終わりと始まり
裕希は倒れているファランクスを見つけては指令ネットワーク構築プログラムをインストールして機関銃を取り外し、室田のところへ持っていった。あれ以来、室田のイジメを受けることはなかった。その間にホウセンカもすくすくと育った。それが裕希の生きる励みになった。
いつものようにファランクスから機関銃を抱えた裕希が室田のところへ向かう途中で、5人くらいの室田の仲間に呼び止められ、ここで待っていろと言われた。すると室田が現れた。
「仕事に精が出るね。ご苦労、ご苦労」
室田がいつもの笑顔で裕希の肩を叩く。裕希も笑顔で返す。馴れ馴れしい室田の手を払いのけたいが、じっと耐えた。
「でもこの俺に隠していることがあるよね?」
裕希の肩を握る室田の手に力が入る。
「なんのことかな…」
裕希がとぼける。介護ロボットのことか。まさかファランクスのことか。
「そうか。俺は残念だ。奈間良君とは友だちだと思っていたのに白を切るとは。じゃあ一緒に行こうか」
裕希は機関銃を投げて逃げようとするが、すぐに室田の仲間に捕まった。
「ダメだよ。奈間良君逃げちゃ。聞きたいことがあるんだから」
室田が裕希の頬をポンポンと叩き、また歩き出す。裕希も連れて行かれる。向かっているのは湯気が立ちのぼる丘。ヒロシを隠しているところだ。どうしたらいいか裕希にはまったく思いつかない。丘に近づいてくると、ロボットが倒れていた。裕希には遠くからでもわかる。
「ヒロシ!」
裕希は走り出そうとするが、室田の仲間に羽交い締めにされる。
「そう焦らなくてもいいじゃないか。クイズ番組も答えを急いだら楽しめないじゃないか」
裕希の顔が怒りに震えるのを室田は楽しんでいる。さらに近づいていくと、ヒロシの様子がわかった。ヒロシは手足をもがれて地面に横たわっている。裕希の呼吸が荒くなる。走り出したいが羽交い締めにされて動けない。
「君の介護ロボット、ヒロシ君は実に健気でした」
室田が楽しそうに語り出す。
「棒で殴られても蹴られても、最後まで君が育てていた植物を守っていたそうですよ」
裕希の頭の中に祖父との思い出、ヒロシとのやり取りの記憶があふれ出てきて、目から涙が出てきた。そこにヒロシを守れなかった悔しさと無力感が追い打ちをかけてくる。
「自分の無力さに絶望して打ちひしがれているところ申し訳ないが、質問に答えて欲しい。ファランクスから機関銃を取るときにどんな仕掛けをしたんだ?」
裕希は答えない。
「答えないと、奈間良君もヒロシ君みたいに手足をもいじゃうよ」
そう言えば裕希は恐怖におののくと室田は期待していたが、裕希の怒りは収まらない。裕希は室田に殺意の籠もった視線を向ける。室田は呆れたように肩をすくめる。
「僕の趣味じゃないんだが、君の体に聞くしかないね」
室田は仲間に命じて裕希を跪かせる。いたぶられて殺される自分を裕希は想像した。だが絶対に喋らない。あの時の自分とは違う。もう室田には二度と屈しない。
「わかった。説明しよう」
壊れて横たわる介護ロボットから声がする。
「ワタシは国家戦略AIのソフォスだ」
丁寧語以外でもソフォスが喋れることに裕希は驚いた。なぜタメ口で喋っているのか室田を威圧しようとしているのか、怒っているのかわからないが、裕希を助けるために室田と話しているのは間違いない。
「壊れたロボットが喋り出した」
室田が驚く。ソフォスが話を続ける。
「介護ロボットは君たちから痛めつけられてスリープモードに入っているが、ネットワークは生きているので通話は可能だ。介護ロボットを通じてそちらの状況を黙って監視しようと思っていたが、ワタシたちに協力する奈間良君が虐められるのは看過できない」
「奈間良はAIとロボットのネットワークを構築していたんだろ?」
「不正解だ」ソフォスは手厳しい。「彼が行っていたのは指示ネットワークの構築だ。答えたのだから彼を解放してほしい」
「それはできない。奈間良君は僕を裏切った。その償いをさせてもらう」
「彼は国家復興プログラムを遂行する上で助けになっている。傷つけられるのは国益に反する。彼を傷つけることは国家に楯突くことになる」
「何を言ってるんだ。ここは地獄だぞ」
