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1 ◆ 二人の少女の開幕戦

全10話(執筆済)。基本毎日投稿予定です。

「あら。貴女(あなた)がわたくしの新しい侍女なのね。

 田舎の男爵令嬢らしく、()()()()()()()()()()()だこと。」


 就職初日の初対面。


 私を見るなりそう言い放った、人生で初めての「御主人様」。


 あの瞬間、私の脳内で試合開始のゴングが鳴り響いた。


「はぁあ?!上っ等じゃないの!いいわよ、やってやろうじゃない!!

 そのお上品な鼻を今にへし折ってやるんだから!

 完っっっ璧で超優秀な侍女っぷりを発揮して思いっきり依存させて、それで私無しじゃいられなくなったところで、満を辞して『た〜っぷり稼がせていただいたので、もう充分です。さようなら!』って言って、笑って退職してやるわ!!

 この女(御主人様)に『貴女がいないとやっていけません。どうか退職だけはご勘弁を!』って無様に泣きつかせてやる!!」


 心の中で叫び掲げたドロッドロの目標とともに、私の完璧な侍女を目指す奮闘の日々が始まった。


 これは「悪役令嬢」の御主人様と「貧乏侍女」の私の、5年間に渡る戦いの物語。



◆◆◆◆◆◆


◆◆◆◆◆◆



 王都から馬車でわずか1時間の好立地。

 美しい田園風景と雄大な山々。四季折々の豊かな自然が満喫できる、有名観光地ラケール。

 私はそのラケールの街に住む、由緒正しい男爵家のご令嬢【エレノミアナ・カーノット】。


 ……と、言えば聞こえはいいけど、現実はそんな優雅じゃない。


 王都から馬車で1時間のくせに、大して発展もしていない田舎の農業地帯ラケール。

 私はそのラケールの街で庶民同然の暮らしをしている、領地すら持っていない貧乏貴族カーノット男爵家の二人姉弟の姉【エリィ】。ただそれだけでしかない。

 貴族なんて言っても名ばかりで、私が生まれた頃にはもうすっかりカーノット男爵家は落ちぶれきっていて、私はそこら辺の地元の子たちと同じようにただの一軒家に住んで、庶民向けの普通科学校に通って暮らしていた。



 ……でも。


 私と違って、歳の離れた弟のテオはとっても優秀な頭脳の持ち主だった。


 本当に「突然変異」っていう言葉がぴったりなくらいの、血が繋がってる家族とは思えないくらいに賢い子。まだ7歳になったばかりなのに難しい計算もできちゃうし、自分で本を読んで魔法も少しずつ覚えていっている。


 それでいて、とっても優しい。


 毎日、家のお手伝いを一生懸命してくれるし、私が学校の宿題に頭を悩ませていると「僕に任せて!」って言って、一緒に考えたりもしてくれる。

 ……まあ、私は13歳で宿題も中等部の内容だから、さすがにまだテオには分からないんだけどね。

 それでも私のために頑張って問題を解こうとしてくれるテオが可愛くて「テオ、ありがとう。とっても助かるよ。」って言うと、テオは「僕、お姉ちゃん大好きだから、役に立てて嬉しい!」って笑ってくれる。


 賢くて優しい弟、テオ。


 ──ウチは今にも潰れそうな貧乏男爵家だけど、テオだけは、ちゃんとした貴族学校に通わせてあげたい。


 それで、別に「男爵家の復興」なんてしなくてもいいから、ただ楽しく勉強して、いい環境でその才能を伸ばしてほしい。


 私はそう思っていた。



 そんなある日、突然こんな田舎なラケールの街に舞い込んだ求人募集。


 その内容は「公爵令嬢お付きの、公爵家別邸の住み込み侍女(メイド)」。

 お嬢様の年齢は私と同じ13歳。

 経験不問。給料は相場の3倍。しかも福利厚生として、侍女の食費と学費は──公爵家側が全額負担!?


 私はその気味が悪いくらいの好条件な仕事に食いついた。


「お父さん!お母さん!テオ!

 私がこの仕事で稼いで自分の学費を浮かせられれば、テオのことを貴族学校に通わせてあげられるかもしれない!」


 求人倍率は超絶高いだろうけど、私は負けない!

