尽くした母に口減らしに売られましたが聖女の記憶が蘇りました
物心ついた頃から、父は専権的な男であった。
それは上の兄や姉、そして母の反応から見ても急に芽生えた性質ではなかった。
彼が飛び抜けて優秀であったなら我慢もできるが、残念ながら凡庸以下であった。
気が小さく、外で溜め込んだストレスを家族にぶつける。
最もその捌け口とされていたのは、母であった。
因縁つけを思わせる八つ当たりに、母は唇を噛み堪えるばかり。
他の兄弟姉妹も、父に倣い母を軽蔑した。娘の私からも不憫に思えるほどに。
だから私は、なるべく彼女の支えになろうとした。
仕事を手伝い、愚痴に耳を傾け、問題を起こさず文句も言わず。
それなのにーー。
「お母さん、どうして私が炭鉱へ売られるの」
「ごめんねミラ。でも、お父さんが決めた事だから」
「なんで私だけが。説得してきてよ」
「一度言い出したら聞かない人でしょう? 仕方ないわよ」
炭鉱の狭い穴に入り、穴を掘り砂利を掻き出し運ぶ危険な作業。
事故の危険もさる事ながら、肺を壊し血を吐き死ぬ子供の話を何度も耳にした。
「なんで仕方ないの? どうして私が、私だけなの?」
「だからお父さんが決めたんだから、説得ならお父さんに自分でしなさい。今年は不作で食べていくのが大変なの」
「私が死んでもいいの? 昔いつか一緒に逃げようって言ってくれたのは嘘なの?」
「それでどうやって二人で暮らしていくの? 炭鉱で働けばご飯も出るのに」
溜め息のあと、母は見たことのない目を私に向ける。
「手伝ってくれる優しい子だと思ってたのに、他人を道連れにしようとする子だったなんて。このまま家にいても食べるものは無いから、いいね?」
実の母が、まさかこんな人物だったなんて。
これまで長らく、父が異常で母は真っ当だと思っていた。
しかし現実は違った。二人は夫婦になるべくして結び付き続けていた。
それに、こんな事態に陥るまで、気づかずにいたとは。
夜、家族が寝静まるうちに家を出た。
どうせ居場所もなく死の運命も避けられないなら、彼女らの為に売られるなど誇りが許さなかった。
「ふざけるな……! 奴隷になどなるか……売られて堪るものか……!」
そう声にした時、なぜか以前にも同じ言葉を口にした感覚があった。
謎のデジャヴに戸惑っていると、脳裏に生々しい幻影が映し出される。
戦争の最中、傷ついた兵たちを一人でも癒し逃そうとし逃げ遅れた。
撤退に間に合わず、亡くなった兵や法術による癒しを受けても逃げられる状態ではなかった兵たちと最期を迎えた、あの日のこと。
「ふざけるな……! 侵略者の手になど落ちるか……神を裏切るものか……!」
敵軍の捕虜となり、彼らを癒すことを拒んだ私は、胸を貫かれ死んだ。
それは多くの人々を癒し、死の運命から救ったと語り継がれる聖女の一人の逸話でーー。
「私が、聖女ミーランダ……!?」
動揺の中で呟いただけにも関わらず、次の瞬間には丹田から発生した、凄まじい熱が体内を駆け巡り始めた。
「こ、これは……! 身体中の傷がみるみる治りだしてゆく……!」
麦の収穫の際に尖った部位が目に入り、落ちていた視力が。
粉を挽く際の臼が他の兄姉の悪戯で落ち、挟まれ動かしにくくなっていた指が。
高熱を出して以来、熱と痛みが何度もぶり返した左足が。
「治っている……!? 須く完治……これは法術の力……!」
本当に、私はミーランダの生まれ変わりなの?
死の運命を前に、狂ってしまった可能性はないの……?
「うう……誰か助けを……」
「だ、大丈夫ですかッ!」
どこからか聞こえた声。例え夢であろうと、やるべき事に変わりはない。
倒れている男の、抑える腹部に手を翳す。
すると、なぜか虫垂の辺りに異変を感じた。
より意識を集中し探ると、虫垂に穴が開き、そこから膿や内容物が既に広がってしまっていたのがわかった。
「虫垂炎……! それも穿孔し汚染が始まっている……!」
このままでは、敗血症や腹膜炎で命が危ない。
あれ、なんで私はこんな知識をどこで得たんだ……?
考える間も無く体が動き、穿孔や炎症の治癒、内容物の浄化を行おうとする。
が、そうしようとした矢先、立ち眩みのように視界が暗転し、体が地面へ倒れ込む。
一度に力を使いすぎた。ただでさえ体も小さく力も衰えているのに。
そんな訳も分からぬ諦念の中、必死で意識を手放すまいとする。
視界よ戻れ、体よ動け、このままでは彼は死ぬぞ。
お前は助けられるだろう……! 動けミーランダ……ッ!
