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8 ◆ 悪役令嬢の淡い恋

全10話(執筆済)。基本毎日投稿予定です。

 自分にも他人にも完璧を求めて、一切妥協する気なし。

 ストイックな日々の努力のその結果、お口の悪い残念な高飛車令嬢と化している、公爵令嬢【セレンディーナ・パラバーナ】様。


 理想がとにかく高すぎる御主人様に、ついに初恋と思わしきお相手が現れた。


 自他共に認める「悪役令嬢」の御主人様の恋のお相手は、まさかの「平民の魔力持ち」の、隣の席の男の子。


 御主人様の高等部生活がこんな展開になるとは、最初は思ってもいなかった。

 高等部に入学したての頃は、御主人様のことを小説の悪役令嬢よろしく破滅しないかと心配していたけど。私は今はもうすっかり、初々しく可愛らしい御主人様の一面を微笑ましく感じて、こっそり応援する気になっていた。



◆◆◆◆◆◆



「御主人様。」

「何かしら?」

「本邸の公爵様から、こちらが届いております。」


 私は今日も、中等部の頃からよくやっていたように、御主人様に届いた婚約者候補の釣書を義務的にお渡しする。

 御主人様は死んだような目で渡された釣書をパラパラっと一通り見て、口にするのも面倒臭いといった顔をしながら私にそれを突き返してきた。


「見たわ。」

「かしこまりました。お伝えしておきます。」


 私はもう以前のように「せめてもっとちゃんと目を通した方が……」とは粘らない。

 御主人様の口には出さない「わたくしには相応しくないからいらないわ。」をすぐに察して、さっさと釣書を受け取った。


 御主人様は少し前までは「……何?貴女、やけに大人しいわね。何も言ってこないのが逆に不気味だわ。一体何を企んでいるの?」と私の態度を(いぶか)しんでいたけど、最近はどうやら「エリィもようやく、無駄に『せっかくなのでお会いしてみては?』だのと吠えなくなったわね。最初からそうしていればいいのよ。」と、私が諦めたと勘違いしているようだった。


 ……私は「諦めた」というよりは、御主人様のお気持ちを尊重しているつもりなんだけどな。



 私は自分が恋をして、レックス様の婚約者になって、王都に来て週末レックス様と会って親交を深めるようになって……それで、感じたことがある。


 ──「貴族の恋って、なんて不自由なんだろう」って。


 レックス様は事あるごとに「俺はエリィと婚約できて運が良かった」と嬉しそうに言ってくる。

 最初は私を喜ばせるためのリップサービスなんだと思っていたけど……それが、ただのキザな台詞なんかじゃなく、レックス様が心から噛み締めている本音なんだっていうことに、私はレックス様から聞いた「貴族社会の現実」によって気付かされた。


「──学園の友達にさ、最近よく嫌味を言われるんだ。『レックスはいいよなー、好きな相手と両思いになって婚約できて。ムカつくお前。』って。

 まあ、実際そいつからしたら羨ましい……っていうか、見てて(いら)つくんだろうな。俺が。」

「えっ?」


 私は「ムカつく」という単語に戸惑った。

 レックス様は涼しい顔をしてるけど……それ、レックス様に対してだいぶ失礼な発言じゃない?

 私がそう思って困惑していたら、レックス様は苦笑しながらそのお友達の事情を説明してくれた。


「そいつはさ、俺と同じ『伯爵家の長男で()()()』なんだけど……そいつが密かに好きだった相手、『侯爵家の長女で()()()()』なんだ。

 だから、向こうは向こうで、()()()()婿()()()してくれる相手じゃないと無理ってわけ。

 ……先月、その侯爵令嬢の婚約が決まったらしくて。もちろん、他のご令息と。だからそいつ、最近は事あるごとに俺に突っかかってくるんだよ。


 俺はあんまりエリィのことは学園では喋らないようにしてるんだけどさ、それでも話を振られたら話すし、普通に『婚約者のことが好きか』って聞かれたら『好きだ』って答えてる。

