さんのろく
こんばんは、いつもありがとうございます。
本日より完結までの五日間、連続で投稿します。
本編が三話、番外が二話あります。
どうぞよろしくお願いします!
メキナハとガレシュは二人、訓練服に身を包み、崖の上から眼下の砦を見下ろしていた。風の強い、暑い日だった。
メキナハの肩に触れたガレシュの手から、身体強化の魔力が流れ込んでくる。メキナハは地面に片膝をつき普段の何倍もに膨れ上がった視力で砦を観察していた。
彼らが見ていたのは、ジザの人々が「神殿」と呼ぶ砦で、シキの一族の居住地、クダツー言うところの「本丸」だ。
「いた……!」
メキナハは、砦の屋上に彼女を連れ去ったあの男の姿がちらりと見えたのを確認した。目を閉じるとガレシュが肩から手を離す。
「一旦戻りましょう、あっちに見つからないで素早く帰るには、どうしたらいいかな?」
メキナハが聞くとガレシュは身を低くしながら答えた。
「山の反対側まで行ったら、滑空機で麓まで降りよう」
「見つからないかしら?」
「反対側まで行けばそうそう見つからない。少々危険だが低空で行こう」
「任せるわ、後ろからついていくから」
ガレシュは頷く。どことなく嬉しそうだった。
防塵帯を鼻先まで引き上げると、二人は音もなく後退し軽やかに身を翻して走り去った。
ヘッシガーキは、「事ここに至れば私は必要あるまい。クダツー君とカイレーで戦後処理を下準備しておこう」と、モッパートに残っている。
戦後処理……。どれだけ用意周到なのか。まだ戦争になるとも決まっていないのに……。メキナハはため息をついた。
「具体案はあるのですか?私、提案があるのですが……」
メキナハの示した提案にヘッシガーキは重々しく頷いて見せたが、口の端が持ち上がっているのを誰もが見逃さなかった。
残りの連中はハビに拠点を置き、セヌリューバを中心に「本丸」攻略の準備をしていた。
名目は「拉致された『落ち人』らの救出と、拉致犯およびツダ殺害犯の捕縛」。
キャシー医師の証言から調査したところ、数人の『落ち人』の行方不明者がいることがわかった。
砦にいるかは不明だが、行方不明者の姿が見えなくなる前後に周辺で不審人物が目撃されており、人相がメキナハを連れ去ったあの男と一致したのだ。キャシーが言う拉致未遂事件の実行犯とも一致する。
その男が砦にいる。『落ち人』らも砦にいるに違いない。
砦はメキナハにとって因縁の地だ。ここを「神殿」と呼んで住まうシキの人々からは立ち入りを禁止されていた。母の形見のペンダントを取り上げられて一人放置され、十分に食料も与えられず密かに町に降りたり森に入って食料を得ていた。暴力や横暴に耐え、ひたすら飼い殺されて、孕み様としていずれシキの血を継ぐことを求められていた。ここから必ず逃げ出してやると誓った日々。偶然森で拾ったハネウサギだけが慰めの毎日だった。その砦を攻略することになるとは。
メキナハがガレシュと二人でジザまで偵察に出ると聞いたシィトゥーハは不満げだった。
「恋人になったからって、偵察にまでガレシュさんをつれていかなくてもよくない?」
ガレシュは片眉を上げてシィトゥーハを見たが沈黙していた。シィトゥーハには彼が「なにを言ってやがる」と考えていることがありありと読み取れた。それでもガレシュは黙っていたが、口を開いたのはセヌリューバだった。
「決めたのは私だよ、偵察に行くのがガレシュで、ついていくのがキーナだ。ガレシュは国境警備中に偵察の経験が豊富なんだ」
メキナハが微笑みながら口を挟んだ。
「むしろ私が連れて行けって駄々をこねたんですよ、もう体調も万全だし、私は目がいいし、神殿の場所を知っているし、拉致犯の顔を見ているし、馬だって滑空機だって乗れるし」
「とまで言われれば、仕方あるまい」
セヌリューバの声に一旦矛を収めたシィトゥーハだったが、誰から見ても明らかに拗ねている。
(ちぇっ、僕の目の前でイチャイチャされたらムカつく、いやちょっと待てよ、妙に遠慮なんかされたらかえって落ち込みそうだ)
メキナハを恨めし気に、だが眩し気にも見るシィトゥーハの背中を、セヌリューバとイイタダイが同時にぽんぽんと叩いた。
さて、砦をどう攻略しようか。
セヌリューバは逡巡していた。