左手の薬指を立て、思い切り地面へ突くと、音を立て指が本来と違う方向へ曲がる。
頭を埋め尽くし鳴り止まない痛みのシグナルは、そのまま意識を保つ頼みの綱だ。
言い訳も妥協も、命の前では無意味。
この男を救う。その一念で脂汗を垂らしながら治癒を終えた私の意識は、今度こそ完全に途切れた。
◇
目を覚ました私は、地面へ仰向けに寝かされていた。
気づけば折った指も、添え木で固定されている。
「気づいたかね」
掛けられた声の主は、倒れていた男であった。
消耗した様子ではあるが、治癒は無事に成功したようだ。
「君が助けてくれたのだろう? 修行中、急に腹部の痛みで動けなくなってしまい……君のおかげで本当に助かったよ」
「何か食べましたか」
「いや、修行の一貫として、山で採れたものを少量だけ木の実などを」
原因はそれか。不規則な消化に悪い食事で、穿孔が起きてしまったのだ。
こうした習ってもいない知識が淀みなく出る様子からして、やはり私の前世はミーランダなのだろうか。
「……なにか、事情があるようだね。一先ず、教会へついて来て貰えないだろうか。ここでは指の手当ても不十分だ」
これは今の私にとっては、渡りに船かも知れない。
教会内に保護して貰えたなら、人買いも容易には手出しできまい。
私としても、教会で助けを求める人たちの為に法術を使うのが今は一番よいだろう。
もし喜捨の量により目に余る差がついていたり、生かさず殺さず程度の治療をしながら安い労働力としてコキ使う場所なら、準備ができた後に逃げ出せばよい。
頷き彼と共に向かった教会は、多少寂れてこそいたが、良くも悪くも厳格な場所であった。
彼がしていた、少々無茶な修行からも察すべきだったか。
効率はともかく、喜捨の額で基本的に治癒の手を抜くことはしていない。
領主の家族などに一部特例で治癒をしに向かうこともあるが、その分の額は貰っている。
もっとも、ただでさえ地方に位置するうえ、貧民の保護や自立支援など金にならない事を自前でしている分、資金繰りは苦しいのだが……。
「おおっ、不随と化していた下半身に感覚が甦ってきた!」
「歩行には時間がかかるかと思われます。少しずつ筋肉力や筋肉の弾性を取り戻しながら、元の機能性を取り戻していきましょう」
「ありがとうございますミラ様! これでまた家族の為に働けます!」
「驚いた……ここへ連れて来られた時から卓抜した癒しの力を持っていたとは言え、短期間で更に治癒を向上させるとは」
日頃は気難しい教会長が感嘆する中、ここでは私の先輩となる彼は頬を緩める。
「ミラが来てくれてから、多くの人々が失われた健康を取り戻しつつあります。とくに重い障害や病が回復に向かうことで表情が明るくなった者も多い! まさにミーランダ様の再来ですね!」
「口を慎め! だが、そうだな……もしかすると在りし日のミーランダ様も、今のミラのような力で衆生の為に尽くしていたのかも知れん」
「私などが、畏れ多い話です。今後も神に救いを求める人々のため、微力ながらこの身を捧げる所存です」
この時代だと少し法術に秀でているだけでもミーランダの再来、ミーランダ二世、北のミーランダなどと呼ばれているらしい。
もう少し冠するに適した人物もいると思うのだが、やはり最後まで務めを果たそうとしたうえで殺された末路が劇的だったのだろうか。
別に、名が語られる事自体が不愉快なわけではない。
最期を共にした兵たちがあまり語られないあたり、所詮歴史とは一部を切り取ったものでしかないようだ。
時に卑しい者に都合よく前世の名や出来事を語られると、思わず怒鳴り付けたくなる。
もっとも、この教会にそのような人物がいないあたり、神は私によい環境を与えて下さったと感謝している。
健康な者が増え、人々も明るくなり、疫病が発生しても小規模なうちに収束させられるようになった。
そうして活気が保たれやすくなる事で、間接的に経済活動にも好影響が出る。
領主からの寄付の額も増え、私の法術を目当てに紹介を受けた有力者が治癒を求めた事もあった。
教会長はそうして生まれた縁や利益を、上手く困窮者の支援や、地元産業への投資による雇用の創出に活用してくれたと思う。
当初は真っ当でも途中から地位を求める、私腹を肥やす事を目的化し、道を踏み外してしまう者は前世の頃でも少なくなかった。
周りも豊かにしながら自身も遊ぶならともかく、搾取により守るべき者たちを痩せ細らせながらでは先も徳心もない。
そんな中、あくまで教会長は神の教えを第一とし、堅実に地域全体へ持続的に波及させる形で増える富を巡らせ続ける手法を選んでくれた。
例え大金や地位を目の前にぶら下げられても、むしろ顔を真っ赤にして怒声を放つ人だ。
当然衝突も起こるが、矢面に立ちながら敵味方を選り分ける試験紙にしている。
怪しさ危うさある相手を除外するため、そんな部分もあるように見受けられる。
そうして人心も集まり、私たち教会の規模も大きくなり始めた頃……。
「では、今日は二人で訪問治癒へ。鉱山では事故や病で苦しむ者も多いと聞きます。神に救いを求める者たちの為、その授けられた力を尽くすように」
「畏まりました。それでは、行って参ります」
「神の御名を汚さず、その光を一人でも多くの方々へ届けられるよう努めて参ります」
私は先輩である彼と、鉱山を回ることとなった。
一定の修行を終えた神官を、こうして簡単に教会へは来られない方々の元へ派遣することもできるようになった。
