いちのに
翌朝、コリュモが事務室へ顔を出すと、セヌリューバが出かけるところに行き合った。あまりに朝が早い上司も困りものだ。
「私は治療院に行って刺された男の様子を見てくる。ひとりで大丈夫だ。ああ、コリュモ、昨日の会議の資料、まとめとけ」
コリュモは思いきり顔をしかめた。そろそろ資料まとめの順番が回ってくるとは思っていたが、自分が行けば治療院でルバイヤ医師と会えるチャンスだったのに、留守番の上にあのカオスをまとめるだと!
ルバイヤ医師に被害者はまだ意識が戻らないと言われ、セヌリューバが辻馬車を降り一人歩いていると男たちがのっそりと近付いて来た。イイタダイとガレシュだ。
「あの娘はどうだった」
「それが、あまり良くありません。彼女、タノトからの移民でした」
イイタダイが書類を見せながら答えた。
「タノトか……。友好国ではあるが……」
「カイレーに来たのが二年前。ずっと武術の講師をしています。たまに通訳や翻訳の仕事もしていて、外国籍の者たちと、ちょいちょい交流があります」
「ますます怪しいな……」
セヌリューバは書類をめくり、イイタダイを見た。この男は武術はそこそこといったところだが、とにかく情報収集や事務作業にめっぽう強い。志願して騎士団へやってきたと聞くが、その特技で重宝されている。特にセヌリューバ自身に。
「それだけではありません。どうやらタノトにいたのは一年間ほどで、その前はオイノにいたようです。その先が辿れなくて……」
「あの容姿からしてオイノ出身者には見えんな。つまり複数の国を次々と回っているのか。こりゃ……、仕方ない、その先は諜報に知らせて調査させろ。彼女幾つだ」
「十九歳とありますが、もっと若くみえますね。偽っているのか小柄だからそう見えるのか……」
「十三と言われても驚かんぞ。さて、どうしたもんだかなぁ。とりあえず、野放しにはできん。面が割れてないのはクダツー副主任か。そろそろ派遣から呼び戻すか」
イイタダイは頷いた。書類を返されて慎重に懐に隠した。
「コリュモには何と言いますか」
セヌリューバは珍しく言い淀んだ。片手で短髪をかき回す。
「それなんだよな。怪しいってだけで、証拠があるわけでも、なにかしたわけでもないからな。諜報の報告があるまでは黙っておけ。なにかいい手を考える」
そう言ったものの、セヌリューバにいい考えは浮かびそうになかった。コリュモには内密に、メキナハについて調査する方法が考えつかないのだ。
「ひとつ提案があります」
「なんだ、イイタダイ」
「主任の弟さんは護身術を習いたいそうですね」
「却下」
セヌリューバは顔色を変えて即答した。イイタダイが提案しているのは、メキナハが講師をしている武術教室に弟を行かせたらどうかということなのだ。
「何故ですか。弟さんは人物観察に優れているし、年だって彼女と同年代で話が合いそうじゃないですか。キーナちゃんの動向を探るにはうってつけです」
「シィトゥーハは学生なんだよ、私の仕事に巻き込むわけにはいかん」
「そう言って今まで何度も助けてもらってるじゃないですか。弟さんは騎士団事務所に入り浸ってますよ、もはや訪問者帳の記入もしていないほどだ」
セヌリューバはイイタダイを横目で睨んだ。確かにシィトゥーハは事務所にしょっちゅう出入りしている。よろしくないことなのだが、自分を頼ってくれる弟が可愛くて片目をつぶってしまっていた。事務所から少し遠ざけた方がいいのかもしれない。
「私の可愛い弟シィトゥーハに、怪しげな女を近付けてたまるか」
セヌリューバの剣幕に、イイタダイは鼻白んだ。イイタダイに言わせれば、弟に関してはこの上司は片目どころか両目をつぶっているような状態だ。
「過保護すぎじゃないですか?もし本当にキーナちゃんが怪しげな女なら、シィトゥーハ君にはすぐ分かるでしょう。キーナちゃんはいい武術の先生のようだし、一挙両得じゃないですか」
「……あの」
それまで黙っていたガレシュが声をかけた。
「セヌリューバ主任。それ、俺ではだめですか」
「え?」
「コリュモが行ってるその武術教室、俺も通ってみます」
「……うーん……」
意外な提案に、セヌリューバも即答できなかった。
「最近、鍛錬も単調になってるし、ちょうどいいです。行かせてください」
イイタダイはちょっと呆れた。気になる子の正体を知りたいということだろうか。近付く口実か。公私混同ギリギリだ。だがしかし、いい考えではある。
「……いいじゃないですか。僕も通ってみようかな。皆で行きますか」
「何だかおかしなことになってきたな。まあいい、出来ることは何でもしてみるべきだな。ガレシュ、行ってみろ。ただし!弟はダメだ」
セヌリューバの剣幕に、イイタダイは肩をすくめた。
「こちらの武術の先生と知り合ったそうだね、兄さん」
次の日も、治療院のルバイヤ医師に毎日来るなと追い返されたセヌリューバが騎士団に戻ってみると、受付で爽やかな笑顔の弟が待っていた。しかも、あの例の受付嬢、さらにあの例の小柄な少女メキナハと三人で、それは楽しげに談笑しているではないか。
何がどうしてこうなった。セヌリューバはめまいがした。
「シィトゥーハ!何しに来た」
「いやだな、いつものことでしょ。怪しいな、何を隠してるの?」
セヌリューバの剣幕にも全く動じず、シィトゥーハは涼しい顔だ。
「隠してるわけじゃない、いつだってここに入り浸るなと言っている!話を逸らすな、何をしいてる」
