9 ◆ 侍女の私の最終日
全10話(執筆済)。基本毎日投稿予定です。
「お姉ちゃん!お姉ちゃん本当にありがとう!
僕、無事にラケール魔法学校に進学決まったよ!」
高等部生活も残りわずかになってきた頃。
私は週末に帰省していたラケールの街の実家で、嬉しい報告を聞いた。
もう11歳になった弟のテオ。
テオは普通科学校の初等部に通いながらも、ずっと独学で魔法に関する知識をつけて、貴族のマナーも身につけて、ちゃんと両親と私からの期待に応えて貴族向けの魔法学校中等部の入学資格を手に入れた。
「やったじゃん!さすがテオ!テオはやっぱり天才だよ!!
よく頑張ったね、おめでとう!!」
私はまだ反抗期もきていない素直で可愛い弟のことを全力で祝福した。
テオは素直な笑顔で、私にこう言ってくれた。
「お姉ちゃんが働いてお金を稼いでくれたからだよ。本当にありがとう。
お姉ちゃんの方が僕よりももっとずっと頑張ってくれてたって、僕分かってるよ。」
「テオ……!!」
いい子すぎるテオの言葉に、私は感極まって泣いてしまった。
でも、いいよね。こんなときくらいは自分に酔ってもいいと思う。
……ああ、本当に頑張ったなぁ、私。
自分の学業と侍女の仕事の両立。
今でこそ慣れて感覚が麻痺しちゃってるけど。振り返れば私、中等部のときからめちゃくちゃよく頑張ったと思う。
体力も気力も、全部しんどかったけど、よく乗り越えたと思う。
我ながらすっごく鍛えられた。自分にも自信がついた。
それでいてこんなにも弟にも喜んでもらえるなら、もう言うことない。今まで仕事を諦めずに続けてきて良かった。
今までの苦労も、葛藤も。何だか全部報われたような気がした。
嬉し涙とこれまでの振り返りの涙を流す私に、テオは優しく言ってくれた。
「これまで散々僕のために頑張ってもらってきたから、次はお姉ちゃんが自分のやりたいことを思う存分する番だよ。
お姉ちゃん、レックス様と留学、楽しんできてね!」
──そう。私は高等部を卒業したら、レックス様と隣国に留学する。
ペペクル語を公用語とする国の一つ、エゼル王国。私のいるクゼーレ王国にはない「専門大学院」という、高等部卒業後にさらに専門性を高めることができる教育機関を持っている。
レックス様は知り合ったときからずっと目標に掲げていた通り「国外で自分の視野を広げ、帰国後にその知識と経験を活かす」ために「国際経済学」を専攻する予定。
私は……恥ずかしながら、レックス様のように外国語であるペペクル語でさらに専門性の高い内容を学ぶなんて高度なことはまだできない。だから、外国からの留学生向けの「ペペクル語実践学」を専攻する。あわよくばそこで余裕ができたら、エゼル王国の文化学もちょっと齧りたい。そんな感じ。
私は最初、自分はレックス様が留学するのを見送って、伯爵家に嫁ぐための勉強や準備をしながらこの国で彼の帰りを待つものだと思っていた。
でもレックス様から「せっかくだから一緒に行こう!エリィはずっとペペクル語の勉強をしてきたんだから、一緒に挑戦して世界を広げよう!」って誘われて、さらに伯爵ご夫妻にも後押しをしていただいて、私は留学の決心をした。
ペペクル語を勉強し始めたときの中等部の幼かった私。
現実的なことを何一つ考えずに「ペペクル語がペラペラな未来の私!国外に留学もしちゃったりして!帰国後の仕事は通訳?!翻訳家?!かっこいいかも!」なんて妄想しながら盛り上がっていた自分に伝えたい。「貧乏男爵家の長女にしては大きすぎる、その非現実的な夢。もしかしたら、本当に現実になるかもよ。」って。
18歳になった今は、もうさすがに中等部の頃みたいに「私いま、すっごく恋愛小説の主人公みたいじゃない!?」とまでは思わないけど。
ただ、いろいろな人たちのいろいろな現実を見てきた上で「私は本当に運がいいし、周りの人に恵まれてるな」って実感する。ひたすら感謝したくなる。
年齢とともに、中身もちょっと大人になった私。
そんな私の人生は、これ以上にないくらい順風満帆。未来には希望と期待しかない。最高な日々を過ごせていた。
……ただ一つ。
私がお仕えしている公爵令嬢【セレンディーナ・パラバーナ】様のことを考えるときだけ、その最高な日々に影が落ちる。
私自身はこれ以上にないくらい幸せ。今は一点の曇りもない。
それで充分なはずなのに。
もうすぐ辞めるはずの侍女の仕事と……私と同じようにもうすぐ高等部を卒業する御主人様。もうすぐ私の人生とは関係なくなるはずなのに。
私は全然割り切れないまま、ずっと暗い気持ちを心の片隅に抱え続けていた。
◆◆◆◆◆◆
私が自身の卒業後の留学とそれに伴う辞職の旨を御主人様にお伝えしたとき、御主人様は表情一つ変えずにこう言ってきた。
「あら、そう。よかったじゃない。
貴女、ここ最近ずっと浮かれていて目障りだったから、ちょうどいいわ。さっさとどこへでも行って、浮かれきったまま幸せに暮らせば?」
御主人様も私と同じように歳をとって、成長して、恋もして少しは性格が丸くなった──……とはいえ、余計な嫌味と腹が立つ言い回しは相変わらず健在だった。
すっかり慣れた私は、もう少しもイラッとすることもなく、御主人様の最後の一文をありがたくいただいた。
──つまり「エゼル王国に行ってもレックス様と仲良くね。おめでとう、どうぞお幸せに。」っていうことですよね。
はい。ありがとうございます。私たち、幸せになります!頑張って勉強もしてきます!