これで全ての人々を救えるわけでないとは言え、それでも向かえる範囲や場所は年々拡大中。
それはそのまま、私たち教会の影響力を発揮できる地域を増やすことでもある。
「教会長様は、地域一帯で有数の司教になりつつあるね」
「手腕や貢献も認められつつあるようです。実際、あのお方の不断の実行力はいつの時代でも飛び抜けたものかと」
「衝突も増えて冷や冷やするが……一部の薬師や錬金術師らと連携を取れるようになったのは大きい。互いに協力し合いながら、複合的な治療法も効果を挙げ始めている」
「改めて、素晴らしい合意の形成です。私たちも精一杯、教会長様をお支えしましょう」
中央と縁の薄い彼自身が大司教や、その先の立場になれるかは微妙なところだ。
それを理解しているからこそ、彼は手勢を増やし地盤を構築する事に勤しんでいる。
方針が継続され、市井に生きる方々と距離の近い関係に神に仕える者たちが在り続けるように。
産み出されたモデルの構造から見ても、彼らを蔑ろにすれば立ち行かなくなっていく形となっている。
個人の良識や理性に期待せずとも受け継がれる形を、地方の一司教の身で構築している。
初めて会った頃は、ここまで見るべき人物とは思っていなかった。
「ミラ、君には助けられてばかりだな。我々がここまで急速に力を伸ばせたのも、私が助かり法術の力を伸ばせたのも君の存在が大きい」
「私はただ、神から力を授けられ、縁を戴いただけに過ぎません。全ては皆様のこれまでの苦難に耐える日々があってこそです」
「少しでも縮小を遅らせる事で手一杯だったからな……が、今は違う。平時にも関わらず選別を求められる狂気の時代など、早々に終わらせなければ」
少なくとも、彼が後を継いでいる間は方針がブレる事もなさそうだ。
その間に、私もこの時代の技術や情勢を学びながら、できる限りのサポートをしていこう。
前世の頃より技術が進んでいる事もあり、魔道具や魔法薬の効果は凄まじい。
もっとも一部にしか行き渡っていないのが現状だが、量産体制が整えば防疫や健康状態の改善などは勿論、雇用の創出にも繋がる。
そうして生まれた内需により積極的な投資も可能となるのだから、どちらにとってもよい話だ。
そう思いながら、道中で人々に治癒を施しつつ辿り着いた鉱山で、私は思わぬ人物たちと再開した。
「ミ……ラ……お前……」
「……兄さん、お久しぶりです」
恐らく、粉塵で肺をやられてしまったのだろう。
上手く酸素を取り込めず、呼吸器からの出血も見られる彼へ治癒を施す。
収縮する機能を失っていた肺を直した瞬間、一歩引くと先程まで頭のあった位置を拳が掠めた。
「お、おい! 何をしている! この方はお前に治癒を施して下さったんだぞ!」
「離せ! おいミラ! お前が逃げてから家はメチャクチャだ! 俺たち兄姉弟妹は一人ずつ売りに出されて! お前が大人しく人買いに売られていれば!」
未だ苦しそうな咳払いをしながら、憎々しげに私を睨み付けている。
その流れなら、遅かれ早かれ全員が売られていた気もするが。
もっとも、先程まで死にかけていた子供にそこまでの判断力を求めるのも酷か。
「ミラどうした! 何があった大丈夫か!?」
「も、申し訳ありません神官様方。治癒を受けていた鉱夫のうちの一人が唐突千万に支離滅裂な悲憤慷慨をミラ様へぶつけながら、殴打に及ばんとする言語道断の暴挙を……」
「問題ありません。私は平気です」
「おい待て! 話は終わってねえぞ! 兄の言うことが聞けないのか!」
それにしても、一応は跡継ぎであったであろう長男の彼すら売られるとは。
理屈の上で私や弟妹らが売られたのは理解できるが、果たして実家で何が起きていたのだろう。
「ミラ、もしかして彼は……」
「……まずは、神に救いを求める人々の苦しみを和らげてからにしましょう。話は、その後で」
私たちは治癒を施し終えた後、錬金術師らが開発した粉塵やガスの被害を防いでくれるマスクを配布した。
無理を言って大人用だけでなく子供用も用意して貰った。
全員分は行き渡らず、劣化や破損後にも購めてまで利用を継続してくれる人数もたかが知れているが、できる事から少しずつ始める他ない。
「……そうか。肉親に詰られて、よく耐えたね」
「いえ……元々、あまり関係のよくない家族でしたから」
「それでも、実の家族の言葉というのは、良くも悪くも響いてしまうものだ。よく堪えてくれた」
「……ありがとうございます。感情的にならず済んでよかったです」
年頃の子供へ接するようにされると、前世も含めた実年齢は違うだけに後ろ暗い気持ちになる。
「ところで、この辺りの年貢なども合わせて少しは軽くなったんですよね?」
「そうなってはいるが、一部では麦の病気から実が空になってしまったりと、対応に苦慮したらしい」
それにしても、労働力としても頼もしい長男を売るというのは考えにくい。
関係悪化で放逐されたにしては、親への恨み言の一つも無かった。
もっとも、親を責めたくない心理から私を詰った可能性もあるが……。
「ミラは心の優しい子だから、家族が気になるだろう」
すぐには、返答できなかった。全く気にならないわけではないが、正直よい感情は持てていない。
前世の記憶を思い出せていなかったら、きっと今も呪詛を吐き続けていた事だろう。
「……家族はともかく、麦の病気は気になります。彼らが余裕を持てるよう、何かしら教会でも働きかけたいですね」
「そうだね。帰ったら教会長に相談してみよう」