 そうするとさ、周りの奴らに羨ましがられるんだ。『まじかよ!お前、最高じゃん!ずりー!』って。

 ……俺も自分でそう思う。実際、俺、エリィに惚れたときに『エリィが男爵令嬢で、しかも弟がいてラッキー!』って自分の運の良さに感謝したから。


 だから、例のそいつにも妬まれて当然だと思う。

 はぁー……早くいい婚約者が見つかるといいよな。そいつにも。」


 私はそのときようやく知った。

 貴族社会の現実に。……貴族の恋の、虚しさに。


 私みたいな田舎の貧乏男爵家の長女くらいなら、普通に庶民と同じように地元で恋愛結婚しても何とも思われなかっただろうけど。……っていうか、私自身、そうするもんだと思ってたけど。

 言われてみればたしかに、こんな貧乏男爵家でさえ、一応お父さんとお母さんは貴族同士でちゃんとお見合いして結婚してる。テオも、ウチの爵位が剥奪でもされない限りは、きっと将来、そうなるだろうな。


 そんな中で、普通だったらまともに恋愛結婚なんてできるわけがないんだ。


 候補の中から条件が合う人を選んで、「決められたからには仲良くしましょう」って感じで、お互いに歩み寄っていくんだろうな。


 ──……自分の「本当の恋心」は押し殺して。それがそっと消えていくのを待ちながら。



 私とレックス様は、たしかに、本当に運がいい。

 だってもし私がただの()()の侍女だったら……御主人様があんな()()()()をせずに、まともに対応して婚約があっさり成立しちゃっていたら……何か一つでも違っていたら、それで私とレックス様の恋は、始まる前に終わってたんだ。


 でも、それが貴族社会では当たり前なんだ。


 …………そっちの方が、よっぽど普通でありふれた光景なんだ。



 そう考えると、お金持ちじゃなくっても、豪華な学園に通えなくっても、ずっと仲良しの彼氏と一緒に農家を継ごうとしてる庶民のミューリンの方が、よっぽど幸せそうに見えるかも。

 最近手紙で「先輩のイケメンパティシエといい感じなの!まだ付き合ってないけど、お互いにいつ切り出そうか迷いあってるこの感じ!分かる?!エリィ!!」とかはしゃいでた庶民のダリアの方が、よっぽど人生楽しんでるかも。



 ………………御主人様の初恋は、どうなるのかな。



 御主人様は「公爵令嬢」。お相手は「平民の男の子」。



 ……そんなの。もう、考えるまでもなく──……



 頭では分かりきっている「結末」を認めたくなくて、私は言葉にはせずに封印する。


 代わりに、ちょっとでも希望を持ちたくて、こんなことを考える。


 ──御主人様はいっつも世間の常識を軽く飛び超えていっちゃうから、もしかしたら奇跡が起きるかも?!


 御主人様は小説から飛び出してきた「悪役令嬢様」だから。

 これから先、「シリーズ最新巻!ついに『悪役令嬢』が勝つときがきた!」みたいな、予想できない展開があってもいいんじゃない?!

 舞台は現実。主人公はセレンディーナ様!それで新作が一本できちゃいそう!


 ──その平民の男の子も、()()御主人様が惚れちゃうくらいなんだから、もしかしたら奇跡を起こせるかも?!


 彼は「平民の魔力持ち」なんて、小説にしかいないような人だから。

 現実でも小説みたいに「実は昔盗賊に攫われて行方知れずになっていた、大国の第一王子様でした!」みたいな超展開があって──それで最終的に御主人様と釣り合っちゃうとか、あるのかも!

 それか、アルディート様と並び立てるような超ハイスペック男子なら、今後超すごい国の英雄みたいな活躍をして、爵位をもらっちゃうくらいの偉業を成し遂げて──それで最終的に御主人様と釣り合っちゃうとか、できるかも!うん。これならけっこう、実現可能!?


