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2 ◆ 侍女の私のお勉強

全10話(執筆済)。基本毎日投稿予定です。

 信じられないほど我儘で横暴な公爵令嬢【セレンディーナ・パラバーナ】様。

 流行りの恋愛小説から付けられた、裏でのあだ名は【悪役令嬢様】らしい。


 そんな私の御主人様だけど……悔しいことに、見た目と頭脳はまさに()()


 見た目に関しては、初めて御主人様にお会いした瞬間に、私はもう嫌というほどにそれを理解させられた。

 ウェーブがかかった長い青藍色の髪に、宝石のようにキラッキラな黄金色の瞳。色白な肌にスッと綺麗に通った鼻筋。お上品ながらも色気のある口元が印象的。

 その美貌はびっくりするくらいすでに完成されていて、まるで隙のない精巧なお人形のよう。同い年の女子とは思えないくらい──っていうか、同じ生き物とは思えないくらいに整っていて、むしろゾッとしちゃうくらい。


 そして、頭脳。

 そのお上品な口元から発せられる嫌味ったらしいお小言のレパートリーの豊富さや、普段お部屋で本を読まれているときの雰囲気から薄々察してはいたんだけど……やっぱり御主人様はすっごく頭も良かった。


 御主人様の教養のすごさを私が身をもって体感したのは、私が侍女になってから2ヶ月ほどが経った、ある週末での出来事だった。



◆◆◆◆◆◆



 ほどよい気温と眩しすぎないお日様の光が気持ちのいい、とある週末。

 

 のどかなラケールの街の公爵家別邸に、珍しくお客様がやってきた。


「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました。大変ご無沙汰しております。」


 お客様に向かって優雅に一礼するセレンディーナ様。

 御主人様が(うやうや)しい態度をとっているそのお相手は、外国からいらした御主人様の従姉(いとこ)にあたる方だった。


 御主人様よりも5歳ほど歳上らしいその従姉(いとこ)様も、やっぱりすっごく高貴そうな雰囲気を纏っていた。

 っていうか、イヤリングにネックレスに指輪に腕輪……そこかしこにつけている宝石がキラキラギラギラ眩しすぎて、見てるだけで卒倒しちゃいそう。


 その従姉様は、セレンディーナ様の挨拶をにっこりと笑顔で受け取って──それから、思いっきり外国語で一気にペラペラと返してきた。


「−−− −−!−−−− −−−−−。−−−−− ……、−−−?」



 へっ?


 ……何を言ってるのか、全っ然わからない。



 御主人様の後ろに控えていた私は、お客様である従姉様の言葉を何一つ聞き取れず混乱してしまった。


 えっと……今のって、多分「ぺぺクル語」だよね?

 学校でちょろっとだけ習ったことがある。って言っても世界史学の「外国文化に触れてみよう!」みたいな章のところで、簡単な挨拶をいくつか覚えた程度だけど。響きがなんか、それっぽかった。


 いきなりの外国語に目が点になってしまった私とは違い、セレンディーナ様はその従姉様の言葉を聞いて、不自然なくらいにっこりと完璧な作り笑顔を浮かべた。

 それから口を開いて、流れるようにそのままペペクル語らしき外国語で会話をし始めた。


「---、−−。−−−−−− −−−、−−。……−−−− −−−−?」

「−−−。−−−。−−−−−!」

「−−、−−−− −−−。」



 えっー!ウソ!御主人様、そんな流暢に外国語喋れるの?!

 全っ然わからない、けど──かっこいい!



 私は初めて、純粋に御主人様のことを尊敬した。


 外国語で異国の人とコミュニケーションを取れるなんて、憧れちゃうなぁ。それに楽しそう。

 いいなぁ。私もいつかこんな風になれたら──……


 私がこっそりそんな感想を抱いていると、御主人様と会話をしていた従姉様が、突然侍女の私の方を向いて笑顔で何かを言ってきた。


「−−−、−−−−− −−−−−。−− −−− −−−−−?」


「……えっ?」


 ただでさえ来客接待なんて初めての経験で緊張しているのに、その上いきなり外国語で話しかけられて、私は頭が真っ白になってしまった。


 どっ、どうしよう?

 何も分からない。今、私何か言われた?何か頼まれたのかな?


 言葉なんて当然聞き取れなかったから、推測して動けばいいのかな。

 とりあえず「はい」って言えばいいの?ペペクル語で「はい」って……なんて言うんだっけ?

 えっと……、えっとえっと──……どど、どうしよう?!