偵察の様子では、砦の中にいるのは多く見積もっても五十人ほどだと言う。力尽くで押せないこともない。ハビもオイノも軍を派遣してくるから人数は圧倒的だし、飛行線数隻で空からと地上からと攻めれば陥落は難しくないだろう。だが犠牲も多そうだ。それになんと言っても拉致された『落ち人』がいるのだ。
セヌリューバが攻めあぐねていると、モーパットに戻っていたクダツーとヘッシガーキがハビへとやってきた。しかも、見たことのない人物を二人、伴っていた。
それは、「シデスラのマサ」と「ヤデイニトコのグエン」の二人の『落ち人』だった。
「君がメジロさんか……。ツダからよく聞いていた」
一同が応接室の長椅子にそれぞれ腰を落ち着けると、遅れてメキナハが会議室に入ってきた。マサとグエンは立っていってメキナハに握手を求めた。
一同が腰を落ち着けた後、最初は手探りに遠慮がちに会話が進められた。ツダの最期の言葉、墓の場所、家族の様子など。
一通り聞き終えるとマサは立ち上がり、ヘッシガーキに向かって頭を下げた。
「モッパート殿、教えてくれて深く感謝する。それに、ツダの友人としてあいつの願いを叶えてくれたこと、家族の生活を保証してくれたことも。ありがとう」
「ツダ殿は資産家だったからね、ご家族は当分困らないだろう、ただ息子さんたちはまだ若い。未成年の子もいる。サラ夫人のことは?」
「……承知している。あいつの家族のことは、私たちが面倒を見る」
「それが一番いいだろう。ところで」
ヘッシガーキが表情を改めた。
「ツダ殿がなぜハビにいたのか、理由をご存知か?」
「……拉致されたのではなかったのか?」
「拉致されたのは私の息子と娘だ。そこにツダ殿が慌ててやって来た。自らだ」
マサとグエンは顔を見合わせた。
「どういうことだ?」
「私はあなた方がご存知かと期待していたのだがな」
ヘッシガーキの強い口調にマサとグエンは再び顔を見合わせた。
「申し訳ないが初耳だ。一体なにがどうなっている」
「わからん」
ヘッシガーキは短く答えた。
マサとグエンはしばらく逡巡していたが、やがてマサが頷いた。
「わかった、腹を割って話そう。ただし、その前にどうしても確かめたいことがある。メジロ……メキナハさんのことだ」
突然自分へと話が飛んで、メキナハは驚いた。
「私ですか?」
「そう。メキナハさんは、『落ち人』の体から、光の粉が見えたことはある?」
「光の、粉ですか……?いいえ。『落ち人』が亡くなった時の、魂が還る光ならば見たことがありますが……」
マサの勢いに気圧されながらもメキナハは答えた。それは師匠が亡くなった時だった。
「その光とは違ってね。『落ち人』が激しく怒ったり泣いたりすると出るんだ、キラキラ輝く、火の粉みたいな物なんだそうだ」
マサが慎重に説明するが、メキナハには覚えがなかった。
「見たことありません。あの、小さい頃に何度か、キャシー先生が泣いているところを見てしまったけど、光の粉なんて見ませんでした」
「自分自身からも?」
「ええっ!?ないですが……」
マサとグエンは顔を見合わせた。
「……そうか、それはよかった」
「よかったんですか?」
二人は同時に同じように頷いた。
「では、数日に渡ってジザやハビの空が一部だけ、ほの明るく見えたことは?」
マサが続けて尋ねた。それならばハビでもジザでも、数度見たことがあった。師匠にはジザの空に数年に一度起こる自然現象だと言われた。そう告げるとマサは苦笑いした。
「自然現象には違いないけどね。その光は、特定の人にしか見えないんだ」
メキナハはそれがなにを意味するのか思い当たって息を呑んだ。
「……そう、『落ち人』が落ちてくる予兆だ。数日間ジザの空に現れ、徐々に強く光るんだ。それは周辺諸国にまで見える。そうやって『落ち人』が落ちてくるのを事前に知るんだ。ただし、それを見ることができるのは……」
「シキの直系の者だけなんですね……」
自分にも予兆がわかる。その事実を知ってメキナハは複雑だった。あのシキの血を継いでいることの象徴が自分の中にある。役に立つ力だが、どうしても気持ちが落ち込むのだった。
「つまり、メジロさんは、予兆は読めるが『落ち人』を呼ぶことはできないということだ」
マサの言葉はメキナハに衝撃を受け、絶句した。今、なんと?