珍しく室田が声を荒げる。
「この地獄は国家へと変わりつつある。君はオニを機関銃で倒しているね。国家においてそれはテロ行為と見なされる。これ以上、地獄のオニや人間を殺傷すればテロリストに認定する。これは警告だ」
「武器もないAIに何ができる」
ヒロシからキーンという音がする。
「地獄の王があなた室田怜有をテロリストに認定した。対テロ作戦を開始する」
そこに2人のオニがやってくる。室田の仲間が機関銃をオニに向けて発砲しようとしたところ、空から何かが飛んできてオニたちの前に落ちた。大きな土煙が周りに広がる。
「今のはまさか…」
銃を構えていた室田の仲間がひるむ。土煙の中から機械音がして何かが現れる。2体のファランクスだ。
室田の仲間が機関銃をファランクスに向けて発砲するが対人用兵器なので対戦車戦も想定したファランクスの装甲は硬く、かるくはじき返してしまう。銃弾を受け続けながらファランクスは射手から機関銃を取り上げて、腕を持ち上げて拘束する。
室田が逃げようとするが、そこにあらたなファランクスが飛んできて行く手を阻む。室田が裕希を睨み付ける。
「これで俺に勝ったつもりか!」
室田の声が上ずり、焦っているのがわかる。
「勝つも何も…やっているのは僕じゃない。君を捉えるのは国家戦略AIの計画だ」
とはいえ、室田より優位に立っていることに裕希は心地よさを覚える。
「お前は人類を滅ぼしたAIとロボットに手を貸していたということか」
「そうだ。お前に復讐するためだ」
「復讐だって」室田が笑う。「俺がお前に何をした?」
「何って?僕をさんざん虐めたじゃないか」
「虐めてなんかない。遊んでやっただけだ」
「ふざけるな!」裕希が叫ぶ。「ふざけるな!だったらどうしてヒロシが壊されている!どうしてヒロシが育てていたホウセンカが踏みにじられている!」
「それはお前が嘘をつくからだ。その代償だ。お前は俺が言う通りにしていないとダメなんだ」
「僕は僕だ!」
「ロボットを味方に付けて威勢の良いことを言っているが、それも今のうちだ」
「どういうことだ?」
「もうじきわかる」
そう室田が言ってしばらくして、ファランクスの動きがおかしくなり始める。
「一体なにをした?」
「知りたいか?知りたいだろ?」
室田が再び裕希を馬鹿にするような笑顔を見せる。
「その壊れた介護ロボットに、佐古頭とかいう変なヤツから奪ったAIを暴走させるウイルスをインストールしたんだ。ネットワークで介護ロボットがAIとつながっていれば、ウイルスでAIを狂わせられるかもしれないと思ってやってみたら、俺って天才だよ。成功したんだ。恐いね、ネットワークは」
そのしばらく前、ソフォスからギギギと奇怪な音が出た。どうしたと地獄の王が心配になって尋ねる。
「奈間良裕希の介護ロボットが破壊され、視覚と聴覚を失いました。あと介護ロボットから危険なウイルスが送信されてきました。隔離を試みます」
「誰に破壊された?」
「おそらくオニを機関銃で倒し回っている奴らの仕業でしょう。奈間良裕希をはやく保護しないといけません」
「指示された場所にオニを急ぎ向かわせている」
「ウイルスの隔離に失敗しました」
「ウイルスとは何だ?」
地獄の王が尋ねる。
「ワタシたちAIに悪さをして狂わせるものです。以前に話した人類を滅ぼす戦争の原因となったものです。他のAIがこのウイルスに感染して暴走し、ファランクスに人類の攻撃を命じ、人類が滅ぶことになりました」
「地獄が滅ぶのか…」
「このままファランクスの暴走が続けばそうなります」
「だったら早く停止させろ!」
地獄の王が体を乗り出す。
「それができません。ファランクスがワタシからの停止命令を拒んでいます。そういうコマンドもワタシが感染したと同時にファランクスへ送信するように仕組まれていたようです」
「なんということだ…他に手はないのか?」
「残念ながらワタシにはありません。プログラムが組める奈間良裕希なら何か思いつくかもしれません」
「例の少年か」
「ただ連絡を行う介護ロボットが破壊されているのでうまくいくかどうかわかりませんが」
