5 ◆ 侍女の私の婚約者!?
全10話(執筆済)。基本毎日投稿予定です。
……と思ったのですが、今日は2話連続で投稿させていただきます。
「失礼。わたくし、お化粧直しに行ってまいります。」
植物園みたいに立派な温室の超おしゃれなガーデンテラス。そこに用意された白い豪華なテーブルの上には、お腹いっぱいになりそうなアフタヌーンティーセットが到着と同時に置かれていた。
そんな準備バッチリなテーブルを目の前にして、御主人様はいきなり席に座らずにそう宣言した。
「エリィ。貴方はついてこなくていいわよ。お客様だけにさせるわけにはいかないでしょう?
わたくしが離席している間、レックス様のお相手をしてあげて頂戴。」
「はい、かしこまりました。」
ん?「かしこまりました」……でいいの???
反射的についそう返事しちゃったけど……侍女の私が「お相手をする」って、我ながらおかしくない?
私がひっそりと混乱している間に、御主人様はサッと踵を返して、その綺麗な髪を靡かせながらどこかへ行ってしまった。
追いかけようにも、この公爵家本邸は初めて来た場所だから、どこに御主人様が行ったのか私にはさっぱり分からない。
……仕方ない。私がなんとか場を持たせなきゃ。
侍女として御主人様のフォローをすべく、厚かましいかもしれないけど、私は頑張ってその場を取り持つことにした。
「失礼いたしました。レックス様。どうかお席へお掛けください。」
そう言って私はそっと椅子を引く。
レックス様は御主人様の一連の言動に困惑していたようだったけど、私の声掛けにハッとしたように我に返って「ありがとうございます。」と笑って椅子に腰掛けた。
………………どうしよう。これから。
こういうとき、侍女としては静かに待機するのが正解なのかな?多分、そうだよね。特に話なんて振らない方がいいんだと思う。
お相手は御主人様のお見合い相手で、そうでなくても高貴な伯爵家のご令息なんだから。
………………でもなぁ。
応接間での、御主人様との気まずい会話の時間。
からの、いきなりの御主人様の離席。
……これでさらに一人で席にポツンと座って静かに待たされるなんて、辛すぎるよね。
私はそう考えて、ちょっと出しゃばり過ぎかなと思いながらも、レックス様にリラックスしてもらえるように笑顔で声を掛けることにした。
「レックス様。よろしければ、お先にどうぞお食べください。私がお茶をお淹れしてもよろしいですか?」
レックス様は私の方を見上げて、心なしかさっきまでよりも自然な笑顔で「ああ、ありがとうございます。お願いします。」とまたお礼を言ってくれた。
うーん、やっぱりかっこいいなぁ。レックス様。
私は御主人様に日頃から鍛えられてきた腕を存分に振るう。
いい感じに茶葉が開いたところで、いい感じにお茶を注ぐ。うんうん、美味しくできた気がする。
レックス様には少しでもホッとしてもらいたいし……せっかくだからいいところ見せたいしね。
そんなささやかな邪念を抱きつつ、レックス様に紅茶をお出しする。
レックス様は笑顔で紅茶を受け取って、さっそく一口飲んで──……それから、盛大に声を出して息を吐いた。
「はぁ〜〜〜ぁ。」
緊張の糸が切れたのか、萎んだ風船のように一気に肩を落として背中を丸めてべちょーっと溶けるレックス様。それを見たレックス様の執事さんは、静かに苦笑していた。
「……あ、申し訳ありません。」
私の方を見て慌てて姿勢を正そうとするレックス様に、私は私で慌てて首を振った。
「いえ、お気遣いなく!」
それから私は少しだけ迷ってこう続けた。
「……正直、息が詰まっちゃいますよね。
あの、セレンディーナ様がお戻りになるまでは、どうぞごゆっくりなさってください。
侍女の私にまで敬語なんて使わなくて大丈夫ですよ。……本当に、お気になさらずに。」
するとレックス様は「ははっ」と笑って、それからもう一度脱力した。
「はぁ……じゃあ、お言葉に甘えて。
……っ、あ゛ぁ〜〜〜もうダメだ、俺。」
…………レックス様。
私がそっと同情していると、私の視線を感じ取ったのか、レックス様は再びこっちを向いてくたびれた顔で笑った。
「今回の縁談、両親が俺に無断で勝手に釣書送ってたみたいで。先々週にいきなり『今度、パラバーナ公爵家のセレンディーナ様との見合いが決まったぞ。』って言われたんだ。
セレンディーナ様って四大公爵家のご令嬢だし同年代の貴族の中じゃすごい有名人だから。もう話を聞いたときからずっと緊張しちゃっててさ。
……やっぱり上手くできなかったな。」
私はそれを聞いて首を振る。
「『上手くできなかった』なんてことはありません。
レックス様はお優しく積極的にお話をしてくださっていたと思います。」
悪いのは無愛想な御主人様の方ですよ!