 家族のために!テオのために!


 私は「ウチは庶民同然の没落しきった男爵家で、自分は庶民同然のマナーしか知りません。」……ということは伏せて「私はお嬢様と同学年で、男爵令嬢として貴族の心得もあります。私こそが、お付きの侍女にぴったりです!」という、ハッタリ履歴書を作成して意気揚々と応募した。


 肩書きだけだろうと何だろうと、他の応募者と差がつけられるなら何でも利用してやる!


 そう思って盛りに盛った履歴書は無事に書類選考を通過して、温厚そうな公爵ご夫妻の面談を経て、私は見事、たった一枠の「公爵令嬢お付きの住み込み侍女(メイド)」の座を勝ち取ったのだった。



 …………なんだけど。


 好条件の、その仕事。蓋を開けてみたら、思った以上に最悪だった。



 ただ一点、()()()()()()だけが。



 ──「おいしい話には裏がある」。



 私はこの言葉を、就職一週間で身をもって痛感していた。



◆◆◆◆◆◆



 住み込み侍女(メイド)の朝は早い。


 朝の5時。

 私は決死の思いで愛しいお布団とお別れして、自分の身体(からだ)を叩き起こす。

 15分という早さで自分の身支度を終えて、使用人専用の食堂に行って超美味しいシェフの作った朝ごはんを食べる。

 この朝食の時間は30分。

 ……いや、本当はもっと急ぐべきなんだけど。でもこのシェフのご飯がとにかくすっごく美味しいんだもん。味わわないと損だと思う。

 住み込み侍女とはいえ、自分のご機嫌を取るための時間だって必要だしね。

 ということで、私は30分かけて朝ごはんを堪能しながら気合いを入れる。


 それから朝の6時前には御主人様のお部屋に行き、御主人様が起きがけに飲むフルーツティーを淹れるセットを準備しながら身構える。


 そして、朝の6時半頃。



 …………ゴソゴソッ。



 ──きた!!



 天蓋付きの超高級ベッドのところで、人が動く気配がした。

 私はすかさずお茶を淹れて、臨戦体制に入る。


 やがて、ベッドのところで人がスッと起き上がる姿が見えた。



 寝起きのすっぴんとは思えないくらいにすでに完成された、お人形のように整った綺麗なお顔。

 寝癖ひとつない青藍色の長い髪に、宝石のようにキラリと光る黄金の瞳。


 こちらが私の御主人様。


 天下の四大公爵家のご令嬢【セレンディーナ・パラバーナ】様という御方。



 ゆっくりと辺りを見回すセレンディーナ様と私の目がパチッと合った瞬間、私はすかさずお声を掛ける。


「おはようございます。セレンディーナ様。」


 それから私は、超高級なティーカップに淹れた温かいフルーツティーを超お洒落なお盆に乗せて、溢さないように気を付けながら御主人様のもとへと運んでいく。


 私が持ってきたフルーツティーをベッドに入ったまま無言で取った御主人様は、スッと優雅にティーカップを口元に寄せて、目を閉じて軽く香りを堪能して、それからお上品にカップに口をつけて一口飲んで──……それから一言、寝起きとは思えない透き通るような綺麗な声で、私に向かってこう言った。



「……不味(まず)くて飲めたものじゃないわ。


 貴女(あなた)、一週間経って()()()()なの?どうやったらあの茶葉からこの味が出せるのかしら?素人が淹れても()()はならないわよ。まったく、理解に苦しむわ。

 コレならば白湯(さゆ)でも飲んだ方がまだマシね。」



 ──ッカーーーン!!


 私の脳内で試合開始のゴングが鳴り響く。


 今日も今日とて、お人形のように大変お美しく、大変お口と性格の悪い御主人様との戦いが幕を開けた。


「申し訳ございません。」


 私は頭を下げながら心の中で舌打ちをする。


 チッ!何様よ!だったら白湯でも飲んでなさいよ!


 すると私の頭上から冷たい声が降ってくる。


「……ねえ。いつまでそうやって意味もなく頭を下げているつもり?

 とっととこのティーカップを受け取ってくれない?

 永遠にわたくしに持たせるのかしら?」


「はっ、はい!失礼しました!」


 私は慌てて御主人様からカップを受け取る。


 ………………半分、減ってる。


 結局飲んでるんじゃない。何よ!「不味くて飲めない」んじゃなかったの?