 ……そんな、無茶な、空元気じみた妄想をしたりする。



 私はそうして、分かりきった御主人様の初恋の「結末」から必死に目を背けながら、御主人様の可愛らしい無自覚な恋話を定期的に聞き続けた。



◆◆◆◆◆◆



 相変わらず御主人様は、自分からは日頃の話はしなかった。

 でも私がそっと「平民の御方」の様子を聞くと、もどかしそうに、嬉しそうに、苛立ちながら、困惑しながら──……無機質で冷たいお人形のようないつものお顔とはかけ離れた、年相応のコロコロと変わる可愛らしい表情で、私に彼のことを教えてくれた。


 ──今日は彼があんな変なことを言っていたの。相変わらず理解に苦しむわ。

 明日は一体どんなことをするのやら。本当に、目が離せないわ。……ああ、もちろん「悪い意味で」よ?勘違いしないで頂戴。


 ──2学年でも同じクラスだったわ。わたくしと席は離れたのだけれど……あの男、新しく隣の席になった他のご令嬢にも例のヘラヘラした笑顔を振り撒いていたのよ。なんて軽薄なのかしら。


 ──授業で彼とペアを組むことになったの。……はぁ。また一年間、顔を合わせる羽目になってしまったわね。けれど、やるからには学年一位を取らなければ。早速明日から特訓を始めないと。

 …………何よ。別に嬉しくなんかないわよ。仕方なく組んだだけだもの。わたくしの慈悲深い心に感謝してほしいくらいだわ。


 ──信じられる!?あの男、わたくしとの特訓をサボって逃げていたのよ!?このわたくしと授業でペアを組めることがいかに有り難いことなのか、まだ理解できていないようなの!まったく、これだから平民は!


 ──なかなか見どころがあるのよ、彼。若干魔法の威力が大きすぎる大雑把な面はあるのだけれど、発動の速さに関しては、お兄様以上ではないかしら。

 ……まあ所詮は平民の貧乏人だけれども?この学園に入るだけはあるわよね。少しは認めてあげないこともないわ。


 ──ペアの授業で最終一位の成績が取れたの。わたくしにとっては当然の結果だったのだけれど。

 ……あんなにはしゃいで、お礼を言ってきて。恥ずかしいったらないわ。……まあ、あの男にとっては一生の思い出になったのではないかしら。


 ──エリィ。貴女、週末はアーケンツォ伯爵家に行くのよね?……何?何よ。わたくしは公爵家に帰るわ。だから別の侍女の手配は不要よ。馬車の用意?いらないわ。わたくしが自分で本邸に通話を掛けておくから。

 …………何よ。別に何もないわよ。もういいから早く下がりなさい。わたくし、一人になりたいの。



 御主人様は2学年になってからも、ずっと変わらずその平民の御方を気にして、話して、交流して……どうやら、少しずつ仲良くなっていたようだった。

 もしかしたら私に内緒で、ちょっとくらいデートとかもしていたのかもしれない。放課後も帰りが遅くなることが多かったし。やたらと週末に私がいないことを確認しようとしてきたし。


 もしかして、もう両思いになってたり……しないかな?


 御主人様の態度もどんどん柔らかくなってきている気がするし。その平民の御方も楽しく御主人様とお話ししてくれているみたいだし。

 ……何より御主人様は、本当にずば抜けて美人だし。一緒にいたら、男なら誰だって惚れちゃいそうなもんじゃない?まあ、性格はちょっと……アレだけど。


 中等部までの頃とは違って、恋をしている御主人様はとっても可愛い。ツンツンした高飛車な態度の裏側に、ずっと密かな照れが見える。


 ……うん。そうだよ。

 やっぱり、こんな御主人様を見たら、男なら誰だって惚れちゃうんじゃないのかな。


 惚れてほしいな。

 振り向いてくれないかな。

 お願いだから、気付いて欲しい。


 ……こんなにも不器用な、御主人様に。



 そうして迎えた、高等部最後の3学年。


 御主人様の自覚のない淡い初恋は、ある大きな「変化」を迎えた。



◆◆◆◆◆◆



 ──ああ、彼のこと?……違うクラスになったわ。お兄様と彼は1組。わたくしは3組。



 それだけであっさり、御主人様の可愛らしいあの表情たちはもう見ることができなくなってしまった。



 私は普通科学校の3学年だから、よく分かる。


 きっと、その平民の御方はこの一年、普通に、庶民として就職活動に明け暮れるんだろうな。ウチの普通科学校の周りのみんなと同じように。

 ろくに遊ぶ時間も取らずに。王都中の仕事の募集を見て選んで。卒業論文を書く傍らで、就職試験のための勉強と対策をやりまくる。……そんな、つまらなくて辛い一年間を、彼はきっと過ごすんだ。