 私が完全にパニックになって変な汗をかき始めた瞬間。

 私の斜め前にいた御主人様が、私の方を軽く振り返って指示をしてきた。


「……エリィ。

 ここで立ち話をし続けるわけにはいかないから、わたくしたちは応接間へ移動するわ。貴女(あなた)外套(コート)をお預かりして、わたくしたちについてきて頂戴。」


「──あっ、はい!かしこまりました!」


 御主人様の声に我に返った私は、言われた通りに従姉様のもとへ行って外套をお預かりした。

 そのときに従姉様から何かを言われたような気がしたけど、よく分からなかったから、とりあえずそれっぽく一礼だけして下がった。



 その日の私は、それ以降も御主人様の後ろに控えて、何も分からないまま御主人様の指示通りにただ動いて3時間ほどの接待をやり過ごした。

 よく分からないまま他の使用人が用意してくれたお菓子をお出しして、よく分からないままいくつかの質問に御主人様経由で答えて、それからよく分からないままお庭の散策について回った。


 そうしてようやく従姉様が馬車に乗ってお帰りになる──正確には、王都にあるパラバーナ公爵家の本邸、つまり御主人様のご実家に向かわれるのを、御主人様と共に玄関先でお辞儀をしながらお見送りをして──……


 ……私は、遅れてドッと緊張と不安を感じた。


 心臓が急にバクバクと鳴り始める。改めて頭が真っ白になる。



 どうしよう。

 ……私、今日何もできなかった。

 従姉様の言っていたこと、何一つ分からなかった。


 っていうか、私、御主人様に通訳をさせてたってことだよね。

 それって……やばい。どうしよう。やっちゃった。最悪じゃん。


 他の使用人の先輩たちはてきぱき動いてたのに。私は御主人様の後ろに突っ立ってるだけだった。

 他の人たちはみんなあの外国語が分かってたのかな?それとも、来客接待のやり方を知ってただけ?

 どっちにしろ、私の勉強不足だ。


 ……どうしよう、どうしようどうしよう。御主人様、絶対に私に今、怒ってる。



 私はなぜかネルルーさんのことを思い出した。


 なんやかんやで慣れてきた侍女生活。気付けばあっさり2ヶ月も経って、御主人様の嫌味ったらしい指摘にもお小言にも慣れてきた……はずだった。


 私の頭に「解雇」の文字が(よぎ)る。

 脳内で、ネルルーさんの……あのときに聞いた御主人様の「貴女はクビよ。いない方がマシ。」の声がぐわんぐわんと鳴り響く。



 私はあのネルルーさんがクビになった日以上に、今さら怖くなってきてしまった。



 ああ、終わった。私、絶対クビだ。

 ──っ、どうしよう。

 お父さんとお母さんになんて言おう。応援してくれたテオにどんな顔して会えばいいの。ダリアとミューリンにバレたら恥ずかしい。



「……エリィ。いつまで頭を下げているの?

 とっくに馬車は行ったわよ。」



 もう泣きたくなって滅茶苦茶になっていた私の頭上から、御主人様の冷めた声が浴びせられた。


 私がハッとして頭を上げると、御主人様は私の様子なんて微塵も気にしていなさそうに「はぁ」と溜め息をついた。


「…………疲れた。

 わたくしは部屋に戻るわ。喉が渇いたの。」


 私はいつもよりも一拍遅れて「……はい!」と返事をしてそそくさと御主人様についていく。

 そして慌てて頭と気持ちをいつもの仕事用に切り替える。


 御主人様が「喉が渇いた」と言うときは、もうパターンは決まっている。


 よく冷えた特製のレモンティーか、温かい高級ココア。

 どっちがいいかを聞いて用意すればいい。



 …………。



 ………………あれ?



 もしかして、セレンディーナ様、今日の私のこと……そんなに怒ってない?



 私は優雅に歩く御主人様の後ろ姿を見ながら、ほんのちょびっとだけ元気を取り戻した。



◆◆◆◆◆◆



 自室に戻った御主人様が冷えたレモンティーを味わう姿を見ながら、私は腹を括った。


 ──謝ろう。怖いけど。


 今日の私は、侍女失格だった。

 このま黙って見なかったことにしちゃいけない。


 別に「笑って誤魔化そうとしたらネルルーさんみたいにクビになっちゃうから」って訳じゃない。ただ単に私が、自分の仕事をちゃんとできなかったことに対するけじめをつけたいだけ。