……そして私はその前の一文の、嫌味の中に滲み出ていた御主人様の本音のようなものには、必死に気付かないフリをした。
──恋も夢もすべて叶っていく「同い年の女の子」の私が毎日毎日、目の前にいたら……たしかに、目障りでしんどいですよね。
御主人様に自覚がなくっても。誰も悪くなくっても。……ごめんなさい、御主人様。
私の侍女としての能力は、間違いなく今が一番高い。ミスをして御主人様を苛つかせたり、変なことを言って呆れられたりすることは最近はほとんどない。
昔みたいに御主人様に反抗したりすることもない。心の中で舌打ちをしながら低い声で返事をしたり、ましてや御主人様を怒鳴りつけるなんてことは絶対にしない。
私はもう御主人様のことを「嫌い」だとも「最悪」だとも思っていない。5年近く一緒に過ごしてきて、御主人様のいろいろなお顔を知ったから。御主人様の欠点と同じくらい、御主人様の魅力も分かっているつもり。
それなのに、私は今の自分が一番、御主人様のことを傷つけている気がした。
侍女になって一週間で、先輩使用人のネルルーさんがいきなりクビになったとき。
遠い昔の思い出のあのときよりも、今の方が御主人様の前に立つのが辛くって、本当は一日でも早く逃げ出したい。
でも同時に、御主人様と離れるのが惜しくて仕方がない。心配だから、って言うと烏滸がましい感じがしちゃうけど……とにかく、御主人様の笑顔を見てからじゃないと辞めるに辞められないと思ってしまう。
そんな葛藤の日々の中、私はすっごく久しぶりに、自分でもあの例の恋愛小説「悪役令嬢シリーズ」の第1巻を読み返してみた。
記憶が朧げな部分もあったせいで、まるで新作を読んでいるかのような新鮮な気分で読むことができた。
それと同時に、初見の頃の、侍女になりたての13歳当時の私の記憶が鮮明に蘇ってきた。
〈私は御主人様に──あんな女には絶対に負けない。
あんな思いやりの欠片もない、傍若無人に振る舞うお嬢様になんて。
大丈夫。真面目に生きて、挫けずにやるべきことをきちんとやっている人は、絶対に報われる。
逆に人の気持ちも考えないで、好き勝手我儘にやっている人は、絶対にいつか痛い目を見る。
何があっても、最後に笑うのは私の方。
最後に泣くのは、きっとセレンディーナ様の方。
──っ、私は!「悪役令嬢様」になんて、絶対に負けないんだから!!〉
……そういえば、そんなことを決意してたな。当時の私。
この小説を読みながら、自分を奮い立たせてたな。
13歳の頃の私が今の自分とセレンディーナ様を見たら、絶対に高笑いしていたと思う。
「ほーらやっぱり!真面目に頑張った私の勝ち!私は幸せを手にしてるけど、我儘で横暴な御主人様は、幸せも何もない独りぼっち!ざまぁみなさい!自業自得よ!ちょっとは反省してくださいね!ようやく侍女の仕事から解放されてせいせいするわー!!」って、夕日に向かって叫んで鬱憤を晴らしていた気がする。
だけど今は、そんな風には思わない。
……成長したな、私。
侍女としての仕事のスキルや学問に限ったことじゃなくて。幼かった精神も、私はこの5年間で成長した。
勝ち負けだの、いい悪いだの。そんな二元論的な考え方だけじゃなく、もっと大人な見方ができるようになった。
──最後に笑うのは私だけじゃなく、御主人様も一緒がいいな。
そんなことを考えながら……でもその方法なんて分からないまま、私はあっさりと「侍女の私の最終日」を迎えてしまった。
◆◆◆◆◆◆
「──改めまして、御主人様。
本日5時をもちまして、私はこのお仕事を辞めさせていただきます。御主人様のご卒業日までお手伝いをすることができず、大変申し訳ございません。
以降は公爵家本邸侍女のミーナが引き継ぎます。よろしくお願いいたします。」
侍女としては私なんかよりも大先輩の、公爵家本邸に勤めているミーナさん。私はここ数日ほど、ミーナさんに学園寮での侍女の仕事内容を引き継ぎながら、自分の荷物をまとめていた。
私の通っていた普通科学校とレックス様の通っていた魔法学園東部校は、ひと足先に卒業式を終えている。
忙しくてバタバタな日程だけど、私はさっそく明日、レックス様とエゼル王国に向かって発つ予定。
御主人様がいる魔法学園中央校は、明々後日が卒業式。
私は御主人様の学生生活の最後を見届けることすらできなかった。