 ……小説のような展開でもない限り。


 あの「悪役令嬢シリーズ」第1巻に出てくる主人公の平民の女の子は、物語の終盤で、聖女としての力が覚醒する。

 それで、最後はヒーローの第一王子様と王国唯一の聖女になった主人公が、国中に祝福されながら結婚する。……そういう結末だった。


 さすがにそんな都合のいいこと、現実では起こるわけがない。

 御主人様は毎日、毎日、学生生活の終わりに向かって、日々を淡々と過ごしていった。


 相変わらず、完璧な容姿と完璧な成績をキープし続けながら。

 ……私がこの仕事を始めた頃のような、あのラケールの街にいたときのような……ゾッとするほどに冷たい真顔に戻りながら。



 クラスが違っても、休み時間くらい話せないもんなのかな。

 学食でくらい、一緒にご飯食べないのかな。


 ……本当に、何もないのかな。



 私は3学年になってから一度だけ、御主人様を傷つけてしまうかもしれないことを承知で、聞いてみたことがある。

 久しぶりに御主人様が、あの例の小説を開いて、窓の外をぼーっと見ながら物思いに耽っていたから。


「……御主人様。例の『平民の御方』と何かありましたか?」


 私はそっとお声をかけた。

 すると御主人様は、小説を膝に置いて窓の外を眺めたまま、静かにこう返してきた。



「別に。何も話していないわ。

 彼の就職活動の邪魔をしてまで話したいことなんてないもの。」



 ……御主人様はきっと、まだ無自覚なんだろうけど。


 私はこのとき「御主人様はその彼のことが、本当に、本当に好きなんだ。」って、今までで一番、強く思った。


 顔を真っ赤にしながら照れ隠しをしていたときも、弾んだ声で彼のエピソードを話していたときも、もちろん「御主人様、恋してるなぁ。」って毎回微笑ましく思っていた。

 でも私は、今の言葉から一番、御主人様の想いを感じた。


 いっつも他人を振り回す、我儘で横暴な御主人様。

 そんな御主人様は今、彼に話しかけることすらもしていない。彼を本気で応援するために。


 ──彼だけは、本当に特別なんだ。


 御主人様が寂しい思いをしていることに、その彼はきっと気付いていないと思うけど。でも、御主人様のその思いやりの形は、一番お相手のためになっていると思うな。



 私がそう思っていたとき。

 御主人様が不意に、私に話しかけてきた。


「……ねえ、エリィ。」

「はい。」


 私が脊髄反射で返事をすると、御主人様は膝の上に広げて置いた小説に視線を落として静かに質問をしてきた。


「わたくしに……『魅力』って、あるのかしら?」


「……え、」


 私は咄嗟に返事ができずに口籠った。

 御主人様は私の返事を待たずに、独り言のようにこう呟いた。



「──わたくしって、何もない人間なのかしら。


 わたくしに魅力がないから、何も起きないのかしら。

 もう、わたくしは3学年なのに。学園最後の年なのに。

 ……このまま何もなく、わたくしは卒業するのかしら。」



 …………お付きの侍女になって5年目にして初めて聞いた、御主人様の弱音だった。


 傲慢不遜、自信満々。

 いつだって鼻につく嫌味ったらしい御主人様の、初めて見る一面だった。


 四大公爵家のご令嬢だの、私が仕える相手だの……そういう立場や関係を取り払った──……初めての、同い年の女の子としての、セレンディーナ様の等身大の姿だった。


 中等部の頃、泣きながら一人で勉強していた御主人様の声をこっそり聞いてしまったとき以来の衝撃かもしれない。


「…………御主人様は、とっても魅力的な御方です。『何もない』なんて、そんなことは絶対にあり得ません。」


 私は心を込めてそう言った。


 嘘なんかじゃない。お世辞なんかじゃない。仕事中の建前なんかじゃない。

 だから、大丈夫です。いつもみたいに自信を持ってください。御主人様は──セレンディーナ様は、とっても魅力的な女の子です。


 でも、御主人様はまた窓の外へと視線を戻してこう言った。


「そうね。……()()()そう言うでしょうね。」


 ……全然伝わっていなかった。


 きっと御主人様の耳には、私が「御主人様は大変お美しい上に知的で優雅で、とても魅力的な御方です。」って、()()()()()、求められた答えを言ったように聞こえたんだろうな。