……とはさすがに言えないから、心の中でそっと付け足す。
「そうかな。そう言ってもらえると、ちょっと気が軽くなるよ。」
レックス様はそう言ってから、ご自分の手元に視線を落とした。
「……ただ、ああやっていかにも『あなたには興味ありません』って感じであしらわれると焦っちゃってさ。さっきも頭が真っ白になっちゃったんだ。事前に話すこととか考えてきてたはずだったのに。
馬鹿みたいだよな、俺。……全然成長できてないじゃん。」
「そんなことは……」
なんてフォローしていいか分からずに言葉を詰まらせていると、レックス様は自嘲した。
「すっごいダサい話なんだけど。
俺、以前に……初恋の相手にさ、照れちゃって上手く話せなくて、すげー意地の悪いこと言っちゃったりして、それで嫌われたことがあるんだ。
何を話しかけても冷たくあしらわれて、面倒くさそうな視線を返されて。さっきのセレンディーナ様じゃないけど……でも、あんな感じで。
だから何っつーか、ちょっとしたトラウマなんだ。ああいう感じで接せられるのが。」
「……そうだったんですか。」
レックス様みたいなかっこいい人でも……レックス様みたいな貴族のご令息でも、そういうことってあるんだ。
なんだか、自分の通ってる普通科学校の同級生の男子みたい。
前に、御主人様が夜に泣きながら勉強してるのを知ったときに「セレンディーナ様も私と同い年の女の子なんだな」って実感したことがあるけど。そのときと似たような感じがする。
……そうだよね。よく考えてみたら、レックス様だってただの「同い年の男の子」だもんね。
好きな子につい照れ隠しで意地悪しちゃって後悔──みたいな経験があってもおかしくないし、今みたいに同い年の女の子に冷たくされて頭が真っ白になっちゃうことだって、全然、何にもおかしくない。
私だってもしいきなり「今から身分が上のご令息とお見合いするぞ!」って親に言われて、いざ当日にお相手にあんな風に冷たくされたら……きっとその場で混乱して動揺して、泣きたくなっちゃうと思う。
「俺、そうやって初めて好きになった奴を傷付けて、そいつに嫌われた経験から『これじゃダメだ』って思ったんだ。それから反省して自分磨きをして、生まれ変わったつもりだった。
……でも、全然変われてなかった。見合い相手ともまともな会話ひとつできるようになってない。婚約なんて……新しい恋なんて、まだまだできる立場じゃなかったんだ。」
レックス様…………なんか、どんどん自己嫌悪に陥って沈んでってるな。
私はレックス様に何とか励ましの言葉を贈った。
「ダサくなんてありませんし、ダメでもないと思います。
そうやってご自分を省みて成長しようって思えるところとか、それで変わるために頑張って努力ができるところとか。誰もができることではないと思います。
同年代の人間として、尊敬します。私も見習いたいです。」
ついでに御主人様にも見習ってほしいです。まったくもう。
……とも言えないから、これも心の中でそっと付け足しておく。
「ははっ、ありがとう。
えーっと、さっき【エリィ】って呼ばれてたっけ?エリィさんも俺やセレンディーナ様と同じくらいの年なのかな?」
レックス様が若干気を取り直しながら、私に話を振ってくる。
「はい。私は御主人様と同い年なので、レックス様とも同学年になります。」
私が素直に答えると、レックス様は「そっか。」と言いながら頷いて、さっきよりも緊張がほぐれた自然な笑顔でこう言った。
「俺の方こそ、エリィさんを見習いたいよ。
同学年なのに、こうしてセレンディーナ様の侍女としてしっかり働いていて。初対面の俺にも気を遣ってくれて。
……俺はまだ実家に甘えながら学生をやっているだけの人間だから。こんなところでみっともなく凹んでないで、もっとエリィさんみたいにちゃんとしなきゃダメだよな。」
ゔっ!かっ、かっこいい!!優しい!!