彼の柔らかな微笑みに、胸が痛くなった。私の心は純心とは程遠い。
その後も足を運ぶ範囲が拡がるうち、遂に生まれ育った村へも足を運ぶ日が来た。
一度足を運んだ地へも、繰り返し定期的に様子を見、人々へ治癒を施さねばならない以上、すぐではなかったが。
それでも、いざ向かうとなれば心構えが必要となった。
「そうか、ミラの生家か。ならば、私も同行しよう」
「教会長様が来られずとも……正直、あまり会わせたい人々でもありませんし」
「ミーランダの再来の一人に数えられるお前の双肩には、遠からず責任を負う未来が待っている。その日の為にも、お前の事を私はより知っておく必要がある。なに、どれだけ不快な思いをしようが、それでお前の対応を変えたりはせん」
「ミラ、教会長は君を心配してくれているんだ。ここは素直に甘えなさい」
あまり渋っても仕方なさそうなので、同行して貰う事となった。
もっとも、今回は薬師の組合や錬金ギルドも共に向かうので、それがメインの理由なのだろうが。
道中、比較的規模の大きな村へ立ち寄れば、そこには近隣の村から病人や怪我人らが集まっている。
そこで私たちが、それぞれの祝福や技能で治療にあたっていくのだ。
「ミラちゃんの法術は本当に凄いねぇ。どんな重そうな怪我や病気も、あっという間に治しちゃって」
「いえ、私は直接赴かねば人々に癒しを施せません。より広く多くの人々を救える薬師様のほうが世の人々を救っておられます」
「おっと、錬金ギルドを忘れて貰っちゃあ困りますね。教会からの依頼で作った防塵マスク、作るの大変だったんですよ?」
「おかげで利益の大半を独占できてるんだから構わないでしょ。構造を成り立たせる為に私たちだって協力してるんだから」
実際、この三位一体による協調路線の成果は目に見えて現れている。
法術で治療をしても、すぐ日常生活へ戻れない人々の為に、錬金術師たちが関わったリハビリ用の器具が役立っている。
薬師の方々は、私たちが向かえるまでの症状の進行を遅らせ、苦痛を緩和してくれる。
前世の頃は権威や利害の為に三つ巴で争い、その余波で多くの失われずに済んだ命や人生があった。
それは多少穏やかになったとは言え、今も世の中全体で見れば流れ自体は変わらない。
それでも、こうして出せている成果を盾に、今後強まっていくと予測される抵抗を凌いでいく目的で私たちは合意している。
新たな文化や常識として定着させる間は、何とか割れずに持って欲しいところである。
「それにしてもミラ、どうして君の法術は規格外の効果を持ち得るんだい? 過去の聖女の逸話など眉唾物の創作としか思っていなかったが、君を見ていると例外もいた可能性を認めざるを得ない」
「人体の構造や機能への理解は重要と考えます。漠然と祈るより、そちらのほうが効果は明らかに高まっています」
「でも、まだ子供である君より治癒を施せる者はいない。たしかに君のとこの教会の神官たちは粒揃いになったんだろうが、それでも積んできた修行の年数を思えば、最低限でも同じだけ使える人間が大人であっても存在するほうが自然だ。その差異を生むのが、果たして何なのかーー」
「小難しい事は構わないさね。祈ったら治った。困ってる人にとっては、それで十分」
探求心を抑えられない彼に、薬師の彼女が釘を刺す。
「大雑把だな。そんなだから手法も忘れ去られかけていたんじゃないのか?」
「お生憎様。こっちは上の上の代までは普通に異端だと大変だったんだから。うちの爺様や婆様が若い頃も……って、ミラちゃんに言ってるんじゃないからね? 要するに、なんで効くのか知らなくとも効果があるなら構わないって事さね」
「問題ありだと思うな。それで副作用でも出たらどう対処する気なんだ?」
「前提や条件さえ間違えなければ毒にはならない。とは言え、今はそれじゃ駄目だから検証もしてるけど、それもあくまで私やアンタが人の手によって扱われる物を作ってるから。曖昧にしておく知恵ってのも、一部あるんじゃないかね」
それは、その通りだろう。仮に神秘に何らかの原理が働いているとしても、その解明は慎重に進められるべきだ。
そして今の彼女の発言は、彼女自身の内面も指しているのでは。
これだけの技術がありながら、それを表立っては使えず歯痒い思いをしてきた。
彼女の言う更に上の代には、争いの結果、処刑された者たちもいた。
そんな彼女たちが教会に協力するうえで、飲み込んでいない思いが無いはずがない。
内部分裂を繰り返しつつ何とか残ってこられた錬金ギルドと違い、これから薬師たちが再興を果たすうえだとしてもーー。
「そうかな? 法術は一説では独自体系の光魔法ではないかと言う考えもある。教会が抜本的に協力してくれるのなら、より多くの人々に解明した知識を活かした恩恵が広まる」
「そんな要求をしたら今の協力体制だって一瞬で瓦解するだろうに。なまじ中央とパイプのある錬金術師どもはこれだから近づきたくない。せっかく目溢しが許され始めた段階で巻き添えを食らうのは御免だよ」
「君たちの過去の没落は、知識やノウハウを独占を目論んだ結果じゃないのか? だから支持を失う中、革新を続けた我ら錬金術師や国教の地位を得た教会からの排斥を受けてーー」
「あの、私が死んでからでよいなら、錬金ギルドに献体として死体を提供しましょうか?」
論争を収めようと提案すると薬師の彼女だけでなく、なぜか錬金術師までもが目を見開きながら表情を引き攣らせた。
あれ? 革新を志す錬金術師なら渡りに船と喜ぶはずでは?
