10 ◆ 二人の淑女の延長戦
これにて完結です。
別視点など(関連作品)につきましては、後書きをお読みください。
エゼル王国の国立専門大学院。
国を越えてやってきて、通い始めて早いもので1年が経った。
そしてこれも早いもので──私が留学期間を終えて帰国するまで、残すところはあと6ヶ月くらい。
婚約者のレックスはもっと本格的なカリキュラムだから、私よりも少し長く、あともう1年こっちで勉強をすることになっている。
半年くらい離れ離れになっちゃうけど、それは仕方ない。私は私で、残りの留学期間を有意義に過ごして、それからクゼーレ王国でレックスを待ちながら新生活に向けていろいろとまた勉強や準備をしていかなきゃ。
そんなある日の午後。
私の専攻している「ペペクル語実践学」の授業で、たまたまテーマが「就職のための履歴書作成」になった。
講師の先生の「〈『皆さんがそれぞれの母国でペペクル語を生かした就職をするとしたら、どうするか。』帰国後に想定している進路でももちろんいいですし、架空の進路を想像してみてもいいですよ。どちらにしても実際の履歴書作成のときのいい参考資料になるでしょう。真剣に考えてみてくださいね。〉」という言葉を聞きながら、私はさっそく考え始めた。
履歴書かぁー。どうしようかな。
帰国後……もっと言うと、レックスの留学期間が終わってからは、きっと「伯爵家で未来の伯爵夫人としての教養を学びながらレックスのお仕事を手伝う」っていう流れになるだろうから、ぶっちゃけ私は帰国後に就職活動をする必要はなさそう。
でも、せっかくの授業だし、直接先生に添削もしてもらえるいい機会。適当に済ませずに少しでも可能性がある職業を考えて、もし使う機会があったら参考にできるようにしよう。
私はそんな風に思って、数分だけ考えてペンを走らせ始めた。
──帰国後の母国での就職先。今の私が選ぶとしたら……うーん、そうだな。「観光案内所の外国人向けガイド」かな。
外交に携わるような王宮勤務のスーパーエリート──は非現実的すぎるし、語学のプロフェッショナルの通訳や翻訳家っていうのも──……うん。昔は憧れてたし、今でもなれるならなってみたいけど、現時点では専門知識が足りなさ過ぎて無理そうだな。
私の能力。私の趣味。私が使えるであろう自由時間。そういったものを加味して考えると、帰国後にもし就職を目指すとしたら王都の「王立観光局」あたりがいい気がする。
伯爵家に嫁いでレックスの仕事のサポートをしつつ、週の何日かは観光案内所に出勤する。
それで、観光案内所に来る観光客にクゼーレ王国の王都内や近隣の観光地を紹介したり、そこへの行き方を説明したりする。場合によっては一緒に回って現地ガイドもする。もちろん、クゼーレ語とペペクル語の2ヶ国語対応で。
これなら、今まさに学んでいる語学を存分に生かせる。外国から来た方たちに自国の魅力を伝えられる。
それに、ラケールの街出身なことも生きてくる。王都から馬車で1時間のお手軽観光地ラケール。そこを地元民ならではの目線で日帰り案内──なんてできたら、かなり喜んでもらえるんじゃないかな。私も帰省できて楽しいし、一石二鳥。
あ、そうだ!ついでにダリアとミューリンが開くお店を紹介しちゃうのもアリかもしれない。ラケール産フルーツを使った、自称天才の若きパティシエの独創的な見栄えバッチリの可愛いケーキ。贔屓目抜きに、自信を持ってお勧めできるラケールの新名物だもん。
それに、私には観光客の方々をおもてなしする技術もきっとある。ただ淡々と地図を見ながら説明したり、同伴してつらつらとガイドするだけじゃない。少しでもリラックスして楽しんでもらえるように、綺麗な所作と細やかな気配りで最上級のサポートをしよう。約5年間で培った侍女の腕には自信がある。観光案内所でお出しする私の紅茶が「異様に美味しい!」って密かに話題になっちゃったりして。
そりゃあもうお茶の淹れ方はビシバシ鍛えられましたから。……とっても細かくて口うるさい、贅沢な舌の御主人様に。
──……これ、けっこういいんじゃない?