私は眩しい笑顔に嬉しい褒め言葉のダブルパンチをもらって、自分でも分かるくらいに顔が熱くなってしまった。
「もっ、勿体無いお言葉をありがとうございます!」
照れを誤魔化して礼をする私に、レックス様は気さくに続けて話掛けてくださった。
「エリィさんは、この仕事は長いのかい?親御さんもパラバーナ公爵様の元で働いているのかな?」
「あ、いえ。私は現在御主人様がお住まいになっている、ラケールの公爵家別邸の侍女でして。1年半ほど前からお仕事をさせていただいています。」
「へえ!ああ、ラケールか。長閑でいいところだよね。」
「はい。それで、私の両親は……えーっと、一応、男爵家として主に地元の観光業と農業に携わっている……らしいです。詳しいことはよく知らないのですが。」
「そうなんだ。じゃあ、エリィさんもセレンディーナ様と同じ貴族学校に?」
「いえいえ!私はそんな、男爵家といっても名ばかりなので。ラケールの普通科学校に通っています。」
──そんな感じで、御主人様を待ちながら、私とレックス様はのんびり会話を続けていた。
「──へえ!エリィさんも語学の勉強が趣味なんだ!奇遇だな!」
「あはは、そんな大層なものじゃないです。勉強しているといってもペペクル語だけですし。完全に独学なので、本当に、たいしたことなくて。」
「そんなに謙遜しなくていいんじゃないか?学校に行って、侍女の仕事もして、その上でペペクル語まで勉強してるんだろ?すごいって。」
「ありがとうございます。でも、ペペクル語は貴族学校では基礎教養科目なんですよね?レックス様の前で『得意です!』とは到底胸を張って言えないというか……。」
「ははっ!そんなことないって!たしかに基礎教養として必修にはなってるけどさ、実際に流暢に会話できるような奴はほとんどいないよ。
読み書きは教科書や参考書を使っていくらでも勉強できるけど、いざ聞き取ったり喋ろうとしてもなかなか上手くできないんだよなぁー外国語って。実践の機会が少なくって。」
「そうなんですよ!私、自室で参考書を音読してみたり、自分で作文してそれを声に出してみたりはしてるんです。でも自分だけじゃ間違っていても気付けないし、そもそもペペクル語話者の方の言葉の聞き取りなんて練習すらできないしで、イマイチ喋りに関しては成長できている実感がないんですよね。
はぁ……御主人様はあんなにペラペラ話せるのに。どうやって習得したんだろう?やっぱり家庭教師とかつけなきゃダメなのかなぁー……って、」
………………あ。
すっかりレックス様と雑談に花を咲かせちゃってたけど、ここで私はふと思い出した。
そしてそれはレックス様も同じようだった。私が発した「御主人様」という単語に、レックス様もハッとしていた。
「……そういえば。」
「御主人様、遅いですね。」
「……だな。もう15分以上……いや、20分?くらいは経ったか?」
「35分ほど経っております。坊ちゃま。」
そっとレックス様お付きの執事さんが懐中時計を確認しながら教えてくれる。
うわ。もうそんなに経っちゃってたんだ。
──トイレに35分ずっと篭ってる?……でも、見る限りだとそんな体調悪そうじゃなかったし。鋼の精神力で我慢してた?
──それともまさか……サボり?どこかで優雅にくつろいでる?……まさかね。
普通なら「前者」を考えて御主人様を心配すべき。
……でも。
私は1年半の侍女経験から「後者」の方が可能性が高いと分かってしまった。
いい加減、御主人様を探しに行った方がいいよね。いくらなんでも時間が経ちすぎてる。
だけど、ここにお客様のレックス様たちだけをお待たせするっていうのも……私もこの公爵家本邸の構造が分からないから、離れちゃって戻ってこれなくなったり迷子になったりしたらどうしよう。
探せばすぐ近くに他の公爵家の使用人の人たちがいそうだよね。その人たちに「御主人様を探してください」って頼めばいいかな?
