15輪目 真紅の瞳
私たちの目の前に巨大な魔物が現れた。
巨人のような人型の魔物。鋭い牙に充血した目、そして鎌のようになっている腕。その姿はなんともグロテスクなものだった。まずい——こいつは私でもなかなか勝てない相手だ。一対一に持ち込めればなんとかなるだろうが、シロが居てはどうやっても勝てないだろう。守るものが増えれば、そちらにも意識を割かねばならないからだ。
「あるじ......怖いよ......」
シロは私の背中に隠れている。私に触れるその体は、小さく震えていた。
「......シロ、先に逃げて。あっちにまっすぐ走れば、家に着くから」
「え......やだよっ、あるじも一緒に......」
「......あいつ、ああ見えて速いの。二人で逃げても追いつかれる。だから逃げて」
「いやっ!あるじと一緒じゃなきゃ——」
その時、地面が揺れた。顔を上げると、目前に魔物が迫っていた。言い合うのに夢中で、魔物が接近しているのに気づくのが遅れてしまったのだ。時すでに遅く、やつの腕はシロを捉えていた。このままでは、シロが危ない。
「きゃっ!?」
咄嗟にシロを突き飛ばし、やつのターゲットから外した。私は体勢が悪く、避けるのが難しい。せめてダメージは少なく抑えたいところだが、正直言って運任せだった。腕でその攻撃を受け——視界の端に、赤いものが写った。......私の腕が、飛ばされたのだ。体に痛みが襲う。腕だけで済んだことに安堵しつつも、残っている左手で短剣を構える。大丈夫、この程度ならすぐに治る。
「あるじっ!?」
シロが駆け寄ってきた。あれだけ逃げろと言ったのに、どうして逃げてくれないんだ。シロは私と違って、殺されてしまう。彼女はそんなの望んでいないだろう。だから私が守らなければ。
「......私が不死なこと、知ってるでしょ。行って」
「でもっ、血......が......?」
シロの様子がおかしい。私の傷口を見るなり、固まってしまった。やつは体勢を立て直して、こっちに矛先を向けた。そう易々と攻撃を喰らっていたら、体が持たない。シロが動かないのなら、私がやつのターゲットになったまま離れればいい。そうと決まればすぐに行動に移そう。その場を飛び退き、シロの近くを離れる。
「こっちだ、化け物......!」
しかし、そう上手くはいかなかった。やつは私には目もくれず、残ったシロをめがけて腕を振るった。どうしよう、判断を間違えてしまった。私に矛先が向かなかった時の場合を考えていなかった。私が行こうとしても間に合わない。シロが避けるしか、道はなくなってしまった。
「シロっ!避けて!」
頼む、避けてくれ——
グシャッ
そんな鈍い音と共に、血が飛び散った。私は膝をつき、残った左手の拳を握りしめた。また、守れなかった。私のせいで、死んでしまった。せめて、弔いを。やつを殺して、彼女の墓を立ててやろう。......シロは、私を恨んでいるだろうか?彼女なら、気にしていないだろうか?一日という、とても短い時間だった。けれどもシロは、私に寄り添ってくれた。握る拳に力が入る。仇は討ってみせる。右腕がなくたって、必ず仕留めてみせる。
グォォォ!!
やつの叫び声が聞こえた。いつまでもくよくよなんてしてられない。立ち上がって、声の方向へ体を向ける——。それと同時に、私は目を疑った。
そこには、シロが立っていた。その体は血に塗れている。しかし見たところ傷はなく、その血は彼女のものではないように見えた。シロの前には、魔物が膝をついている。そしてよく見ると、魔物の右腕がなくなっていた。なにが、起きているんだ。シロは死んだんじゃなかったのか?確かにその瞬間はよく見ていなかったが......。そして何より驚いたのは、シロの目が、いつもと違ったことだ。いつもの真っ白な瞳じゃない。そこには血のように赤く、冷たく魔物を見つめる目があった。
「よくも......ワタシの主人を傷つけたな」
シロであろう人物が、口を開いた。その声はいつもの透き通った声ではなく、低く威圧感にあふれたものだった。一人称も変わっている。
グルル......