っていうか、本気で実現させたいかも。後でレックスに真面目に相談しようかな。「帰国したら、伯爵夫人としての仕事の他に、観光局でも週3くらいで働いてみたい!」って。
私は妄想を膨らませながら、どんどん溢れてくる志望動機や自分の強みを、つらつらとペペクル語で書いていった。
◆◆◆◆◆◆
ノリノリで取り組んだ課題の履歴書。
真っ先に書き上げて先生にチェックしてもらって、高い評価までしてもらえた。
先生に笑いながら「素敵ですね。私がクゼーレ王国に旅行に行くときは、是非エリィさんに観光案内してもらいたいです。」って言われて嬉しかった。
お世辞だとしても構わない。実現させちゃえば変わらないもんね!
私はいい気分で午後の授業を終えて、いつものようにレックスと合流して下宿先への帰路についた。
「──それで、先生にもけっこういい評価をもらえたの。
どうかな?『王立観光局』。もちろん無理にとは言わないけど。でも、もし余裕があったら非正規で少しだけでも働けたらなー……なんて、ちょっと思ったんだ。」
レックスのアーケンツォ伯爵家の仕事を軽視したいわけじゃなかったから、私は少し慎重に冗談っぽく言いながらレックスの様子を窺った。
でも、レックスは私の本音にちゃんと気付いて、優しく受け止めてくれた。
「そんなに遠慮しなくていいって。エリィはエリィのやりたいことを一番に考えて、今みたいにそれを俺に言ってくれ。
一度しかない人生なんだ。できる限り好きなことに囲まれて生きればいい。むしろ伯爵家に迎えることでエリィのやりたいことに制限ができちゃって申し訳ないくらいだよ。
だからさ、その観光案内の仕事もせっかくなら本気で挑戦してみなよ。エリィならいいガイドになれるよ。」
「レックス〜!優しい〜!」
はぁ〜!私の婚約者様、優しくて頼もしくて最高すぎる!
レックスと出会えて婚約できたことは、本当に「奇跡」だって思う。いまだにたまに夢じゃないかって思うときがあるくらい。
私は今のこの幸せを噛み締めながら、のんびりレックスと並んで歩いていた。
──すると。
いつもの通り道にある大きな本屋の入り口の扉に、昨日まではなかった大きなポスターが貼ってあるのが、ふと目に飛び込んできた。
あれ?
見覚えのある絵柄の表紙絵と……ペペクル語だけど、でもこのタイトルの感じ……これって、もしかして……!
「えー!?うっそー!!」
「どうしたんだ?エリィ。」
急に横を向いて声を上げた私に、レックスが驚く。
「『悪役令嬢シリーズ』最新の第5巻!来週発売!?
主人公が第1巻で出てきた悪役令嬢!?
『シリーズの原点にして最強の悪役令嬢、破滅の先の復活劇!?』──だって!!
えぇー!読みたい!!ってか、このシリーズ、エゼル王国でも人気なんだ!?知らなかった!」
私はポスターの前に駆け寄って、それから書かれていた文言を声に出してはしゃぎながら読み上げた。
「……何だそれ?」
何のことだか分からないというように首を傾げるレックス。
……そりゃそうだよね。この小説、中等部の頃に女子の間では大流行してたけど、男子の間では全然流行っていた記憶がないもん。
それに私、プロの侍女として守秘義務はちゃんと全うしてましたから。御主人様が陰で【悪役令嬢様】ってあだ名で呼ばれていたことや、御主人様がこの恋愛小説をよく読んでいたことは、たとえレックスにであっても話していない。ちゃんと徹底してましたから。
うっかりポロッと「ウチの御主人様、小説に出てくる『悪役令嬢』に本当そっくりで、しかもそれを自分で認めちゃってるの!」──なんて言っちゃわないように、この小説の話題自体、レックスの前ではずっと出さないようにしていた。
それにしても、エゼル王国でこの小説にまた出会うなんて。本当にびっくり。
私はレックスに軽く説明をする。
「この恋愛小説……『悪役令嬢シリーズ』って呼ばれてるんだけど、中等部の頃にクゼーレ王国の女子の間ですっごく流行ってたんだよ。私も読んでたの。」
レックスは「へー、どんな話?」と自然に話を広げてきた。
「あー、うーん……どう説明すればいいかな。えっとね、シリーズごとに舞台も登場人物も全部変わるんだけど。
まあ、簡単に言っちゃうと、貴族社会での女の子の恋愛モノだよ。それで、毎回主人公の女の子とヒーローの組み合わせが斬新なの。
第1巻は、平民の魔力持ちの女の子と、王国の第一王子様。
第2巻は、侯爵家の後妻の連れ子と、その家の侯爵令息。
第3巻は、伯爵令嬢とその執事。
