2輪目 閉ざされた心
「こっちです」
ハナに手を取られるような形で、私は森を歩いている。夜の森は静かで心地よいのだが、今は違う。なにせ1人じゃないのだから。
「......ハナはどうして、あんな場所にいたの?」
ふと気になっていたことを聞いてみる。
「私、散歩が習慣なんです。普段は家から遠くには行かないんですけど、今日はたまたま離れちゃって......」
私も散歩が習慣だし、気持ちはわかる。しかしこんな少女が一人で森を歩くなんて危険極まりない。
「......危ないから、気をつけたほうがいい。それと......手を繋がなくても逃げたりしないから、離して」
ハナはずっと私の手を強く握りながら歩いている。人に触れるなんていつ以来だろうか。歩きづらいし、何より居心地が悪いからやめてほしい。もちろんこの手を振り解いて逃げることも簡単にできるが、それはそれで面倒だったし、また道中で魔物に襲われる可能性もあるからそうはしなかった。そう思って言い放ったのだが——
「嫌です。ヨミノさんの手、今にも死んじゃいそうなくらいすっごく冷たいですから。だから私が温めます!」
そう言ってハナは手を離すどころかさっきよりもぎゅっと握ってきた。
今にも死んじゃいそうなくらい——
ハナが何気なく放ったであろうその言葉に足が止まる。それができたらどれほど幸せだろうか。側から見たら私は死にそうなのだろうか?もしそうなんだとすれば酷い話だ。そんなの、あまりにも皮肉が過ぎる。
「......?どうかしましたか?まさか、怪我とか......!?」
ハナが心配そうにこちらを見つめてくる。
「......なんでもない。」
そっけなくそう言い返し、再び歩き始める。
「......そうですか、わかりました」
私の何かを察したのか、それとも単に安心したのかはわからないが、ハナはそれ以上何も言ってこなかった。
——それから2人はしばらくの間無言で歩いていた。静かな夜の森には木々の隙間から月の光が差し込み、幻想的な雰囲気になっている。そんなことを思っていると、少し先に月の光とは違う灯りが見えた。
「あっ、あそこです、あれが私の家です」
その灯りは家の玄関に立てかけてあったランタンのものだった。森の中にあると聞いて小さな小屋のような家を想像していたが、思っていたよりも大きくて普通の一軒家くらいの大きさの家がそこにはあった。少し古びてはいるが綺麗に整備されていて、家の周りには色とりどりの花がたくさん植えられている。その花をぼんやりと見つめていると、ハナがちょこんと顔を出す。
「ふふっ、綺麗でしょう?気に入りましたか?」
「......別に。ただ目に入ったから見ただけ」
そう言って私は花壇から目を離す。確かに花は良いものだと思うし、いくらでも見ていられる。けれどそれは、ただ自分とは真逆の存在だから少し憧れているだけにすぎない。そこに好きだの嫌いだの、気に入るだのは全くない。そもそもそういう感情なんて、とっくの昔に消えてしまった。
「そうですか......あっ、どうぞ入ってください!」
ハナは少し残念そうな顔をした後、慌てて玄関まで行き、ドアを開けて私に手招きをする。招かれるがままに玄関のドアをくぐると、シンプルなデザインの内装が目に入る。靴を脱いで家に上がると、リビングのような場所に案内される。
「普通の家でつまらないかもしれないですけど、ゆっくりくつろいでくださいね」
柔らかそうなソファにテレビ、床にはカーペットが敷いてあり、レイアウトに全く興味のない私でもなんとなく綺麗だなと思うくらいには整った部屋だ。壁に掛けられたカレンダーには、八月七日に花丸がしてある。リビングの入口で立ちながら部屋を眺めていると、ハナがソファに座れと促すので言われたとおりにする。当分の間ほとんど野宿だったため、ソファの柔らかさに少し驚いた。たまにはこういうのも悪くないと少しだけ思いつつ、目を閉じる。そして頭の中を空っぽにして時間を過ごす。こうしている時だけ、私は生きていることすらも忘れられる。感じるのは窓から入り込んで肌に当たるわずかな風と夏を感じさせる虫の音、そして——楽しそうな歌声。
