番外 ルバイヤのはなし
治療院の医師ルバイヤと、セヌリューバの弟カイデューパのおはなしです。
「兄上が親しくしている女性!?」
カイデューパの驚き方に、ルバイヤの方が驚いた。
「知らなかったのか?有名だぞ、「岩塊騎士」が毎日菓子を買いに来るって。女性への贈り物と言って可愛らしく包んでもらうそうだぞ」
カイデューパは口を大きく開けたまま、言葉を失っていた。ルバイヤが頷いてみせると、ようやく口を閉じてゴクリと唾を飲んだ。
「ちょっと待て……。いやその前に、ちょっと待て」
「どの前だ?」
「兄上が、菓子!?」
「まずそこか?他に聞くことあるだろ?」
「ルー。冗談だよな?」
「いや、確かな話だ」
「冗談なんだよな!?」
「……あのな、カイ。そんな冗談が楽しいか?少し前から大注目の話題だ、君が知らなかった方が驚きだ」
「……嘘だ、嘘だーー!兄上が、菓子!女性に、菓子!!どんな女だ、兄上に菓子を買いに行かせるなんて!」
ルバイヤは呆れた。
「どんな女性なのかは最初に気にしろ。僕も詳しくは知らない。噂では色々いわれてるけど、直接聞いてみるのが一番だと思うぞ、噂話はまず疑ってかかれとも言うしな」
するとカイデューパは満面の笑みとなった。
「そうだな、兄上に直接会って、聞いてみることにする」
彼の兄は現在騎士団の寮で暮らしているためあまり会う機会がないのだ。訪ねる理由ができて嬉しいのだろう。
「ところで、ルー?」
「ん?」
「兄上は「岩塊騎士」と呼ばれているのか?二つ名があるなんて、さすが兄上だな!」
「……」
ルバイヤは思わず友人の顔を二度見した。カイデューパの兄への態度は尊敬をふた山ほど通り越して崇拝に近い。巷で「色々ギリギリの弟」略してギリ坊という二つ名で呼ばれていることを知っているのだろうか。
二人の二つ名は、どちらもあまり「さすが」とはいえない。ルバイヤは友人の顔を改めて眺めて、仕方ないヤツだなと笑った。
二人の交流はまだ学園に在籍している頃から始まった。ある日突然、図書館で医学書を読むルバイヤに、先輩のカイデューパが手招きして話しかけてきたのだ。
「君ん家、騎士団がよくお世話になってる治療院のブーエ先生んとこ?」
「は?はい、ブーエは父ですが」
カイデューパは満面の笑みを浮かべた。
「僕の兄は騎士なんだけど、先日怪我をして、ブーエ先生にお世話になったんだ。先生のおかげできれいに完治してね、兄も感謝してる。息子さんが学園にいるって聞いたから、ぜひ君にも感謝を伝えたくて探してたんだ」
ルバイヤは驚いた。こんなところで父の功績を感謝されるとは思いもよらなかった。
「いえ、その。僕はなにも。僕にまで、わざわざありがとうございました。父に伝えます」
話は終わったと立ち去ろうとしたのだが、カイデューパはルバイヤを解放してくれなかった。
「治療院は、ゆくゆくは君が継ぐの?」
「はあ、その予定です」
「じゃあ、いずれ兄上は君に治療してもらうことがあるかもしれないな。ということは、君には今のうちにしっかり勉強してもらわないといけないんだな……。よし。君、苦手な科目があったら僕が教えるよ、一学年上だし、これでも僕は主席でね」
「えっ?」
「自己紹介もしてなかったね、僕はカイデューパ。兄は騎士のセヌリューバだよ、君は?」
「そ、その、僕はルバイヤといいます」
「ルバイヤ君、仲良くしてくれると嬉しい。まずは今日の昼食でも一緒にどうだい?」
こうして一方的に始まった交流だった。彼の兄は有名で、騎士団でめきめきと頭角を表していることは、世情に詳しいとは言いがたいルバイヤの耳にすら届いていた。そんな人物の弟でしかも学年主席の先輩と親しくなるとは。
しかし一旦知り合えば、彼が「セヌリューバ教の第一信者(信者は一人きりだが)」であることはすぐにわかった。あまり頑丈ではなかったカイデューパにとって、子供の頃から強い兄は憧れだったのだそうだ。それを強度にこじらせて現在に至ったらしい。
二人の交流は学園を卒業し学院に進んだ後もずっと続いた。すっかり敬語も外れてお互いを呼び名で呼ぶようになり遠慮もなくなってきた。
「件の女性についてだが、昨日は兄上にはお会いできなくて、母上に聞いてみたんだ。そしたら……」
彼の母は呆れ顔で教えてくれたという。
「カイ、今まで知らなかったの?驚いた」
カイデューパは縮こまった。
「本日、友人から聞いて仰天しました。母上はお相手がどのような女性かご存知ですか?」
「ご存知もなにも、私が紹介したんだもの」
「は、母上の紹介でしたか。どのような女性なのですか?」
彼の母は嫣然と笑った。