第4巻は──……私はまだ読んでないんだけど、たしか……お姫様と暗殺者?だったかな。
それでね?どのシリーズでも、絶対に主人公の敵対役になる超強烈なご令嬢が登場するの。そのライバルが『悪役令嬢』って作者に後書きのところで言われてて、ファンの間でも呼び名が浸透してったって感じ。
さっき言ったみたいに主人公とヒーローには法則性があんまりないから、『悪役令嬢シリーズ』って呼ばれてるの。」
レックスは興味があるような無いような、中途半端な表情で「……ふーん。なるほどね。」と相槌を打ちながら頷いていた。
私の説明があんまり上手くなかったせいで、ちょっと魅力が伝わらなかったかな。言ってしまえばただ「両片思いの二人がなんやかんやありつつ恋を成就させるまでのお話です。終わり。」なんだけど、その道中の出来事やクセの強い登場人物こそが面白いんだよね。
「来週発売かぁ〜。
文章自体は中等部の学生でも読めるくらいの難易度だし、ペペクル語のいい勉強にもなりそうだし……帰国を待たずにこっちで第5巻買っちゃおうかな。何よりも内容が気になるし。」
私がそんなことを言っていたら、さっきは中途半端なリアクションをしていたレックスが意外にも便乗してきた。
「いいんじゃないか?
……なら、俺は今日その小説の1巻でも買って読んでみようかな。エリィが言っていたように、大衆小説をペペクル語で読むってのも、いい息抜きと勉強になるかもしれない。」
「え!?レックスも読んでくれるの!?やった!」
私が喜ぶと、レックスは満更でもなさそうに笑った。
「どっちかっていうと、ペペクル語で小説を読むっていう行為に興味があるだけなんだけどさ。
大学院だといつも講義や論文ばっかりで、堅苦しい文章や単語しか使ってないから。日常の砕けた会話なんかの語彙も増やしていきたいなってちょうど思ってたところなんだ。
どうせ何か読むなら適当に興味のないものを読むより、エリィと感想を話せるものの方がいいかなって。」
「うんうん!ありがとうレックス!じゃあさっそく買って帰ろう!」
ウッキウキで本屋に入る私に、レックスは笑いながらついてきた。
そしてレックスは宣言通り、ペペクル語版の悪役令嬢シリーズの第1巻を購入した。
◆◆◆◆◆◆
レックスの第1巻お買い上げから1週間後。
優秀で読書家なレックスは、早々にペペクル語でそれなりに厚さのある小説をあっさり読み終えたらしかった。
「どうだった?中等部くらいの年齢向けーって言っても、意外と内容が濃くて面白かったでしょ?」
私が感想を尋ねると、レックスは何だか苦虫を噛み潰したような渋い顔をして「いやぁ……たしかに話自体は面白かったんだけどさ……どっちかっていうと、俺としては読んでてしんどかった。人間関係っていうか……悪役令嬢が自分の言動でじわじわと自滅していく感じが、ちょっと。」と返してきた。
「へーぇ、ふうーん。意外。悪役令嬢に感情移入する派なんだね。レックスは男性だし、ヒーロー勢のうちの誰かに共感するのかと思ってた。」
「いや、感情移入っていうか、ただ読んでてキツかったっていうか……共感性羞恥に近いものがあった。
ってか、中等部の女子ってみんなこんなの読んでたんだな。今さら知った。……すごいな、女子って。精神年齢が高いっていうか、メンタル強いな。」
そんな感想を漏らすレックスに私は笑ってしまった。
まあ、男性のレックスにはたしかにちょっと生々しくてキツかったのかも。この女の子特有のドロドロ感っていうか、陰湿な嫉妬とか嫌がらせからの孤立……みたいなの。
「私、中等部の頃は主人公の女の子派だったんだけど、この歳になってみると思うんだよね。
『この【悪役令嬢様】、頭が良くて、美人で、何だかんだで主人公以外の取り巻きのご令嬢たちには優しいところもあるのに勿体無いなー』って。汚い感情も残念なやらかしも、大人になった今は『たまには綺麗事が受け入れられなくなるときも、意地悪になっちゃうときもあるよね。人間だもん。』って感じるの。
今の私の感覚からすると、むしろ主人公の女の子の方が純粋で真っ直ぐすぎて、ちょっと違和感覚えちゃう。
だから最新巻で悪役令嬢の救済がきて嬉しいなぁ。どんな話になるんだろう?ちょうど今日発売だっけ?早く買って帰って読みたいなぁ。」
……あ。もしかして、私みたいに読者が大人になるのに合わせて、今回主人公を悪役令嬢にしたのかな?第1巻が発売された当時に中等部くらいの年齢だった、出戻りの女性読者をターゲットにしてるとか?