「ミラちゃん、軽はずみに女の子がそんな事を言うもんじゃない。罪人でもないのに体を切り開かせるなんて……アンタが余計な事ばかり言うからミラちゃんが突飛な事を言い出したじゃないか!」
「わ、私のせいではないだろう!? おほん……あのねミラちゃん。お気持ちは嬉しいが、さすがに大昔の非人道的な実験を繰り返していた頃のような真似をする気はないから」
「いえ、あくまで私が死んでからの話であってーー」
「はい。この話はもう終わり。子供が死んだらなんて言うものじゃないし、滅多な事も口に出すものじゃない。私の周りはともかく、中には本当に言質を取って書面に残してから下らん真似をやらかす連中だっている。私ももう少し段階を踏んで研究を進めるから、ね?」
「まったく、そう最初から言っておけばいいんだ。それとミラちゃんは神官だけど、教会自体を信じ過ぎちゃ駄目だからね。あそこは魑魅魍魎が跋扈する妖怪の巣窟だ。本当はアンタみたいな女の子が非主流の立場で名前が出てたら危ないぐらいなんだ」
私の姿が子供だからか、それぞれ二人は本気で案じる目を向けてくる。
たしかに前世での私の死には、単なる敵の侵攻のみならず、中央の政争の煽りを受けた部分もあったが……。
「だとしても、この力を授けられた事それ自体が神の御意志なのだと思います。与えられた力を以て衆生に尽くし正道を歩まんとする。例え法術の力が無かったとしても、これに関しては変わらない思いです」
「もし本当に神様の御意志だと言うなら残酷なものだね。こんな小さな子に背負わせるには重すぎる使命だ」
「神がいるなら既に人の世の無明さに正気を失っているんじゃないか? もし主が言われる通りの存在なら、もう少し負うべき人間に責任を果たさせるものだろう?」
「あ、あの二人とも。神を疑われるのは、さすがに。我々は各々の最善を尽くした上で天命を待つため、ここに立場を越え居合わせているのですから……」
別に私は同情されたり憐れまれる為、再びこの世に生を受けたわけではない。
気持ちはありがたいし考えや立場も人それぞれだが、もし平穏無事を望むなら拾われた後も違う選択を選んでいただろう。
「そうさねぇ。各々の陣営のあぶれ者が集まった寄り合い所帯みたいなものだし。共有できる目的の為に仲良くしていかないとね」
「私たちは一時的に非主流派に落ちているだけだが……まあ、復権する上で協力が必要なのは事実だ。他陣営でも君たちは価値観を共有し得るし」
「はい。できる限り健全さを維持しながら、この関係を続けていきましょう」
仮に将来もめて割れるのだとしても、それまでに十分な余力を得ていれば構わないのだ。
恵まれ過ぎては、恵まれないより危機を招く事もある。
そして内から内を批判する難しさを思えば、世に内実を取り戻させんとする私たちがアウトサイダー側である事は必ずしもデメリットばかりではない。
もっとも、それを私たちが果たしきれるとも限らないのだが……。
それを抜きにしても、こうして対話の成り立つ人々と談笑ができると言うのは幸福な事である。
例え世界中でこんな関係になれる日が来なくとも、絶望する必要などない。
仮に私たちの仲が拗れ、この楽しい時間を誰もが忘れてしまったとしても、今日という日は確実に存在したのだから。
◇
生まれ育った村の周りの風景は、さほど代わり映えのしないものであった。
よく言えば迷わずに済んだが、それでも緊張が無いと言えば嘘になる。
「採取した土や麦を簡易的に調べたが、やはり病気だな。魔素による汚染に龍脈の不適切な管理も相まって、少し骨が折れそうだ」
「魔素や病気は対処できても、龍脈まで関わってるとなると厄介さね……とりあえず、先の二つと村の病人怪我人への対処から始めようか」
「うむ。錬金ギルドは魔導具の設置による汚染の軽減、薬師は麦の病気のこれ以上の蔓延を防ぐ対処アプローチの選定と、日頃の薬の用量や服用法の指導。我らは怪我人や病人の治癒のあと、麦や魔素の対処に向かう。ミラは私について来るように」
「はい教会長。補佐を担当させていただきます」
別れて村民の案内の下、人を集めた場所へ向かう。
「神官様がた、こちらに御座います。おもてなしもロクにできず、お恥ずかしい限りで」
「構わん。我らは神の御名と教えの下、同じ信徒の助けとなる為に来た。物資も幾らかは持ってきてある」
「こ、これは有難い……! しかし、本当によろしいのですか? 喜捨が一人半銅貨一つで……」
「額は関係がない。全員分、用意しておろうな」
完全に無料にしないのが、これまで結んできた各所での関係を拗れさせずに来た秘訣なのだろう。
体裁を保つ事で一線を引きながら、施しを受ける側の尊厳も守りつつ慈悲を示す。
本当に無一文の者には治癒し回復を待った後、治癒院で労働により払わせる。
その過程で手に職をつけ、こちらで貯めておいた金を受け取り持ち直す者、問題を起こし失踪を企てる者と様々だ。
彼は問題を起こす者を厳しく叱りつけるが、それも一つの優しさだと思う。
少なくともピンハネ目的なら、治療を脱走できない程度に止める事もできる。
そうした健康面の足元を見て飼い殺しにする治癒院と比べ、自立を目指させているだけ健全だ。
残念ながら社会復帰が困難な者でも、出戻りを認めているのがその証拠だろう。
