リノはすぐに顔を上げた。


「来ましたね」


 アレンは薪を割る手を止める。


「分かるのか?」


「なんとなく」


 それだけ言って、彼女は扉へ向かった。


 開いた瞬間、冷たい風が流れ込む。


 そこに立っていたのは――小さな影だった。


 少女。


 十歳ほどだろうか。


 灰色のローブは泥だらけで、裾は破れ、裸足に近い靴は擦り切れている。


 そして何より――


 怯えた目。


 逃げ続けてきた者の目だった。


「……ここ」


 少女の声はかすれていた。


「入っていい、ですか」


「はい」


 リノは迷わず答えた。


 条件も、質問もない。


 ただ横へ避け、道を開ける。


 少女は数秒ためらい、それから一歩踏み出した。


 瞬間。


 空気が変わった。


 暖炉の火がふっと揺れ、窓辺の灯りが一斉に淡く光る。


 アレンは眉をひそめた。


「……今の」


「歓迎してます」


 リノは当然のように言った。


 少女は部屋の中央で立ち尽くしていた。


 落ち着かない様子で周囲を見回す。


 逃げ道を探している。


 その癖に、アレンは気づいた。


 自分も昔、同じ目をしていた。


「座ってください」


 リノが椅子を引く。


 少女はびくりと肩を震わせたが、従った。


 椅子の端に浅く座る。


 いつでも立ち上がれる姿勢。


 リノは温かいミルクを差し出した。


「どうぞ」


「……毒、ない?」


 部屋が静まる。


 アレンは思わず息を止めた。


 だがリノは表情を変えない。


「ありません」


 ただそれだけ。


 少女はしばらく見つめ、恐る恐る口をつけた。


 一口。


 そして、止まった。


 目が大きく開く。


 次の瞬間、両手でカップを抱え込み、夢中で飲み始めた。


 こぼれそうになるほど急いで。


 誰かに奪われる前に、というように。


 飲み終えたあと、少女ははっとして顔を伏せた。


「……ごめんなさい」


「大丈夫です」


 リノは静かに言う。


「ここでは急がなくていいです」


 その言葉に、少女の肩がわずかに震えた。


 沈黙。


 やがてアレンが口を開く。


「名前は?」


 少女は警戒した目を向ける。


 答えるべきか迷っている。


 長い間の癖なのだろう。


 リノは助け舟を出さない。


 選ばせている。


 数秒後、小さな声が落ちた。


「……ミア」


「俺はアレン」


 簡単に名乗る。


 肩書きなしで。


 それを見て、少女の表情が少しだけ緩んだ。


 だが次の瞬間。


 ぱちっ、と空気が弾けた。


 机の上のスプーンが跳ね上がり、床へ落ちる。


 ミアが息を呑んだ。


「ち、違うの! わたしじゃ――」


 言い終わる前に、窓辺のカーテンがふわりと浮いた。


 風はない。


 明らかに魔力だった。


 少女は椅子から転げ落ちるように後ずさる。


「ごめんなさい、ごめんなさい……!」


 震えながら頭を抱える。


「追い出さないで……!」


 アレンの胸が締めつけられた。


 理解した。


 この子は――


 魔女だ。


 制御できない魔力を持つ子供。


 だから追われた。


 だから逃げてきた。


 だから、毒を疑った。


 リノがゆっくり近づく。


 怖がらせない速度で。


 そして、しゃがみ込んだ。


「大丈夫です」


 短い言葉。


「ここでは、壊れても直せます」


 ミアが顔を上げる。


 涙で濡れた瞳。


「……ほんと?」


「はい」


 リノは落ちたスプーンを拾い、机に戻した。


 すると、不思議なことに――


 歪んでいた金属が、元の形へ戻っていく。


 まるで時間が巻き戻るように。


 アレンは息を呑んだ。


「この宿は、少しだけ優しいので」


 リノは言った。


 誇るでもなく。


 ただ事実のように。


 ミアの肩から力が抜ける。


 そして。


 堰を切ったように泣き出した。


「……わたし、村で火つけちゃって……」


 途切れ途切れの言葉。


「こわくて……止められなくて……みんな、魔女だって……」


 小さな身体が震える。


「帰る場所、ないの……」


 アレンは視線を落とした。


 胸の奥が痛んだ。


 役目を終えた勇者。


 居場所を失った魔女。


 ここに来る人間は、皆どこか似ている。


 リノは少女の頭にそっと手を置いた。


「では」


 静かな声。


「三日、休みましょう」


 それは救済ではない。


 奇跡でもない。


 ただの提案。


 けれどミアは、初めて安心した顔を見せた。


 窓辺の灯りが、ひとつ増える。


 淡い紫色の光。


 まだ小さく、不安定な灯火。


 アレンはそれを見ながら思った。


 ――この宿は、治しているんじゃない。


 戻しているんだ。


 人が、人だった頃へ。


 外では夕日が森を染めていた。


 新しい三日間が、静かに始まる。






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