だとしたら商売上手だなぁ、作者の人。実際に私、第4巻は買ってないけどこの第5巻でまんまと復帰しようとしてるもん。
私の言葉を聞いたレックスは、少し驚いたように目を見開いた。
「ってことは……エリィは、今はその『悪役令嬢』の方が好きなのか?」
そんなレックスの言葉が、なんだか面白くて可笑しかった。
……たしかに。
レックスが私に惚れてくれたきっかけはまさに「まるで悪役令嬢のような御主人様に、侍女の私が主人公の平民の女の子よろしく身分差を無視して楯突いた」からだもんね。
我ながらあのときは青臭かった。青臭い正義で、思いやりがなかった御主人様を叱りつけた。
当時の私なら、この小説の悪役令嬢を嫌っていてもおかしくなさそうだもんね。
私はそう考えながら、何気なしに口にした。
「まあね。
何てったって私、ずっとあのセレンディーナ様の侍女をしてたから。
…………って、──あっ!!」
うっかり油断して言っちゃった!「プロの侍女として守秘義務はちゃんと全うしてた」なんて思って誇ってた矢先に!
これじゃあ遠回しに「セレンディーナ様は悪役令嬢みたいです」って言ってるようなもんじゃん!!
「──ちっ、違う!そういう意味じゃないからね!?
レックス!今の無し!今の無し!!」
私が慌てて失言を取り消そうとするのを見て、レックスは声をあげて笑った。
「なるほどな。
エリィはずっと『悪役令嬢』のそばにいた、影の味方だった──ってわけか。」
…………悪役令嬢の味方、か。
思ってたなぁ。そんなことも。
「…………ねえ、レックス。
私たちって、結婚式は再来年するんだよね?……私が帰国してからも、結婚式まで1年と少しは期間があるんだよね?」
「ん?ああ、そういう予定になってるな。」
「……あのさ、変なこと言ってもいい?」
いきなり結婚式までの猶予を確認をしだした私に、レックスが「なんだ?」と、軽く首を傾げる。
深い考えがあるわけじゃなかった。
でも、私は今この瞬間に思ったままのことを、勢いで彼に伝えた。
「やっぱり私、もう一度『侍女』の仕事をしてもいいかな?
……1年だけ。結婚するまでの間だけ。
さすがにレックスと結婚して伯爵家に行ったら、他家の侍女なんてしていられないのは分かってる。だから、独身の間だけ。
結婚したらこの間も言ったように、伯爵家のお仕事を手伝うつもりだし、外で働くとしたらそれこそ王立観光局あたりを受けるつもり。」
「……エリィ。」
「馬鹿みたいだけど、思い出したの。
……私、侍女としての仕事を、ちゃんとまだやり切ってなかった。一つだけ心残りがあるの。」
1年前。侍女の仕事を辞めたとき。
あの最後の瞬間まで、ずっともやもやしていた。
私はまだ、このままじゃ侍女の仕事を終えられない。
あと1年だけでも、悪役令嬢様を全力でサポートして、続編小説以上の活躍を見届けたい。……もし見届けきれなくても、明るい未来へしっかりと進めるように、彼女を応援してきたい。
そうすれば、きっと私自身もスッキリする。
それで「侍女の私」を今度こそやり切ったって思えたら──……そうしたら、今度こそ心置きなく引退できる。
レックスと一緒に、「新しい私」の人生を始められる気がする。
「私、帰国したらもう一度だけ、『セレンディーナ様お付きの侍女』をしてきたい。
成長した自分の力で、御主人様をお支えしてきたいんだ。
今の私にとっては、あそこが一番やりがいがある職場なの。……それで、今の私が一番、役に立てる場所でもあると思うんだ。」
本当にただの、突発的な思いつきだった。
でも口に出してみたら、これこそが私の望みだったんだ──って、急にしっくりきた。「パチッ」と、心の中で何かパズルのピースのようなものが綺麗に嵌った気がした。