 どれだけ御主人様が怖かろうが、性格が悪かろうが……今日は私が100%ダメだったんだから。謝るのは当然だよね。


 そして私は、御主人様がティーカップをそっと置いて一息ついたタイミングで、勇気を振り絞って話しかけた。


「──セレンディーナ様。」


 私の声に、御主人様が真顔のまま「何かしら?」と言って冷たい目を向けてくる。

 私はぐっと組んだ手に力を入れて、それから深く頭を下げた。


「今日は、御主人様と従姉様に、大変ご迷惑をおかけしてしまって、本当に申し訳ございませんでした。」


 ………………。


 御主人様からの返事は、すぐには無かった。


 きっとほんの数秒なんだろうけど、私にはそれがとてつもなく長い時間に思えた。

 私は御主人様の顔が、周りの様子が見えないのが怖くて、我慢ができなくなって……ビクビクしながらも頭を上げてしまった。


 すると、そんな私の表情を見た御主人様は──珍しく可愛らしい感じで、心底不思議そうに目を丸くしながら軽く首を傾げた。



「『ご迷惑』って、何のこと?」



 …………え?


 ……えっ?もしかして、御主人様、微塵も怒ってない?


 私は拍子抜けしながらも、御主人様に「えっと……今日は私、従姉様のお話ししている内容がまったく分からなくて、御主人様に通訳させてしまって、お手を煩わせてしまったので……それで、本当に申し訳なかったと思いました。」と説明をした。

 私のぐだぐだな謝罪を聞いた御主人様は、呆れたように半目になりながら「……ああ、そのこと。」と言って頷いた。


 ──あ、やっぱり怒られるかな。言わなきゃよかったかも。


 私はさっき腹を括ったくせに、御主人様の表情の変化を見て急に後悔をしかけてしまった。


 ……でも、御主人様はそれから私の予想とはまったく違う反応をした。



()()はどう考えても向こうが悪いのよ。

 クゼーレ王国に来たくせに、クゼーレ語を話さない()()()がね。」


「へっ?」



 いきなり自分の従姉を「()()()」呼ばわりしだしたセレンディーナ様に驚いて口をポカンと開ける私。

 そんな私にお構いなしに、御主人様は堰を切ったように今日の従姉様に対する愚痴をつらつらと吐き出した。


「だってそうでしょう?訪問先の国の言葉を使うのは、最低限のマナーじゃない。

 極めて珍しい言語ならともかく、クゼーレ語は大半の国では必修の貴族教養になっている有名な言語。ましてや自分の母親の出身地の言語よ?それを敢えて避けてペペクル語を話すなんて、わたくしだけでなく、自分の母親とその妹であるわたくしのお母様に対する侮辱でしかないわ。信じられない。

 まったく。どんな教育を受けたらあんな恥知らずな行動が取れるのかしら。あの女だって、()()()あちらの国の()()()()のはずなのに。

 ……ああ。もしかして、あまりにも()()()()()()()()()()クゼーレ語がまだ話せないのかしら?それならば仕方がないわね。クゼーレ語とペペクル語の二つすら理解できないなんて、お可哀想に。

 同情するわ。国境を越えた貴族の恥晒しにしかなれないその()(ざま)に。」


 う、うわぁー……「生き様」までいっちゃったよ。


 御主人様のいつもの()()、親戚にも発動するんだ。

 ……っていうか、侍女の私に対してよりも、従姉様への方がいつもの何倍もキツくない?

 御主人様……あの従姉様のこと、嫌いなんだな。


 私がドン引きして相槌すら打てなくなっているのもお構いなしに、御主人様はすらすらと続けた。


「お母様の(めい)でなければ、顔も合わせたくないわ。あんな非常識で品のない従姉(いとこ)。わざわざこっちに顔を出さないでとっとと本邸に行けばよかったのに。わたくしの貴重な時間を返してほしいわ。

 ……それにしても一体、何だったのかしらね?他言語を使って他人(ひと)の侍女を困らせるなんて。あれで侍女の貴女にマウントでも取ろうとしたのかしら?

 まあ、()()()()()()()()()()()()()()()()()から、きっとわたくしの侍女である貴女と張り合うしかなかったのね。……張り合いにすらなっていないけれど。馬鹿馬鹿しい。醜い精神がいっそ哀れね。

 ……ねえ?貴女もそうは思わない?エリィ。」


「あっ、はい。」


 最後にいきなり同意を求められて、私は反射的にうっかりその悪口を肯定してしまった。

 そしてすぐそのことに気付いて慌てて「あっ!……じゃなくて、えっと……そ、そうですかね?」と付け足してぼやかした。手遅れだけど。


 う、うーん。

 とりあえず御主人様があの従姉様を嫌ってることはよく分かった。


 それに、たしかに御主人様の言う通りでもあるかも。貴族なら、訪問先の国の言語くらいは扱えて当然──ってことよね。

 ……あ。でも、それじゃあ……


「あの、セレンディーナ様。」

「……何?」


 自分で言うのも恥ずかしいけど。

 でも、従姉様への今の愚痴(というか暴言)と私への許しは別なんじゃないかと思った私は、いつもよりも心なしか気を許していそうな御主人様に、ちょっと図々しいかなと感じながらも疑問に思ったことを聞いてみた。