私に引き継がれたミーナさんは慣れた様子で「よろしくお願いいたします。お嬢様。」と言って頭を下げる。
御主人様は並んで立つ私たち侍女二人をチラリと見て、表情一つ変えずにこう言った。
「分かったわ。よろしく、ミーナ。」
…………呆気ないな。これで終わりか。
私と御主人様の関係は、結局、一体何だったんだろう。
言ってしまえばただの「主従」関係。だけど勝手に「負けられない好敵手」のようにも感じていたし、「同い年の女の子」同士としても、心配したり応援したりしてきた。近い将来、私が留学を終えて帰国してレックス様と正式に結婚したら、同じ「貴族女性」に変わるかな。
でもこうして今向き合っていると……やっぱり私と御主人様は、一周回って──……ただの「主従」でしかないのかもしれない。
5年間かけてだんだん近付けていたような気がしてたけど、気のせいだったのかもしれない。
私はそんな風に考えながら、そっと部屋の時計を見た。
午後の、4時58分だった。
……ああ。あと2分で、私の長かった侍女生活は終わりを迎えるんだ。
意外と……あっという間だったなぁ。
そう思ったら、私はついに我慢しきれなくなって、御主人様の前なのに涙をポロポロと零してしまった。
「……っ、セレンディーナ様。
今まで、本当にありがとうございました。たくさんっ、……たくさん学ばせていただきました。
御主人様の侍女になれて、私っ……本当に幸せでした。」
「……そう。」
いきなり涙を流し出した私を見つめる御主人様は、微塵も驚きも動揺もしていなかった。
さっき私につられるようにして時計を見た御主人様は、泣き出してしまった私とは逆で、まるで私の終業時間に合わせて締めにでも入るかのように、いつものように冷たい真顔ですっかり落ち着き払っていた。
「これからも、御主人様の幸せを……陰ながら祈っております。
どうか、お元気で。お身体に気を付けてお過ごしください。」
最後なのに。言いたいことが山ほどあるはずなのに、上手く言えない。
最初はぶっちゃけ、大っ嫌いでした。
何だコイツ!って思ってました。
最悪!こんな御主人様だって知ってたら侍女になんかならなかったのに!って、毎日毎日思ってました。
でも、いいところもあるんだなって気付きました。
優しくはないけど、ムカつくけど……ちょっとは尊敬できるかもって、そう思いました。御主人様のおかげで、私はこうして国外に学びに行けるところまで勉強してこれたんですから。ラケールの街で呑気に友達と遊んでいただけじゃ、こんな世界は見ることができませんでした。
御主人様の妥協せずに自分を磨き続ける姿は、悔しいけど格好いいと思います。私も、これからも忘れずにずっと見習っていきたいです。
あ。いいところもあるとは言いましたけど、さすがに私に「お見合いのお下がり」をくれるなんて……やっぱりアレはあり得ませんからね。私も彼も、傷つきました。屈辱でした。
あのときは怒鳴っちゃってごめんなさい。……うん、あんまり思い出したくないですね。こういうお互いに気まずかった記憶って。
でも、本当にありがとうございました。御主人様のおっしゃっていた通り、私、レックス様と婚約できて良かったです。私は今とっても幸せです。
あとそれから、無自覚に恋話をしてくださっていた御主人様は、いつもと違って頼りなくて、初々しくて……ものすごく可愛かったです。御主人様のことを気が強いだけの傲慢女だって勘違いしている人たちに、見せてあげたいくらいでした。
御主人様が片思いしていた平民の御方に、身分差も何もかも無視して「うちの御主人様の魅力にさっさと気付いてくださいよ!」って訴えてやりたかったです。
あの可愛い御主人様の姿を見たら、絶対に一発で惚れちゃうのに。本当に勿体無いですよ。……今からでも言ってきていいですか?まだ間に合いますって!……無理ですよね。侍女のくせに出しゃばりすぎですよね。はい、分かってます。
でも、それなら……次にまた素敵なご令息が現れたら、絶対に婚約打診のときの釣書にそのことを書きましょう。「御主人様は、本当は奥手で不器用な恋愛初心者です。慣れるととっても可愛いです。」って。
そうすれば絶対に上手くいきますよ。それで今度こそ「理想を超えた最高の御方」をゲットしちゃいましょう!