田舎娘の私らしい非常識な本音を聞いたレックスは、いつだかと同じように、少し照れながら笑って私にこう言った。
「やっぱりエリィはぶれないんだな。その目標、全力で応援するよ。
あとさ、こんなこと言うのも変なんだけど……またエリィが侍女として働いてる姿を見れるってのは、俺としても悪くないかも。
──俺が最初に惚れたのは『侍女のエリィ』だったから。」
◆◆◆◆◆◆
──そして、6ヶ月後。
最高に充実した私の留学生活は終わり、母国のクゼーレ王国で、また新たな生活が始まった。
◆◆◆◆◆◆
「……はぁ。どうして戻ってきたのよ、貴女。
伯爵家の後継ぎと婚約して。エゼル王国に留学までして。
その結果がコレなの?信じられない。
レックス様もレックス様よ。一体何を考えているのかしら。自分の婚約者に敢えてまた他家の侍女をさせるなんて。非常識にも程があるのではないかしら。
まったく、理解に苦しむわ。二人揃って、王都貴族としての矜持の欠片も持ち合わせていないのね。
──それとも、まさか……エリィもレックス様も、そういう趣味でもおありなの?」
あぁ〜〜〜!!コレよ、コレ!!
久しぶりのこの感覚が、なんだか新鮮で懐かしい!!
再雇用1日目。
約1年半振りに袖を通したパラバーナ家の専用侍女服。
そして約1年半振りに再会した御主人様の開口一番の嫌味全開なお小言に、私は1年半振りに感動していた。
いや、興奮とかはしていませんよ?決して。
御主人様の言うような「そういう趣味」は私にはありませんからね?断じて。
…………レックスにはちょっとだけあるのかもしれないけど。
でも、なんだか久しぶりに第二の実家に帰ってきたような、憎めない好敵手と再び対峙したような──そんな奇妙なワクワク感があった。
久しぶりにお会いした御主人様は、やっぱり変わらず完璧で隙のない、お美しいご令嬢だった。
御主人様の呆れ返った視線を浴びながら、私は改めて仕事モードへと切り替えて気合を入れ直す。
そして久しぶりに、完璧で隙のない、鍛えられた侍女としての礼をする。
「これからまた1年間、よろしくお願いいたします。御主人様。」
角度はバッチリ45度。しっかり3秒頭を下げる。
それから私が静かに頭を上げたとき。
私の姿を見て鼻で笑う、御主人様の黄金色の瞳と目が合った。
「……まあいいわ。
明日、久しぶりにまたクゼーレ王国に来るらしいのよ。わたくしの従姉のくせにクゼーレ語すら話せないあの女がね。
ちょうどよかった。さっそくお手並み拝見といこうじゃない。わざわざ1年半も留学したんだものね?ペペクル語でのまともな接待程度なら、期待してもいいのよね?『上級侍女』のエリィ様?」
どこか面白がっているようなお顔の御主人様を見つめ返しながら、私は笑顔で胸を張る。
「はい!お任せください、御主人様!」
きっと今度は上手くやれる。侍女としての立ち回りも、ペペクル語での会話もきちんとできるはず。
そして、6年越しに分かるかもしれない。久しぶりにお目にかかる例の従姉様のこと。
──御主人様の言う通り、他人の侍女に無茶振りをするような、性格の悪い方なのか。
──はたまたクゼーレ語に自信がないだけの、本当はお優しい方なのか。
私はさっそく明日の仕事を楽しみにしながら久しぶりに御主人様に紅茶をお淹れして、「……貴女、腕が落ちたわね。何よこの味。わたくしが自分で淹れた方がまだマシじゃない。この体たらくなら、新人侍女と同じ給料でいいじゃない。いいこと?次は無いと思いなさい。すぐに格下げしてあげるわ。」と手厳しくネチネチと指摘された。
◆◆◆◆◆◆
「〈あら、またお会いしたわね。セレナちゃんの侍女さん……エリィさんだったかしら?去年こちらに来たときはいなかったような気がしたけれど。変わらずにまだ勤めていらっしゃったのね。〉」
──わかる!わかるぞ!従姉様!!