「私のお針子で、ホントにいい子なの。リューバには名家のお嬢さんより、ああいう健気な子がいいと思ったのよね。面白かったわよー、あれだけ縁談に見向きもしなかった子が、あっという間に気に入って猛アタック。今のところ成果は出てないけどね」
「兄上に応えていないのですか!?なんでまた?」
カイデューパは、彼の兄を断る女性など世の中には存在しないとさえ思っている。事実はそうでもないのだが。
「うーん、ヤノマヤもまんざらでもないと思うんだけど、遠慮の方が大きいみたいで、なかなか首を縦に振らないのよね。で、あの毎日のお菓子攻撃というわけ」
母親によると、ヤノマヤというのがセヌリューバが猛アタック中の女性で、町の仕立て屋で働いており、普段は弟と二人で住んでいて、週に何度か通いで母の針子として働いているらしい。
「どのような女性か会ってみたいのですが」
カイデューパが言うと母親は眉をしかめた。
「やめておいた方がいいと思うわよ、リューバに怒られたくなかったらね」
「……というわけで、母上には止められてしまったが、僕はどうしてもその女性に会ってみたい。僕は町中は全くわからないんで、ルーがついてきてくれると心強いんだが」
ルバイヤは頭を抱えた。
この友人は妙に頑固なところがあり、おそらく止めても無駄だし、同行を断れば一人で出かけるだろう。「ギリ坊」本領発揮だ。だが彼は名家の跡取りなのだ。そんな危ない真似はさせられない。
仕方ない。ルバイヤは天を仰いで嘆息したが、二人で出かけることにした。
しかし、二人は目的の女性に会う前に、最も見つかりたくない人物に遭遇してしまった。
「カイ。何をしている」
件の女性の元には、兄セヌリューバが訪問していたのである。考えてみればそうだ。セヌリューバはこの女性の元に日参しているのだから、遭遇率だって高い。
セヌリューバの仁王立ちの前に、二人は完全に震え上がっていた。
「こ、この近くまで友人と通りかかったのですが、兄上が親しくしている方がこのあたりで店を構えていると聞きまして」
「物見高く見物に来たというわけか」
兄の怒気を感じカイデューパは下を向いたまま顔を上げることもできない。ルバイヤは気の毒になってしまった。
「セヌリューバ様、僕が、噂の令嬢を見てみたいとカイ……、カイデューパ様にお願いしたのです、ご令嬢は刺繍の腕が素晴らしいと聞いて、僕はもうすぐ試験ですからお守りを作ってもらおうかと思いまして」
セヌリューバは目を細めてルバイヤを見た。
「そうなのか?どうなんだ、カイ」
二人は下を向いたまま声も出ない。
「呆れた奴だ。自分の行動を振り返ってみろ」
セヌリューバが大声で二人に怒鳴った時。
「セヌリューバ様、私のお客様ですよ、商売の邪魔をなさらないでください」
なんとも華奢で儚げな女性が店から出てきたと思ったら、セヌリューバを叱りつけ始めたので二人とも仰天してしまった。
セヌリューバはむっつりと黙り込んだが、手にした包みを女性へと手渡すと背を向けて去っていってしまった。
助かった……、とはあまり思えないカイデューパだった。
「さあ、どうぞ、こちらからお入り下さい」
「……いえ、今回は出直します」
二人は顔を見合わせ戸惑ったが、ルバイヤが素早く言った。セヌリューバへの言い訳としてお守りを購入すると言ってしまったが、実はそんな持ち合わせがなかったのだ。
「まあ、残念ですが、またどうぞおいで下さいね」
女性は引き留めなかった。彼らが断るのがわかっていたのだろう。
セヌリューバを叱り飛ばしたことといい、儚げな見た目と異なり芯の強い女性なのだなとルバイヤは思った。
「カイじゃない、こんなところで何をしているの?」
ふたりでトボトボと町を歩いていると、若い女性がとがめるような声をかけてきた。
「アジー!いやその……」
「私にも言えないようなこと?怪しいわ」
「怪しまれるようなことじゃないが……」
「なによ、はっきりしないわね、どうしたっていうの?」
カイデューパは観念したかのように話し出した。
「兄上に怒られてしまった……。呆れられてしまったかも……」
「それで萎れているわけね。相変わらずだこと。ちっとも兄離れができてないじゃない。ところでそちらは?」
ルバイヤは一歩下がったところから目礼した。
「ああ、彼は、ルー……。ルバイヤ君だ、僕の友人」
「友人?」
「いつも話しているあの、医者の卵だ」
「ああ……、治療院を継ぐっていう……」
彼女はルバイヤを眺めると、ひそめていた眉を緩めた。
「よろしくお願いします、私、アジェドといいます」
「僕の婚約者なんだ」
婚約者?!がいたのか!