声も出ないメキナハの様子に二人も困惑していた。
「知らなかったのかい?」
「知りませんでした……。わ、私は、どなたも落としてはいないんですね……?」
「そうだな、君には落とせない」
グエンがきっぱりといった。メキナハが彼をすがるような目で見つめると、ゆっくりと続けた。
「『落ち人』を落とすには、『落ち人』の光の粉を見ることができるシキの直系の呼びかけと、『落ち人』が助けを呼ぶ声が両方必要なんだ。だから君には落とせない」
メキナハは安心のあまりふらついた。ガレシュが慌てて駆け寄ってきて、メキナハの肩を抱いた。
なんだろう、この、とても重い荷物を背中から下ろした瞬間の、あの浮遊感のような感覚は。目を閉じると安心感と解放感で、空も飛べそうだ。
ゲンの話を聞いたあの時から、いや、ジザを出た時からずっと、笑っている時、美味しい食事をしている時、美しい景色を見ている時、ガレシュと過ごしている時、どんな時でも「自分がこんなことをしても許されるのだろうか」という気持ちがどこかにあってメキナハを苛んでいた。その重荷のひとつが取り除かれてはじめて、どんなにその荷が重かったのかをメキナハは自覚した。
「よかった……!」
「……もしかして君は、ずっと誰かを落としてしまったのかもしれないと悩んでいたのか?そんな君を……。申し訳なかった。私たちは長いこと、君を危険視していた」
マサは頭を下げた。メキナハは言葉が出なかった。
「それは何故だ?」
ヘッシガーキが鋭く問いただした。
「私たちも長い間、落とし役の仕組みを詳しくは知らなかった。メジロ、いやメキナハさんが落とせる人なのかどうかを、見極めることができなかったのが、理由のひとつだ」
マサは首を垂れた。ひどく疲れているようだ。グエンが彼の肩を叩き、彼に続いて口を開いた。
「君はシキの直系だ。私たちは、君がどんなことができて、何をしようとしているのか、どこまで知っているのかを探ろうとした。ツダは君がハビにいた頃から君に接触していただろう?ツダがどこまで知っていたのかはわからないが、ツダはメキナハさんを、というよりメキナハさんが継いだシキの血を恐れていた」
ヘッシガーキは二人の告白を冷たい目で見ていたが、メキナハがしっかりと顔を上げて話を聞いているのを確認すると眉間の皺を緩めた。メキナハの手がガレシュの両手に包まれているのに気付き再び深い皺を刻んだが。
「詳しいな」
ヘッシガーキの言葉は糾弾に近い。そんなに詳しく知っていたのなら、もう少しできたことがあったろうと。
マサはぐったりと頷いた。
「私たちも知ったのはつい先ごろだ。アーニーだ。
私はアーニーにケジョの実を渡しに秘密裡に治療院を訪れた。アーニーは知る限りのことを書き残していた。彼は先々代からずっとジザに支えていたから詳しく知っていた。いよいよ煙になるとなって、自分が知っていることを伝えたくなったと言った。
それを私は……、ツダには伝えなかった。ちょうどジザの依頼で諸国に混乱を起こす作戦が終盤を迎える頃のことだ。
ツダはアーニーを憎んでいたが、私たちが今、生きていられるのはあいつのおかげだと私は知っている。あいつがジザに仕えたから私たちは見逃された。落とし役の中には役目が終わったら始末されてしまう者も少なくなかったんだ。秘密を漏らさないように。
……アーニーの文書は字が震えて読みにくかった。最後の力を振り絞ったとわかった。私とグエンだけがそれを読んだ」
ヘッシガーキは笑った。楽しそうな笑いではなかった。
「情報を握っているのは自分たちだけだと言いたいわけだな、なかなかやるな、小出しにして私たちから譲歩を引き出そうというわけか。だがいずれ情報は尽きるし私たちの調査能力をナメないでくれ」
「わかっている、メキナハさんが落とさない人とわかったからには協力するもやぶさかでない」
「条件は?」
「今回拉致されたとみられる『落ち人』保護と、今後ジザに落ちてきてしまうかもしれない人たちの安全と保護だ」
ヘッシガーキは立ち上がって手を打ち鳴らした。
「いいだろう、取引成立といこうじゃないか」
ありがとうございました!
さて本編は残り二話で完結です。
すでに感無量でうるうる。
では、また明日!