どうせ伝わらないだろうと思って油断しているのかもしれないけど。ペペクル語で軽く感想を口にした御主人様の従姉様に向かって、私は丁寧に礼をした。
「〈お久しぶりでございます。名前まで覚えていてくださってありがとうございます。光栄です。本日はよろしくお願いいたします。〉」
頭上で驚いたように微かに従姉様が息を呑む音がした。私は頭を下げたままちょっとだけニヤッと頬を緩ませて──頭を上げるのと同時にその顔をまた引き締めて侍女用の微笑みに戻した。
「〈……びっくりしたわ。あなた、わたくしの言葉が分かるのね。今日はよろしくお願いしますね。〉」
目を丸くしながらもご挨拶をしてくださる従姉様。
そして従姉様は、続けて御主人様に驚いた表情のまま話しかけた。
「〈ねえ、セレナちゃん。エリィさんって、ペペクル語を話せたのね?〉」
そう言われた御主人様は、得意げになっている私の心の内を読み取って、一瞬だけ白けた視線をこちらに寄越した。そしてそれから、にっこりと不自然なくらいの作り笑顔で従姉様に向き直り、先生のお手本のように綺麗な発音のペペクル語でこう言った。
「〈ええ。エリィはつい最近まで、エゼル王国に語学留学しておりましたの。
実はエリィは、ラケールの別邸でお従姉様に初めてお会いしたあのときにペペクル語に憧れて、それから勉強を始めたんです。ですから、今日お従姉様にお会いするのをとても楽しみにしていましたのよ。〉」
……悔しいな。わざわざ留学までした私より、御主人様の方が何倍も流暢に話してる。私ももっと頑張ろう。
──うん。こうやって御主人様に刺激を受けるのも、なんだか久しぶりな感覚。
ひっそりと御主人様のすごさを再確認して刺激を受ける私と、御主人様の言葉に嬉しそうにする従姉様。
「〈そうなの?!それはとっても嬉しいわ!
今日は久しぶりに会えたセレナちゃんの近況をたくさん聞こうと思っていたのだけれど、エリィさんの留学のお話もぜひ聞かせてほしいわね。〉」
私は笑顔で従姉様のお言葉を受け取りながら、これから自分がやるべきことをこっそり頭の中に列挙した。
まずは当然、侍女の仕事。御主人様と従姉様を唸らせるくらい、完璧な接待をしてみせる。
それからついでに、本日のペペクル語の実践課題。「御主人様の近況」をしっかり聞き取って、「私の近況」もお話しする。それらをやりつつ、従姉様がどんな御方なのかを私なりに観察してみよう。
私の仕事は、周りから見れば「ただの侍女」。
でも私にとっては、何だかんだでやる気が出てくる、自分を磨くきっかけがもらえる──この上なく刺激的な仕事だな。
私は御主人様に言われずとも従姉様にお声を掛けて外套を丁寧にお預かりした。
そして心なしかいつもよりも楽しそうに笑う御主人様の後ろについて、従姉様とともに温室のガーデンテラス席へと向かった。
植物園みたいに立派な温室の超おしゃれなガーデンテラス席。そこに用意された白い豪華なテーブルの上には、また昔と同じように、お腹いっぱいになりそうなアフタヌーンティーセットが到着と同時に置かれるだろう。
──……御主人様。もう分かっているとは思いますけど、今日はお客様を放置してサボらないでくださいね。
私は久しぶりの公爵家本邸の温室の匂いに感慨深くなりながら、心の中で御主人様にそっと釘を刺した。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
数多の作品が溢れるこの「小説家になろう」の中で拙作に気付いて読んでくださる方がいるということが、何よりもありがたく本当に嬉しく思います。
私がこうして自分なりに楽しみながら投稿ができるのは、ひとえに読者の皆様のお陰です。改めて、本当にありがとうございました。
この作品は、すでに投稿済みの拙作の舞台裏的な位置付けとなっております。ですので、もし「別視点が読みたい」「もっと続き(または、その前の出来事)が知りたい」「特に恋愛面を深く掘り下げてほしい」という方は、
異世界〔恋愛〕
【短編】悪役令嬢と平民男の3年間
【連載】婚約者様は非公表
もあわせてお楽しみいただければと思います。
そのうち「【連載】婚約者様は非公表」の方でも「おまけの小話」として、この二人に関係するお話をまた投稿できたら良いなと考えております。
まだ書き始めてすらいないので、少し期間は空いてしまうかと思いますが、よろしければ、そちらもお暇なときに覗いてみてください。