「何って、兄さんを待ってたのさ。メキナハさんが兄さんを訪ねて来て、中で待とうよって言うのに、ここで待つって言うから、一緒に待ってたんだ」
「ひとつも分からん!」
「まあまあ。とりあえず中に入ろうよ。わざわざメキナハさんに来てもらっているんでしょ。早く用事を済ませてくれたら、この後、僕を武術教室に連れて行ってもらう約束をしているんだ」
「なっ……、なっ、な!」
「ひとつも分かんないのは兄さんだよ。まずは落ち着いてよ」
セヌリューバは太い深呼吸を繰り返した。
「……シィトゥーハ。お前、ちょっと来い。メキナハ嬢、申し訳ない。ちょっとこいつに説教せねばならん。しばらく待っていてもらえるだろうか」
メキナハと受付嬢は顔を見合わせている。
「構いませんが、なんなら私、出直します。心ゆくまでたっぷりと、お話し合いをされればと思います」
メキナハが「お話し合い」を強調して微笑む。
「あっ、メキナハさん、酷いな、すぐ終わるから待っててよ、帰っちゃダメだよ!」
「いや、何度も出向いてもらっては申し訳ない。すぐ戻る」
兄弟でメキナハを引き留めると、セヌリューバは弟を引きずるようにして応接室に消えた。
「一体何なの、兄さん」
掴まれていた二の腕をさすりながら、シィトゥーハは尋ねた。
「一体何事か聞きたいのはこっちだが、それは後だ。お前の目から見て、あの娘をどう思う」
「どうって、そうだなあ、あの人、表情が読めないんだよ。笑顔でも笑ってない感じなんだ」
突然の質問に困惑したシィトゥーハだが、表情を読むことに長けている彼はこの特技で幾度となくセヌリューバを助力してきた。兄がメキナハを目にした途端、警戒の表情を浮かべたことは気付いていた。
「確かに、守衛の銃剣を見ても平然としてて、なんていうか、怖がるというより面白そうにしてた感じがしたな。あれは僕でも最初は怖かったのにさ。……って、まさか、工作員とかそういった類じゃないかって疑ってる?」
「工作員とまでは思っていない。一般人というにしては、いわくがありそうだと思っただけだ。
お前が言うのは、つまり目立つのを隠してないってことか」
「そうそれ。工作員とかなら目立たないようにするでしょ、そもそも武術の先生なんかしないんじゃない?
面白いよね!あの子。僕、武術教室に行ってみるよ」
気楽に楽しむ弟に、セヌリューバは危惧を覚えた。保身の意識が低すぎる。自分の過保護を差し引いてもだ。
「面白がるな。正体の分からん奴に、不用意に近づくんじゃない」
「なんでさ。面白いし、すごく可愛いし、仲良くなりたいな」
「やめとけ、せめて諜報の調査を待て」
「えぇっ、調査を頼んだの?なんで」
「怪しいからに決まってる、いいか、しばらく距離を取れ、わかったな」
兄の剣幕に、シィトゥーハは拗ねてみせた。
「そんなぁ。だって考えてみてよ。メキナハさんが兄さんの言うように怪しい人だったとしたら、そもそもなんで兄さんたちに近づく必要があるのさ」
「わからんから調べてもらってるんだ。事件の関係者かもしれん」
「関係者本人が乗り込んでくるの?こんな目立つやり方で?」
セヌリューバは返答できずに押し黙った。シィトゥーハはあとひと押しだなと畳みかけた。
「それを知るには、事件について知らなきゃならないし、それには彼女を巻き込んだほうが手っ取り早い」
「それはこちらでやる。いいか、大人しくしていろよ」
シィトゥーハは不服そうだったが反論はしなかった。
事務室に通されたメキナハはコリュモを探したが、彼女はガレシュと共に定時巡警中だった。
「ごめんねキーナちゃん、ずいぶん待たせちゃって」
落ち着かなげなメキナハを見かねてイイタダイが声をかけた。
「いえ、私は構わないのですが、主任様がずいぶんと怒っていらして……」
「えっと、それはね、主任はここに弟くんが入り浸ってるのを嫌っててね。学生が来るところじゃないって。なのにまた来たからキレてたんだよ」
(実は君と喋っていたのが気に食わない、なんて言えないよ)
イイタダイは苦笑した。
「……主任はもう一人の弟さんを戦禍で亡くしてるし、奥さんもお子さんの出産の時に亡くしてるもんだから、ますますシィトゥーハくんに対して過保護になってね。
彼、本当は奥さんの弟さんでさ、二人きりの姉弟だったから、主任が引き取ってね。主任は奥さんの分も、と言って本当に可愛がっているんだよ」
イイタダイは再度、苦笑した。身辺調査をした本人を目の前にして、なんだか後ろめたかったのか饒舌になって余計なことまで説明してしまった。
「そうなんですね……」
メキナハは俯いた。
「主任は身内に対する責任感というか庇護欲っていうか、そんなのが強いんだ。家族にも、チームのメンバーにもね。特にコリュモのことは、騎士になるまでもなってからも随分苦労したからね、目を掛けてるし、僕らも全員で気を配ってる」
(だからコリュモを傷付けるようなことはしてくれるなよ、キーナちゃん)
牽制のつもりでそう言い、イイタダイはメキナハを観察した。彼女は顔を上げると目元を緩ませた。
「心強いですね。ありがとうございます」
あ、とイイタダイは思った。
この子が何者であれ、コリュモへの友情は本当のようだ。
嬉しくなった自分を自覚してイイタダイはまた苦笑した。仲間への庇護欲は、いつの間にか上司である主任セヌリューバの薫陶を受けていたようだ。