 ……言ってたよ。言ってましたよ、そりゃ。

 御主人様の求める答えを予測して、それを当てて喜んだりしてましたよ。

 だって私、侍女ですもん。御主人様専用の「人読み」スキルは我ながら磨かれてると思いますよ。


 でも、このときだけは……私は「同い年の女の子」として御主人様に自分の言葉をうまく届けられなかったことを、ひたすら歯痒く思った。



◆◆◆◆◆◆



 私は何日か悶々と一人で考えて、ある決断をした。


「──申し訳ございません、アルディート様。貴重なお時間を割いていただきありがとうございます。」

「いやいや、別にいいって。セレナのことだろ?また何か変なことでもしてエリィさんを困らせたか?」


 週末。私は御主人様が公爵家本邸に行かれている間にこっそり、学園寮に滞在されているアルディート様とお話をする時間をいただいた。


 御主人様の双子の片割れで、どうやらその平民の御方とかなり仲が良いらしいアルディート様。

 お二人のことをよくご存知で、どちらとも話ができるアルディート様なら……御主人様の現状を知った上で何かいい案を考えてくれるかもしれない。御主人様の恋を応援して、お二人の仲をそっと取り持ってくださるかもしれない。

 図々しいのは百も承知。公私混同だって分かってる。

 でもお優しいアルディート様なら、そんな侍女の私の出しゃばりも許してくださって、それで妹のセレンディーナ様のために動いてくださるんじゃないか──そんな甘ったれたことを思いついて、私は自分が冷静になって立ち止まってしまう前に実行に移した。


 アルディート様は最初、私が侍女として御主人様への困り事や不満を訴えてくるのかと思っていたらしく、いつものように私と御主人様双方のフォローに入るべく軽く身構えているようだった。

 しかし私が「御主人様は無自覚に恋をなさっているのではないかと思う。最近は特にその件について落ち込まれているご様子なので、差し出がましいようだが侍女として心配している。」といった旨をお伝えすると、アルディート様はホッとしたように息をついて「……ああ、()()()()か。」と言って苦笑した。


 それからアルディート様は、何も知らない私に、お友達の「平民の御方」のことを教えてくださった。



「──セレナが『平民、平民』って連発してる奴。

 あいつは同性の僕から見ても、賢くて強くて優しくて、とにかく本当にいい奴なんだよ。

 家庭環境、金銭面……多くの不利があっても、それを言い訳にせずに、自分の力で逞しく生きてるんだ。辛いことも苦しいことも、決して周りに悟らせない。いつだって誰よりも笑顔でいる。

 大袈裟かもしれないけどさ、人として『こんなすごい奴が現実世界にいたんだ』って思うくらい。そのくらい格好いい奴。」


 ……完全無欠のアルディート様がそこまで言うなんて。


 私が密かに驚いていると、アルディート様は少し呆れたように笑った。


「って言ってもさ、セレナの『理想の相手』からは程遠いよ。

 セレナの理想は『公爵令嬢(わたくし)に釣り合う公爵家か王家の血筋。最低でも侯爵家の後継ぎね。身長はわたくしより15cmほど高い、180cm前半くらい。座学、魔法、剣術、ダンス──もちろんわたくしやお兄様と同程度の能力は持っていないと認めない。』これが()()()()だから。

 あとは、セレナ的には『白馬と赤い薔薇が似合う』も条件だったかな?……とにかく、挙げ始めるとキリがない。

 でもあいつはそもそも平民で、身長は普通に170cm前半くらいだし、学園での成績は科目ごとにけっこう波があるから決して『完璧』ってわけじゃない。ダンスなんて特に知識も経験もなさそうだった。

 白馬がどうこう以前に『俺、乗馬って一度もしたことないんだ。いいなぁ、貴族の人たちは馬に乗れて。』って言ってたし、学園の花壇の花を見ても『あ!これね、炒めて()うと意外と美味(うま)いよ。見てたら(はら)減ってきちゃった。』って情緒の欠片もない感想を口にするんだ。……本当、変な奴だよ。