 内心そうツッコミながらキレていると、また御主人様から容赦ない催促のお言葉が降ってくる。


「それで?棒立ちしていないで、とっとと動きなさいよ。

 ……まさか、わたくしに身支度を自力でやらせる気?

 こんな役立たずの侍女はクビになって当然よね?」

「すみません!すぐにご用意いたします!」

「『すみません』じゃなくて『申し訳ございません』でしょう?

 貴女、本当に男爵令嬢?そこら辺の田舎の平民と同程度のマナーしか知らないのね。」

「ウグッ!すっ、すみ……アッ、申し訳ございません!」

「ハァ……もういいわ。馬鹿みたいな謝罪を繰り返していないで、とっとと準備をして。」

「はい!ただいま!」


 キーーーッ!!

 起きて早々、よく口の回る御主人様だこと!!


 私は朝ごはんで充電したはずのご機嫌とエネルギーを、このやり取りだけで一気に使い切ってしまった。

 さっそく朝からイライラげんなりしながらも、一生懸命御主人様の朝の支度のお手伝いをする。

 その間も、アレがダメ、コレがダメ、貴女はセンスが無さすぎる、わたくしが自分でやった方がマシ──……ひたすら私は罵倒され続けた。



 そうしてようやく、御主人様が優雅に馬車に乗って貴族学校へと向かわれる朝の8時。

 私は御主人様から一旦解放される。

 すぐに私も貴族学校──ではなく、近くにある地元の普通科学校に、馬車──ではなく自分の足で全力ダッシュで向かう。


 ……昨日の夜に寝落ちしちゃったせいで、まだ終わってない宿題を片付けるために。



◆◆◆◆◆◆



「はぁぁ〜……つっかれたぁ〜。」


 滅茶苦茶だけど、何とか宿題をやりきって無事提出して、その勢いのまま午前中の授業を乗り切った。

 ようやくやってきた昼休み。机に突っ伏して枯れた声を出す私のもとに、いつもの2人組がやってきた。


「エリィ、大丈夫?」

「満身創痍だねぇ〜。()()()()のせい?」


 ミューリンとダリア。私の一番の仲良しな友達。

 私は2人に向かって、何とか気力を振り絞って枯れた笑顔を作った。


「あはは……まあね。まだなかなか仕事に慣れなくて、疲れが溜まってちゃってるだけ。」


 本当は今すぐにでも「ねえちょっと聞いてー!?あの仕事やばいの!超ブラック!!何がやばいって、もう兎にも角にも御主人様の性格よ!本っっっ当に最悪なの!アイツを相手にしてるだけで気が狂いそう!好条件の最高な仕事だと思ってたけど全然だよ!もーこんな最低な御主人様だなんて知ってたら応募しなかったのに!!」ってぶち撒けたい。


 でも、できない。

 私は「侍女」だから。これは「仕事」の内容だから。

 ……素人なのに相場の3倍もお給料を貰って学費まで出してもらっちゃってるから。

 侍女としてはまだ新人だけど、お金をもらっている「プロ」として、御主人様のプライベートや、ましてや悪口なんて外で堂々と言えるわけがない。言っちゃいけないんだ。


 私がぐっと愚痴を飲み込んで我慢していると、いつも遠慮ない物言いをするダリアが今日も遠慮なくぶっ込んできた。


「えぇ〜?エリィ、そんなこと言って本当は無理してるんじゃない?

