-初任務①-
朝靄がうっすらと立ち込めるなか、蒼空は石猫亭の素朴な朝食を平らげた。
焼きたてのパンに香ばしいスープ、素朴だが心が落ち着く味だった。
「……さて、行くか」
静かに立ち上がると、心なしか足取りが昨日よりもしっかりしている気がした。
無事入隊できたことでアストラリア王国が誇る軍事力を肌で感じることができる。
そんな期待を胸に、彼は王都の兵舎へと向かった。
兵舎の受付には、見覚えのある女性が立っていた。
特別枠での試験を案内してくれた、あの柔らかい雰囲気を持つ女性だ。
「おはようございます!」
微笑みと共に、彼女は一枚の紙を手に取り、口を開いた。
「早速ですが無事、六花会議にて、正式な入隊が承認され、配属先も決まりましたのでご案内いたします」
「六花会議……?」
蒼空は思わず口に出して繰り返した。だが、すぐに頭の中で組み立てていく。
――六つの花……紋章。つまり、隊長たちの会議……か。
自己完結しながら、やけに洒落た名前だと小さく笑った。
女性に案内され、蒼空は長い廊下を歩いていく。
高く伸びた天井と、どこまでも続くような無機質な石壁。
緊張で喉が渇き、自然と手のひらが汗ばんでくる。
どの隊に入るのだろう。
自分のこれからを決定づける場所だと思うと、嫌でも胸が高鳴る。
奥の木製の扉の前で女性が足を止め、軽くノックを打った。
「……失礼します。新入隊士をお連れしました」
「入れ」
どこか聞き覚えのある声が返ってきた。
蒼空の背筋がわずかに強張る。
扉が開かれ、中に通されたその瞬間。
部屋の奥、椅子に腰かけるナヴィアの姿が目に飛び込んできた。
そしてその隣には、相変わらず理知的な雰囲気を纏ったパナケイアもいる。
蒼空の胸中には、一瞬であの地獄のような修行の日々が蘇ってきた。
喉の奥がぎゅっと締まりかけたが、それでも心のどこかで安心もしていた。
――あの人の下でよかった。
ナヴィアは椅子から立ち上がり、蒼空をじっと見据えた。
「まずは、入隊おめでとう。だがこれからは、弟子ではなく部下として扱う。……いいな?」
「分かりました」
口にしたその瞬間だった。
「敬礼せんかっ!」
視界が横に流れた。
次の瞬間、衝撃が腹に食い込み、蒼空の身体が宙を舞った。
背中から床に転がり、肺が一瞬で空になったかのように息が止まる。
「返事の際は、軍の敬礼をしろ。教えてないとは言わせんぞ」
蒼空は痛みに顔をしかめながらも叫んだ。
「いや聞いてませんよっ!?ていうか、今日入隊したばっかなんですけど!」
沈黙。
ナヴィアは無言で視線を受付女性に向けた。
その目に込められた圧に、女性の肩がピクリと跳ねる。
「も、申し訳ございません……。特別枠だったため、研修が未実施でして……基本的なことも、規律以外はまだ何も……っ」
ナヴィアはふむと唸り、手を挙げると、自ら右手で拳を作り、心臓の位置に当てて見せた。
「これがこの国の軍での敬礼だ。以後、徹底しろ」
蒼空は、痛む脇腹をさすりながら立ち上がり、真似て敬礼する。
「了解……しました」
その様子を見届けると、受付女性はそそくさと退室した。
蒼空はその背中を見送りながら、小さく呟く。
「……逃げたな」
ようやく場が落ち着いたかと思いきや、今度はパナケイアが一歩前に出て話を切り出した。
「蒼空君……まずは君の家名を聞いてもいいかな? 特別枠だったから、入隊調書も未記入で、イーリス隊長に聞いても“知らん”って言うし……」
ちらちらとナヴィアに視線を送りつつ、パナケイアは困ったように微笑んでいた。
蒼空の心臓が、一度だけ痛むように跳ねた。
家名――そう聞かれて、頭に浮かんだのは忌々しい過去。
養母。あの女の家名。自分がかつて名乗らされていた家名。
だが、今ここでその名を口にする気にはなれなかった。
だから、口を開く前に心を定める。
「……ルーンライト、です。ソラ・ルーンライト」
ルーンは蒼空にはない魔法紋に生じる文字、ライトは光。
この世界で初めて手にした魔法、それが光の魔法だった。
命を守ってくれたその力に感謝を込めて、咄嗟に思いついた名だが、これでいい。
あの家名を名乗るより、遥かにマシだ。
パナケイアはそれを聞いて、書類に書き込みながら頷いた。
「分かりました。では、ルーンライト隊士。貴方は“魔災特務隊”への配属が決まりました」
「魔災特務隊……?」
初めて聞く組織名に、蒼空は思わず首を傾げる。
「ええ。魔物討伐、未知の遺跡探索、救援要請に伴う駆け付け及び対処……様々ですが、一定以上の脅威と認定された案件に従事する特殊部隊です」
眼鏡をクイッと持ち上げながら、パナケイアは丁寧に説明を続けた。
「想像通り、かなり危険な部隊ですが、あなたの実力なら適任だと、六花会議の上層部で判断が下されました」
危険――その言葉はむしろ蒼空の心に火を点けた。
危険ということは、つまり――成長の機会でもある。
蒼空は再び拳を握り、心臓に当てて敬礼した。
「拝命しました!」
その声に、ナヴィアとパナケイアが静かに目を細める。
新たな一歩が、静かに、しかし確かに刻まれた瞬間だった。