窃盗や粗暴な行為、規律違反の繰り返しがあれば反省が見られるまで隔離もされる。
それでも食事を抜くなどと言った過度の懲罰はなく、自身や他者を傷つける可能性が薄れれば拘束も解かれる。
社会との繋がりを何とか保たせ続け、せめて野垂れ死にする最期だけは迎えさせない。
批判もあろうが、社会で生きていけなくなってしまった者も包括しようとする姿勢は聖職者として責任を果たしていると思う。
村民は、私がこの村の生まれである事に気づいていない様子であった。
法衣に身を包んでいるからか、それとも私も少しは大人に戻りつつあるのか。
顔見知り程度の関係だった事も影響しているのだろうが、正直に言って気が楽だった。
「さあ、こちらに御座います。まず村長のところへ案内いたしますので」
「神官様がた、本日はよくぞ遠いところを御足労下さいました」
「神に仕える者として当然の使命だ。治癒が必要な者はどこにいる」
「こちらに御座います。さあ、集会所へ」
そこには収まらず外にいる者たちが出るほど、治癒を求める者でゴッタ返していた。
「おおっ、本当に神官様方だァ! ありがとうございます神様……!」
「早くして下さい! ウチの子に神の祝福を!」
「おい待て! アンタこの村の人間じゃないだろ! まずこの村に元から住んでる私たちが先だぞ!」
「慌てるな。全員に治癒を施す。おい、手分けをして始めろ」
そうして、半ば流れ作業的に治癒が始まる。
本来なら詳しく病状を聞きたいのだが、人数や時間的な制約を考えれば仕方ない。
こういう時、祈る手順を加えたり儀礼的な言葉でのやり取りは便利だと思う。
もっとも、彼らからすれば訴えたい事はあろうが、それは後で薬師の方々に聞いて貰う。
こちらにできるのは、精々程度を感じ取る事に集中するぐらいだ。
「それでは、よろしくお願いします。失礼ながら、私は麦畑の方へ向かわせていただきます」
村長が出ていく中、治癒を待つ間、敬虔に皆、祈っている。
静謐なのはよいことだ。これだけの大人数に処置をしなければならない中、ざわつかれては堪らない。
大昔、治癒も不十分な兵士を動けるようになっただけで戦場へ送り返してしまった事があった。
「待って下さい! まだ治療の途中です! もう少しここでーー」
「もう大丈夫ですミーランダ様! これなら再び戦えます! 戦友が待っているのに寝ていられません!」
あの後彼は死んだだろう。私自身も殺されたとは言え、慚愧に耐えぬ思いに代わりはない。
昨日のように楽しい時間があっても、こうして自らの罪を突きつけられる。
それは生きている限り、消える事なく繰り返されるのだろう。
自己弁護と思われるかも知れないが、ただ楽しいだけの思いが続かない事を、自身が最低限度の責任感を保てている証明としよう。
そう悔恨を胸中で噛み締めていると、不意に目の前へ誰かが割り込んできた。
「ミラ! 元気だったかい!? 心配したんだよ!」
何事かと思っているうち、その女に懐かしい面影を見た。
「……お母さん」
白髪が増え、シワもできていたが、それはたしかに昔一緒に暮らしていた者の顔であった。
彼女は芝居がかったように感じる口調と表情で、一方的に捲し立てる。
「そうだよ! ミラのお母さんだよ! こんなに立派になって! お父さんも来てるよ!」
「家出したお前を何年探し続けたか。まさか神官になってたなんて。会いたかった」
「失礼ですが、ミラの御両親で?」
周囲が困惑する中、教会長が間に入ってくれる。
「はい。その通りに御座います。この子が家を出てしまうまで、ずっと気掛かりで夜も眠れぬ日々を過ごして参りました」
「唐突に居なくなってしまって……私たちにも悪い部分があったのでしょうが、神官様が保護して下さってたんですね」
「そうか。それは大変だったであろう。ミラの兄弟姉妹たちにも何人か会った。会った者は皆、今も生きている」
教会長の牽制。母は一瞬、表情を強張らせたが、父は何事も無かったかのように続ける。
「それはよかった! ところで、ミナはそちらで、どのような暮らしをーー」
「今は集まった皆の者に治癒を施している最中だ。とくにミナは多くの者を癒さねばならない。控えていろ」
「いや、親としてミナが今どう暮らしているか気になるのです。お時間は取らせませんから、なあミナ?」
柔和そうに取り繕っても、瞳の奥の卑しい欲を隠しきれていない。
前世の一部貴族や枢機卿らを思い出す目に嫌気が差し、治癒を再開しようとした際ーー。
「ミラ、聞いてるのか。お前も俺たちと話したいだろう」
「ミラは治癒を施してる途中だ! 治癒を受ける以外でここより先を跨ぐな! 終わるまで控えておれ!」
「親子の久々の会話です! 神官様と言えど控えるべきだと思いますがね!?」
「あなた、神官様の言う通りにしましょう。ミラ、後で話しましょうね」
溜め息を堪え、この状況に困惑している治癒を待つ方々に断り、両親に向き合う。
「お母さん、お父さん、私が逃げて売れなかったから他の兄弟姉妹たちを代わりに売ったの?」
「仕方ないだろう。皆を食わせる余裕がなかったんだ」
「ミラ、私たちだって苦しかったのよ。理解して、過去は水に流しましょう?」