 あいつは全然セレナの理想通りじゃない。


 ただ、あいつはたった一つだけ……セレナの予想を超えたんだ。初対面のときに。


 ──あいつはさ、セレナに臆せずに、屈託なく、()()()()()()()()()()()()()()、初めての男子だったんだ。


 …………それだけ。

 笑えるだろ?本当にそれだけなんだよ。それだけでセレナは今まで拘ってきた理想を全部頭から吹っ飛ばしたんだ。」


 …………え、


「それだけ、ですか?」


 困惑した私の表情をチラリと見たアルディート様は「そう、それだけ。」と言って、また笑った。


「同じような立場と顔面の僕が言うのもどうかと思うけど……セレナは四大公爵家の長女っていう高い身分だし、見た目も割と圧があるだろ?

 だから同年代との初対面のときは大抵、相手側が緊張して萎縮していたり、逆に身分や見た目目当てで妙に積極的に媚び売ってきたりするんだ。

 まあ、僕たちに限らず、高位貴族なんて皆だいたいそんなもんなんだろうけどさ。自分自身を見てもらえる機会なんてほとんどないんだよ。


 僕はよく感じるんだ。初対面の相手が身体を強張らせるたびに。見え透いた擦り寄りをしてくるたびに。

 ──ああ、僕は『()()()()()のアルディート・パラバーナ』なんだ。どう足掻いても『ただのアルディートくん』にはなれないんだ。──って。

 正直やっていられないなって、腹の中ではよく辟易してる。


 だけどセレナは、僕とは真逆。

 ──自分は『()()()()()のセレンディーナ・パラバーナ』なのだから、それに相応しい高貴な存在であるべきだ。そんな高貴な自分が、周りの有象無象と対等なわけがない。──って強く思い込んでいて、それをずっと誇りにしていたんだ。


 それが当然の義務。それが世界の理。

 だから、自分のことも周りのことも、身分や立場を通してでしか判断できない。評価できない。

 そうやって自分自身にも理想を求めて、それができない周りを見下してる──それがセレナだったんだ。」


 思い当たる節がある。……思い当たることしかない。

 御主人様はそういう御方だ。


「けどさ、あいつだけは違ったんだ。

 あいつだけは、初めて会ったセレナのことを『ただのセレンディーナさん』として見てくれた。それで、純粋に歩み寄ろうとしてくれたんだよ。

 ……まあ、あいつからすれば『貴族様の家格がどうこうとか細かいことはよく分かんないから、とりあえず全員俺よりも身分が高い人〜って思っとけばいいや。』で雑に一括りにしてただけだろうけど。

 それと同時に、僕やセレナの見た目を特に何とも思わなかったんだろうな。……あいつ前に、他のクラスメイトに恋愛の話を振られてたとき『好み?うーん……強いて言うなら、けっこう素朴?平和?な雰囲気の人が好みかなぁ。』とか言ってたし。

 でもとにかく、理由は何であろうと──……あいつは初対面の入学式の日に、僕にもセレナにも、自然に明るく接してくれたんだ。

 ……セレナが惚れたのも当然だと思う。双子の片割れの僕だって、あの瞬間にすごく救われて、本当に嬉しくなったから。」


 アルディート様はそう言ってから、静かに目を伏せた。


「ただ……だからダメなんだ。万が一の奇跡も起こらない。

 あいつは賢くて謙虚だから、学園の和やかな空気に呑まれずにちゃんと身分を弁えている。

 あいつは僕とどれだけ仲良くなろうと、決して『公爵家のコネやツテ』なんて期待してこない。僕から金を貰おうとか、僕の人脈を利用していい地位に就こうとか──そんな(よこしま)なことは一切考えていない。今もちゃんと『ひとりの庶民』として、真っ当に就職活動に勤しんでるよ。


 それで……その感覚はセレナに対しても同じ。あいつは最初からセレナにも何も期待をしていない。セレナにいい顔をして取り入ろうとか、気に入られてあわよくば──なんて欲は微塵もない。