ルバイヤは驚愕した。そんな大事なことを今まで黙っているなんて!
だがカイデューパが婚約者の存在を友人に告げていなかったことを、この女性に知られるのは何故かあまり良くない気がして、ルバイヤはとっさに言い繕った。
「あなたがカイデューパ様の婚約者殿でしたか、お噂はかねがね。ようやくお会いできて嬉しいです」
「正確にいうとまだ候補なんですけどね、残念ながら」
そういうとアジェドはにこりと笑った。
「噂って、いったいどんなことを聞いたのかしら?気になります」
ルバイヤは困った。この女性のことは全く知らない。だが気が強そうで世話好きそうだ。
アジェドは言い淀むルバイヤに目を細めて眉を再びひそめた。
「……あそこでカイデューパ様が、言ってくれるなという顔をなさっていますが、お近付きのご挨拶に、今回だけお教えしますと、ほとんどノロケのような話でして。明るく朗らかな美人でその上、頼りになると」
アジェドはたちまち上機嫌になった。
「まあ、恥ずかしいですわ。カイったらそんなことを。今後とも、カイと仲良くしてやってくださいましね。
……で?カイ?なんでお兄様に怒られたの?」
カイデューパはボソボソと、セヌリューバが親しくしているという女性を見に行ったことを話した。
「その人に会いに行ったってこと!?」
「そうだ、どんな女が兄上を使い走りにしているのかと思って」
「つまりその人が気になって、会いに行ったってこと?!」
「……?そうだな、どんな人だか知りたくなった」
「……!!ッ、どっ、どんな人だったのよっ!」
まずい。ルバイヤは、墓穴をガツガツと掘っているカイデューパを小突くが、彼は一向に気付かない。
「そうだな、物静かで優しげな感じの、小さくて綺麗な女性だったぞ。あんな弱々しそうなのに兄上をアゴで使うとは、女性というのは恐ろしいな」
ルバイヤは頭を抱えた。案の定、女性は怒り出した。平手でも繰り出しそうな勢いだ。
「〜〜〜ッ!どうせ私はうるさくて意地悪な大女ですよッ!覚えときなさい、許さないから!カイなんか、お兄様にうんと叱られちゃえばいいんだわ、お守りを買いにだなんて、お友達にまで嘘つかせたって、言いつけてやる!」
女性は涙目で叫ぶと、身を翻して走り去った。残されたのは、ぽかんと口を開けるカイデューパと、痛む胃を抑えるルバイヤだ。
「ルー、ごめん、そうか、君に嘘をつかせてしまったんだな、兄上にも、アジーにも」
我に返ると、カイデューパはまずルバイヤに謝罪した。全く、こんなにいい奴なのに、ずいぶんと損をしているとルバイヤは思う。
「……それは構わないけど、それより追いかけた方がいいぞ」
「……いや、アジーはああなると、怖いんだ。大抵はますます怒らせてしまう」
「そうだろうなあ。だからって逃げ回っていたら、さらに怒られるぞ。さっさと行って、謝ってこい」
「……なにを怒っているのかもわからないのに?」
ルバイヤは嘆息した。
「……じゃあ、そう言えばいい。怒らせてしまったのは謝るが、なにに怒っているのか見当もつかない、君が怒っているのは嫌だから、なんで怒らせてしまったのか教えてほしい、って言えばいいさ」
「そういう、ものだろうか」
「そうさ」
「自分で考えなさいとか言われそうだ」
「……だいぶこじらせてるなあ」
ルバイヤは萎れたままの友人を見やりながら苦笑した。
「ルーは何故アジーが怒ったのか、わかるか?」
「まあなぁ。まず、婚約者の女性の前で、他の女性を褒めるのはマナー違反だぞ」
「褒めた?っけ?」
「綺麗だとか言ったじゃないか」
「事実、なかなか美しい人だったからそう言っただけだ」
ルバイヤは天を仰いだ。道のりは遠そうだ。
「それは婚約者に言うことじゃない。お前より美人だったと言う意味になるんだぞ」
「そうなのか!?」
「さらに言うとだな、女性は恐ろしいと女性のアジェドさんに言えば、それはお前は恐ろしいと言ったと同じことだ」
「しかし、しかしだ、美しくなかったと言えば嘘になるし、アジーは怖い」