「その代わり、今後は父さん達がミラを手伝ってやろう。まだ俺たちが恋しいだろうし子供なんだから助けも要るだろう? これが終わったら俺たちも教会へ行くから」
やはり、集り目的か。二人を冷めた気持ちで見ていると、騒ぎを聞きつけた村長が現れた。
「ど、どうなされました。いったい何が起きて」
「この者たちがミラに言い寄り治癒の邪魔をしているのです。親だとしても許されざる行為です」
「誤解です村長! 我々は親として、一人で教会にいるミラを心配に思ってーー」
「もう、迷惑なのでやめて下さい。教会の方々がよくして下さっているので、帰りもついて来ないでいいです」
子供に拒絶された事が癇に障ったか、父の見開かれた目が殺気立つ。
それでも暴発寸前で何とか堪えたか、小さく痙攣させながらも笑みは崩さない。
とは言え、その様子が他者からどう映るかまでは気が回らないらしいが。あと一押しか。
「強がらなくていい。本当は寂しいんだろう? これからは傍にいてやるから、な?」
「結構です。まだ治癒を待っている方々が大勢おりますので自分の番まで待っていて下さい」
「なんだ、その口の聞き方は! 親に向かって!」
こちらへ手を伸ばしかけた瞬間、周りの人たちに父は取り押さえられた。
「は、離せ! 何の権利があって邪魔をする!」
「いい加減にしろ! お前が面倒事を起こすせいで治癒が滞ってるじゃないか!」
「糞っ! おいミラ! 誰がその年齢まで育ててやったと思ってる! 神官になれたのだって俺のおかげだろ! その分、親孝行する程度の感謝もないのか!」
「いい加減にしなさい。それ以上続けるなら、お前に治癒は施さない」
一喝した教会長へ、父は組み伏せられた体勢のまま挑むような目を向ける。
「はっ、金持ちを優先して治療をする偽善者神官が、どの口で。食うに困った事もないくせに! どうせミラの事だって利用価値があるから手元に置いてるだけでーー」
「このままでは治癒を続けられない。連れ出して邪魔できないようにしてくれ」
「ちょ、待ってくれ! ちくしょう、何が聖女ミーランダの生まれ変わりだ! 単に戦争で引き際を間違えて捕まって降伏を拒否して犬死にした馬鹿尼じゃねぇか!」
「貴様! 例えミラの父親であろうと聖女に認定されたミーランダを犬死にした馬鹿尼だと!?」
目を剥く教会長へ、父は最後っ屁とばかりに続ける。
「ああ逃げず死んだ兵士たちも含め大馬鹿さ。最後には神様が助けて下さるとでも思考停止してた罰が当たったんだ! おい雌餓鬼! いい気になってるか知れねぇが手前も同じように死ぬんだ! 嗚呼、聖女ミラ様ありがとうございますって軽薄な連中に死後も利用されてな! 下らないったら無いぜ!」
「神官様方、本当に申し訳ありません。おい、早くコイツを納屋に閉じ込めてこい!」
「い、痛えっ! 離せコラ! おいっ! お前が甘やかすから、どうしようもない馬鹿ガキに育ったじゃねぇか! どいつもコイツも役立たず、ふざけやがって!」
「人のせいにしないで! ねえミラ、お母さんの事は許してくれるでしょう? ミラは優しいものね? ずっと私を助けてくれた、いい子だものね?」
前世の私は、親の顔を知らなかった。
教会で育ち、法術の力を神に与えられし事を知り、神官となった。
だから、親というものに幻想を見てしまったのかも知れない。
中には、信頼関係を結べる相手と血縁関係になる者もいるだろう。
でも、そんな運だけで決まる関係の相手に拘泥する必要なんて、最初から無かったのかも知れない。
「私も反省しているの。ミラが売られる時どうしてもっと真剣に庇ってあげなかったのかって。だからね? 今後は私だけでも傍にーー」
「私はもう親が無くとも大丈夫ですが、他の売られた兄弟姉妹たちは違うと思います。所在のわかっている者たちがいずれ戻る事もあるかも知れません」
「そ、そうね。また家族みんなで仲良く暮らせるかも知れないわね。お母さんに、その為の手伝いをさせてちょうだい? 今度は私がミラを手伝ってあげるから、ね? 大好きよミラ。あなたを愛している」
こんな人の言葉でも、もしかしたらと胸を掻き乱される。
本当に、家族で仲良く暮らせる日々とやらも、可能性の上では存在するのかも知れない。
それでもーー。
「私は神に仕え、救いを求める人々の力となる為に人生を使わなければなりません。個人としての幸せを優先してはいけないんです」
「お母さんだけでも救ってくれないの? あなたの為にずっと我慢してきたのに!」
「身内だからと特別扱いをしては示しがつきません。親なら理解して下さい」
「……お前なんか、もっと早く売るよう言うんだった」
憎々しげに吐き捨てられたのが、母からの最後の言葉だった。
連れて行かれる母へ一礼した後、再び治癒に取り掛かる。
うん。問題なく順調だ。影響はない。
前世の親は、私を育てられないと孤児院へ置いて行った。
闇の錬金術師や薬師に売る、と言った事も可能だった中、最低限生きていけるようにと、そうしてくれたのだ。
これは希望的な観測に過ぎず、もしかしたら摘発された犯罪組織の捜索中に保護され教会へ預けられた可能性もあるが。
そんな事、どうでもよい話だ。皆が神の子で、私には使命があって。
何なら今の心配ごとだって、親をあしらった冷たい娘と思われないか? という至極卑しい内容だし?