その声を聞き、はっと我に返る。シロに気を取られて、魔物の行動を見ていなかった。やつは臆せずシロに襲いかかろうとしている。なにをしているんだ、私は。すぐに援護を——
「......遅い」
瞬間、魔物のもう片方の腕も吹き飛んだ。なんだ?何をしたんだ?私の目には捉えられなかった。やつの体は、そう簡単に切れないほど硬い。私でも切るのは一苦労なのに、これをシロがやったのか?武器もないのにどうやったのか、そう考えた私の思考は、シロの腕を見て消えていった。彼女の両手の甲あたりから、赤い鉤爪のようなものが出ていたのだ。手から生えてるというわけじゃなく、魔法のように独立してるようだ。魔物はというと、まだ戦意はあるらしく、懲りずに彼女に向かっていく。そして次の瞬間には、魔物はバラバラになっていた。血の雨が降り、さっきまで魔物だったものが地面に落ちる。その一連の流れは、まさに圧巻だった。こんなに強い人物は、今まで生きてきた中でも見たことがない。途中の言動からして、私の味方ではあるだろうが......どうなんだろうか。そんなことを考えながら立ち尽くしていると、急にシロが倒れた。
「シロ......!?」
駆け寄って、シロの体を支える。どうやら眠っているようだ。改めて見てみても、傷一つついていない。タイミングよく腕が治ったので、シロを抱えて立ち上がる。何から何まで、わからないことばかりだ。なぜシロはこんなにも強くなったのか。あの赤い瞳はなんだったのか。あれは本当にシロだったのか。気になることは山ほどあるが、今はとにかく安全確保が優先だ。そう思い、家まで走った。
家に着いても、シロは目を覚ましていない。ハナもまだ帰ってこないだろうし、私一人で対応しなきゃいけない。さすがに心配になってきた。今後一生目を覚まさなかったらどうしようか——そんな不安が、頭をよぎる。傷はないのに、なぜ目を覚まさないんだ。なにかできることを探さねば。記憶を探っていくと、一つのことを思い出した。それは、どこで読んだのかわからない本の内容。口づけにより、眠っていた姫が目を覚ますというもの。他に方法もないし、簡単なことだからやってみよう。そうして眠っているシロに顔を近づける。近くで見ると、綺麗な顔だ。そんなどうでもいいことに感心しつつも、唇を——
「うん......あるじ?」
口づけをする寸前、目が合った。よかった、目が覚めたようだ。その瞳はあの時とは違い、真っ白だった。近づけていた顔を離し、シロに向き直る。
「......目が覚めてよかった。シロ、あれはなんだったの?」
「うん?あれってなに?って、あるじ!腕はっ!?」
シロは焦ったように私の腕を見て、その後安堵した。今の言動からするに、全く覚えていないようだ。ともなると、あれはシロ本人だったのかわからなくなってきた。しかし、いくら私が考えたところで、答えなんて見つからない。
「あるじ、あの魔物はっ?」
なんて答えるのが正解なのだろうか......シロは今、返り血で塗れている。逃げたと誤魔化すのは無理そうだ。
「......なんとか倒したよ」
多分、これが一番賢明な答えだろう。
「さすがあるじ!ボク、なにもできなくてごめんなさい......」
実際はシロが全てやったのだから、少々罪悪感が湧いてくる。しかし、下手に説明して事を荒げないほうがいいだろうと思い、黙っておくことにした。
それから、しばらくしてハナが帰ってきた。返り血は消え切っていなかったため、もちろん心配されて大変だった。けれどもなんとか言いくるめることができ、事なきを得た。ハナにも、私が見たものは話していない。おそらく、今後あの力は使わない方がいいだろう。強い力には、何事にも代償が伴うものだから。
そうして、一日が終わった。