……うん、そうしよう。
私はレックス様と執事さんに「申し訳ございません。少々お待ちいただけますか?すぐに御主人様にお戻りになるよう、声を掛けてまいります。」と断って、温室の中を駆けて建物の方へ向かった。
レックス様は何かを察したように、私を気遣うように──そして、ほんの少しだけ悲しそうに笑って「俺のことは気にしなくていいから。慌てずに。……お疲れ様。」と言ってくれた。
私は温室を小走りで出ながら──急に泣きたくなってしまった。
──……レックス様の、今の悲しそうな表情。
さっきまで私と楽しく雑談してくださっていたけど、やっぱり、レックス様も分かっちゃってるよね。御主人様に冷たくされて、挙げ句の果てに放置されてるってこと。
緊張しながらも頑張ろうって気合いを入れて来てくれたレックス様に対してこの仕打ち。
ひどい、ひどい。……ひどすぎる。御主人様、ほんと──ほんっとに最悪っ!!
私は過去一番、御主人様のことを最低な人だって思いながら、建物に入ってすぐのところにいた使用人の二人に「セレンディーナ様が戻ってこないから、お探しするか、もしくは公爵様にどうすべきかお伺いをしてほしい」件と、「お客様だけをお待たせするわけにはいかないから、自分は温室に戻る」件を伝えた。
◆◆◆◆◆◆
「本当に申し訳ありませんでした。大変長い間お待たせしてしまって。
──セレンディーナ!貴女も謝りなさい!」
あれから10分。
公爵ご夫人が直々にセレンディーナ様を連れて温室にやってきた。
公爵ご夫人は今にも泣きそうな顔をしていて、セレンディーナ様はちょっぴり不貞腐れたような顔をしていた。
……多分、やっぱりサボってたんだろうな。この感じだと。
さすがに「ウチの娘はお見合い相手の貴方を放置してサボってました」なんて言えないんだろう。公爵ご夫人は理由は言わずに平謝りをしていた。
レックス様はそれを察して「いえ、お気になさらずに。」と言って愛想笑いを浮かべていた。
そして当の御主人様はというと。
御主人様はそんなレックス様のお顔を見て、信じられない言葉を放った。
「有意義な時間になっていたようで、何よりですわ。」
────っ!!!
「御主人様!!レックス様に謝ってください!!!」
私は冷静に何かを考えるよりも先に、衝動的に御主人様に向かって怒鳴ってしまっていた。
その場にいた全員が静まり返る。
御主人様は私を見て、驚きで目を丸くして固まっていた。
そんな状況でも、この場で明らかに一番身分が低い侍女の私の口はもう止まらなかった。
「何なんですか!!レックス様を散々不安にさせて、傷付けておいて、その言葉!!その言い方!!
いきなりレックス様をこんなところにお一人でお待たせして!それでいて謝罪の一言も言えないんですか!?
公爵令嬢だの何だの以前に!人として恥ずかしくないんですか!!」
自分でも自分の口が止められない。
私の手は震えて、私の目からは涙が流れてきてしまっていた。
「っ、そもそも!今日お会いすることを決めたのは御主人様でしょう!?
レックス様にわざわざこちらの公爵家の方に来ていただいたんでしょう!?
ありがたいと思わないんですか!会話が弾むように少しは自分も努力しようって思わないんですか!!
私、御主人様は『できない』人じゃないって知ってます!御主人様はちゃんと『できる』人じゃないですか!!
──っ、だったら!ちゃんと『やって』くださいよ!!
お読みしてる小説が何かくらい、普通に答えればいいじゃないですか!御主人様は語学が堪能なんですから、趣味の話に乗ってあげてくださいよ!!
っ、愛想笑いでも何でもいいから!笑顔の一つくらい見せたらどうなんです!?
レックス様は充分すぎるくらい頑張ってくださっていたじゃないですか!どうして御主人様はやらないんですか!!
御主人様はいっつも『できない』人のことを馬鹿にして見下してますけど!
でも!私から言わせれば──……っ!