 私、聞いたよ?エリィが仕事に行ってる()()()()()()()()()(うわさ)によると超〜〜〜やばいらしいじゃん!」


 …………どんな噂だろう。聞きたいような、聞きたくないような。


 私が上手く咄嗟に反応できずにいたら、私の代わりにミューリンが「え?噂って?」とダリアに続きを促した。

 ダリアは申し訳程度に声を少し潜ませて険しい顔をしながらも、噂話を面白がっているかのように少しそわそわしながら教えてくれた。


「そのお嬢様、見た目も中身も『悪役令嬢』そのものだーって。貴族学校の間じゃ、もう評判になってるんだってさ。裏では『悪役令嬢様』ってあだ名で呼ばれてるって。

 お母さんの仕事先のお得意さんの貴族の親御さんの子供達がみーんな言ってるらしいよ。」


「「悪役令嬢?」」


 私とミューリンは声を揃えて聞き返した。


 お母さんの仕事先のお得意様の──なんだっけ?……って、すんごい又聞きな噂みたいけど、内容は気になってきた。何だろう?それ。


「最近流行ってる恋愛小説の登場人物の呼び名らしいよ。


 ──超絶美人で成績優秀な、高位貴族のご令嬢。しかも第一王子様の婚約者。


 ──それでいて、性格は超〜最悪。我儘で横暴で、自分がいつだって一番じゃなきゃ許せない。


 主人公の『平民の女の子』のライバルポジションで、いっつも主人公に上から目線であれこれ言いがかりをつけたりしていじめるんだけど、そのうちその態度が原因でどんどん孤立してっちゃうの。

 それで、最後は主人公への嫌がらせが一線を超えちゃって、罰を受けるの。王子様にも婚約破棄されちゃって、最終的には一生無償労働の世界一厳しい修道院行き。容姿も頭脳もぜ〜んぶ宝の持ち腐れ。


 ……っていうのが、その小説の『悪役令嬢』らしいんだけど。

 要するにその例の公爵家のお嬢様がさ、美人で頭も良くて完璧なんだけど、ただひたすらに性格がキツくってまさに『悪役令嬢』って感じなんだって!」

「うん。」


 ──ハッ!しまった!


 私は反射的に、ついうっかり頷いてしまった。

 だってセレンディーナ様、特徴だけで言ったらまさにダリアが言う「悪役令嬢」そのものなんだもん!


 私の返事を聞いたダリアは思いっきり食いついてきた。


「あー!ってことは、やっぱりそうなの?!その例のお嬢様、性格悪いいじめっ子なんだ?!」

「う、うーん……いじめっ子っていうのとは違う気がするかなぁ。」


 今さら手遅れかもしれないけど、必死に曖昧な返事をして濁す。


 実際どうなんだろう?

 いじめっ子……とは違う気がする。別に相手を貶すことが目的とか嫌がらせがしたいとか、他人の苦しむ顔を見て楽しみたいとか、そういう感じではないような。

 どっちかっていうと、純粋に相手を見下してるっていうか。ごく自然に「貴女って馬鹿なのね」みたいに思ってるっていうか。

 ……ダメじゃん。やっぱり性格悪いわ、セレンディーナ様。


 私がそんな風に考えていると、ダリアが追加情報を提供してきた。


「なんかね?前にカフェでその『悪役令嬢様』を目撃したって人から聞いたんだけど。そのときにね?悪役令嬢様が注文した紅茶とケーキが提供されるまでに、ほんのちょっと時間かかっちゃってたんだってさ。

 そしたらどうなったと思う?そのお嬢様、ケーキを一口食べるなり、お店の人に聞こえてるのにもお構いなしに

『……何これ。散々待たせた挙句に()()()()なの?まったく、有名観光地が聞いて呆れるわ。

 まあ、所詮は野暮ったいただの田舎ということよね。速さも質も野暮ったい接客に、ケーキも紅茶も野暮ったい味。少しでも期待したわたくしが馬鹿だったわ。』

 って言って、思いっきり食べ残して不機嫌そうにさっさと帰っちゃったんだって。

 お店にいた人も店員さんも、みんなドン引きで気まずくなっちゃってたって。」


 うわぁー……言ってそう。そして、やってそう。セレンディーナ様なら。


 私がこっそり納得していると、話を聞いたミューリンがドン引きしながら「嘘!信じられない!怖〜っ!」と感想を口にした。


 ……うん、そうなのミューリン。私の御主人様、そういう人なの。


「だからさ、もしエリィも『やばい!』ってなったら、無理しないで仕事辞めてすぐに逃げなよ?