「ですが、私も一応、男爵家の人間です。……それなのにペペクル語も分からなくて、ご迷惑をおかけしたのはたしかです。

 それでも御主人様は私を許してくださるんですか?」

 

 すると御主人様は怪訝そうに眉を顰めて「貴女(あなた)、さっきから何なの?そんなにわたくしに怒られたいの?……まさか、()()()()()()でもおありなの?」と、何とも不本意な誤解をしてきた。


「いえ!ちっ、違います!ただ……」

「ただ?」

「ただ……その、今日もてっきり、御主人様に怒られると思っていたので。」


 ──御主人様の怒る基準が……考えていることがよく分からなくって。


 私がそう白状すると、御主人様は今日一番の盛大な溜め息をついた。


「はぁー……貴女ね。わたくしが誰彼(だれかれ)構わず見境なく怒りを撒き散らすような短気で衝動的で傲慢な女だと……そう思っていたの?失礼にも程があるわよ。」

「っ、そんなことは──!」


 ──ありますけど!!


 私はすんでのところで本音を飲み込んだ。


「わたくしはそこら辺の短気な人間と違って、馬鹿じゃないの。

 ただ、()()()接しているだけ。……おわかり?」


「え?えっと……」


「まだ理解できないの?貴女は貴女で、随分と頭が悪いのね。

 いい?わたくし、ちゃんと立場と役目くらいは考慮しているのよ。


 ──今の貴女の仕事は『わたくしの侍女』。


 ただの侍女に多言語の対応なんて最初から期待していないわ。()()()()()()()()()もの。そんなものは貴女の業務の範囲外。違うかしら?」


 それから御主人様は、私の反応を待たずに続けて言った。


()()()

 あの従姉(いとこ)はそんなことも分からずにわたくしの侍女である貴女に向かって、必要以上のことを要求した。

 むしろ向こうが愚かな行動をしていたのよ。


 ──『公爵家の人間』ならば、たとえ異国の地であろうと、その場に合わせるための教養くらいは当然身に付けておくべきよ。


 そうでしょう?それが()()()()()()()()なのよ。だから、悪いのはあの女よ。


 エリィは自分の仕事は真っ当にやっていた。

 あの女は自分の立場を理解せずに振る舞った。

 だから、わたくしはあの女のことが許せないの。


 ……以上よ。何か質問は?」


「いえ、ありません。……ありがとうございました。」



 ──私はこのとき、初めて御主人様のことを、少しだけ見直した。



 あっ、「見直した」って言うと、なんだか上から目線になっちゃうな。

 でも、うまく表現できないけど、私は初めて「御主人様って、ただの『横暴で高飛車な性格が悪いお嬢様』じゃなかったんだ」って認識を改めた。


 そっか。御主人様には、御主人様なりの理論っていうか、信念みたいな──「プロとしての矜持」みたいなものがあるんだ。

 それで、ちゃんとそれに合っていれば、別に怒ったりしないんだ。


 そう考えると、けっこう分かりやすいかもしれない。


 2ヶ月前にネルルーさんを容赦なくクビにしたのは、「使用人として」の仕事がちゃんとできていなかったから。

 今日の従姉様に怒っているのは、今御主人様が言った通り「公爵令嬢として」のマナーがなっていなかったから。

 ……前にダリアが言っていた噂話の一件も、あれはきっと、カフェの接客、それとケーキと紅茶の味が「金額に見合うプロのレベル」に達していなかったから。


 多分、そういうことだよね。

 うん。そう考えると、私は御主人様に対してそんなに怯える必要もないのかも。

 厳しいのはたしかだけど、ちゃんとやることさえやっていれば評価はしてくれるってことだもんね。


 私がそんな風に御主人様のことを前向きに捉えていると、御主人様は何かを思い出したように、私に向かって付け加えてきた。


「ああ、そうだわ。エリィ。」

「はい。」

「もし貴女が『男爵令嬢』として()()()()今日の自分を恥じているのだとしたら、それはその通りよ。……恥じなさい。」

「……はい?」


 御主人様は何かに納得したように、一人で勝手に頷いていた。


「今日は『わたくしの侍女』だからよかったものの。

 もしわたくしが『貴族令嬢』としてパーティー会場で貴女に遭遇でもしたら……たしかに、わたくしは貴女を大いに軽蔑してしまうでしょうね。二度と会話したくないくらい。一切の関わりを持ちたくないくらいに。」


 …………は?