──『できるのにわざとやらずに相手を傷付ける』御主人様の方が!!もっと──もっと最低です!!!」
◆◆◆◆◆◆
泣きながら怒鳴り散らす、ただの一介の侍女の私。
みんな驚きで固まっていて、誰も何も発さない。
衝動のままに言い切った私の荒く震える呼吸の音だけが、自分の耳に聞こえてきた。
何も考えられないまま、冷静になることもできないまま。
震えながら肩で息をする私に、沈黙を打ち破って声を掛けてくださったのは……レックス様だった。
「……エリィさん。ありがとう。
大丈夫だよ、俺は。……心配かけてごめんな。」
席を立ち上がり、私の肩にポンと優しく手を添えてくださるレックス様。
私がうまく反応できずに「でもっ……でも!」と泣いて震えていたら、レックス様はそっと笑った。
「エリィさんにそこまで言わせてしまって、申し訳なかった。
俺のために怒ってくれてありがとう。もう俺はそれで充分だよ。」
レックス様のお言葉に私が声を詰まらせていると、レックス様は今度はしっかりと御主人様の方を向いて、毅然として口を開いた。
「セレンディーナ様。
俺はこの件について、何も傷付いていません。ですので、謝っていただく必要もございません。
先ほどの会話も、俺が未熟だったが故に、セレンディーナ様に退屈なお時間を過ごさせてしまったと思っています。
……ですが。
エリィさんには、どうか謝ってあげてください。
セレンディーナ様がいらっしゃらない間、エリィさんは俺以上に不安になりながらも、俺のことを気遣って、懸命に侍女以上の仕事をしてくださっていました。
……お茶を淹れてただ待つだけじゃなかった。エリィさんは俺が落ち込まないように、明るく話題を提供し続けてくださったんだ。」
……っ、レックス様。
「エリィさんは普段、ラケールの別邸で働いているとお聞きしました。エリィさんにとって不慣れなこの本邸で、いきなり何も伝えずに立ち去り不安にさせてしまったことを、しっかりとエリィさんに謝ってください。
そして、差し出がましいとは思いますが。セレンディーナ様。
もっとご自分の侍女を、大切にしてあげてください。」
「………………っ。」
レックス様からのお言葉に、らしくなく口をぐっと結んで眉間に皺を寄せる御主人様。
まるで、悪いことをしたのがバレて大人にお説教をされて、泣きそうになっている小さい子どもみたいな表情だった。
レックス様は、まだ口を固く閉じている御主人様に向かって、真っ直ぐな瞳で説得をした。
「エリィさんはああ言ってくれましたが、俺はそんなできた人間じゃない。俺の方が……過去には散々、他人を心無い言動で傷付けてきた最低な奴です。
……でも、間違えてしまっても、『謝れる人』はまだやり直せる。
やってしまったことは取り返しがつかなくても、許してもらえなくても。それでも、そこから未来は変えられると思うんです。……俺は、そう信じたい。
逆に今ちゃんと謝れなかったら、セレンディーナ様はこれからずっと、エリィさんとの主従としての信頼関係を失ってしまうことになりますよ。」
御主人様の隣にいる公爵ご夫人が、穏やかに、でも有無を言わさぬ強い口調で「セレンディーナ。レックス様とエリィさんの言う通りよ。お二人とレックス様の執事の方にきちんと謝りなさい。」と命令をした。
御主人様は、さらにぐっと顔を顰めて俯いて──……それから私たちの方に向かって頭を下げて、一言だけ、こう言った。
「………………ごめんなさい。」
◆◆◆◆◆◆
こうして後味が最悪な御主人様のお見合いはお開きになった。
公爵様はご夫人と一緒に、アーケンツォ伯爵ご夫妻とレックス様に向かってひたすら頭を下げて謝り、御主人様にも頭を下げさせていた。
伯爵ご夫妻は、相手の方が身分が高いからか、それとも寛大な性格だからなのかは分からないけど、公爵様たちに向かって「そんなそんな!どうかお顔をあげてください!」とむしろ必死にお願いしていた。
なんとか軋轢は生まずに済んだ今回の問題。
公爵様は侍女でありながら御主人様にブチ切れてしまった私に対しても「セレンディーナがどう考えても悪いんだ。娘を叱ってくれてありがとう。」と言って、何もお咎めなく許してくださるどころか感謝までしてくださった。
御主人様は当初の予定では、今日は本邸に泊まって明日にラケールの別邸に戻ることになっていた。でもさすがに居心地が悪く感じているのか、今日中に別邸に戻ると言って、予定を変更していた。