私が留学先から帰ってきてレックス様と結婚したら……貴族の女性同士、どこかのパーティーでばったりお会いできるようになりますか?
また会って、お話ししたりできませんか?微笑ましい片思いのお話もいいですけど……やっぱり今度は、御主人様の幸せな惚気が聞きたいです。きっと腹が立つくらい大袈裟に自慢してきて、鬱陶しいんだろうなぁ。……今からすっごく楽しみです。
帰国後の私の結婚式、御主人様はもちろん招待しますからね。公爵家の皆さんで絶対に来てくださいね。
もし人手不足になったら、もし困ったら、もし泣きたくなったら……いつでも呼んでくださいね。お助けスーパー侍女として、すぐに非常勤で駆けつけますよ。
…………やっぱり今からでも、まだもう少しここで働くなんて……そうですよね。できませんよね。
すみません。ちょっと思っただけです。
……あっ!すみませんじゃなくて、申し訳ございませんですよね!分かってます、分かってますって。
御主人様と侍女という立場のせいか、私の語彙力が無いせいか、それとも、もう時間が無いせいか。
頭に浮かんできた想いは、全部非常識で失礼で、全部全部、侍女としては不適切で──……私は結局、一つも上手く伝えられなかった。
時計の方から、微かに「カチッ」と短針が動く音がしたような気がした。
──午後5時ぴったり。私の終業時間がやってきた。
その時計の針の音に先に反応したのは、御主人様の方だった。
「あら、時間ね。
もういいわ。下がりなさい。」
「──……っ!……はい。」
私からあっさりと視線を外して無表情のまま素っ気なく言い放った御主人様の姿に、私は言葉を一瞬詰まらせてしまった。
まるで、私だけが御主人様に馬鹿みたいに大きな感情を抱いてしまったような、そんな苦しい気持ちになった。
最後の最後で、私は無駄に傷付いた。
こんな御主人様……っ、好きになるんじゃなかった。
私が複雑な気持ちのまま頭を下げて、御主人様に背を向けて見慣れた出口の扉へと向かった。
そして部屋から出ようとドアノブに手を掛けようとしたところで……不意に背後から、御主人様のよく透き通る聞き慣れた声がした。
「エリィ。」
私は身体に馴染んだ反射で「はい。」と返事をしながら振り向いた。
すると、そんな私を見た御主人様は──……私の前で初めて、嫌味でも作り笑顔でもない、とっても綺麗ですっごく可愛い、自然な微笑みを私に見せた。
「……貴女。
根性だけはあると思っていたけれど、最後の最後で台無しじゃない。主人であるわたくしの前でそんなくだらない理由で泣くなんて、侍女失格もいいところよ。
……でも、今日だけは見逃してあげるわ。わたくし、とっても寛大なの。
気をつけて帰りなさい。5年間、ご苦労様。」
何で、どうして、
「っ!何で最後に優しくするんですかぁぁぁーーー!!
御主人様の馬鹿ぁぁあぁぁーーーっ!!」
午後5時1分30秒。
約5年に渡る侍女生活を終えた私は、泣きながらその場に崩れ落ちて挙句にうっかり暴言を吐いて、御主人様から白けた視線をいただいた。
悪役令嬢な御主人様と、貧乏侍女だったこの私。
〈何があっても、最後に笑うのは私の方。
最後に泣くのは、きっとセレンディーナ様の方。
──っ、私は!「悪役令嬢様」になんて、絶対に負けないんだから!!〉
13歳の私の、あの日の予想は見事に外れた。
──最後の最後に笑っていたのは、私ではなくセレンディーナ様の方だった。