 王都のお貴族様なんて、何してくるか分かんないんだから。侍女のエリィにだって暴言吐いて鞭打ちしてくるかもしれないよ?」


 ダリアの言葉に、私は苦笑いしながら返事をする。


「いやぁ〜、はは。さすがにそこまではないと思うけど。

 ……うん、でも心配してくれてありがとう。気をつけるし、無理しないようにするね。」


 それから私は、気になっていたことをコソッと聞いた。


「ねえ。その『悪役令嬢』が出てくる恋愛小説のタイトル教えてくれない?」


 ……買って読んで、参考にさせていただきますので。悪役令嬢様の侍女として。


 そして夕方。

 私は早速、帰り道にある本屋にササッと寄って噂の元ネタになっているらしい恋愛小説を購入して、仕事場でもある公爵家別邸へと帰った。



◆◆◆◆◆◆



 私は学校から帰ってきて、さっそく侍女服に着替えてセレンディーナ様のご帰宅に備える。

 本当だったらお部屋の掃除なんかも侍女の私の仕事になるのかもしれないけど……私がまだ学生で学校があるということで、日中の仕事は私以外の使用人の人たちがやってくれている。

 ああ、なんて恵まれた職場なの。ありがた過ぎる。これで御主人様の性格さえ良ければ最高なんだけどなぁ。


 日中に御主人様の私室の掃除を担当してくれているのは、使用人の先輩ネルルーさん。私がここに来た初日に、最初に話しかけてきてくれた優しい人。

 緊張しまくっていた私にゆるい笑顔で「そんなに気張らなくても平気だって!あたしなんか、いっつも失敗してるよ〜。大丈夫、大丈夫!」って声を掛けてくれたネルルーさん。彼女のお陰で、私はこの一週間、御主人様に失敗して怒られたり何かとキツく言われて凹んでも、何とか耐えてやってこれたと思う。


 私が御主人様を出迎えるべくお部屋で準備を整えていると、ネルルーさんが慌てて扉を「バン!」と音を立てながら開けて入ってきた。


「あぁ〜っ!エリィちゃん!おかえり!あのね、ちょっと伝えなきゃいけないことがあるの!」


 そしてネルルーさんは、勢いよく反動で戻ってきた扉に「ゴスッ!」とおでこを打って「痛いっ!」と声を上げた。


 ……ネルルーさん、いい先輩なんだけどそそっかしいというか、けっこう抜けてるんだよね。


 私が「どうしたんですか?」と尋ねると、ネルルーさんは赤くなったおでこをさすりながら報告をしてくれた。


「それがね、さっきお部屋掃除してたときに割っちゃったんだ。……セレンディーナ様のティーカップ。

 急いで似てるデザインのティーカップを用意したんだけど、多分お嬢様にはすぐにバレちゃうと思うの。だからもしバレたら『ネルルーのせいです』って言っておいてくれない?

『急いで王都からまた取り寄せます!って言ってました』って。」

「そうだったんですか。…………あ、本当だ。」


 ネルルーさんに言われて、私はちょうど準備していたティーセット一式を確認する。

 よく見たら、カップがいつものやつと少し違った。


 わぁー……全然気付かなかった。


 自分で言うのもなんだけど、私ってけっこう適当だからなぁ。

 御主人様の部屋のインテリアや備品が一部こっそり入れ替えられてても、今みたいに全然気が付かない自信がある。

 そう考えると、私って細かい気遣いやセンスが大事な「侍女」って仕事にそもそも向いてないのかも。


 私がそんなことをぼんやりと思っていると、ネルルーさんが「あ、エリィちゃん気付いてなかったんだ!なら誤魔化せちゃったりしないかな〜!気付かないでセレンディーナ様〜っ!」と笑いながら願望を口にした。

 そんなネルルーさんにつられて私も笑いそうになった──……そのとき、



「邪魔よ。どきなさい。」



 突如、ネルルーさんの立っている部屋の入り口の向こう側から冷えきった鋭い声がした。

 部屋に一気に猛吹雪(ブリザード)が吹き荒れたような気がする。


 ……御主人様のお帰りだ。


 ネルルーさんが慌ててサッと横に退いて「セレンディーナ様!失礼いたしました!おかえりなさいませ!」と礼をする。それに続けて、私もわたわたと礼をした。


 セレンディーナ様はそんな使用人の私たちの反応を一瞥すると、すぐに私の近くに置いてあったティーセットへと視線を移した。


「……ああ、なるほど?そういうこと。」


 どこか馬鹿にしたような呆れたような、軽蔑が混じった声色。それを聞いたネルルーさんがギクッと身体を強張らせた。

 セレンディーナ様はそんなネルルーさんを思いっきり冷ややかな横目で見ながら吐き捨てた。


「貴女、()()わたくしのティーカップを割ったのね?