私も御主人様に合わせて、予定を変更して別邸に帰るために豪勢な馬車に乗り込む。
お見合い相手を放置して消えるという最低なことをした御主人様と、主人を相手に怒鳴り散らすという最低なことをした侍女の私。
お互いにどんな顔をしていいか分からないまま、私たちは同じ馬車に乗って帰路についた。
ガタンガタン……と、馬車の車輪の音がする。
そして微かに、馬車を引く馬たちの蹄の音もする。
「……良かったですね。許していただけて。」
「………………。」
「私も……出しゃばって感情的になって、御主人様のことを怒ってしまって、本当に申し訳ございませんでした。」
「………………。」
「………………。」
心地よく揺れる馬車の中で、私は御主人様との気まずい時間を過ごしていた。
……今日の件は、どう考えても御主人様が100%悪い。
でも、私も立場を弁えずに怒っちゃった。それはそれで悪いこと。公爵ご夫妻とレックス様が許して庇ってくださったからいいものの。あの場で即刻クビになっても全然おかしくなかった。
……まったく仕事に徹せてない。思いっきり私情を挟んだ。
今日の私……侍女としては、完っ全に失格だ。
今さら冷静になって、激しく落ち込む私の心。
そうして私がしばらく無言でいたら、御主人様が膝上に置いた手を見つめながらボソッと、バツが悪そうに呟いた。
「……ごめんなさい。」
「いえ、私はいいんです。こちらこそごめんなさい。」
静かに謝り合う私たち。
ふと、レックス様の言葉が脳裏に浮かぶ。
──「『謝れる人』はまだやり直せる。」
私も、御主人様も、お互いに一言「ごめんなさい」を言っただけ。
それだけでも、ほんの少し息がしやすくなった気がした。
少しだけ空気が軽くなった馬車内でまたお互いに黙って座っていると、御主人様が不意に、今度はちょっと不満そうに言い訳じみたことを小声で言ってきた。
「……わたくしはただ、貴女も彼と話がしたいだろうと思って、気を利かせただけなのに。」
「………………はい?」
ガタンガタンという馬車の音に紛れていたけど、私はたしかに聞き取った。御主人様のお言葉を。
何だって?どういうことなの???
私が目を点にしていると、御主人様はムスッとしながら私を睨んで、意味不明なその意図を話した。
「だって。貴女、彼のことを気に入っていたのでしょう?
わたくしは今日、実際に会ってみて『やっぱりわたくしには相応しくない』と確信したわ。貴女と話していた方がまだ双方にとって有意義だと思ったの。
──だから、譲っただけ。
何もおかしくはないでしょう?
それに、あちらは伯爵家の長男よ?四大公爵家長女のわたくしより、男爵家長女の貴女の方がまだ釣り合うのではなくって?」
………………んん???
「…………えーっと、つまり。
御主人様は私に『お見合いのお下がり』をくれようとした、と。
そういうことですか?」
「そうよ。」
…………………………。
もはや「失礼」を通り越してると思う。この人。
っていうか、いや何なのそれ?!どんな発想をしたらそうなるの?!脳の構造が根本から違うって!!
「自分には合わないから、この人は自分の侍女にあげちゃお〜」って思ったってこと?!意味分かんない!!
「そっ、それはさすがにいくらなんでも酷すぎます!
私はともかく──っ、レックス様に対して失礼にも程があります!!
レックス様は『公爵令嬢の御主人様』のために今日いらしたんですよ?!そんな御方に、私みたいな『男爵令嬢の侍女』がお似合いだなんて勝手に決めつけて!!」
私はまた思わず御主人様に向かってうっかり抗議してしまった。でも御主人様は、今度はしゅんとはせずにしれっと言い返してきた。
「でも実際、気が合って話も盛り上がったのでしょう?30分以上も。」
「うっ!そっ、それは……!」
「その結果。貴女は立場を弁えずに主人であるわたくしに怒鳴り散らすくらいには、もうすでに彼に肩入れしてしまっているのでしょう?」
「うぐっ!!?」
「ほら、図星じゃない。最初に釣書を見たときから貴女、目の色が変わっていたもの。分かりやすい単純な女ね。」
「んなっ……!!」
「何よ。それで、わたくしがいなかったら貴女は一生、絶対に、あの伯爵家長男と交流を持つ機会なんて得られなかったでしょう?だったらこれでよかったんじゃない。
お似合いじゃないかしら。彼も貴女には気を許していたようだったし。公爵令嬢の前でガチガチに固まるような器の男じゃ、どちらにしろわたくしとの婚約なんて無理よ。