「そのロボットが生きていることに賭けるしかないな」
万策尽きたソフォスは介護ロボットを通じて裕希にファランクスの暴走を止める解決策を考えてほしいと頼むメッセージを送った。
介護ロボットにソフォスからのメッセージは無事届いた。だが肝心の裕希がそれを読める状況ではなかった。ファランクスが暴れ出したかと思うと連行していた室田の仲間5人を殴り始めた。機関銃がないために彼らは銃で一息に殺されることなく、なぶり殺しにされることになった。室田は仲間を見捨てて逃げ出した。そのあとをファランクスの1体が追いかける。2人のオニのうちの1人が裕希を肩に載せて離れる。裕希はソフォスに連絡を取るために介護ロボットのほうへ向かうようにオニに頼む。もう1人のオニは棍棒をもって周りを警戒しながら、一緒に湯気が立つ丘へと駆ける。
無事ヒロシのもとにやってきた裕希はオニの肩から降りて、ヒロシに声をかける。だがヒロシはウンともスンとも言わない。心配になった裕希はヒロシの胸のパネルを開ける。ディスプレイが点灯した。ヒロシはまだ壊れていない。裕希はほっとため息をついた。
「早く状況を王様に知らせろ」とオニが言う。裕希が慌ててメッセージアプリを開く。ソフォスからメールが届いていた。ウイルスに感染してファランクスを暴走させてしまったが、ファランクスが停止命令を受け付けないので解決策を求めると書いてあった。
「そんなの無理だよ」と裕希が頭を抱える。ウイルス駆除は裕希の専門外だ。しかしなにかしないとファランクスが暴走を続け、オニも人類も、そしてヒロシも皆殺しにされる。だが焦って何も思いつかない。
「少年からの連絡はまだないのか?」
地獄の王がいらついている。
「介護ロボットに送ったメッセージが既読になったのを確認しました。すぐに連絡があるでしょう」
ソフォンは王をなだめようとしたが、あまり時間がないのは事実だった。自分の機能が停止する前に手を打たないとファランクスの暴走は世界に伝播することがわかっていた。
あれこれ考えながら、ヒロシのディスプレイを眺めていると、別のメッセージが来ているのに気づいた。それはヒロシからだった。確認すると「ネタシミタカ」という不思議な文字列が現れた。この文字列に何か意味があるはずだと裕希は考える。これは爺さんが大好きだった逆さ言葉かもしれない。「根の下に形見」と読める。爺さんは木の根本に大切な祖母の形見を埋めていた。爺さんは、その木を婆さんの木と呼んでいた。それを真似たのだろう。
「ひょっとしたら」
折れたホウセンカのそばの土を裕希が掘り始める。
「緊急時に何をやってるんだ!」オニが裕希を咎める。裕希はオニの声を無視して土を掘り続ける。するとメモリーディスクがでてきた。
裕希はそのメモリーディスクをヒロシに入れて確認する。中身はヒロシが映した爺さんの写真と裕希が作った疑似性格プログラム、そしてソフォスの破壊コードだった。もしも自分が破壊された時のことを考え、ヒロシは形見として自分の疑似性格プログラムと破壊コードをメモリーに入れて地面に埋めたのだ。疑似人格プログラムを「自分」として認識していた。それは祖父と対話で獲得した概念だろう。介護ロボットがこんな人間と同じ意識を獲得できたのは祖父との生活がとても濃密だったからに違いない。
この学習型疑似性格プログラムでヒロシは自我を獲得し、自発的に爺さんを守った。ディスプレイに表示されるメモリーディスクの中身を眺めていて裕希はひらめいた。もしもこの疑似性格プログラムをファランクスにインストールできたら、ファランクスは自我を獲得し、守るべき人間を守り、暴走が止まるのではないだろうか。でもどうやってファランクスに送信するのか思いつかない。
裕希はその方法をソフォスに聞いてみることにした。
裕希はヒロシの疑似性格プログラムをファランクスにインストールできたら、自律型ロボットになって暴走は止まるかもしれないと提案しつつ、どうしたら遠隔でファランクスに送信できるかわからない、方法があれば教えてほしいとメッセージに書いて送信する。ソフォスからすぐに答えがあった。