「はぁ......」
小さなため息を吐き、目を開ける。ここでは集中して瞑想することもできないのか、と思いながら歌声のする方を見ると、ハナが楽しそうに何かをしていた。おそらく、お菓子を作っているのだろう。甘い焼き菓子のような良い香りがしてくる。するとその視線に気づいたのか、ハナはこちらを見て微笑んだ。
「もうすぐクッキーができますからね。ちょうど家を出る前に生地を寝かせていたんです、運が良かったですねっ」
クッキー、と聞いてそういえばまともな食事をするのはいつぶりだろうと考える。空腹には慣れているからそもそもあまり食べ物を食べない。そして味を感じないから食にこだわる必要もない。
そんなことを考えているうちに、ハナがお皿を持ってこちらへ歩いてきた。
「クッキー、できましたよ!遠慮せずにいっぱい食べてくださいね!」
良い香りがする。長年忘れていた、焼き菓子特有の甘い香り。私が食べるのは少しもったいない気がする。いや、ハナが言っているように恩返しなのだから遠慮なんてしなくてもいいじゃないか。どうせ何も感じないんだし、食べたらすぐにここを出ればいい。そんなことを思いつつお皿の上に乗っているクッキーを見る。クッキーは全て花の形になっていて、様々な色で彩られている。ジャムが乗っているものやチョコが入っているものなど種類も多い。
「......じゃあ、遠慮なく」
そう言ってクッキーを一枚手に取って食べる。
「......」
「悪くは......ない。」
少しだけ、味を感じた。それは味覚なのか、はたまた香りを感じただけなのかはわからないが、たまにはこういうのも悪くないと思い、もう一枚、もう一枚と手が進んでしまう。そうして黙々と食べていると急にハナが笑い出した。
「ふふっ、気に入ってくれたみたいでよかったです。夢中になってクッキーを食べてるヨミノさん、小動物みたいでかわいいですっ」
気づけば十数枚あったクッキーが残り三枚まで減ってしまっていた。味を感じるとはいえほんの少ししか感じないのに、どうしてか夢中で食べてしまった。残っていたクッキーを平らげ、ソファから立ち上がる。
「......それじゃあ、私はこれで」
そう言ってこの家を後にしようとした時——
「待ってください!」
そう言いながらハナが私の手を掴んできた。
「はぁ......今度は何?......恩返しはもう受けたでしょ、私はもう行くから」
冷たく言い放つ。
「こんな遅い時間に、危ないですよ!外は真っ暗ですし、ヨミノさん、小さいし......」
あぁ、それが気になっていたのか。私の見た目で、こんな夜に出歩くのは危険だと。
「......私が強いのは、その目で見たでしょ」
この少女を魔物から助けたのは他でもない私だ。普通の少女に軽々と魔物が倒せるはずなどないのだから、私のことは普通じゃないと思われていると思っていたが......
「......だから平気。夜には目が慣れてるし、魔物が出ても倒せるから」
「そ、それはそうですけど......そもそも、ヨミノさんは何歳なんですか?私より年下ですよね?」
焦ったようにハナが私に問いかける。
年齢、か。なんて答えればいいのだろうか。外見は14歳だが、実際は違う。
答えに迷っていると、
「あっ、もちろん答えたくなかったら平気ですからね!」
ハナがフォローを入れてくる。別に隠す理由は無いし、普通に言ってしまおうか。
——たとえ軽蔑されようと、怖がられようと、どうでもいい。むしろその方が慣れているし都合がいい。
「......見た目は十四歳だけど、年齢で言うと百八十歳くらいだったかな」
ハナは口を開いたままぽかんと立ち尽くしている。
「え、ええと......ほんとなんですか......?」
「ほんと」
「それは......どういう理由で、ですか......?」
理由など、一つしかない。私をずっとこの世に縛り続けている、この忌々しい力。
そう、私は————
「——私は、不老不死だから」