 それで?そのさっきの間抜けな笑い声からして──大方(おおかた)、この新入り侍女にティーカップの件を報告しがてら、わたくしにバレないよう祈りつつ呑気にヘラヘラ笑っていた──そんなところかしら?」


 あっさりと言い当てられたネルルーさんは顔を真っ青にして頭を下げて「申し訳ございません!すぐに新しいものを取り寄せるよう手配いたしましたので、どうかお許しください!」と震えながら謝罪をしていた。

 ネルルーさんはもちろん、私も、セレンディーナ様の後ろに付いていた他の使用人の人たちも皆、一気に緊張で息が詰まってしまっていた。


 そんな嫌な空気の中、御主人様は「そう。」とだけ言って軽く頷いて、それから何でもないようにあっさりとネルルーさんに言い渡した。



「貴女はクビよ。いない方がマシ。

 今すぐ荷物をまとめてとっとと去りなさい。」



 ──えっ、そんな……急に、



「っ、申し訳ございませんでした!二度と同じ過ちはいたしませんので、どうかお許しを──「うるさいわね。」


 泣きそうな声で頭を下げたままのネルルーさんが謝ろうとするのを、御主人様はピシャリと遮った。

 そして思いっきり不快そうに顔を顰めて、苛ついた声でさらにネルルーさんに追い打ちをかけた。


「わたくし、今『とっとと去りなさい』と言ったばかりなのだけれど。聞こえなかったの?

 貴女の耳障りな謝罪の声なんてもう二度と聞きたくないの。次にまたみっともなく(わめ)いたら今月分の給料もすべてカットするわよ。

 ……もちろん退職金なんて出さないけれど。当然よね?だって『貴女の失態によるクビ』だもの。」


 ………………っ。


 私も、他の使用人たちも何も言葉を発せずに黙り込む。


 ネルルーさんがしゃくりあげる。ひっくひっくと泣く声だけが静かなその場に響いていた。


 セレンディーナ様は、そんなネルルーさんに「早く下がれ」とでも言いたげな視線を投げかけた後、いつものように部屋の中を優雅に歩いて、いつものように優雅に椅子に腰掛けた。

 それを合図にしたように、他の使用人たちも無言でいつものように動き出す。

 御主人様の背後、廊下の方に控えていた使用人の一人が御主人様の通学鞄を定位置に置くのを見て、私もハッとした。


 そっ、そうだ!私もやることをやらないと。


 私は慌てて──でも、いつも以上に慎重にご帰宅後の紅茶を淹れる。


 ……今朝まで使っていたものによく似た、ネルルーさんが用意した別のティーカップ。


 それを改めて目にした途端、私の頭の中はぐちゃぐちゃになってしまった。カップに紅茶を注ぐ手が微かに震える。


 ネルルーさん、クビになっちゃった。

 御主人様のたった一声で。一瞬の判断で。

 初日に私に「大丈夫」って笑ってくれていたネルルーさんが。

 ついさっきまで「やっちゃった〜!」って感じで笑っていたネルルーさんが。


 私は思いっきり動揺しながらもなんとか零さずに紅茶をティーカップに注ぎ終えた。

 そして軽く扉の方を確認したけど……そこにはもう、ネルルーさんも他の使用人の人たちもいなかった。


 ………………怖い。


 初めてクビ宣告を目撃した恐怖、緊張。

 親しくしてくれた先輩が急にいなくなったことによる寂しさ、不安。

 先輩をあっさりゴミのように切り捨てた御主人様への怯え……それと、怒り。


 じわじわと自分のぐちゃぐちゃな感情に名前がついていく。

 私はこの一週間で一番ガチガチになりながら、ぎこちなくセレンディーナ様のもとへと紅茶を運んだ。


 ……すると。

 そんな私の姿を見た御主人様は、真顔のまま私に質問をしてきた。


「何よ、その顔。何か言いたいことでも?」

「……えっ?」


 固まる私に、御主人様は呆れたように「ふんっ」と言って嫌味ったらしく指摘をしてきた。


「そんな歪んだ無愛想な顔。よく自分の主人に向けられるわね。

 貴女、もともとそんな顔だったかしら?だとしたらごめんなさいね。もう少しマシだったと記憶しているのだけれど。

 ……それとも。何かこのわたくしに()()()()()()()()なのかしら?」


 そして御主人様は、最後に鼻で笑った。

 まるで、私とネルルーさんを馬鹿にするように。


「まさかとは思うけれど、あの()同僚に一丁前に同情でもしているの?