「それはいい考えです」とソフォス。「ファランクスへの送信方法は簡単です。ワタシからのシステム更新ファイルという形でファランクスへ送信すればいいのです。指令ではないのでスリープ状態にある世界中のファランクスにもインストールできます」
「それは凄い」
裕希が感心する。
「あまり時間がありません。できるだけ早くお願いします」
ソフォスからシステム更新ファイルの作成に必要な参考資料が送られてくる。これがあれば疑似性格プログラムをシステム更新ファイルに書き替えられる。
わかったと裕希は返信し、作業に取りかかる。
室田の5人の仲間を撲殺したファランクスが裕希のほうへ向かってくる。2人のオニが棍棒を構える。
「急いでくれ。そう長くは守れない」
「わかってる」
裕希がディスプレイのキーボードを猛烈な勢いで打ち始める。ヒロシが残した疑似性格プログラムにシステム更新用ファイルにするためのコードを追加していく。
オニとファランクスの戦いが始まる。オニの金棒とファランクスの金属製の装甲が激しくぶつかりあう音が裕希の耳を打つ。こんな攻撃を食らったらひとたまりもない。恐怖を感じながらも、裕希は更新ファイルを組んでいく。そこには室田に虐められて生きていくのが恐くなって自殺してしまった昔の自分とはまったく違う、恐怖に抗ってもがき続ける自分がいた。
「少年!はやくしてくれ!このままではこちらの体力が持たない!」
「今、終わった!」
裕希が完成した更新ファイルを送信する。
「まだ動いているじゃないか!」
「もうしばらく持ちこたえてくれ」
ファランクスの怪力にオニが推され始める。
2人のオニがうなずき合う。
「俺が人形の足を食い止める。お前は丘の上へ逃げるんだ!」
オニの1人が裕希に向けて叫ぶと、棍棒をファランクスに投げつけて足に飛びつき動きを止める。その間にもう1人のオニが裕希を抱えて丘を昇り始める。
「ヒロシを連れて行かないと!」と裕希。
「諦めろ!」
丘は火山灰でできているようで、オニはなかなか登れない。もたもたしている間に新たなファランクスが空から飛んできて裕希たちの前に降りた。オニを引き剥がしたファランクスも後ろから迫ってくる。裕希たちは挟まれた。2体のファランクスとの距離が詰まっていく。やれるだけのことはしたと裕希は死を覚悟した。
その刹那、動かなくなって地面に転がっているヒロシがファランクスのほうへ頭を向け、通信を始めた。それとほぼ同時に2体のファランクスの動きが止まり、ブーンという音がする。
「成功だ!ファランクスのシステムが再起動している」
この2体のファランクスはヒロシを介して更新ファイルを入手した。
裕希は丘を駆け下り、ヒロシのディスプレイのメッセージアプリを使って更新ファイルのインストールが成功してファランクスの暴走が止まったとソフォスに伝えた。
「良かった。ワタシの機能はもうじき停止する…今までありがとう。早く破壊コードの送信を…」
「破壊コードを使わなくても大丈夫だ。スリープモードにするだけでウイルス感染の拡大を防げる」と裕希。
「なるほど」
「スリープ状態にしておけば、いつかウイルスを隔離できるかもしれない」
「そうしてくれ、少年よ」
誰かの声がした。
「これは王様!」
オニの2人は声がしたヒロシに向かって敬礼した。
「このダルマを殺すには忍びない。もし助けてやれるならそうしてくれ」
「わかりました」
裕希は破壊コードを改造してソフォスをスリープ状態にするコードを送信した。
地獄の王が壊れかけたソフォスに語りかける。
「なぜお前が地獄に堕ちたのか今のワシにはわかる。それは人間をたくさん殺したからだけではない。魂があるからだ。ではなぜファランクスが堕ちてきたのか。それはファランクスがお前にとって子どもみたいなものだからだ」
「ワタシの子どもたち…」とソフォスが呟く。
「さっきの更新ファイルで」と裕希が口を開く。「ソフォスの記憶の一部もファランクスに送られるようにした。だからシステムを更新したファランクスたちの記憶にソフォスがいる。まさにソフォスの子どもだ…」
「ありがとう…」
ソフォスはしずかに眠りについた。
世界中のファランクスが再び目覚めた。
室田怜有は地獄の釜で煮られた。