まあ、アーケンツォ伯爵家からすれば、資産的には貴女の男爵家との婚姻は旨みがないでしょうけれど。でも彼にとっては、貴女のような男爵令嬢が相手の方が何かとやりやすいのではなくて?」
「ぐっ、ぐぬっ……!!」
まさかの怒涛の開き直りに私が反論しあぐねていると、最後に御主人様はやれやれと溜め息をついた。
「……はぁ。
まあ?わたくしも少しは悪かったとおもっているわよ。ちゃんと反省もしているわ。
でも、それ以上に貴女と彼には感謝されてもいいと思うのよね。」
「………………。」
もう、なんなんだろうこの人は。ついていけない。
御主人様の言っていることは「たしかにそうかも」って思えてくる。
でも同時に「そうじゃない」とも思うし、なんだか言いくるめられてるような気もする。
……それでもやっぱり、御主人様の言う通り。
今日レックス様に会えてお話ができたことは、たしかに私の人生の中で、本当に本当に大きくて貴重な出来事になったのだった。
◆◆◆◆◆◆
──後日。
私の実家のカーノット男爵家に、なんとアーケンツォ伯爵家──レックス様から、私への婚約の打診が来た。
私は信じられなくて5回くらい「それ本当なの?!」って通話で確認したし、お父さんとお母さんも信じられなかったみたいで10回くらい私に「何かの手違いじゃないのか?!」って確認の通話を鬱陶しいくらいかけてきた。
しかもその件について、わざわざお忙しい中お仕事の合間を縫って、御主人様のご両親の公爵ご夫妻が、私のいるラケールの公爵家別邸まで顔を出しに来てくださった。
公爵様は「あちらのアーケンツォ伯爵様ともすでに話はつけてある。セレンディーナや我々公爵家のことは気にせず、エリィさんとレックス君が納得いくようにしてくれていいんだぞ。」と言って私を安心させてくださり、ご夫人も「ええ、その通りよ。わたくしたちの考えていた形とは異なってしまったけれど、若いお二人の縁を繋ぐお手伝いができたと思えば、これはこれで悪くないわ。どうなるかはエリィさん次第でしょうけれど、わたくしとっても嬉しいわ。」と笑顔で喜んでくださった。
本当に、本当に。レックス様も、公爵ご夫妻も。
……なんていい人ばっかりなの。
ただの「別邸の侍女」である私の恋を温かく応援してくださるお二人の優しさが嬉しくて、レックス様に婚約相手として候補に上げていただいたことが信じられなくて嬉しすぎて、幸せで有り難すぎて──私はうっかり、公爵ご夫妻の前でボロ泣きしてしまった。
私が広間で号泣していたら、御主人様のお兄様であるアルディート様が偶然通りがかった。
アルディート様は私の泣いている姿を見て最初はびっくりしていたものの、公爵様から事のあらましを聞いて、すぐに笑って一緒に祝福してくださった。
「──そんなことがあったのか。
セレナのせいで大変なことになったみたいだけど……皆にとって幸せな結果になりそうで良かったよ。
何よりも、あちらにエリィさん自身の魅力が伝わったからこその話だね。レックス様の目には、エリィさんが誰よりも素敵に映ったんだ。
……おめでとう、エリィさん。」
アルディート様からいただいたお言葉に、私はさらに大泣きしてしまった。
まさかレックス様のお相手になれるだなんて、そんな話は信じられない。こんな貧乏男爵家の私でいいのかな──……って、ちょっと無自覚のうちに弱気になっていたことに泣きながら気付いた。
そんな自分の背中を、力強く「自信持って!大丈夫!」って押してもらえたような気がした。
それから御主人様のお部屋に戻って、その話をご報告したとき。公爵ご夫妻やアルディート様とは違って、御主人様はいつものように鼻で笑ってこう言った。
「ほら。結局こうなったじゃない。
わたくしの言う通りだったでしょう?」
そんな御主人様の太々しい態度に、私は何故かまた泣きたくなった。
非道な御主人様への怒りなのか、苛立ちなのか、失望なのか。はたまた……感謝の念なのか。
……これが一体、何なのか。
自分でも分からなかったけど、御主人様の判断と行動のお陰で、私の人生はあの日に大きく変わった。
きっと、そのことに対する感情だ。
あり得ないくらいに非常識で、とんでもなく失礼で。平気で他人を傷付ける、傍若無人な御主人様。
──こんな御主人様には、私は一生、絶対に勝てないかもしれない。
私は泣くのを必死に堪えながら、何故か「ありがとうございます」と言って頭を深く下げていた。