まあ、あんな親の血を引いているのだから、この程度は許される。
許されずとも内心に止め、悔い改めさえすればーー。
「あ、あの。神官様。少々、根を詰めすぎでは?」
「え? いや、そんな事は……」
「顔が真っ青です。私たちは大丈夫なので、少々休まれては」
「……力を使い過ぎているな。仕方ない。錬金ギルドの薬を飲んで、三十分ほど目を瞑っていなさい」
いや何を大袈裟な、別に治癒を使えなくなっているわけでもあるまいに。
「でしたら麦畑を見に行きます。土地勘もあるので、被害の範囲を見極めてーー」
「いいから今は休め。命令だぞ」
「ミラちゃん、無理しないで。たまには人を頼ってもいいのよ?」
「私たち、ミラちゃんがあの家でコキ使われてた時、見て見ぬふりをして……今さら遅いのはわかってるんだけど、子供のうちは頑張り過ぎなくていいのよ?」
いや、本当は子供じゃないんです。なんて言えたらどれほどよかっただろう。
教会長は語気こそ強いが、その哀れみの滲む瞳は何時になく優しかった。
村人たちも、あながち表面上だけとも思えない労る視線を私へ向けていた。
多勢に無勢を悟り、座って目を瞑ると、他の神官の列へ並び直す際、何人かに頭を撫でられた。
隠し事をした状態で他者の愛を受け取る事の、なんと心苦しい事か。
◇
「そんな事が……大変だったね。それにしても、まさかこの村の生まれだったなんてね」
「信じられないな……子を売る苦悩は塗炭のものだろうが、そんな嘘まで吐いて……」
「あ、あの。お二人に聞いて欲しいことがあって、あまり気持ちのいい話ではないんですけど」
「うん、なんでも聞かせて」
失望されるだろうか。そうでなくとも間違いなく面倒な内容だ。
そう思いながらも、私は実精神年齢を忘れ尋ねていた。
「真に救うべき存在は救いたくなる姿をしておらず、そんな両親が今後村八分になっても心に痛痒を感じなくて、神より賜りし法術の力も問題なく使い続けられて……これは、どう捉えるべきなのでしょうか」
親の顔も知らなかった前世なら、持たずに済んだ悩みだった。
せめて法術の力に影響が出ていたなら、神が咎めて下さっていると思って素直に悔い改められたのに。
母の最後の言葉が、どうしても頭に残って離れてくれない。
「それは……人としては、自然な心境じゃないのか? いくら親でも、そんな振る舞いや言動をされては失望から他人同然の心理的距離になるのは仕方ないだろう」
「神様がミラちゃんに力を使わせ続けてくれてるって言うのは、神様が既にミラちゃんの気持ちを許してくれてるって事なんじゃない?」
「……せめて、憎しみに囚われているうちは、戒めとして法術を使えないなどの制約が起きていたなら、自身を戒められたのですが」
神の御心を知ることができないとは言え、今の自分が許されたなどと思えば、何かの拍子に道を踏み外してしまいそうだ。
「治癒に没頭していれば忘れられるとは言え、それも救いを求め目の前に来られた方々に失礼な気もしますし、神に力を借り行使する者として、どうあるべきなのか……」
「真面目だねぇ。相手が救われたなら、概ね良しとしておくのも知恵ではあると思うけど」
「信仰に生きると言うのは、薬師の君ほど大雑把じゃないんだろう」
「枝葉ばかり気にしがちな錬金術師に言われる筋合いは無いさね……これは、まだ祖父母が生きていた頃の話だけど」
声のトーンを落とし、彼女は話し始めた。
「当時の薬師を弾圧した教会のトップは、それは清廉潔白だったそうだよ。私腹も肥やさず、厳し過ぎるほどの教育を施した親を常に敬い……そういう歪みが、私たちに向いた面もあったのかも知れないね。勿論、一番の理由は競合だろうけど」
「似たような話はよく聞くな。奴隷を解放した指導者が原住民に苛烈な弾圧をしたり。内在化された敵意というヤツだ。我慢し過ぎた抑圧の反動ほど恐ろしいものはない」
「辛いことや悲しいことは今後もたくさん起こるだろうし、何とか耐えて凌がざるを得ないんだけど、神官だろうと悲しい時は心の一欠片ぶん程度は自分に正直でいいんじゃない?」
「ミラちゃんは似た悩みを持った信徒が懺悔に来たらどう答える? 抑え込むべきとは返さないだろう? その言葉を、自分自身にも掛けてあげるといい」
立場の違う二人の言葉に、狭まっていた自身の観念が再び広がりを取り戻すのを感じる。
辛さが無くなったわけではない。それでも、今ある胸の温かさが、少しの間やり過ごす力になるような、そんな気がした。
そんな時、不意に後方から咳払いがした。
振り向けば、そこにはバツの悪そうな顔をした教会長がいた。
「あー、ミラ。少しよいか」
「あ、はい。二人とも、少々失礼します」
断ってから外すと、教会長の後を追う。
「あれから、村長から謝罪があった。お前の両親はお前が帰るまで表に出さず、その後も見張りがつくそうだ。まあ、離農を口にしてしまった以上、当分は仕方ないだろうが……」
「わかりました。わざわざ教えて下さり、ありがとうございます」
「うむ……先ほどの会話、少し聞かせて貰ったが、神官をしていれば心を乱される事は少なくない。今後の我々が進む道を考えれば、その機会は決して減ることもないだろうが……」
向き直った教会長が、小さな子供へするよう視線を合わせ、しかし真剣そのものな目で私を見た。
「囚われることのないように。危うくなった己を自覚したうえで、道を踏み外さぬようにな」
「はい。今後も神に仕える者として、己の苦しみを見定めながら精進させて戴きます」
「……どうやら、私が言うまでも無さそうだったな。邪魔をした。もう二人のところへ戻ってよいぞ」
「いえ、ありがたい御言葉、感謝いたします。神の御意志に従い救いを求める人々の為、改めて教会長の下で神官としての務めを全うさせて戴きます」
今の私には、こんなにも親身になってくれる人たちがいる。
なんと恵まれた事だろう。この輪を、少しずつでも広げて行かなければ。
全ての人々と理解し合う事は叶わなくとも、一人でも不幸の底に落ちたまま孤独に生涯を終える人が減るように。
今こうして繋がりを持てた人々を、家族のように大切に思って。