「まあ、こんな田舎の貴族学校にも通えないような貧乏な男爵令嬢ならば、この程度の教養でも仕方ないのかもしれないけれど。でもそれにしたって、ペペクル語で簡単な挨拶すらできないなんて。いくらなんでも酷すぎるわよ。

 これはわたくしからの善意の忠告だけれど……今後は人前で不用意に『貴族』を名乗るのはやめておいた方がいいと思うわ。貴女。」


 ………………あ゛?


「というより、ペペクル語程度、普通科学校でもやるのではないの?まさか庶民は皆こうなの?

 ……可哀想に。劣悪な田舎環境がこんな悲しい貴族令嬢()()()を生み出してしまったのね。」


 はぁあー?!もしかして、私のこと勝手に哀れんで悲しがってます?!


 私がだんだん御主人様の発言内容を理解して腹を立て始めていると、御主人様はサラサラっと机の上の上質なメモ用紙に何かを書いて、ピッと私にその一枚のメモを渡してきた。


「……これ。ペペクル語入門の本のタイトル。

 初等部向けの内容だけれど、貴女のように知識ゼロの人間が独学で始めるならば、何だかんだでこれが一番分かり易いと思うわ。

 1階の図書室にあると思うから、借りて読んだらどう?」

「はぁ。……ありがとうございます?」


 ……もしかして、私のために本を見繕ってくれたってこと?


 いきなりの御主人様からの親切?にポカンとしていたら、御主人様はそんな私を見て鼻で笑って締め括った。


「相変わらず間抜けな顔だこと。その本でも()()貴女には難しすぎるかもしれないわね。まあ、そうなったら諦めるか、幼児書でも読みなさい。

 ……次に()()()が来たときに、挨拶くらいはできるようになっているといいわね。『男爵令嬢』エリィ様?」


 ムキーーーッ!!!

 一瞬「見直した」なんて思ったけど、やっぱりムカつく!性格悪すぎ!

 なんなのこの人!いちいち一言も二言も多いのよ!!


 私は対抗心を隠しきれずに「ご心配なく!大丈夫です読めます!ありがとうございます!早速勉強に使わせていただきます!」と力強く宣言しながら、ポケットにメモをしまった。

 御主人様はそんな私の態度を適当に流して「そう。じゃあ、わたくしは疲れたから少し休むわ。もう下がっていいわよ。また夕食前の時間になったら来て頂戴。」と言って、お上品に口元に手を添えてお綺麗な顔を崩さずに優雅にあくびをした。

 まるで「早く下がれ」とでも言わんばかりに。当てつけのような、わざとらしい見事なあくび。


 こん畜生〜!めっちゃ腹立つぅ〜!!


 私は憤慨しながら一礼して、御主人様のお部屋を去った。



◆◆◆◆◆◆



 それから私は勢いで図書室に行って、メモにあった本を探して借りて、早速自室で第一章から律儀に読み始めた。


 悔しいけど、御主人様のお言葉通り、めっちゃ分かりやすくて読みやすくて、それでいて面白かった。

 ……学校の教科書も全部こんな感じならいいのに。



 今日は御主人様をちょっとだけ理解して、ちょっとだけ見直して──そしてやっぱり、ムカついた。

 でも、ほんの少しだけだけど、今日の一件で御主人様との距離も近付いた気がする。



 私は今日の日中の出来事を振り返りながら、改めて「外国語がペラペラなのってかっこいいよなぁ。私もあんな風になりたいなぁ。」なんて密かに御主人様に憧れを抱いた。


 ──せっかくだから、このままコツコツ、ぺぺクル語の勉強をしてみようかな。


 それで、次の機会には御主人様をアッと驚かせてやる!それでそれで、お金が貯まったら旅行……いや、留学とかしちゃったりして?!将来的には外国語を扱う通訳とか、翻訳家とか、そんな感じのすごい仕事に就いちゃったり?!

 うわー!かっこいいかも、私!!


 捗る妄想。高まるやる気。

 読んだのはまだ第一章の2ページ分だけだけど。


 私はこの日、2ヶ国語をペラペラと使いこなす「スーパー侍女」兼「男爵令嬢」になった未来のかっこいい自分を思い描いて、すっかりその気になっていい気分で眠りについた。



 悔しいけど、ありがとう御主人様。


 明日から本格的に、私、勉強を頑張ります。

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