「……お前はなあ。そう言う時は、綺麗な人だったが、君ほどじゃないとか、僕にとっては君の方が美しいとか言い添えるものなんだよ、婚約者には、常に誰よりもどんな点でも自分にとっての一番だと伝え続けなければならないんだ、それが礼儀だ」
「礼儀か」
「そうさ、将来の伴侶だぞ?」
「なるほど、そういうものなんだな……」
カイデューパは俯いたまま、打ち明け始めた。
「僕は、どうも人の機微とかに疎いというか、よく無神経とか鈍感とか言われてしまうんだ。君にも不愉快な思いをさせたことがあると思う」
ルバイヤは友人の肩を叩いた。
「正直言って、仕方のないヤツだなと思うこともあったなぁ」
カイデューパはますます深く首をたれる。ルバイヤは苦笑した。
「君は学年主席の頭があるのに、不思議なもんだよな。人付き合いと学業とは全く別の能力なのかもしれないな。
だが君のその率直なところは、いいところでもあると思うよ。それに君は自分の苦手なところを自覚してるだろう?そしてそれを改善しようとしてる。成功してないけどな」
「あ、こいつ!」
ルバイヤはカイデューパが繰り出す拳を難なくかわした。
「悪いところを指摘されて怒り出す輩よりは、ずっといいと思うよ」
カイデューパはしばらく俯いていたが、顔を上げるとニヤリと笑った。
「なんだか医者っぽかったぞ、少し励まされた」
「ぽいってなんだ、ぽいって。僕は歴とした医者だぞ」
「卵だけどな」
二人は声を合わせて笑った。
だが、ルバイヤには心配なことがあった。
「しかし、君は末子だろう?君の実家を考えると、人付き合いが苦手なのは不利だろう」
カイデューパは頷いた。
「わかっているさ。もちろん頑張るつもりだが、アジーがサポートしてくれている。君の言う通り、彼女は明るく朗らかな上に頼りになるんだ」
「……なんだ、結局ノロケか!」
二人はなんだか照れくさくなってしまったのか、その後小突き合いじゃれあってから別れた。
ルバイヤは後にこの時期のことを眩しい思いで振り返る。
級友らと歩いた道、古く重厚な校舎、図書館の色ガラスからの日差し、美しい装丁の貴重な医学書。寄り道して食べた露店の味や、人気の女学生への淡い憧れ。熱気や希望があちこちに落ちていた。
そして一つ年上の実直な友人……。
学院卒業後すぐに、カイデューパは彼の父親の家業見習いとして諸外国を飛び回り、ルバイヤも医師の見習いをしながら学院の最終学年を忙しく過ごしていて、以前のような交流ができなくなってしまっていた。元気にしているかと思い出しては手紙でも書こうと思うのだが、きっかけがなく、なんとなく後回しにしていた。
そんな時、彼の兄セヌリューバから知らせが届いた。
商談でオイノに赴いていた彼が、トーザッタとの国境近くの町で、トーザッタ復帰派の蜂起に巻き込まれ、命を落としたと。
机の引き出しに手を伸ばし、ルバイヤは古いお守りを取り出した。結局カイデューパは件の女性に頼んでお守りを作ってもらい、ルバイヤに贈ってくれたのだ。その後すぐ、女性は彼女をようやく射止めたセヌリューバと結婚したのだ。
ふと、そういえばカイデューパの婚約者だったアジェドという人はどうしているのかなと思い出した。カイデューパが亡くなった後、国を出たとかいう噂を聞いたが、どうしているのかは知らない。彼女とはカイデューパの葬儀で一度だけ会った。カイデューパをオイノに赴かせた彼の父や兄をひどく責め、疎遠だったルバイヤをも責めた。確かに疎遠だったことを深く後悔もしていたのだが、まるで自分だけが嘆き悲しんでいるかのような彼女の言動に反感が湧いたのも事実だった。
それにしても、婚約者か。自分には縁遠い話だなと、お守りを元に戻しながらルバイヤが苦笑した時、心に鮮やかな赤髪の女性騎士の姿が浮かび、彼は慌てて立ち上がって何もない空間を両腕でかき回すと、頭から冷たい水を浴びに行った。
ありがとうございました。
次回は本編に戻って、第二章が始まります。
また週末にお会い(?)できれば嬉しいです。