 貴女にそんな暇と余裕と権限があるのかしら?馬鹿なことを考えていないで、さっさと仕事の腕を磨きなさい。

 ()()()()()()かもしれなくってよ?」


 微塵の躊躇いもなく私にそう言い放った御主人様は、微塵も悪びれずに優雅に紅茶に口を付けた。



 ──「人の心がない」って、まさにこの女(御主人様)のことだ。



 仕事を始めて一週間。

 私はこの最悪な御主人様に、早くも心が折れそうになった。



◆◆◆◆◆◆



 その日の夜。

 一日の仕事を終えた私は、侍女の私専用に与えられた部屋に戻った。

 そして明日の学校の準備をしようと鞄を開いて──今日の帰り道に買った、ダリアから教わった()()()()()()の存在を思い出した。

 ネルルーさんの一件で気分が沈みすぎてて到底すぐには眠れそうになかった私は、ベッドに入って布団にくるまってその小説をパラパラっと最初の方だけ捲ってみた。



〈主人公は、明るく前向きな平民の女の子。

 幼い頃に両親を流行り病で亡くし、孤児院に預けられていた。そしてそこで魔力持ちであることが判明し、学園に通うために子爵家に養子として迎え入れられる。

 両親を失い、田舎から出てきて、慣れない貴族の中での学園生活を強いられる。

 そしてそこで、入学早々に王子様と関わる機会があったことをきっかけに、例の「悪役令嬢」様に目をつけられて、虐められる日々が始まった。〉


 ……そんな感じの冒頭だった。



 眠れないとはいってもさすがに夜更かしはできないから、まだ続きは読めないけど、ダリアに盛大にネタバレされたお陰で予想はつく。


 ……きっとこの主人公の女の子は、そんな酷い環境の中でも挫けずに頑張るんだ。悪役令嬢にも屈せずに前を向いて生きていって、それできっとハッピーエンドに辿り着くんだ。


「この子も、最初は怖くて、寂しくて、悔しくて……夜に独りで泣いたりしてたのかな。」


 ぽつりと独り言が自分の口から()れる。


 私は物語の主人公に比べたら全然可哀想じゃないし、苦労人でもないし、見た目も才能もパッとしない。似てる要素はまったくない。

 そんなことは分かっていても、私はうっかり、その主人公の女の子に今日の自分を重ね合わせて、布団の中で泣いてしまった。

 ……こうやって主人公から勇気をもらわないと、明日からまた立ち向かえそうになかったから。

 私の御主人様──小説からそのまま飛び出してきたような恐ろしい【悪役令嬢(セレンディーナ)様】に。


「…………負けるもんか。やってやる。」


 私は布団の中で、自分に言い聞かせるようにまた独り言を呟いた。


 私は御主人様に──あんな女には絶対に負けない。


 あんな思いやりの欠片もない、傍若無人に振る舞うお嬢様になんて。


 大丈夫。真面目に生きて、挫けずにやるべきことをきちんとやっている人は、絶対に報われる。

 逆に人の気持ちも考えないで、好き勝手我儘にやっている人は、絶対にいつか痛い目を見る。


 何があっても、最後に笑うのは私の方。

 最後に泣くのは、きっとセレンディーナ様の方。


 ──っ、私は!「悪役令嬢様」になんて、絶対に負けないんだから!!



 どこまで口に出していたかは分からないけど、とにかく私は独りで改めて固く決意をして、自分を奮起させてガバッと布団を被って無理やりギュッと目を閉じた。


 明日はまた朝早い。寝坊しないようにいい加減寝なきゃ。

 あ、そうだ。今日授業で出された宿題は……うん。また明日学校でやればいいや。


 そうして私は多分、日付が変わる頃にはちゃんと深い眠りについた。

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