 ……嫌な言い方をするとさ、セレナを『同年代の異性』として意識する気すらなさそうなんだ。分不相応に貴族令嬢と恋愛関係になろうなんて思ってないんだよ。

 男子同士の雑談で恋人や婚約者の話題になっても、あいつはいつも『婚約者かぁ〜。まだ学生なのにみんなすごいね。俺、彼女すらいないんだけど。』って他人事みたいに適当に流すだけ。周りの奴らに『お前、学園の女子だったら誰がいい?』なんて冗談半分で聞かれても『いやいや。貴族のご令嬢ってみんなすでに婚約者とか婚約者候補がいるんでしょ?平民の俺がそんな人たちに何か言うのって失礼じゃない?不敬罪で捕まらない?』とか言って笑って誤魔化して、絶対に誰がいいかなんて口にしない。


 平民のあいつにとっては、セレナはただの『この学園を卒業したら縁が切れる、生きる世界が違う貴族のご令嬢』のうちの一人。

 あいつが賢くて謙虚な奴だからこそ……絶対に、何も起きないんだ。

 皮肉な話だよ、まったく。セレナにはちゃんと見る目があった。本当に『いい奴』に惚れたんだ。……もっと愚かで貪欲な奴に惚れていれば、何か起きたかもしれないのにな。」



 アルディート様の話を聞いていて、私は勝手に悲しくなってきてしまった。


 お節介な自覚はあった。……でも、私は御主人様の恋を応援するつもりだったのに。どうして今、こうなっちゃってるんだろう。……何で私は今、こんな話を聞いているんだろう。


 セレンディーナ様に──私の御主人様にようやく訪れた初恋があまりにも虚し過ぎて、私は無性に泣きたくなってしまった。


 何でこんなに泣きたいんだろう、私。

 もしかして……私にはもう婚約者(レックス様)がいて、私はもう幸せだから、同情しちゃってるのかな。可哀想な御主人様を(あわ)れんじゃってるのかも。完全に無意識だったけど、私、御主人様に対して上から目線で「今度は私が助けてあげる番!」とか思っちゃってたのかな。


 …………ああ、嫌な女かも。私って。


 私がぐちゃぐちゃと頭の中で考えて、アルディート様に話を持ちかけたことを後悔しだしていると、アルディート様はそっと申し訳なさそうに微笑んでこう言った。



「セレナは自分の気持ちを『恋だ』って自覚してないだろ?

 僕も双子の兄として、けっこう悩んではいるんだけどさ……今は『このまま指摘しないでいた方がいいんじゃないか』って思ってるんだ。


 どうせ()()()()()なら、気付かないまま終わった方が幸せかもしれないって。

 ……一度自覚してしまったら、ただセレナが苦しむだけだから。それに、あいつにも迷惑がかかるだろうしな。


 だから、こんなことを頼むのはおかしいかもしれないが……君は何も気にせずに、今の話は聞かなかったことにして……ただこれからもセレナに普段通りに接してやってくれないか。」



 アルディート様の言葉に、ついに私は何も返せなくなってしまった。


 御主人様の恋のきっかけは、拍子抜けするくらいすっごく簡単なことだった。

 でも、そんな簡単なことが、公爵令嬢の御主人様にとっては、すっごく衝撃的だったんだ。


 ……そんな簡単なことなのに、こんなにも壁が厚いんだ。

 貴族同士じゃないせいで。平民同士じゃないせいで。

 自分の恋心にすら気付けない。最初から可能性すら考えない。


 ──御主人様もその平民の御方も、二人ともお互いに「恋愛」っていう発想にすら至れないんだ。



 考えれば考えるほど悲しくなって、私は自然と俯いてしまっていた。

 アルディート様はそんな私の姿を見て優しく笑った。


「妹のこと、そこまで気にかけてくれてありがとな。

 ……いい侍女を持てて、セレナは幸せ者だな。」


 図々しいお節介でアルディート様に突撃した私なんかには、勿体無さすぎるお褒めの言葉だった。


 私はそれに一言「ありがとうございます。」と返すのが精一杯だった。



◆◆◆◆◆◆



 それから結局、御主人様は何も変わらなかった。


 ただ毎日登校して、ただ毎日勉強をして課題をこなして──……それだけだった。


 御主人様からその「平民の御方」のことや学園での出来事を聞くことは、もうなかった。


 ただただ味気ない日々が淡々と過ぎていった。


 プライドが高くて高飛車な御主人様の可愛らしい小さな初恋は、御主人様自身が自覚することなく、何も起こらないまま静かに消えていった。


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